六月七日「異世界転生」

 その日男は死んだ。なんてことはない、車の事故だった。対向車線からはみ出た車と正面衝突。避ける暇もなく男の身体はひしゃげた車体の間に挟まれた。即死だった。

 目が覚めると不思議な空間に立っていた。

「ここは……?」

 ありきたりな感想が男の口から発せられる。男の疑問に答える声があった。

「ここは生と死の狭間です」

 何もない空間に光球が生じると、それからあたりに光が放たれた。目が灼かれるような強烈な光に男は腕で顔を庇った。光がおさまると光球があった場所には、女神としか形容のしようがない神々しい女性が立っていた。いや、立っていたというのは正しくない。何もない中空にたたずんでいた。

「生と死の、はざま……? 僕は死んだのか?」

 男はまだ自分をとりまく状況を正確に把握できていなかった。

「そうだ、たしか……」と、男は自分が覚えている限りの出来事を口に出しながら思いだしていく。「……あのとき対向車が道路に飛び出た子供避けて、それで……」「そうか、それで……」

「思いだしたようですね。あなたはその後間もなく命を落として、あなたの魂だけがここにやってきました」

「僕はこれからどうなるんですか? 天国にいけるんですか? 悪事は働いてませんよ。そりゃ嘘をついたり、人に嫌な思いをさせてしまったことがないとは言いません。でも、人より多いわけではありません。そんな普通の人を地獄に送ったりはしませんよね? 僕のような凡人を地獄に送っていたら地獄が人で溢れてしまいますよ」

「? あなたが言うその天国やら地獄やらが何かわかりませんが、そうではありません」

「どういうことです。これから僕はどこにいくんですか」

「あなたには、こことは違う別の世界で新しい生を受けてもらいます」

「?! それはまさか……異世界転生、というやつですか?」

「え、ええ……そう言い換えても支障はない、ですね」

 女神は男の予想外の食いつきに面を食らいつつ答えた。

「それであなたさえ良ければすぐにその世界に送りだそうと思うのですが……準備はよろしいですか?」

「はい! ゴブリンでもドラゴンでもかかってこいですよ」

「そうですか。そのような生物がいる世界がお望みなのですね。……それではその光の中に入って下さい。そうすればすぐに新しい世界で目を覚まします」 男は意気揚々と光の中へ歩み入った。

 男は生まれ変わった。ドラゴンやゴブリンなど、男がもといた世界では想像上の生物だったものが存在する世界へ。そして男は死んだ。齢が十を超えると「僕はこの世界を救う!」と、周りの制止を振り切り村を飛び出し、森の中で数匹のゴブリンに殺された。男が再び目を覚ましたのは、全てが闇に包まれた不思議に空間だった。

「再び死んでしまわれたのですね」

 男の死に際を見ていたのかと思うほど、女神の声は冷ややかだった。強い光が一瞬場を満たし、声の主が姿を現した。男を見る目は憐れみをたたえていた。「どうしてあのようなことを」

「どうしてって、異世界転生したら世界を救うのが普通じゃないですか……なのにまさかあんなゴブリンごときにやられるなんて」

「わたしはそんことは言ってないのですが……」

「それで、二回死んだ僕は今度こそ消えてしまうんですか?」

「いえ、あなたにはまた新しい生を受けてもらいます」

「またですか。こんどはどんな世界なんです? もうあんな目に遭うのはこりごりなのですが」

「それでは、もっと平和な世界にしましょうか。そこならモンスターと戦う必要もありません」

「本当ですか。いいですねスローライフ」

「それでは、また光の中に入って下さい」

 そして男はまた新たな世界で目覚めた。そこは女神の言ったとおり平和な世界。人々は皆朝早く起き地を耕し、その日暮らしの生活を送っていた。

 男は成人すると村を出て街を目指した。その街は商業が盛に行われていて、男の村には浸透していなかったがその街では貨幣が流通していた。

「僕はここで一攫千金を成し遂げ、悠々自適な生活を送るんだ!」

 しかし、才覚のない男は事業に失敗し家を追われ、最後には食べるものがなく餓死した。

「どうして村を出てしまったんですか?」

 再び目の前に現れた男に、呆れながら女神は尋ねた。

「どうしてって、ああいった世界では商業を興して大金を手にするのが定石ですから」

「そういうことは何かに成功した経験から言ってほしいのですが……」

「それで次はどんな世界が僕を待ってるんです」

「なんだか慣れてきましたね」

「三度目なので。もう驚きはありませんよ」

「わかりました。それではまた光の中に入って下さい」

「待って下さい!」

「……なんでしょうか?」

 突然大きな声を出した男を、女神は小首をかしげて見つめた。

「今まで僕が二度失敗してきたのは、足りないものがあったからです」

「やっと気がつきましたか」

「はい。なので僕にチート能力を下さい」

「……はい?」

 女神は傾げた首が直角になろうかと思うほどに傾げた。

「何でも良いんです。僕にチート能力を下さい。そうすれば今度は上手くいくはずです」

「はあ、そうですか。わかりました」

 女神が手をかざすと、不思議な光が男を包んだ。

「…………これで、終わりですか?」

 あまりのあっけなさに男は訊いた。

「ええ」

「ちなみにどんなチート能力なんですか」

「それは秘密です。ですが、すさまじい能力だということは保証します安心してください。この力さえあればあなたは誰にも負けることはないでしょう」

「それは凄い! ありがとうございます! それでは今度こそ成功してみせます」

 そう言うと男は光の中に消えていった。それを見届けると女神は深い溜息をついた。

「……はあ、やっと行った。これでもうあの愚かな男に会うことはないでしょう。なぜならもう死ぬことが出来ないのですから。

 それにしても、あの男があれで普通だというのなら他の人間もああなのかしら? それならもう転生させるのはやめようかしら。面倒なことこのうえないわ。そうだあの男が言っていた、天国と地獄というものを作って、勝手にどちらかに行くようにすれば楽だわ」

 そしてその女神がいなくなり、人が死ぬと天国か地獄かのどちらかにいくことになった。

 

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