第4話 ラスボス登場
騒音が近づいてくる数秒の間にかなり悩み、第3の案として逃亡することも考えたが、結局体を起こして待つことにした。最善の選択ではあると思う。
こうして今ここに居るからには、沙羅は今日だけじゃなく、ずっとサラとして生きてかなければいけないのだ。1日寝たフリをしたところで、明日になったら状況が改善されているとは想像し難い。
実のところ、打ち明けるか、誤魔化し通すかはまだ決めていない。こうなったらもう、まな板の上の鯉の気持ちだ。暴れまわって鮮度が下がるより、大人しく、美味しく頂かれよう。調理方法についてはお任せする。
緊張を誤魔化すように、大きく深呼吸する。
…本当をいうと、第4の案も、ふと思い浮かんだのだ。しかもそれは他のどの案よりもリスクが少ない。
そう、「記憶喪失」ということにすれば良いのだ、と。生死の狭間から戻ってきたのだ。それだけの強いショックがあれば、納得はしてくれそうだ。
でも、これだけは絶対駄目だ。
あたしはよくまちがいを選んでしまうけれど、これだけはしてはいけないと、流石に理解している。だってそれは、今まで生きてきたサラを「居なかったこと」にする行為だから。サラの家族への思いを全て捨てて、あたしが甘い蜜を吸うための行為だから。
さあ、覚悟を決めろ。
もう一度大きく深呼吸する。
「「サラっ!!!!!」」
なんとも、不思議な感覚だった。
一度あの湖の畔で聞いただけの声が、耳に飛び込んできて、全く知らない年配の男女が駆け込んできた。
たったそれだけのこと。沙羅とは関係のない世界での物語。それだけなのに、気がついたら涙がポロポロと零れ落ちていた。
さっきまでの葛藤も、不安も、全てをかき消して。最愛の人たちに再会できた喜びだけを胸に抱いて。
言葉を交わすでもなく、ただ互いの存在を確認しあうように3人で抱きしめ合い。体中の水分が全部出てしまうんじゃないかと思うくらい、泣いてしまった。
◆
暫くたつと、流石にお互いに少し落ち着きを取り戻してきた。とはいえ涙腺は馬鹿になっており、依然涙が止まらないが。
よくよく考えれば、泣き笑いでサラの髪を撫で続けるこの人たちに至っては、沙羅があの神々しい世界にいた時からずっと泣き通しのはずだ。このままでは、本当に干乾びてしまう。
サラが泣きっぱなしだと、この人たちの涙も止めどなく溢れてきそうなので、頑張って止めなくては。
ズッ、と鼻を啜ると、横から綺麗なハンカチが差し出される。執事(仮)だ。両親と涙で気がついていなかったが、ずっと側にいてくれたらしい。ハンカチはシワ1つない純白のもので、涙はまだしも鼻水までつけてしまうのは大分気が引けたが、今は可及速やかに涙を止めることが最優先の為、有難く使わせていただく。
「ねぇ、サラ、私達の可愛いサラ。もっと良くお顔を見せて」
そう言ってサラの母親は、多少マシになったサラの両頬を手で包み、目線を合わせる。
そこで初めて、その顔をちゃんと見た。穏やかに微笑むその顔には、執事(仮)同様に、隠しきれない疲労感が伺える。母親の隣でサラを見つめる父親も言うに及ばすだ。
二人とも、想像していたよりも年配に見えるが、これは溜め込んだ疲労のせいなのだろうか。サラが幼稚園児くらいの見た目のため、20代後半から30代前半くらいかと思っていたが、見た目には40代には乗っているように見える。
しかし、疲れて泣いた後でもなお、綺麗な人たちだ。未だ潤む母親の瞳は、湖畔で見たサラの瞳と同じはちみつ色で、緩やかなウェーブを描く髪はそれより深いオレンジ色。父親の髪がグレーなのは、ロマンスグレーではなく、おそらく地の色味だろう。サラの髪と良く似た色だ。深海のような深い碧の瞳から溢れてた涙のせいで、豊かな髭がしっとりしている。
日本でも髪を染めたりカラコンをつけている人も偶に見かけたけど、やっぱり天然物はより一層美しい。
「今日はなんて素晴らしい日なんだ!ああ、神に感謝いたします」
そう言うと、父親は愛おしそうにサラの髪の毛に口づけを落とした。母親も同じようにする。髪越しなので感触はないが、もの凄くむず痒い気分だ。でもとても落ち着く。
「サラ、あなた心臓が止まってたのよ?」
「ああ忘れてた、リック、すまないが皆にサラの無事を知らせてきてはくれないか。シェフもメイドたちも皆、持ち場を離れたくてそわそわしていることだろう!」
「かしこまりました。すぐに」
そう言うと執事(仮)、もといリックは胸元に右手を添えて一礼し、部屋を出ていってしまった。
「サラ、父さんたちに可愛い声を聞かせておくれ」
言われてハッとする。そういえばさっきから、泣いたり周囲の慌ただしさに圧倒されたりでサラからは何も話していない。
この人たちを安心させねば。
そう思って、サラの両親に向かって口を開く。サラの口から出てくる言葉を、1字たりとも聞き逃すまいと、目を輝かせて待つ二人を見て、沙羅は固まってしまった。
(安心させるって…どうやって?)
この人たちが聞きたいのは「サラ」の言葉だ。あたしはそれを持ち合わせていないのに。
(おこがましい。恥ずかしい。)
結局、不自然なのは分かりつつも、ぱかっと開きっぱなしだった口を、何も言わずにそのまま閉じなおすことしか出来なかった。
再び津波のように押し寄せてきた罪悪感に、慌てて二人から目線を逸らす。沙羅がこの場にいることへの強烈な違和感に気づいてしまい、恥ずかしくて顔が上げられない。
「サラ…?」
心配が滲む父親の声に、反射で強く布団を握りしめる。
どうしよう、どうしたら。
焦りでどんどん血が引いていくのを感じる。
不恰好でも良いから、何か言わなくちゃ。せめて、笑顔を見せなくては。
沙羅が、どうにかして視線を上げようとしたときだった。
「サラ、あなたもしかして、また声が出ないの?」
母親が、そう言って沙羅の顔を覗き込んできた。
(また…?)
動揺を隠せないサラの顔を見て、母親はなぜか納得したように頷く。
「やっぱり!あなた顔が真っ青よ。体調が悪いままなの隠していたのね」
「ああ、そうだったのか!すまないことをしたね、サラ。そうだな、今回の病気は本当に危なかったんだ、疲れるに決まっている」
「今お医者様を呼び戻しているところだから、来たら声も一緒に診てもらったらいいわ。それまでゆっくり寝ているのよ」
顔色が悪かったのは、恐らく焦りで血の気が引いていたせいだとは思うのだが、二人はテキパキとサラを横にし、はだけてきていた布団を上からフワッと掛けなおした。
「さぁ、目を閉じて。サラが元気になったら、お祝いしましょう」
言われるがままに瞼を閉じたサラの
そっと離れていく足音と扉の閉まる音で、二人が出ていったのだと分かった。
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