六月十三日「ラブレター」
「なんだこれは!」
まだ人の少ない朝の教室。自分の席に座って机の中に手を入れて、男は声を大にした。男は机の中からノートの切れ端と思われる紙を取り出した。そこには、
「ラブレター ハ イタダイタ」
と、定規を使って書いたように角張った字で記されていた。
それからしばらく。始業時間が近づき教室に人が集まってくると、男はよく一緒にいる友人たちを集めて彼らを問いただした。
「これは誰のしわざだ?」
男は数日前から、思い人にラブレターをしたためて気持ちを伝えると友人たちに相談していた。男がラブレターを出したことを知るのは、男とその友人たちを除いては他にいなかった。
「おまえたちの内の誰かだってことは分かってる。誰だ?」
友人たちは困惑した表情を見せるのみで、名乗りを上げる者はいなかった。
チャイムが鳴った。男は「放課後に詳しい話を聞く!」と言い残し、憤然と席に戻っていった。
*************
放課後。男と友人は再び集まった。彼らは何かを待っている様子だった。
教室のドアが開く。
「みんな、小関くんを連れてきたよ!」
男の友人の一人がそう言いながら教室の中に入ってきた。
「小関くんって?」
「小関くんはこの学校の中で一番頭が良いってもっぱら噂なんだ。彼ならきっと犯人を見つけ出してくれるはずさ!」
「それは心強い。で、その小関くんは?」
「ああ、それなら――」
彼らがドアの方を見ていると、一つの人影がヌッと現れた。小関くんだ。
小関くんはドアの戸当りに片手を置き、言った。
「どうも小関です。僕のこの頭脳にかかれば、どんな難題も赤子の手を捻るより簡単な――」「それでさ、昨日の雨やばくなかったー? ――あ、ごめん、ちょっと通してー」
小関君が口上を述べている最中、二人の女性徒が小関君の脇を話ながら通ろうとする。小関くんは横にずれて二人を教室内に通すと、口上を続けた。
「――コホン。どんな難題も赤子の手を捻るより……」「でさー? ドラマ予約してたのに雷のせいで停電して、録画失敗しちゃったんだよ。本当最悪、せっかく楽しみにしてたのさ。あ、ごめんもう一回通るねー」「……」
再び脇にずれる小関くん。少し間があって、小関くんは黙って男たちの元へ歩み寄った。
「……道中、事件のいきさつは聞きました」
「あ、ああ、それは良かった。で、どうだい?」
「ラブレターは昨日の放課後、誰も居なくなった後にその女性徒の机の中に入れたんですね? それで、朝来てみると『ラブレターは頂いた』と書かれた紙があなたの机の中に入っていた、と。そしてそれを知るのは友人たちだけだと」
「ああ、その通りだ」
「そこから分かるのは、ラブレターが盗まれたのは昨日の放課後から今朝までの間、だということ。けれどあなたは昨日誰もいなくなってからラブレターを入れたとなると、盗まれたのは今朝ということで間違いないですね。今朝、あなたたちは何をしていましたか」
そう言うと小関くんは、男たちの顔を見た。それから口を開いたのは、ラブレターを出した男だった。
「俺はラブレターがちゃんと彼女に届くか心配で、いつもより少し早めに教室に来た」
「それは何時くらいでしたか」
「たしか、七時五十分くらいだったと思う。そのときにはもう紙切れが机の中に入っていたんだ」
それを聞くと友人の一人が言った。
「おれたちはそれより後に来たんだ。こいつと一緒に。なあ?」
「ああ、そうだ」
「それを説明できる証拠は?」
「それは本当だ。こいつらがそろって教室に入ってくるのを俺は見たんだ」
男が、二人のアリバイを確かなものにした。
「ふむ。で、そちらの二人は?」
小関くんは、残った二人の友人たちを見た。
「ボクは、朝から部活に出ていた。学校に着いたのは七時三十分くらいだったと思う」
「オレも部活だった。時間は、二十分くらいからだったかな」
「お二人の部活は?」
小関くんが聞くと、二人は順番に答えた。
「卓球部だ」「オレはサッカー部だ」
「なるほど、なるほど。わかりましたよ、犯人は誰なのか」
「えっ、たったこれだけで!?」
皆驚き眼を見開いた。
「なに、簡単なことですよ。こんなの推理とも言わない。――犯人は、あなたですね」
小関くんは、サッカー部の男を指さした。
「……どうしてそう思うんだ。オレが部活で早く学校に来たからか? でも、それならこいつも同じだろう。それだけでオレが犯人だと決めつけるのは適当すぎないか? 当てずっぽうもいいところだ」
たしかに、といった様子で他の男たちも頷いた。
「いえ、ちゃんと理由ならあります。あなたが嘘を言っているからです」
「嘘だと? オレの話のいったいどこが嘘だというんだ」
「あなたはサッカー部だといいましたね。今朝部活があったとも。ですが、それはおかしな話です」
「……サッカー部が朝に部活をやることの何がおかしいんだ」
「それ自体は普通のことです。ですが、今日に限ってはおかしなことなのです。
昨日の夜の天気はご存じですか? そうです、雨です。それも雷が発生するほどのね。先ほどの女子たとも言っていましたよね。『雷で停電した』、と」
「あ、そうか」
男が何かに気づいたように声を上げた。小関くんは満足げに頷いた。
「雨は今日の明け方まで降り続けたようです。朝にはすっかり晴れていましたが、降った雨はそうすぐには消えません。もうおわかりですね? サッカー部が使っているグラウンドは雨のせいで使える状態ではなかったのですよ」
小関くんの言うとおり、窓から見えるサッカーグラウンドは放課後になった今も水溜まりを作ったままだった。
「彼の鞄の中を捜せばお目当てのものは出てくるはずですよ」
サッカー部の男の鞄を調べると、中からは男のラブレターが出てきた。ラブレターを手に、男は詰め寄った。
「おまえ、どうしてこんなことを!」
観念したのか、サッカー部の男は話し始めた。
「……オレも、彼女に告白したことがあるんだ」
「え、そうなのか? じゃあ、ラブレターを盗んだのは、恋敵の俺の邪魔をするため……」
「そうじゃない。オレはもう彼女に好意は抱いていない」
「じゃあ、いったいなぜ……」
「わかりますよ。嫉妬、ですね。自分が振られた相手と、仲の良い友人がつき合うのは許せないという。人間の気持ちとは、かくも醜いものです……」
「いや、違うが」
小関くんの予想はあっさりと否定された。
「オレは……お前がフラれて落ち込む姿を見たくなかったんだ」
「どうして俺が振られるって前提なんだ。あの人はいつも親しげにはなしてくれたんだ。まだフラれるとは決まってないだろ!」
「いや、決まってるんだ」
「どうして」
サッカー部の男は言いづらいことを言うように、少しためらったあと口を開いた。
「彼女は――野球部の浅野とつき合ってるんだ!」
それを聞いた男たちは一斉に驚いた顔をした。
「浅野って、あの坊主なのにイケメンだとわかる顔立ちで野球部のエースで投手で、おまけに勉強もできるっていう憎たらしいほどに完璧超人なあの浅野か!? その浅野と彼女が!? それは本当なのか?」
「ああ。見たんだ……ある雨の日に二人で一緒の傘に入って肩を寄せ合いながら笑って歩く姿を。そして、二人がキスをするのを……」
男はそれを聞くと教室の床に膝をついた。
「ああ、そんな! 世界はなんて残酷なんだ……」
「これでわかったろ。おまえに勝算はないんだ。告白するだけ無駄なのさ」
「ああ、よくわかったよ。ありがとな、俺を無謀な戦から救ってくれて!」
そう言って立ち上がると二人は熱い抱擁を交した。それから男は、それを冷たい眼で見ていた小関くんに向き直り、
「小関くんもありがとう! 俺たちの友情がより深まった気がするよ!」
と右手を向けた。が、小関くんはそれを見ると、
「いえ……お役に立ててなによりです。それじゃあ僕はこれで」
と、教室を出て行った。
昇降口を出て校門に向かって歩いていると、小関くんは二人の男女の姿を見た。
「やあ、この前は助かったよ。まさか傘が壊れてるなんて思ってなくて」
「あっ、浅野くん。いいえ、ちょうど大きな傘だったから。それに野球の試合、近いんでしょ? 風邪でも引いたら大変だもんね」
「ああ、そうなんだ。だから本当に助かったよ」
「それより、ちゃんと彼女さんに言っておきなよ。誤解されたら大変だからね」
そう言うと、その男女は別々の方向へと歩き去って行った。
「なんだ、僕の推理はやっぱり当たっていたんですね」
小関くんはそうひとりごちた。
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