第10話 願い
項垂れるリックに向かって、
あたしは、日本に住んでいた16歳の女で、事故で死んだ、更木沙羅という、全くの別人だということ。
死後の世界のようなところで、サラの魂と出会ったこと。
「サラは、泣いて謝ってた。サラのご両親と…リック、あなたの名前を呼んで」
自分の名前に反応しバッと顔を上げたリックに、キツく睨まれる。その頬は濡れていた。
「お前が、俺を懐柔しようとして嘘をついているなら、5分と言わず即刻その口を塞ぐ」
どうやって?などと軽口が叩けるはずもない。聞かずとも、少女漫画のような甘酸っぱい口の塞ぎ方ではないことは明白だ。
「あたしがどんなに愚かでも、今のあなた相手に嘘をつく真似はしない。全部、何1つ証拠はないし、現実味のない話だけど」
「……ふん」
睨まれっぱなしではあるものの、どうやら、話は聞いてくれるようだ。
サラの話に戻す。あたしには5分しかないのだ。
「あたしが会ったとき、サラの魂の灯火は、もう消えかかってた。…サラ自身もそれに気づいてた。だから、あたしがサラに話しかけたときに、頼まれたの」
「何を」
「あたしの命を、サラにあげること」
「は?」
リックの表情には、戸惑いの色が浮かんでいる。思いもしなかったことみたいだ。
事実だけを伝えるよう、リックや自分の感情に揺さぶられることがないよう、できるだけ淡々と語る。
「あたしは事故死で、寿命が残ってるから、それが出来るって。それで、湖の中を通って、気がついたらここにいた。後はもう、あなたが知っている通り」
口にしてみると、意外とすぐに話し終わるものだ。それもそうか。あまりに浮世離れした出来事に、沙羅が階段から落ちたのも遥か昔のことのように感じるが、あれだって、時間にしてみれば半日程前のことだろう。
「……2つ、質問がある」
リックは、聞き終えて暫くは呆然としていたものの、頭の中を整理するように、そう口に出した。
「あたしに答えられるものなら、なんでも」
リックは床に付けたままだった膝を持ち上げ、ベッド脇のスツールに腰掛ける。足を開き、そこに肘をついた前傾の姿勢のせいか、服装は変わらないのに、上品さが一気になくなる。目つきも悪いため、ガラの悪いヤンキーのようだ。
「まず1つ。お前の言っていることが真実だとして、お嬢様は自分自身が生き返るんじゃなくて、お前の魂がお嬢様の中に入ることを知っていたのか。お嬢様は、自分が生き返るつもりだったんじゃないのか」
「…いえ、サラは最初からそれは出来ないって知ってた。『私の家族をよろしくね』って、『私の代わりに生きて』って言ってたから」
リックの眉間に深い皺が刻まれる。一点をじっと見つめて動かない。
「…2つ目だ。だとしたら、お前はお嬢様の体を乗っ取って、のうのうと生きるつもりで了承したのか。死んで、戻る肉体のないお前にとって、お嬢様の提案は願ってもないことだろう」
「それは、違う。そもそも、あたしは湖に落ちる直前まで、サラ自身が生き返るものだと思ってた」
「だったら!」
語気を荒げ、布団を固く握った拳で叩きつける。勿論サラの体がない所ではあるが。振り落とした拳で布団を握りしめ、リックは言葉を続ける。
「だったらお前は、ただただお嬢様のために、それを受け入れたとでも言いたいのか!何故だ?俺はニホンなんて国は知らない。勿論お嬢様だってそうだ。お前はお嬢様と初対面の赤の他人だったはずだろ?なのに何故、自分の命をお嬢様に渡すことを受け入れた?」
心底、訳が分からないと言いたげな問いかけだ。沙羅に何か裏があるほうが、まだ受け入れられるのだろう。サラの体を奪ったあたしは、悪人でなければいけない。
あたしが答えられるのは、1つだけだ。
「サラが、あたしを頼ってくれたから」
「は?…それだけ?」
「そう」
「そんなの、信じられるか」
「うん、信じなくていい」
「は?」
奇異なものでも見るような目。確かに、沙羅がリックの立場だったら、綺麗事にしか聞こえないだろう。でも、
「あたしは、あなたに嘘は言わないって約束した。だから理由を聞かれたらこれしか答えられない。…でも、あなたは別にこれを認めなくていい。あなたはあたしを恨む権利がある」
「じゃあお前は、本当にお嬢様を助けたい一心でここにいるっていうのか……」
そう言うと、リックは両手でおでこを支えて項垂れてしまった。
葛藤しないでも、素直に沙羅を恨めばいいのに。根はとても良い人なのだろう。
それに、沙羅は別に聖人君子じゃない。サラにはサラの願いがあったように、沙羅にも沙羅の「我」がある。今回は、それが偶々一致しただけだ。
「5分、もう過ぎたけど…もう1個だけいい?」
「………」
無言を肯定と受け取ることにする。
実は、1番言いたかったことを、まだ言えていないのだ。時間配分を間違えた。
「さっき言ったとおり、あたしはサラに自分の寿命をあげて、それで終わりだと思ってた。それ以降のことは何も考えてなくて…だから、ここに来たとき、正直どうすれば良いのか悩んだ。でも、あのとき」
湖の中を落ちていくとき、目をキツく
家族に侘びながら嘆く細い肩を、強い意志を灯した瞳を、忘れないように。
「あたしは、サラのことを本当に凄いと思った。自分の命が消えかけてるのに、ずっと残される家族の心配しかしてなかった。あたしをここに連れてきたって、サラ自身が家族の側にいられる訳じゃないのに、サラはすぐに選んだんだよ。それでも、家族が「サラ」を失わない方法を。こんな…小さいのに」
そっとサラの体の線をなぞる。どこも骨ばっていて薄い。
あたしなら…サラよりも10年は生きているだろうあたしなら、そんな選択は出来なかった。
緩慢な態度で頭を上げたリックが、サラの瞳を見つめる。焦点がどこか定まっていない感じがする。サラを透かして、沙羅の知らない、サラの在りし日の姿を見ているのかもしれない。
「あたしは、そんなサラの最期の願いを叶えたい。頼まれたから、サラの家族のこと。それにね、リック。あなた1つ間違ってる」
「…何を」
リックの声には諦めが滲んでいる。サラのために、あたしの存在を認めなければならないことへの諦め。そして、どんなに望んでも、もう彼の知っているサラはいないのだという諦観。
ねぇ、気づいてる?
サラの言う「家族」には、きっとあなたも含まれてたんだよ。だったら、リックをこのままにしておく訳にはいかない。
同じ顔なのに、知らない表情をするサラを視界に入れるのが辛いのか、再び視線を下げようとするリック。その彼の肩を、サラの細い手で強く掴む。
唖然とするリックに向けて、もう一方の手で、サラの胸の辺りを叩いた。
「あなたのサラは、まだここにいる」
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