六月二十日「バベルの塔」

 ――宇宙エレベーターの建設をここに宣言します。


 世界で最も成功したとされる実業家がそう宣言すると、世界各国から宇宙科学者、物理学者など宇宙エレベーターの構想をかねてから練っていた専門家たちが、こぞって実業家のもとに集まった。仮にエレベーターが完成したとなれば、その端から飛ばすだけで第二宇宙速度を上回ることになり、人々の宇宙進出を大いに発展させるとされた。


 まず始めに、地上から静止軌道上に人工衛星が打ち上げられた。人工衛星にはエレベーターの基礎となるカーボンナノチューブ製の細いケーブルが積まれ、静止軌道に到達するとそこから地上に向けてケーブルが下ろされた。また、重力と遠心力の均衡を保つため地上とは反対側にもおもりが放たれた。

 地上側の地点には、伸ばしたケーブルが地軸に対して垂直になる赤道付近が選ばれた。専門家の協議の結果、シンガポールの下の海上に巨大人工浮島を建設しその上に基地が建設された。地上でケーブルを受け取ると、それを元に、更に幾本ものケーブルを張り、やがて静止衛星までのエレベーターが完成した。そして、それは上手く機能した。

 

 静止衛星までの有人昇降が成功したと世界に知れると、それまで出資を渋っていた世界各国も興味を持ち始め、世界全体を巻き込んだ一大プロジェクトへと発展した。

 研究者はもちろんのこと、世界各地から宇宙に興味を持つ労働階級の人々までもが集まり始めた。


「さて、君たちの協力のおかげでこうしてエレベーターの三分の一が完成した。喜ばしいことに、以前より更に多くの人々が私たちの計画を支援してくれている」

 地上の発着基地に集まる多種多様な人々たち。アジア系の顔立ちの人がいれば白人も黒人も、人種に関係なく集まっていた。その前に立ち、プロジェクトの立ち上げ人である実業家の男はマイクを通してその言葉を伝えた。


「かつて、人々は愚かにもバベルの塔を造り天を目指そうとし、失敗した。なぜ失敗したのか。それは神の怒りに触れたからではない。彼らは無知だったからだ。彼らは焼きレンガを積み、アスファルトで固めて塔を作ろうとした。そんな粗末なもので天に昇ることができるだろうか? いや、できまい。彼らの失敗は科学への無知故だったのだ。

 だが、我々はどうだろうか? 十分に発達した科学を持ち、それを巧みに扱う聡明な頭脳の持ち主がいて、そしてそれを支える君たちがいる。さあ、ともに天に昇ろう! かつてそれを志し、失敗した人類史をともに塗り替えるのだ!」

 

 実業家の言葉に基地に集う人々は大いに沸き立った。

 彼らの全員が実業家の言葉をすべて理解出来たわけではなかった。世界各地から集まった彼らは当然母国語が異なり、プロジェクト内では英語が公用語として使われていたが、集まった全員が十分な英語能力を有しているとは言えなかった。それでも、彼らは言葉の断片とそれを語る実業家の姿勢から大体の内容を理解していた。

 実業家はその様子を見て満足気に今後のプロジェクトについてを語り始めた。


「次なる目的は、静止衛星から宇宙空間へとエレベーター軌道を延長していくことになる。しかし、この第二段階ではこれまでとは比にならないほどの緻密さと、時間と苦労と、そして危険性が伴う。最新の注意は払っているが、それでも対応することの出来ない不測の事態が起こらないとも限らない。詳しいことは後ほど配る資料に良く眼を通してもらいたい」

 実業家の言葉はそう締めくくられた。

 興奮覚めやらぬ聴衆たちは、実業家が去った後もエレベーターが完成した後の事を隣にいる見知らぬ人と話し合った。しばらくして、ようやく落ち着くと彼らは各々の仕事に戻った。


 彼らは上から伝えられてくる仕事を次々とこなした。そのおかげでプロジェクトは計画通り進み、第二段階に着手してから五年の歳月が過ぎ、遂に宇宙エレベーターは完成した。


「われわれは、かつて神が人類にもたらした言語による壁を克服し、ついに天に届く塔を、宇宙エレベーターを完成させたのだ!」


 実業家は天に向かってそびえ立ち、空に霞んで見えないその塔の頂上を見上げた。実業家の眼にはいまにもこぼれ落ちそうな涙があった。


「これで、人類は新たな一歩を進むのだ……」


 男は空を見、そしてこれまで志を一つにして働いてきた人々を見た。そして誇らしく思った。

 ――さて、後は試験稼働の経過を見守るだけだな。

 不意に、耳につけた通信機が焦った様子の男の声を聞こえた。


「どうした、何か問題か?」


 男は頭上に伸びるエレベーターを見ながら、通信機の向こうへ訊いた。すると声が返ってくる。


『それが……』

 通信機の声は何か躊躇っているようだった。「早く報告しろ!」

『それが、昇降機が高度五万キロメートルを超えたあたりで止まってしまったみたいで……』

「デブリに衝突したのか?」

『いえ、そうじゃなくて――』

 通信機の声は宇宙エレベーターに生じた問題を報告し始めた。最初は「なんだそんな些細なことか」実業家は軽く聞き流していたが、報告される“些細な”問題の数が百を超えた頃に声を荒げた。

「どうしてそんなにミスがあるんだ! 計画はすべて完璧だった! 何度も何度も専門家と協議を重ねて設計書を造り上げたんだ! これほどにミスが生まれるはずがない!」

『そう言われましても……』

 答える声は小さく情けないものだった。

「……すまない。君のせいというわけではない。つい熱くなってしまった。……各部署の責任者にすぐに会議室に来るように伝えてくれ」

 そう言って通信を一方的に遮断した。

 ――なぜだ。数値に間違いは無いはずだ。シュミレーターでも何度も検証を重ねて問題はなかった。いったい何が起こったというんだ……


 一時間後、基地の会議室に各部署の責任者が集まっていた。皆すでに報告は聞いているのか、その顔は緊張に固まっていた。

 それから数日もの時間を費やし、計画の始まりから終わりまで、その指示の内容と上がってきた報告書の内容との齟齬が無いかの確認が行われた。その作業を始めて間もなく、原因はすぐに判明した。

 プロジェクト上層部間でやりとりされる情報に間違いは見られなかった。けれど、組織内の中心。実務のレベルまで掘り下げていくと、すぐに間違いが見つかった。それ一つ一つはさほど大きなズレではなかった。

 が、その数が膨大だった。それは特に、プロジェクトが第二段階に移行してからの人材で構成されたチームで顕著だった。世界各国から人材を募ったはいいが、彼らは十分に英語を操ることができなかったのだ。

 問題はプロジェクトの初めから積み重なり、それを修正するには一度すべて解体するほかないほどだった。


 人類は再び言語の壁に敗れたのだった。

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