六月六日「ドラゴン」
――この世界のどこかにドラゴンがいる。
ドラゴンの伝承は古くからその大地に住まう人々の間で語り継がれてきた。
子供たちはそれを聞くと。心を躍らせて「ねえねえ、お父さんとお母さんは見たことあるの?」と両親に尋ねる。すると「お父さんたちはまだ見たことがないなあ。でもきっとどこかにいるんだろう」と両親たちは答える。純粋な子供たちは「いつか会えるといいな」と目を輝かせた。
その男も例外ではなかった。幼い頃にドラゴンの伝説を聞き、いつか僕が見つけるんだ、と息巻いた。周りの大人達は優しい顔で幼い男の言葉に頷いた。しかし、男が成長して働く年になっても同じことを言うと、周りの人は皆「いつまで夢見てるんだ」と冷たい顔で男を見た。
それを聞くと男は決まってこう言った。
「夢だという証拠はあるのか? 誰も見たことがないのに」
屁理屈だけは一人前だった。
「誰も見たことがないから夢物語だというんだ」周りの大人はそう言った、
他の子供達が成長して現実を見始めても、その男だけは変わらず信じ続けた。
とうとう男はその村を出た。ドラゴンを捜す旅に。男はこの世界のどこかにドラゴンは存在しているのだと信じてやまなかった。いつかみつけて村のみんなを見返してやるのだ、と。
男の村は大陸の端にあった。村から、傾斜に沿って進むと海が見えてくる。その村の人々はそこを「とがり岬」と呼んだ。進むにつれて槍の穂先のようにどんどんと狭まっていくからだ。男はそれと反対の方向を目指して進んだ。大陸の端から端まで縦断する心づもりで。
男は村を出てから数々の地を巡った。
いくつもの村、街、城を訪れ、そこに住む人々に「ドラゴンを見たことがあるか?」と訊くが、返ってくるのは否定の言葉と馬鹿を見るような冷たい目。口にはしないでも彼らが言わんとすることは分かった。
「ドラゴンなんて存在しない。誰かが作ったおとぎ話だ」
それでも男は旅をやめなかった。来る日も来る日もその足を止めることはなく、大陸の端から端へ走る山脈を頼りに大陸の端を目指し続けた。
何が男をそうさせるのか。始まりは純粋な探求心だった。幼心に聞いたドラゴンの伝説、それに心打たれた男はそれを見つけたいと心に動かされてきた。けれど何年もの間ドラゴンの痕跡を追い続けて人から馬鹿にされ続けるうちに、いつしかそれは意地に変わった。絶対に諦めてなるものか。俺を馬鹿にする者の言うとおりになってやるものかと。
男が村を出てから十年の時が過ぎた。いまだドラゴンはおろか、ドラゴンを見たという人にも出会えていなかった。
男の旅にも終わりが見え始めていた。
ある町で男は露店を開いている商人に聞いた。
「この先にはなにがある」
「さあ、わかりかねます」
「ここに住んでいるものではないのか」
「ここに住んでおりますが、これより先には行ったことがなければ、人が住んでいるという話も聞いたことがありません」
「ほお、なぜだ」
男は身を乗り出す。
「この先は大地のひび割れが激しく、足場がひどく不安定なんです。ひとたび足を滑らせれば鋭くとがった岩に身を貫かれます。なので誰も寄りつきません」
「未踏の地、というわけか……面白い。もしかするとそこにいるのかもしれないな」
「何を探しているのかはわかりませんが、おやめなさい。命を捨てるようなものですよ」
男の身を案じる商人の声は、男の耳には届いていなかった。
商人の言うとおり、その先の道はこれまで男が歩いてきた中で屈指の悪路だった。
――生半可な人間なら、すぐにこの岩の餌食になるだろう。
これまで様々な悪路を踏破してきた男は、肌にいくつもの切り傷を作りながらもゆっくりと着実に進んでいった。
――この先に、いるかもしれない。
その思いが男の身体を動かしていた。
ついに男は悪路を踏破した。中天にあった日は、今にも地平線の彼方に沈もうとしていた。男は先を急ぐ。悪路を抜けてしまえば、その先はいくぶんか歩きやすかった。
そして男は大陸の端に到達した。
男の前に広がるのは、夕日に照らされ赤く染まった大海原。ただそれだけだった。ついに男がドラゴンを見つけることは叶わなかった。
「――ははっ…………」
乾いた笑いが漏れる。男の肩から衣嚢がずり落ち大地に落ちた。男にはそれを拾う気力も残ってはいなかった。
そのとき、大地が揺れた。とつぜんのことに男はバランスを崩し、崖から落ちそうになる。とっさに、腰から下げていた剣を引き抜くと大地に突き刺した。なんとか落下を免れた。しかし、息をついたのもつかの間のこと、男が剣を突き刺した大地が、驚くことに空へ向かって動き始めた。男の衣嚢が重力に引かれて落ちていく。
「う、うおおぉ!」
男の身体が風を切る。すさまじい風圧とGが男の身体を襲う。男はたまらず剣の柄を握る手を離してしまう。男は遠心力を受けて、空へと舞い上がった。それほどに大きな力だった。
そして男は見た。男が生まれ育った大地の姿を。男が生涯をかけて探し求めたものを。
「――こんなところにいたのか」
男が見たのは、海に横たわる大きなドラゴンの姿。男がこれまで歩いてきた大地の姿だった。先ほどまで男が崖と思っていたのはドラゴンの頭部。大きく黄色い二つの眼が空にうちあがる男を捉えていた。ドラゴンはおもむろに口を大きく開いた。
「こんなに近くにいたのか。そりゃ見つからないわけだ……」
ドラゴンは口を閉じた。そして永い眠りを終え、閉じていた翼を広げ大空へと旅立った。
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