第6話 状況を整理しよう
「本当に、毎回毎回、信じられませんわ。旦那様のことは本当に尊敬しておりますけど、あの人選だけは…大切なサラお嬢様をあんな奴に任せるだなんて…」
医者が帰った後、女性はそう嘆きながらも、慣れた手つきでサラの体を拭いてくれた。ちなみに「あんな奴」の部分は感情がこもり過ぎて、少し拭く力が強かった。
彼女の言い分ももっともだ。あの両親がサラの教育上、明らかによろしくない人選をするとは思えない。
裏を返せば、それでも彼を頼らなければいけないほど、サラの病状は思わしくなかったのだろう。自分の手を見る。ほっそりしているとは思っていたが、よくよく見ると、皮の下に骨がくっきりと見える。
「お腹は空いていらっしゃいますか」
彼女に尋ねられたので、首を横にふる。病に臥せっていたらしいからか、腹の虫は鳴りそうもない。
「かしこまりました。あと2時間ほどで御夕飯ですが、喉を通りやすいものを作らせてこちらにお持ちしますので、それまでお休みください。何かあれば、リックか私を呼んでいただければよろしいですから」
そう言うと彼女は穏やかに微笑み、部屋を出ていった。先程のブリザードが嘘みたいに、春の木漏れ陽のような暖かい笑顔だった。
◆
さて、何度目かのお一人様タイムである。
さっきの女性には悪いが、今度こそ寝ずに、少しでもサラの情報を集めなくては。
彼女の言葉を信じるなら、2時間は捜索の猶予があるはずだ。部屋から出るリスクは負えないが、幸いなことに、この一部屋だけでもかなり広そうだ。何か見つかれば良いのだけど。
その前にまずは、今分かっている情報の整理からしよう。既に脳内は散らかり放題だ。
何気に、彼女に起こされたときも、一瞬自分がサラであることを忘れていて、危なかった。「誰この人たち?」と、まじまじと観察してしまったのも、寝ぼけていたと思ってくれたみたいだった。
脳裏に、サラになってから会った人たちを思い浮かべる。本当は紙に書き出した方が整理できて良いのだけど、万が一この部屋に紙があったとしても、誰かに見られる危険性を考えるとそれは出来ない。
リックという男に、サラの両親、そして医者と女性。
リックと女性は、サラや両親への言葉遣いからして、この家に仕える人たちだろう。多分、執事とメイドではないだろうか。昔、本屋で大々的に売られていた、『メイドちゃんと執事くん』というタイトルの漫画の表紙の人物と、服装が近い。あれに比べると装飾品も少ないし、メイドのスカートも膝下まであるシックなものだが。
(あれ……)
「そういえば、リックって、なんか聞いたことある名前のような気が…」
もしかして、それさえ思い出せたら、芋づる式に他の人の名前が分かるなんてことはないだろうか。
「リック……リック…………あ」
思い出した。あの時だ。
『っ、お、とうさま…おかあさまぁっ…!リック……っく、ごめんな、さ…』
こちらに背中を向けてはいたけど、あの時、サラは確かにそう言っていた。あの時は、呼ぶ順番的に兄妹かな、位しか思っていなかったが、まさか執事だったとは。
同じ名前の別人の可能性も考えるが、もしあの子が
「でもなんで、家族じゃないリックを…?」
サラの様子を見守っていたのは僅かな時間ではあったが、その間に呼んでいた名前は両親とリックだけだったはず。
…まさか本当に好きだったのか。
リックの顔を可能な限り思い起こす。吊り目がちの目は鋭く、キツい印象だったけど、サラを見る目は優しかった。執事ならば、接する機会も多いだろうし、小さい子の初恋相手としては、身近にいる年上のお兄さんは納得いく気がする。
そこまで思い巡らせて、ふと重大なことに気がついた。
嫌な予感はしていたが、つまりリックの名前に聞き覚えがあったのも、サラの記憶を共有できてたわけじゃないということだ。
試しに両親の名前や、メイドの名前を思い出そうとうんうん
それどころか、サラのフルネームすら忘れてしまった。
「なんだっけ…サラ・アリス?的な名前だった気が…でももっと長いはず…………。
………駄目だ、あたしカタカナの名前覚えるの苦手だし」
ついでに、この国についても何か覚えていることがないか、思い出せるかも試してみたが、同じ結果だった。
「日本じゃないことは間違いないよね…お母さん、髪オレンジだし。そもそも普通のお母さんドレス着てないし。執事もメイドも見たことないわ」
結局、分かったのはサラにとって、リックが何らかの「特別」であるということだけだった。ちなみに「特別」というのがどういう方向に「特別」かはまだ推測の域を出ない。
詰まるところ、何も分かっていないのと同義である。
「リックの名前が分からなかった時点でヤバいとは思ってたけど、中々詰んでるなぁ…あたしの寿命ならあげるから、中身もサラのまま生き返らせてくれればよかったのに」
ふわふわの髪の毛を乱暴にかき上げる。
分かっている。それが出来ないから、サラはあの時躊躇したのだ。
あの子は、自分は決して生き返れないことを悟りつつも、それでもなお残される家族を思い、沙羅に託す決意したのだ。
こんな幼い子供の決意を、踏みにじる訳にはいかない。
マイナスの思考を全て吐き出すように、大きく息を吐く。
「言葉が分かるだけ、感謝するしかないか…。後はこの部屋に、何かあればいいんだけど…せめて家族の名前とか、この国のことが分かるものが欲しいな…」
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