第4話 私をドキドキさせろとは言ってない
上級使用人会議が終わり、その後一時間の小休憩を挟み緊急使用人会議が開かれる事が決定された。内容は警戒態勢を取るにあたっての注意と今後について。
会議中も使用人の仕事は当然ある為、前半と後半に別れ行われる事になった。
前半はフレデリカ、後半はセシルがそれぞれ担当する。
その間城内の警備が手薄になると言う事から執事長セバスチャン自ら女王陛下の護衛をすることになる。もし何か聞かれた際には、元々会議は予定していたが連絡の行き違いの為、少しバタバタしていると言う事で口裏を合わせる事になっている。
「今後の為に皆の前で頑張れと言われてもな……」
セシルは大きくため息をついた。
セバスチャンは今後の世代はフレデリカとセシルの二本柱と考えているらしく、城内に在中する三十人の使用人達を纏める事も大事な仕事の一つだと言って説明役を辞退した。
その為、今は十五人の使用人の前にセシルは立っている。
「基本的な内容は以上になります」
セシルはまず何故このようになったのかを使用人達に話した。
そして全員の顔を見渡す。
するとアリスがセシルの心の中を読んだようにニコッと微笑んでくれる。
その笑みにセシルは安心感を得た。
「では次に皆さんへのお願いですが」
十五人の視線がセシルに集まる。
「緊急時にはまず女王陛下の身の安全を最優先とします。その後可能であれば犯人を捕らえること。ただしこの時に無傷で捕らえる必要はありません。恐らく向こうは暗殺のプロです。多少手荒くても構いません」
セシルの言葉に部屋の空気が一気に重たくなる。
それは油断をすれば自分達の命も危ないと遠まわしに言われている事に皆が気が付いたからで。
中には動揺する者もチラホラといた。
だがここで話しを止めるわけにもいかないので、セシルは言葉を慎重に選びながら続ける。
「詳しい配置などについてはこの後上級使用人のフレデリカから通達があると思いますので各自そのつもりでいてください。それに加えて一部の対人戦闘が豊富な者については城内の見回りがしばらく主な仕事となりますので、そのつもりでいてください」
セシルは慣れないなと思いながら、フレデリカ様ではなく皆の前では敢えて呼び捨てで呼んでいる。セバスチャンとフレデリカ本人からも今は同じ立場なのだから『様』や『さん』は付けなくていいと使用人会議の前に言われたのだ。
戸惑うセシルに追い打ちをかけるようにフレデリカはその敬語もなしでいいと言ってきたのだが、それは愛想笑いで何とか誤魔化した。二人の期待はとても重たく、素直に喜んでばかりいられない。
それでも一人の使用人として仕事を全うする為に頑張る事にした。
「セシル様、ご質問宜しいですか?」
すると一人の少女が手を上げた。
「うん、どうしたのアリス?」
椅子から立ち上がったアリスが言う。
「もしフレデリカ様からの指示がある前に侵入者を見つけた場合セシル様に私達はご報告をする形で大丈夫でしょうか?」
「うん。別に俺じゃなくてもセバスチャンでもフレデリカでも構わないよ。もし報告する余裕がない時は目の前にいる侵入に対処してから事後でも構わないよ」
「かしこまりました」
アリスはセシルに会釈をしてから席に座る。
「他に質問がある人はいるかな?」
セシルの言葉に少し周りの目が泳ぎ始める。
普段慣れない警戒態勢なのだから仕方がない。
そのまましばらくすると落ち着きを取り戻した使用人達がセシルに目で何もないと訴えてきたので一回深呼吸をしてから。
「ではこれで緊急使用人会議を終わります。念のため最後にもう一度言っておきますが使用人以外には今回の件はバレないようにお願いします」
使用人達がコクりと頷いたのを確認してから。
「では解散!」
と言った。
皆が会議室から出ていくと、アリスだけが一人その場に残った。
セシルはどうしたのだろうと思って見ていると、隣に歩いてやって来る。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様。どうしたの?」
「いえ、少しお疲れのように見えましたので大丈夫かなと思いまして」
「そっかぁ。アリスには敵わないな。でも何とか大丈夫だよ」
「なら良かったです。私で良ければいつでも頼ってくださいね。では失礼いたします」
そう言ってアリスはセシルに会釈をしてから会議室を出ていく。
アリスの背中を見送りながら『よく人を見ているんだな』と感心してしまった。
セシルは自分の事で手一杯だと言うのにアリスはセシルの体調までいつも気に掛けてくれる優しい女の子だと改めてそう思った。本当にその優しさが今の疲れたセシルにはありがたいのだ。
セシルはその場で五分程休憩してから、フレデリカに使用人会議の報告に行く。
それから自室に戻り、今はソファーの上で横になっていた。
首だけを動かし、壁にかかった時計に目を向けるといつの間にか二十一時を過ぎている。
集中している時間が長かったためか一日がとても短く感じられた。
本当なら今日の仕事はもう終わりなのだが、女王陛下との約束があるのでゆっくり休んでいるわけにはいかない。
少しばかり身体に鞭を打って、ソファーから起き上がる。
それから部屋にあるパンを一つ口にして腹を満たし水分補給を行い、女王陛下がお待ちのプライベートルームへと向かった。
――コンコン
部屋の扉を軽くノックしてから
「セシルです。遅くなりました」
と言うとすぐに返事が返って来た。
「は~い。入っていいよ~」
セシルが扉を開けようとすると勝手に扉が開き始めたので、何事かと思って開ききるのを待っていると中からセバスチャンが出てきた。
急いで横にずれセバスチャンの邪魔にならないようにすると、「後は任せた」と言って城内の廊下を歩き何処かへ行ってしまった。
「後は任せた」とは?
セシルはつい疑問に思ってしまったので。
一応セバスチャンの背中が見えなくなるまで、見送ってから部屋の中に入る。
「お待たせしました」
すると、女王陛下が笑顔を向けてくれる。
とても可愛いらしい笑顔が疲れたセシルの心を癒してくれる。
「お疲れ様。ほら、そんな所じゃなくて隣に来て一緒に座ろう?」
「わかりました」
セシルはそのまま女王陛下がいるベッドに腰を降ろして隣通しで座る。
するとシャンプーのいい匂いがセシルの鼻を刺激してくる。
気を抜けばそのまま抱きしめてしまいそうになる衝動を必死になって抑え付ける。
「ねぇ、我儘言っていい?」
「はい」
「なら少しだけ甘えさせて」
そう言って女王陛下はセシルの肩に頭を乗せて寄りかかって来る。
そしてグズグズと鼻をすすりながら泣き始める。
セシルが来るまでずっと我慢していたのか、徐々に涙の量が増え始める。
「う、うっ……う、私怖かったよ……」
ようやく出てきた女王陛下の言葉。
「わ、私連れ去れるかとずっと思ってた。謁見の間にね……セシルが来てくれるまで今日ずっと不安だったの……」
次の瞬間。
緊張の糸がプツリと音を鳴らし切れたかのように、女王陛下はセシルの胸に飛び込んできた。そのままセシルをベッドに押し倒して胸の中で泣き続ける。
「私ヤダよぉ~。あんな奴の……お嫁さんになんか……なりたくないよ」
セシルの胸の中で叫ぶようにして言葉を発する女王陛下。
セシルは胸の中がとても締め付けられた。
本当は死ぬほど嫌だったけど、セシル達の為に平常心を装っていたのかと思うととても心が苦しくなった。口では強がっていても中身は一人のか弱い女の子。そんな子に自分達は何を求めていたのだろうかと思うととても辛い気持ちにさせられた。
「女王陛下……」
「今は遥でいい」
「わかりました。三日後の決闘は必ず私が勝つとお約束致しますので、どうかご安心を」
「…………」
女王陛下が黙ってしまう。
きっとセシルが想像している以上に内心は不安なのかもしれない。
何て言葉をかけるのが正解なのかがわからない。
しばらくして。
「だったら私を力一杯抱きしめて……何よ皆して許婚と結婚するか他国の王子と結婚しろって……私の気持ちなんて誰も考えてくれてないじゃない! セシルだって本当はそうなんじゃないの!? 違うなら力いっぱい私を抱きしめて、少しは安心させてよ!」
その言葉に普段なら迷っていたと思う。
だけど今のセシルには迷いはなかった。
主を安心させる事もまた使用人――執事の役目だと判断したからだ。
女王陛下が望む通り、力いっぱい細くて今にも折れてしまいそうな身体を抱きしめる。
「セシルは私の味方だよね?」
「はい」
「本当に!?」
「はい」
「だったら、今日は許すから。私を優しく口説いて見せてよ。今だけでいいから……夜安心して眠れるように甘い言葉を私に呟いて……」
涙目で上目遣いをしてくる女王陛下の顔を見たセシルはこれは本当にマズイと思ってしまった。何がマズいってそれは反則級に女王陛下が可愛いことである。これでは口説くどころかセシルがその上目遣いだけで女王陛下に恋心を射抜かれて口説かれてしまいそうだった。
高まる心臓の鼓動が女王陛下に聞こえていないかと思っていると、心臓の鼓動が更に激しくなる。
ドクン、ドクン、ドクン!!!
セシルは男の本能を理性で抑制し、女王陛下の頭を優しく撫でながら耳元で囁く。
「遥が望むなら、ずっと一緒いてあげるし、今夜は寝かせないよ」
その時、ポロポロと零れていた遥の涙が止まった。
かと思った瞬間、顔が真っ赤になった。
更にはセシルの腕を強引に振り払ってベッドの奥の方に四つん這いになって逃げる。
そのまま近くにあった枕で顔を隠して、セシルをジッと見つめる。
「セシルって私の事……そんな目で見てたの……。本当は最初から私の身体だけが目的だったの?」
顔を真っ赤にした女王陛下は初々しさを感じさせながらもそんな事を言ってきた。
何か誤解を招いたらしく、慌ててベッドから起き上がって訂正をする。
「ち、違います。そんな身体目的だなんて」
――いや叶うならそりゃ……一夜限りから始まる恋だってあるし
『あぁ、本能よ、今は少し黙ってろ!』と自分に突っ込みを入れて。
両手を使い必死になって否定する。
「違うの?」
今度は何処か残念そうに言ってくる女王陛下。
――違わなくはない!
じゃなくて、ここは紳士的な行動をしなければ今後ずっと女王陛下から獣(けだもの)扱いをされてしまうかもしれないので平常心を意識して。
「違います。その下心が合ったとかそうゆう意味ではありません」
「もぉ~セシルのバカぁ~!!!」
そう言って、女王陛下は持っていた枕をセシルに投げつける。
相変わらず真っ赤な女王陛下の顔はとても可愛いかった。
今はまた口を尖らせている表情が何とも良かった。
飛んできた枕を両手でキャッチするセシル。
「誰が私をドキドキさせろって言ったのよ! これじゃ安心じゃなくて別の意味でハラハラドキドキしちゃうじゃない!!!」
「…………すみません」
セシルはここで言う言葉を間違えたのだと気づく。
それは怒られても仕方がないと。
出来れば本当にドキドキして欲しい所ではあるが、それは愚かな男が密かに抱く悲しい欲望だと自覚があるので気付かなかった事にする。
「もっと言うと色々な意味で夜眠れなくなるじゃない! どうしてくれるのよ。おかげで目がバッチリ覚めたわよ」
「……今後気を付けます」
反省するセシルを見て、女王陛下がここで冷静さを取り戻し始める。
日本語って難しいなと思いつつも、次はないようにと心の中で反省する。
これでは女王陛下のご期待に答えられなかったと思い落ち込んでいると。
「気を付けなくていいわよ、ばかぁ」
女王陛下はセシルに聞こえない小声でそう言ってからベッドの上で布団を叩く。
「ほら、枕をここに持ってきなさい。私が本当に寝れなくなるでしょ」
「かしこまりました」
セシルは女王陛下がいる所まで行き、枕を元合った定位置の場所に置く。
そのままセシルが戻ろうとすると、女王陛下がセシルの腕を掴む。
「私が安心するまで抱きしめなさい。そしたら今日は許す。でも胸触ったら二度と口聞いてあげないから」
と言ってセシルを自分の方に引き寄せる。
最後にさりげなくセクハラ行為を牽制する言葉が合った理由はセシルが男だと女王陛下がいつも以上に意識しての事だった。
内心はちょっと違うのだが。
言葉通りにしか相手の気持ちを受け止める事が出来ない鈍感執事男は名誉挽回の為、最後まで紳士的な行動を心掛ける。
その為、女王陛下の女心には気づけなかった。
そして二人の高まった心臓がようやくを落ち着きを取り戻した所で女王陛下は深い眠りへと入る。
「幸せそうな顔でなによりだ」
その時の女王陛下の寝顔を見てセシルは静かにそう呟いた。
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