六月二一日「有名人」

 バーで酒を飲んでいた二人のもとに、一人の男が近寄っていった。


「やあ、こんばんは。マスターいつもの」


 その男は二人のすぐ横のカウンター席に座った。マスターが男の前にショットグラスを置くと、男はそれをあおった。それから言った。


「――君たちは何の仕事をしているんだい?」


 初対面の人間と開口一番にする話ではなかったが、二人は酒が回っていたこともあり機嫌良く答えた。

「保険会社に勤めています」「銀行です」

「そうかそうか」


 いつの間に注文していたのか、男はグラスいっぱいのジントニックを並々ならぬ早さで呑んでいく。グラスが空になると、男は次にカクテルを注文すると二人に向かっていった。


「僕はね、ここだけの話、映画監督をやっていてね」


 男の前に、半透明な緑のカクテルが置かれた。


「ええ、そうなんですか? 僕、映画が好きで良く見るんですよ!」


 保険会社の男が興奮して言った。銀行マンの男は映画に通じていないのか静かに酒を飲んでいた。


「もしよろしければ、これまでにどのような映画を撮られたのか教えてもらえませんか?」

「そうだね……最近だと『素晴らしき水曜日』というのを撮ったかな」 


 男は鷹揚に答えた。保険会社の男はそれを訊いて飲んでいた酒を吹き出しかけた。


「ということは、まさか……あなたは、あの永澤彰監督なのですか!?」

 それを聞き銀行マンの男も目を見張った。「嘘だろ、あの永澤監督だって?」


 静かにカクテルを口に運ぶ男。


「他に、永澤彰という名の監督がいなければね」

「うわっ、本物だ」「まさかこうしてお会いできるとは! 監督の作品はすべて見てます! あのもし良ければ写真をお願いしてもいいですか?」

「――すまない、写真は遠慮してくれ」


 盛り上がり浮き足立つ二人を脇目に、男はグラスを空にさせた。


「写真は取れないが、個々であったのも何かの縁だろう。聞きたい話があったら聞かせてあげよう。僕に言える範囲でね」


 男が言うと、二人は矢継ぎ早に質問をした。


「あの映画のあのシーンでは一切CGを使ってないという噂は本当ですか?」「それは噂に尾ひれがついているね。たしかに大部分は実際にブツを用意して撮ったが、CGも合わせてあの画を生み出せたんだ」


「あの長回しのシーンは一発でOKを出したというのは本当ですか?」「ああ、それは本当だ。無茶な注文だと思ったけど、役者たちは本当に良い演技をしてくれたよ。あれはこれまで撮ってきた中でもお気に入りのシーンのひとつだね」


「あの俳優と女優が映画の役だけでなく、本当に交際していたというのは本当ですか?」「そういう噂があったことは知っているが、どうだろうね。けれど彼らが本当に良いカップルを演じてくれたことは確かだね」


 それからいくらか経ち、男も酔いが回ってくると腕時計を見た。


「おっと、もうこんな時間か。明日も朝から撮影があるから、僕はそろそろ失礼させてもらうよ」


 そう言って男は席を立った。


「良い気分転換になったよ。話に付き合ってくれてありがとう」

「いいえ、とんでもない! とても貴重なお話が聞けて夢の様な時間でした」


 二人は男に向かって頭を下げた。男は感情に向かおうとして、大きな声を上げた。


「……ああ、しまった!」


 体中を手で触り、何かを捜しているようだった。不思議に思って二人は訊ねる。


「どうしたんですか?」

 すると男は言った。

「困った事に、カードを入れた財布をホテルに置いてきてしまったようなんだ。ああ、クソ。やってしまった」


 二人は顔を見合わせた。それから一言二言と言葉を交すと、男に向かって言った。

「それなら僕たちがお支払いしますよ。色々な話を聞かせてもらったので、そのお礼といいますか――」「本当かい! それは助かったよ。いやあ、本当に悪いね。僕は明日に備えてすぐに戻って睡眠をとらないといけないから、それじゃあこれで。また会えるといいね」


 そう言って男は足早にバーを去っていった。男がいなくなっても、しばらく二人は熱に浮かされたように夢心地でさきほどまでの事を語り合っていた。


 が、それを見ながら笑うものたちがいた。バーに居た二人以外の客は皆、二人を冷ややかな眼で見て口許に笑みを浮かべていた。最初は気のせいかと思っていたが、いつまでもたっても彼らからにやけづらを消えず、やがて腹を立てた銀行マンの男が言った


「――何がそんなにおかしいんですか」


 彼らの一人が代表して言った。


「あの男、何の仕事をしてるって言ったんだ?」


 二人はその物言いに違和感を覚えながらも答えた。「永澤彰監督だとおっしゃっていましたが?」


 それを聞くと彼らはより一層笑いを強めた。


「永澤彰だって? 今日はずいぶんと大きく出たみたいだな」


「前は有名大物俳優で、今日は超大物映画監督か。その前は作曲家だったか? どんどん大物になっていくな」


「……どういうことです?」


 二人が聞くと、彼らは答えた。


「お前らは騙されたんだよ。あいつは映画監督じゃなければ、俳優でも作曲家でもない。ただの飲んだくれさ。いつもああして有名人をかたって、酒代を奢らせてるんだ。……まあまあそんな腹を立てるなよ。たかが数千円だ。

 俺たち? 俺たちもかつて騙されたマヌケさ。今はこうして、新しく騙される奴を見て酒の肴にさせてもらってるよ。今じゃあ、次に誰になりすますのか楽しみでもあるよ。今度またお前らもここにもう一度来てみろよ」





 その翌週。二人の男達はまた同じバーを訪れ、カウンターから離れた席に座り酒を注文した。それから少しすると、先週二人に映画監督と名乗った男が現れ、カウンター席に座る別の二人組に声を掛けた。


「実は僕は、ある企業の社長をやってるんだがね……」


 そして今日も新たな被害者が増えるのだった。


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