第12話 先行き不安定

 翌日。


 「お嬢様、おはようございます」



 そう言って部屋に入ってきたのは、昨日医者と一緒にいたメイドだ。

 彼女の名前はクレアというそうだ。

 リックより少しだけ若そうな彼女は、赤茶の髪の毛をお団子で一括ひとくくりにし、朝から快活な笑顔を露わにしている。そばかすが愛らしい印象だ。



 極力この部屋に人を近づけないということだったが、彼女だけはやむを得ないのだと、昨晩リックから聞いている。クレアはサラ専属のメイドだからだ。

 流石に、サラの体を拭いたり、着替えをさせるのはリックには出来ない。



 今朝も、病み上がりの為入浴はせず、体を拭くだけにするらしい。お湯の入った銀の桶を持ってきている。



 「昨日は、よくお休みになれましたか」



 濡らしたタオルで優しく髪を拭き上げていくクレアの邪魔にならない程度に、軽く頷く。あれだけお昼寝(?)をしていたのに、10時には気絶するように寝てしまった。サラの体が必死に回復しようとしてるのかもしれない。



 「やっぱり、声はまだ出ないのですね。」



 仔犬のように、分かりやすくしょげるクレア。昨日から思っていたが、彼女は感情表現が豊かだ。良くも悪くも分かりやすい。


 垂れ下がる尻尾まで見えそうなクレアに、両手の拳を握って笑顔を作る。声が出ないだけで元気だ、と伝えたかったのだが、分かっただろうか。



 リックの案により、サラはまだ声が出ないことになっている。手っ取り早く、失言を防ぐためだ。

 そして、サラの両親にも、サラのいつもの仮病ではなく、「本当に声が出なくなっている」とニックから告げられているはずだ。



 「1度でも死の淵を彷徨さまよった反動かもしれない」「普通に話す以上に、コミュニケーションを取るのが疲れるから、せめて体調が回復するまでの数日の間だけでも、安静にさせてほしい」とさえ話せば、サラのことが大切な両親は、仮病だと思っていた罪悪感も相まって、絶対に部屋に近づかないだろう、とリックは言っていた。



 クレアを含め、人の良いこの人たちに余計に心配をかけさせるのは申し訳なかったが、「サラ」ではないことがバレるリスクを考えると、背に腹は代えられない。



 クレアにも、「サラに負担をかけないよう、会話は控えるように」とお達しがあったのか、その後も話はふられるものの、天気の話や、肯定か否定で簡単に答えられるものだけだった。


 ベッドの中でも着られるような、動きを邪魔しない青色のシンプルなワンピースに着替えさせると、クレアは名残惜しそうに退室した。










 さて、リックによるサラ講座の開講である。


 朝食に昨日と同じスープとサラの拳ほどのロールパンを持ってきたリックから、サラの声について両親に伝えたところ、予想通り意気消沈し、なるべくまめにサラの様子を確認して報告してほしいと言われた、と聞いている。

 トントン拍子に上手く事が運んだようだ。



 結果、こうして無事にサラとリックが一緒にいてもおかしくない状況を作ることができた。

 

 1度食器を下げてから再びサラの部屋に戻ってきたとき、リックは小脇に巻物のようなものを抱えていた。



 「本題に入る前に、残念な話がある」



 そう言って、テーブルの上に巻物を広げる。サラがソファから身を乗り出して覗くと、それは地図のようだった。



 「俺は「ニホン」という国を聞いたことがないと言ったが、元々俺はしっかりした教育は受けていない。隣国じゃなく、遠い国なら知らなくてもおかしくないかと思ったんだが…」


 リックは困った顔で、地図に目線を落とす。



 「どうだ。ニホンはあるか」



 「……………ない」



 そもそも、土地の形が全く違う。大陸と呼べそうな大きな土地は2つしかない。それでも、もしここが中世世界だとしたら、ニホンが認識されていないのかもしれない。せめて中国やインドくらいはあるかも…と思い血眼で探してみたのだが、知っている地形も名前も1つもなかった。



 「やっぱりな。ちなみに今いるのは、ここ。シュラウデン大公国という名前に、聞き覚えは?」


 「…ごめんなさい」



 否定を示す言葉に、リックは眉間を押さえて溜息を吐く。



 つまり、ここは異世界…ということで間違いなさそうだ。残念ながら。


 沙羅は昨日ぬいぐるみを見た時点で嫌な予感はしていたが、リックにとっては寝耳に水だっただろう。

 これで、サラの記憶だけではなく、この世界の常識も無いことが分かったのだ。なんとも幸先の悪いスタートである。



 「異世界から魂だけ来るのは、お前の元いた世界では当たり前なのか…?」


 「いや…同じ世界の中で産まれ変わった、って話はテレビで見たことあるけど、それもあたしはあんまり信じてなかったなぁ」


 「てれび…?」



 いけない。テレビはないのか。

本当に、最初にバレてしまったのがリックで良かったかもしれない。こんな調子では、あっという間にバレていたに違いない。



 「えっと…遠くで起きていることを、色んな人が知るためのものって言えばいいのかな…。とりあえず、あたしも異世界なんて聞いたことがない、ってこと」



 漫画や小説ならそんな設定もあるかもしれないが、沙羅はそもそもどちらもあまり興味が無かったので、フィクションですら異世界というものに馴染みがない。



 「はぁ…つまり、「全く何も分からない」ということだな…」


 「仰るとおりです…」



 2人して、がっくりと俯く。

どうしよう。覚悟を決めてから、まだ半日。もう心が挫けそうだ。

 リックも、「3日」と言ってしまったことをさぞ後悔していることだろう。時間設定の甘さについては、沙羅と結構似ているのかもしれない。



 「どうするんだ…全部網羅している時間はないぞ…」


 頭を抱えるリックを見ながら、ふと思い出したことを口にする。


 「そういえば、世界は違うけど、根本的なことはあまり変わらないのかも。ほら、この時計とか、前の世界と同じなの。この地図は、北が上で合ってる?」


 「まあ、地図だからな」


 「ほら「地図だから」で同じ認識を持ててる。それって同じ常識を持ってるってことでしょ?食器も同じだったし…まぁ、もしかしたら全く知らない食材とかは入ってるかもしれないけど…あのぬいぐるみも何の動物か分からないし…」


 「………」


 「え、なに?」


 この世界のことを思い起こすように、ぶつぶつと話すサラを、無言で見下ろしてくる。心なしか、ちょっと引いているような。


 「いや、昨日も思ったが、その…お嬢様の口からそう賢そうな発言をされると、気味が悪いなと」


 この男は、沙羅には言葉を選ぶ必要がないと思っているようだ。思い切り不躾である。

 まあ、確かに少女の姿でする話ではないけれど。


 「まぁ、良い。一般的な常識さえ同じなら、なんとかなるだろう。幸いお嬢様はまだ幼い。難しいことは覚える必要がないからな。コモッコも、この国でも知らない人は多い」


 「あの動物、コモッコって言うの?なんていうか、うさぎと羊と犬を足して割った感じだよね」


 「羊と犬は分かるが…ウサギ、とはなんだ」


 「「………………」」



 2人して固まる。

ギギギ、と錆び付いた鉄の音でもしそうなほど、不自然に口角を上げ、リックがサラを見る。だから目が怖いってば。



 「……本当に、は同じなんだな……?」


 「……………多分」





 不安しかない。

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