第四章 ワガママを言うような後輩 3

 渡良瀬と会えなくなってから瞬く間に一週間が過ぎた。

 暦が二月下旬に差し掛かっても状況に劇的な変化は感じられず、当初は楽観視していた自分自身をあざわらうかのように焦燥が募る。

 渡良瀬の家に持って行った料理も食べ残しが多くなり、登坂に何度聞いてみても「心配するな」の一点張りで、渡良瀬に負担をかけたくないという理由を盾に見舞いも断られ、俺は八方塞がりとなった。

「もう、飯の配達に来なくていいからな」

 放課後の廊下で登坂に呼び止められた俺は、残酷な台詞せりふを告げられる。

 現状で渡良瀬とつながっている細い糸が、無慈悲に切られてしまう。

「いや……でも、渡良瀬が元気になれるような栄養のある食事は必要ですよね。パンばかり食わせてたら……治るものも治らないでしょ!」

 恐れた。無期限に交流が断たれてしまうのを本能が拒否し、抵抗の声を荒らげさせた。

「食事に関しては問題ねぇ。お前が心配することじゃねぇから」

「渡良瀬に聞きたいんです……! 渡良瀬が俺のことを必要としているかどうか……本人の口から教えてほしいんだ!」

 立ち去る登坂を怒鳴りつけるように叫ぶと、大人の背中は遠ざかるのを一時的に止めた。

「あんたが……わたの人生に俺を関わらせたんだろ……! なのに今さら……渡良瀬がいない退屈な毎日に戻れって言うんですか……」

「……分からねぇよ。どうしてお前をよしのところへ導いたのか……オレ自身もいまだによく分かってねえ」

「なんですか、それ……!!」

 煮え切らない曖昧な態度のさかいらちが高まる。

 大人はいつも身勝手で、応援しているふりをしながら不意打ちで殴ってくる生き物だ。

「勘違いすんな。お前と会わないのは佳乃の要望なんだ」

「……どうして」

「高校三年生の貴重な残り時間を、もっと有意義に使ってほしい。自分の将来を考えたり、友人との思い出を作ってほしい。だから、わたしの不明瞭な人生に構っているヒマなんてない。それが……佳乃からの伝言だ」

 握り締めた拳が震え、無力感による憤りが頂点を迎えようとしていた。

「無価値な男の将来なんて捨ててやります。俺は渡良瀬がいてくれれば……それだけで」

 登坂も、渡良瀬も、無責任だ。

 だったら、最初から関わらないでくれよ。ヒマを持て余した怠惰な高校三年生に、充実した日々の味を覚えさせないでくれよ。

 それをいきなり取り上げられてしまったら、学校に来る最大の意味を見失ってしまったら、さらにリセットされた現在地に立ち尽くしてしまうから。

 はなびしじゆんの人生なんてどうでもいい。本来は無駄に消費されるだけの時間を、渡良瀬佳乃のために費やさせてくれ。

「そういや、花菱の卒業が決まったぞ。もう補習にも来る必要はねーから、お疲れさん」

「そんなことはどうでもいいんだよ……登坂っ!!」

 俺に背を向け続ける登坂は、微量の吐息に小声を混ぜる。

「お前は……すべてを捨てそうな危なっかしさがあるからな。やかましくておひとしだった幼なじみ……みたいに」

 そう意味深に言い残し、歩を踏み出した登坂の後ろ姿は離れていく。

 廊下の角を曲がり、嫌な大人の姿が目視できなくなっても、俺は棒立ちのまま腕を震わせて灰色の床を見下ろしていた。


 当然ながら納得して引き下がれるわけもなく、その日の夕闇が迫る時間帯に登坂のアパートへ出向いたのだが、インターホンを鳴らしても物音すら返ってこない。

 職員室で残務を片付けていた登坂より先に学校を出たのは間違いない。アパートの寝室に取り残されているであろう渡良瀬と一足先に接触したかったのだが、もぬけの殻と大差ない無反応が途切れることはなかった。

「花菱だけど……渡良瀬、部屋にいるの?」

 玄関の扉をノックしながら、語り掛けてみる。居留守を使っている気配もないため、扉の向こうには誰も存在していないのだろうか。それとも、近くのコンビニかどこかへ買い出しに出掛けて一時的に不在という可能性も否定はできない。

 しばらくの間、アパートの二階通路で待たせてもらったのだが、同じ階の見知らぬ住人がまれに通り過ぎるくらいで、夕闇から夜に移り変わっても状況は変化の兆しすらなかった。

 さかと鉢合わせたら面倒だ。アパートから名残惜しく立ち去った俺は一人きりの帰路に就く。おぼろげな街灯とれ違う車のヘッドライトが映す面白みのない夜道。ただただ無力感を増進させる苦痛な道のりを、明日の記憶には残したくないと思う。

 三日連続で訪問を繰り返してみたが、結局はわたの在宅すら確認できず……不本意な現状が維持されるばかりに終始し、好転することはなかった。


 四日目にもなるとしびれを切らし、放課後の学校を離れた登坂のあとをひそかに付ける。

 尾行に気付かれないよう一定の距離を保ちつつ、通行人の一部にまぎれ込みながら視線を張り付かせた。不自然だったのだ。他の先生に裏取りをした退勤時間を考えると、登坂が直帰していれば鉢合わせするはずなのに、昨日までは一度も帰宅にかぶらなかったから。

 案の定、経路が違う。アパートの方向ではない脇道にれて歩き続ける教師を、うつむき気味の早歩きで追跡してみせた。

 悪い予感が巣食い、次第に膨張していく不安が足元をすくませる。あまり立ち寄らない地域とはいえ、一応は地元の範囲内。登坂の目的地に関しては複数の候補が考えられたが、歩き進んでいくうちに周囲の風景が一つの場所へ収束していた。

 胸騒ぎに比例し、暑くもないのに額をらす発汗。広大な敷地にそびつ建造物の足元は駐車する車の往来で混雑しており、多数の老若男女が建物に出入りしている。

 外気温のせいではない悪寒が背筋に蔓延はびこり、軽度のどうを引き起こす。

 なぜ──登坂は入院設備もある総合病院に来たのか。

 渡良瀬が風邪をこじらせて入院でもしていたのなら、家に不在だったのも合点がいくけれど……会うのを拒絶するまでに至ったのはに落ちない。

 このまま、蚊帳の外へはじき出されてしまうのか。嫌だ。

 よく分からねえとか抜かす不鮮明な気まぐれで引き合わされ、空っぽな人生を好きな子に預けても良いとさえ思わされるようになった直後、身勝手に引き離される。

 大人の都合をやすやすと許容できるほど俺の精神は成熟していないから、短絡的な行動を衝動で起こすことを恐れない。

 この先に待ち受けているものは、喜ばしい真実などでは絶対にないだろう。


 でも……俺は、渡良瀬よしと放課後に会う日常を取り戻したい。

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