第四章 ワガママを言うような後輩 2

 夕方に帰宅すると、電球色のダウンライトがともったはなびし珈琲コーヒーが出迎えてくれる。

 この時間帯は客足が伸び悩むため、母さんはカウンターでくつろぎ、すみさんはディナーの準備などにいそしんでいた。これがウチの普段通り。忙しい時間帯だったら遠慮してしまうが、今みたいに空気がまったりと落ち着いていればキッチンも借りやすい。

「伊澄さん、ちょっといいですか?」

 仕事用のエプロンを掛けた俺は、伊澄さんを呼び止める。

「風邪に効きそうな料理を作りたいんです。伊澄さんのお勧めレシピがあったら教えてほしいなと思って」

「──じゆんさん、風邪をひいたんですか?」

 どう見ても俺が健康体だからか、伊澄さんに首をかしげられる。

「いえ、友人が寝込んでいるらしいので、微力でも何かしらの支えになりたいんです」

「──誰かの支えになりたいと思う気持ちが、私には分かりません」

 皮肉でもいやでもない。

 躊躇ためらわずに本音を打ち明ける伊澄さんは、純真な真顔だった。

「伊澄さんも……たぶん、分かっていたはずなんですよ。少し……忘れてしまっただけなんだと思います」

「──准汰さんは私のまいごとを信じてくれるんですね。誰も信じてはくれなかったのに」

「星に託した願いがかなうとか、代わりに失うものがあるとか……そんな超常現象を完全に受け入れられたわけじゃないですけど──」

 すみさんの瞳を見据えた俺も、自分が信じる感情の衝動に従い躊躇ためらわない。

 高校生のガキなのだから、青臭い信念を宣言させてくれ。

「もう〝うそつき〟なんて言わず、信頼している人が言った言葉を信じたい。人の良さだけが取り柄のはなびしじゆんは、そういう生き方でありたいんです」

 こんなことを恥じらいもせずに言い放っても、伊澄さんは真剣に受け止めてくれるのを知っている。強い炎が燃え移るように、喜怒哀楽を失っている相手にも再び感情が宿ってくれることを信じて、俺は感情のままに語り掛けるのだ。

「──分かりました。私で良ければお手伝いしましょう」

 俺と違って伊澄さんはヒマなんかじゃない。母さんがのんにサボれるのは、伊澄さんが地味な作業を何食わぬ顔でこなしているおかげだ。そのうえで俺の自己満足にも構ってくれるのだから花菱親子はもう一生頭が上がらないし、伊澄さんの時給アップも止まらない。

 ディナーまでの限られた時間だったが、伊澄さんにお勧め料理の作り方を教えてもらう。喫茶店で出す本格的なものではなく、手軽な家庭料理に伊澄さん流のアレンジを加え、身体からだの温まりや消化の良さ、栄養バランスも考慮した献立を試作してみることに。

「そういえば、ベタチョコって知ってます? その友人が大好物なんですけど、販売地域が限定されているみたいなんですよね」

 二人で黙々と料理しているのも味気ない。

 食材を扱う手は積極的に動かしながらも、伊澄さんに雑談を振ってみる。

「──知っています。というより、私もたまに食べていますよ」

 予想外の返答をもらってしまい、包丁を握る手が停滞してしまった。

「もしよかったら、伊澄さんが購入している店を教えてもらえると助かるんですが」

「──山形の親族から実家に送ってもらっています。食べ切れないくらい手元にありますので、必要な分だけ差し上げましょうか?」

「ありがとうございます! このご恩は給料にプラスさせていただきますね」

「こら! 店長に内緒で従業員の給料をアップさせるな!」

 伊澄さんの給料アップを独断で決めたが、すぐそばにいた母さんに速攻でバレる。

「母さんがサボってるとき、代わりに働いてるのは伊澄さんでしょ。部下の頑張りをきっちり反映させるのが上司の務めだと思うけどな。職場はホワイトにしようぜ、な?」

「ワタシは有能なオーナーなので伊澄ちゃんのお給料アップを承認します」

 ちょろい。単純にもほどがある母親は扱いやすくて助かる。

 その後、俺が調理している間に実家へ一時帰宅した伊澄さんはベタチョコを詰めた紙袋を持参し、十数分ほどで店に戻ってきた。丁度、そのタイミングで試作品が完成したため、伊澄さんに味見を求めてみる。

「──じようです。これならお相手も満足するのではないでしょうか」

 小皿に取り分けた試食を伊澄さんが口に含み、素っ気ない声音で褒めてくれる。それだけでも、確固たる自信がみなぎってきたのだから男子は単純な生き物だ。

じゆんくーん、好きな女の子のために頑張るなんて素敵やーん♪」

「いいから仕事しろ。もしすみさんに辞められたら、この店は潰れるからな」

 俺と伊澄さんがちゆうぼうに並び立ち、カウンターでほおづえを突いているサボり店長が気安く話しかけてくるひと時も、実は最近のお気に入りになっていた。

「──准汰さん、いってらっしゃい」

 伊澄さんに見送られ、喫茶店の出入り口から屋外へ踏み出す。

 さかが帰宅しそうな時刻になったため、数種類の料理を別々に入れたいくつかのタッパーを大きめのランチバッグへ収納し、車に積んで運び込んだ。

 アパートへ帰宅していた登坂にランチバッグとベタチョコを詰めた紙袋を渡すと、翌日には洗浄済みのタッパーを登坂が返却してくれる。

 わたは残さず食べてくれたようで、学校に行きたがっているらしい。放課後の美術室に入り浸り、日が暮れたら屋上へ行き、飽きるほど絵を描きたい……と。

 長引いたとしても二~三日ほどで風邪は完治し、必要はなくなると思っていたやり取りだったが、翌日も……渡良瀬が登校してくることはなかった。

 明日こそはきっと。明日こそは──

 平静を保つための根拠のない言い聞かせが、脳裏をむなしく空回りしていた。

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