第11話 受け継がれたもの

 「お前は、嘘は言わないんじゃなかったのか」


 

 そう言うリックの声は呆れている。最早、怒る気力は残っていないようだ。

 今の今まで「自分がサラではない」ことを説明していたのだから、そうもなるか。



 別に沙羅は冗談を言った訳ではない。

「あたしがあなたのサラよ☆」なんて言ったら、今の意気消沈状態でも、怒りの大噴火待ったなしだ。

 ましてや、「実は話している間にサラの記憶が戻りました!」なんて起死回生のラッキーチャンスも回ってきていない。



 それでも「サラがいる」と言うのには、一応沙羅なりの根拠があるし、リックにはその事実をちゃんと知っておいてほしかった。

 そのための5分間だった。…過ぎたけど。



 「あの……ほんっっとうに自慢にもならないんだけど、あたし、物心ついてから、一度しか涙が出たことないの」


 「は?何の話?」


 「だから、サラがここにいるって話」



 あまりのハンドルの切り方に、どうやら付いて来られなかったみたいだ。リックの頭の上には、分かりやすくクエスチョンマークが浮かんでいる。


 「それに演技派でもない。現にあなたにすぐバレたし」


 「いやだから、それとお嬢様に何の繋がりがあるんだ」



 まずい。少し苛ついている。

ここまで言ったら分かると思ったのだけど。執事だから、察する能力とか高いのではないか、と勝手に決めつけていた。



 「だから、あたしはここに来た直後にあたなに会って、何も状況を把握出来てなかったの。当然だけど、サラの記憶はあたしにはなかったし。で、あたしは演技も出来ない…というかしたことないし、涙なんて流せるはずもないんだよ」



 そこまで言って、ようやく、リックの中で1つの記憶と結びついたらしい。


 「……あ」


 「分かったでしょ。そんなあたしが、サラのご両親に向かって泣けるはずない」


 「でも、じゃああれは」


 「だから言ってるの。って」



 もう一度、サラの心臓を身体の上から叩く。



 「…さっき、記憶はないって言ってたのは」


 「それは本当。サラが産まれてから、こうして生き返るまでの記憶は一切ない。…これはあくまでも、あたしの予想なんだけど、なんて言えばいいんだろう…サラの魂が持っていった記憶とは別に、の記憶があるんじゃないかと思う」



 「体の…?」



 「そう。五感で覚えているような記憶?っていえばいいのかな。さっき言ったサラのご両親に会ったときのことだけじゃないの。あなたやご両親がサラの頭を撫でたとき、あたしは慣れないことでとても恥ずかしかったんだけど…でも、それ以上に落ち着いて、体がとてもリラックスしたんだよね」



 ぬいぐるみの匂いも、飾ってある花の匂いも、嗅いだことない匂いなのに懐かしく感じる。あんなに刺々しく話すリックの声ですら、嫌いになれない。サラのご両親を見たとき、ベッドから扉まではそれなりの距離があるのに、ほんの少し視界に入っただけで、幸せだと思った。



 これは全部サラのものだ。

沙羅の知らない感情が勝手に湧き上がってくるのは、とても変な気分で、でも不思議と嫌な心地はしなかった。サラと沙羅の間を埋めていく道標のようで、安心すら覚えた。



 「ほら、」


 リックに近づき、そっと眼鏡を外す。それから、涙で濡れた頬を、サラの服の裾で丁寧に拭いた。



 「、リックの透きとおるようなグレーの瞳が好きみたい。だから、これ以上辛そうな顔は見たくないわ」



 リックはひどく驚いたようで、サラの顔を凝視する。先程とは違い、しっかりと目線が合っている。

 涙を拭いただけで、充血し腫れぼったい目や赤くなった鼻はそのままだったが、驚いたお陰で涙は止まったみたいだ。嬉しくなって、ついつい微笑んでしまう。



 「っ、お嬢様…」


 「え、待って待って待って、折角拭いたのに!」



 ポロポロと溢れ落ちる雫はとても綺麗だが、また泣かせてしまったのではサラに申し分がたたない。どうしよう。

 というか、今更ながらこの状況がかなり恥ずかしくなってきた。今までの人生で、他人の眼鏡を外したことも、他人の涙を拭いたこともない。しかもそれが(元)同年代くらいの異性ともなれば、一層恥ずかしい。



 「どうしよう…涙止める方法って…」



 もうリックに触ることは出来ず、彼の周りを挙動不審にうろつくのみだ。


 そもそもこの年の男性が泣いている場面に鉢合わせたことがない。どうしたら良いのか分からない。サラの話をすると余計に悲しくなりそうだし、かといって沙羅自身の話は興味もないだろうし…。



 「別に、泣いてない」


 「えっ」



 ぐるぐると沙羅が考え込んでいる間に止めたのか、確かにリックはもう泣いていなかった。だが顔はさっきより悪化している。



 「その顔で泣いてないっていうのは、大分無理があるんじゃ、」


 「泣いてない」


 「あっ、はいすみません」


 有無を言わせない気だ、この人。

しかし無茶を言っている自覚は流石にあるらしく、気まずいのか一切目を合わせてこない。



 「あの…」


 「なんだ」


 「そういえば、大分時間経っちゃってるけど大丈夫なのかなって」



 とりあえず、話題を反らすことにした。本当に気になっていたことでもある。

 5分と言いつつ、なんだかんだ15分くらい話し込んだ気がする。スープ2杯飲むにしては時間がかかりすぎてて、サラの両親やメイドが気を揉んでいるんじゃないだろうか。



 「それなら問題ない。お嬢様が「声が出ない」時は、俺がお嬢様の相談役みたいなものだったからな。今日も、話をきいてくれと旦那様から申しつかっている」


 「そうだったんだ」


 「お前は、今後どうするつもりなんだ」



 どうするつもり…?

ああ、沙羅にも相談役として話をしてくれているのか。

 かなり予想外の状況にはなってしまったけど、1人だけでも事実を知ってくれている人がいるというのは、かなり助かる。



 「あたしが生きている限り、体に残っているサラの記憶も生き続けるだろうから、あたしはサラとして生きたいと思ってる。サラのご両親にあたしのことを言うべきかどうかは…正直まだ悩んでる」


 「絶対に言うな」


 「え」


 「旦那様も奥様も、こんな思いは知らなくていい」


 「……」


 覚悟を決めたような、強い瞳に何も言えなくなる。それは何処となく、サラに似ている気もする。


 リックは、大切な人の喪失を、2度も味合わせるなと言っているのだ。それは至極真っ当な主張。

 でも、本当にそんなことが出来るのだろうか。



 「サラを心の底から愛してたご両親が、あたしの存在に気が付かないなんてこと、あるのかな」


 「あるのかな、じゃない。そうさせるんだ、お前が」


 「え」



 戸惑う沙羅に、呆れたように大きく溜息をつく。


 「いいか。お前がサラお嬢様として生きたいというのなら、「お前」を捨てて生きる覚悟くらい決めろ。少しでもお前としてお嬢様の人生を歩もうものなら、俺はお前を許さない」


 そうだった。リックはもう覚悟を決めたのだった。覚悟を決めたつもりで、いつまでもうじうじしているのは、沙羅だけだ。

 出来るか、ではなく、しなければいけないんだ。



 「分かった。約束する」


 「よし、3日だ。3日間、俺がなんとかして、この部屋に旦那様方を近づかせないようにする。その間に、俺がお前をお嬢様にしてやる」


 「うん。ありがとう」



 こうして、沙羅の第2の人生が幕を開けた。

 ちなみに、あの医者が置いていった薬は、死ぬほど不味かった。

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