第13話 第一回リック講座
「……仕方ない。何がお前にとっての「常識」か、すり合わせている時間はない。とりあえず旦那様方の前では、①余計なことは言わない②分からないことがあったら、左耳を触る。この2つを守れ」
リックが数字に合わせながら指を立てつつ、諦めた口調で命令するので、頷いた。そうするしかなさそうだ。
沙羅とリックにとって、当面最大の問題は、時間の無さだ。3日、というのはリックが決めたリミットではあるが、実際それがギリギリ許容できる猶予なのだろう。あまりに延びすぎると、家の者達に怪しまれる。もしくは死ぬほど心配されて、またあの医者を呼ばれるかもしれない。それは嫌だ。仮病だとバレる。
なんとしてでも、3日後までには「及第点のサラ」にならなくては。
「とりあえず、サラの癖、この家のこと…皆の名前とか、サラが知ってる限りの人間関係とか…から覚えていくのがいいかな」
「そうだな、それが良いだろう」
「念の為確認だけど、テレビが無いってことは、ビデオも無いよね?」
「びでおが何かは分からんが、そんな単語自体聞いたことがないな」
「だよね。ビデオっていうのは…映像、いや、映像って言葉もないのか。んー………、ああ、そうだ」
ふと思い当たるものがあって、ソファに座ったまま後ろを振り向く。そのまま、サラの細い指で壁を指した。
「あれ」
「写真?」
サラが指さしたのは、昨日見つけたサラの家族写真だ。白黒の写真で、銀色の品の良い額縁に入れられている。
「そう。ビデオは、『動く写真』みたいなもの。それが見られれば、サラの癖とか、表情とか、分かりやすいと思ったんだけど」
本当は音声もあるから、動く写真という説明では不十分なのだが、割愛させてもらう。動きが見たかったことだけ説明できたら十分だ。
「へぇ…それは便利そうだな。…やっぱりあれなのか、お前の世界には魔法が当たり前にあったりするのか」
「え、ないよ。っていうか、あたしはむしろ、この世界に魔法あるかもって思ってたんだけど」
「そんなものはない」
「……っふふ、あはは」
急に笑い出したサラを、思い切り引いた眼差しで見るリックに気づいているのだが、どうしても笑いが止まらなかった。
だって、こんなに真面目が滲み出るリックから、「魔法」なんて単語が出てくると思わなかったから。しかも、ちょっと期待した顔で。魔法が無いと分かったときも、落胆を隠しきれていなかった。
「おい、何がそんなにおかしい」
しかめっ面をするリックに、また笑いがこみ上げてくるも、必死に抑え込む。そろそろ本気で怒られかねない。ただでさえ時間がない状況なのに。
「ごめんなさい。ただ、全く違う世界なのに、異世界といえば魔法、みたいな考えとかは似てるんだなぁって…なんか気が緩んだというか、安心したというか」
そういえば、この世界に来てから声を出して笑ったのなんて初めてだ。リックに感謝しなくては。
「ありがとう、リック」
今なら、心から笑える。
リックは驚いたようだったが、わざとらしい大きな溜息を吐くと、
「気を緩ませている
「あっはい。ごもっとも…」
しっかりと釘を刺してきた。正論すぎてぐうの音も出ない。
気合いを入れ直すために、両頬を軽く叩きながら「あたし、違った。私はサラ、私はサラ…」と唱える。
「…………だが、さっきの
「私はサラ、私は…え?何か言った?」
「何も言ってない。いい加減始めるぞ」
沙羅に向かって執事の態度を取ることが馬鹿馬鹿しくなったのか(口調は既に崩れきっていたけど)、姿勢良く立っていたのを止め、ドカッとソファに腰を下ろした。昨晩同様、足を広げてそこに肘をつけたヤンキースタイルだ。
どうやら、「お嬢様」だからといって甘くするつもりは一切ないらしい。沙羅はリックに戦いを挑む面持ちで、彼と対峙した。
◆
30分後、そこには死屍累々の沙羅と、頭を抱えるリックがいた。
(つ、疲れた……)
まだサラの家のことしか聞いてないのに、かなりの疲労感だ。サラがまだ幼く病み上がりで体力がないせいもあるし、沙羅がカタカナを覚えるのが死ぬほど苦手なせいもある。
リックも、最後のあたりは沙羅の魂が抜け出そうになっていたのを察してか、使用人についての説明をする予定だったのは、止めたようだ。
進捗が思わしくないのだろう。頭を抱えたまま、その下でぶつぶつと何かを唱えている。
なかなか思うように進まないのには、もう一つ理由があった。
筆記を使えないことだ。
言葉を聞いたり話すことはできるのだから、書くのもできる…と思っていたのだが、出来なかったのだ。記憶がないせいかと思いきや、サラは元々書き物は出来なかったらしい。まだ幼いから仕方ないのかもしれない。
かといって、まさか日本語で書くわけにはいかない。サラが「サラではない」物的証拠になってしまう。
結局、リックに聞いた言葉を反芻するという原始的な手段をとるしかなかったのだが、時間はかかる上、1度忘れたら思い出す手立てがなくなるという緊張も相まって中々うまく行かなかった。
そもそも、沙羅はひたすら書いて覚える派だった。
「………まぁ、言葉は仕方ないしある程度予想してたが、まさか貴族の序列すらままならないとは………」
「ごめん…ちゃんと覚えるから」
あまり余計なことを言うと、脳みそから折角覚えた諸々が溢れそうである。そうならないように、とりあえず物理的に頭を押さえてみる。
「当然覚えてもらうが、とりあえず一旦休憩だ。お嬢様の様子を見るように申しつかってはいるが、ずっと部屋に居続けるのは怪しまれる。お嬢様は疲れて寝たと報告しておこう」
「重ね重ね、ご迷惑を…あ、ごめん、ファミリーネーム何だっけ、アリシュタリア?」
「アリシュテルだ」
謝りながらも、頭の中は先程説明されたことを反復するので必死だ。本日何度目か分からないリックの溜息も、どうでもよく感じてしまう。
退室間際、リックが思い出したようにこちらを振り返る。
「そうだ。お前の言っていた、『動く写真』はないが、写真を撮るのは旦那様の趣味でな。アルバムがあるから、午後からはそれを持ってこよう。使用人の写真も撮ってくださったことがあるから、見ながらのほうが分かりやすいだろう」
「あ、それは凄い助かる。…というか、出来たらお昼ごはんの時に持ってきてほしいんだけど、出来ない?」
「それくらい問題ないが…あまり変わらなくないか」
リックは1度サラの父親の下に戻り、執事としての仕事をしたあと、サラに昼食を持って来、2時頃またここに来ると言っていた。
昼食まであと1時間、昼食後リックが戻ってくるまでにも1時間は時間がある。
「さっき教えてもらったことは、ちゃんお昼ごはんまでに覚えておくから。アルバムだけでも先に見ておいたら、午後からの話も多少は入ってきやすいだろうし」
「分かった。昼に持ってこよう」
そう言うと、リックは今度こそ部屋を出ていった。
「ふぅーーーー、っとと」
無意識に深呼吸していたのを、慌てて口を塞いで止める。折角聞いた話が一緒に出ていく気がするからだ。
(さて、どうしようか)
本音を言うと、15分ほど寝て疲れをとりたい。しかし、この部屋には掛け時計はあっても目覚まし時計はないのだ。それもそうか、毎朝メイドが起こしてくれる生活には不要なものだ。
結局、寝たら最後、昼食を運んできたリックに起こされる所まで容易に想像がついてしまったので、諦めることにした。昼までに覚えると見栄を切った以上、それは避けたい。
それに、疲れがスッキリするのと同時に、覚えるべきことまでスッキリ忘れそうなのも否めない。
「よし、やるか…」
沙羅はソファに浅く腰掛け直し、自分の脳内にだけ集中できるよう、目を閉じた。
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