第14話 リックの戸惑い

 「サラ」は依然として声は出ないが、昨日より顔色がよくなっていること、朝食のパンもしっかり食べたことを、自らの主人に伝えると、主人は碧い瞳を一層潤ませ喜んだ。


 リックは今、主人の部屋に隣接する執務室で、アリシュテル家に届いた手紙や小包の仕分けをしている。



 (これは領地からの定例報告、これは奥様へのお茶会のお誘い、これは…)



 元々、執事というのは、管理職のようなもので、基本的には家の主人に仕えるものだ。それにも関わらずサラに時間を割けるのは、ひとえに主人のサラへの溺愛っぷりのお陰だ。そもそもリックが執事になったのも、サラの進言があったことが大きいだろう。


 リックは自分の主人を人としても領主としても尊敬していたが、愛娘のことになると視野が狭くなることも十分に理解していた。



 (お嬢様………)



 手の動きは止めないまま、どうしても考えてしまうのは、もう一人の小さな主人のことだ。

 否。小さな主人の中にいる、「サラキサラ」という女、と言ったほうが語弊がないだろう。




 率直に言って、リックは「サラキサラ」がどのような人物なのか、考えあぐねていた。




 第一、サラの見た目をしているのがまず良くない。あの体でサラらしくないことをされると、反射的に「変だ」という違和感が湧き上がり、正常に判断出来なくなるのだ。あと名前がサラと一緒なのも良くない。



 「…掴めない奴だ」



 ざっくばらんな話し方から、元の出自は貴族などではないのだろう。…まぁそもそも、沙羅の世界には貴族制度は根付いていないらしいが。

 しかし、口調は雑ではあるが、自分の意見をしっかり口にしたり、この世界にないものをリックの知っている言葉に変えて説明するスキルなど、決して頭は悪くなさそうだ。高等な教育を受けているように感じるほど。


 (あいつの世界では、貴族以外も教育を受けるのか…?)



 興味として、聞いてみたくはあったが、それはしない。リックはサラの中から沙羅を消すつもりだ。聞いたところで、どうにもならない。



 それよりも、リックが気にしなければならないのは、沙羅の本心である。



 『あたしはサラとして生きたいと思ってる』



 昨日そう言っていた言葉のとおり、中々話が頭に入らないようではあったが、真剣な態度で話を聞いていた。それだけ見れば、未だに沙羅を疑う心を捨てられずにいるリックのほうが悪人になってしまいそうなほど。



 しかし、忘れてはいけない。

沙羅は、昨日死んだばかりなのだ。



 にも関わらず、の話はしているが、沙羅の身の回りの話は一切しない。


 (そんなに簡単に割り切れるのだろうか…?)



 沙羅は16歳だといっていた。それなりに元の世界に愛着もあるだろう。


 リックは18歳で、今年で19になる。

もし自分が今死んで、あまつさえ自分の常識がほとんど通用しない別世界に行ってしまったらと思うと……………想像だけでも耐えられない。元の世界に戻りたくてたまらないはずだ。



 沙羅は、そんなことを考えないほど底の抜けたポジティブにも、何にも考えない馬鹿にも見えない。



 だとしたら……何か腹の底に抱えているのではないかと考えるのも、仕方ないと思うのだ。

 それに、現状沙羅の存在を知っているのはリックだけだ。これ以上増やそうとも思っていない。

 つまり、もしも沙羅が何かをしでかすようなことがあれば、それはリックの責任になる。それならば、慎重すぎるほど疑っておいたほうがいい。




 (………でも、)




 『あなたのサラは、



 あの言葉だけは、信じたいと思った。

かつての、リックと出会ったころのサラの言葉を思い出す。



 『ねえねえ、私、あなたの瞳が大好きよ。だってほら見て!私の髪の毛と同じ色!』



 左目につけたモノクルにそっと触れる。

ずっと好きになれなかった自分の目を好きだと言ってくれたのは、間違いなくサラだから。




 「…っと。そろそろお嬢様の昼食を持っていかなくては」



 アルバムは既に拝借済みだ。

「皆に直接お会いになれない代わりに、さめて写真でお元気になってほしい」と言うと、主人は喜んで、3冊あるアルバムを全て持たせてくれたのだ。

 お陰でかなり重量感はあるが、有難く全て持っていくことにしよう。







 「サラ・アリシュテル、5歳。誕生日は6月12日、一人っ子。お父様はライネル・アリシュテル、42歳。お母様がヘレナ・アリシュテル40歳。アリシュテル伯爵家は代々王家から任命されている由緒正しい貴族で、公爵、侯爵に次ぐ身分の高い爵位。領地は2つ、アリシュテル伯領ルーベルと、アリシュテル伯領トーウェン。…………合ってた?」




 ………………驚いた。

まさか、本当に昼食までに覚えてしまうとは。

 スープを注ぐリックに、「間違えてないか確認してほしい」と言ってつらつらと言い切ったサラに、開いた口が塞がらなくなる。



 昼食を持ってきたときに、1時間前に退室したときと全く同じポーズのままだったのにも驚いたが、これ程とは。



 「リック?」


 不安そうにこちらを見上げるはちみつ色の瞳に、合否を問われていたことを思い出した。


 「あ、ああ。合っている」


 「そう、良かった…」


 ほっと一息つき、サラはやっと手元のスープを口にした。今日のスープは、サラが少しずつ回復していている為、細かく刻んだ燻製肉を入れてもらった。

 普通の人と比べるとまだまだ食が細いが、サラと比べると、これでも随分口にしている方なのだ。



 「正直、覚えきれるとは思ってなかった」


 素直な感想を口にすると、サラは困ったように笑った。


 「んー、そうは言っても、あたしが貴族の序列とか全然分かってなかったせいで、かなりそこに時間使っちゃったし、そのせいで覚えること少なかったから…」



 遠慮がちに伏せられた長い睫毛に陽の光が反射し、キラキラしている。睫毛の下の瞳は、ぼんやりと宙を見つめている。



 (…………だ)



 昨日から、ふとしたときにサラは今と同じ表情を見せる。リックは、これが沙羅の素の表情なのではないかと思っている。サラの表情とは違う、「大人の顔」だ。

 何か、元の世界のことを思い出しているのではないか。それがもしサラを害する考えを孕んでいるなら、リックは問いたださなければいけない。

 …のだが。昨日から何度もその機会を逃してしまっているのは、その表情が、無表情と言い切るには物悲しく、深刻そうだからだ。


 その上、



 「そうだ!リック、質問があるんだけど」



 あれ程思いつめた表情を消し、さも最初から何も無かったかのような顔で聞いてくるサラ。このせいで、余計に分からなくなるのだ。



 (お前の本心は何なんだ……??)




 分からない。

当分の間、引き続き頭を悩ませられることになりそうだ。折角サラが生き返ってくれたのに、こんなことになろうとは。

 心の中で、もう何度目か分からない溜息を吐いた。






 しかし、リックは沙羅に意識を集中させるあまり、気がついていなかった。



 サラの体を牛耳る怪しい人物だと自分に言い聞かせながら、あのとき、魔法について話したとき、初めて沙羅が声を上げて笑ったのに、少し安心してしまったことに。

 真摯に見える沙羅の態度に、絆されつつある自分に。



 そのときはまだ、気づいてなかった。

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