第2話 普通じゃないが普通だった

僕こと立龍 一紗は普通では無い。

見た目、平凡。頭脳、平凡。身体能力、平凡。感情、平凡。

どこをとっても平凡な僕の唯一平凡ではない所は、『瞳』だった。

僕の瞳は『人間の色』を写す。その言葉の通り、人間が纏う色を見ることができるのだ。

それはいわゆる——個性というもので、僕はその個性が認識できてしまう。

それを誰かに言ったことはない。別に色が見えるからと言って、何かができる訳でもないし。

ただこの目のおかげで分かったのは人間は同じように見えて、実は全然違う、という事だ。

僕が今まで見てきた人間は、誰一人として同じ色を持った人はいなかった。

例えば赤、と言われる色であっても更にその中には沢山の種類があって、色の種類というのは正確に数えられないらしい。

無数にある色を僕はこの十六年間見てきたけれど、そんな自分にも初めて見るものがあった。


——無色透明な人間。


色を持たない人間。僕にとってはそれがあまりに珍しいもので、一瞬自分の目を疑った。

でもきっと、この『瞳』で彼女を見なくたって、僕はこの華奢な少女を魅力的だと思うのだろう。




九月二日。憂鬱な学校生活が再び始まり、生徒達の向かう方向は一つに絞られる。僕も周りの男子と同じようなネクタイを首からぶら下げて、流れに沿って歩いた。

どこにでもありそうな校門をくぐって、校舎内へと足を運ぶ。どこもかしこも生徒達の楽しそうな笑い声が響いて、僕はそれが苦手だった。

ならば、君はいつもひとりぼっちの一匹狼なのか、と問われればそれは違う。

僕の本心と行動が、必ずしも一致しているわけではない。

物語の主人公なんかは、『どこにでもいる普通の高校生』なんて言っているけれど、それは自分が普通と思っているだけで、読者からしてみれば、主人公が普通なわけない。もしも本当に主人公が普通なのであれば、物語は決して始まらないからだ。

なら僕は自分をどんな高校生だと自称するのか。教室までの道のりでそんな事を考える。

階段を登って教室の前まで来たところで、僕はやっと答えを出した。

『周りからはどこにでも居そうと思われている高校生』

そんなひねくれた答えが模範解答なんて、僕自身も信じたくはないけれど。


教室のドアを開けると、約四十日ぶりの光景が僕の目に飛び込んでくる。

互いに仲のいい友達と雑談を交わし、夏休みの課題の進捗を聞き合う。

僕はそんなクラスメイトを避けながら、自分の席に座った。

ポケットからスマートフォンを取り出し、簡単に今日のニュースなんかを見ていると、背後から声が聞こえてきた。

「おはよう、一紗。」

肩をピクリを動かしてから、ゆっくり後ろを振り向くと、そこには見覚えのある顔があった。

長い茶髪に、着慣れたスカート。短い靴下は、校則範囲内の長さで、高くて綺麗な鼻が僕の顔のすぐ近くまできていた。

その名前を呼び捨てにする事にも躊躇がなくなって、僕は日常でも何度も口にしている。

それが一体、どんな意味をもたらすのかは、三秒も経たずに理解出来た。

「おはよう、キリ。」

そう呼んだだけで、彼女は嬉しそうに笑う。僕は彼女の笑顔を見る事が当たり前になっていたせいで、新鮮味はなかった。

僕とキリの関係を一言で表すならば、きっと『恋人』というものだろう。

とはいえ、僕はあまり、キリを彼女としては見ていない。こんな事を言えば、キリは怒るだろうし自分でも失礼だと承知の上だが、キリは普通より仲のいい友達くらいに思っている。


僕がキリに告白したのではなく、キリが僕に告白した。その言葉だけで僕がキリを友達にしか思えないのに、付き合っている理由が容易に想像できる。

つまりは、告白された僕はキリを振らなかったのだ。もしかしたら振れなかったの方が当てはまるかもしれないけれど。

「一紗は課題終わったのー? 」

キリはいつも僕を退屈させまいと、色々な話題を振ってくれる。それが彼女なりの優しさで、ある種、敬意みたいなものなのだ。

僕はそれにいつも通りの口調で答える。

「うん、ギリギリね。終わんないかと思ってめちゃくちゃ焦ったよ。」


嘘だ、と心の中の自分が言った。

お前は計画的に終わらせていたじゃないか。

そんは心の中の声に、僕は耳を傾けない。もしも言うことがあるのだとするならば、ただ一言。

——うるせえ、黙ってろ。

そう呪文のように唱えると、心の中の自分は姿を消した。

「そっかあー、私と一緒じゃん! 」

『一緒』という単語に体が反応する。

誰かと同じという事がそんなに心安らぐものなのだろうか。

確かに一人で孤独にいるよりは、誰かと共感し合っている方が少しは楽しいのだろう。けれどそんな在り来りな人生は、多分・・・・・・つまらない。


二学期の始まりを告げる校長の長話は、約二十分という最長記録を残して幕を下ろした。体育館には全校生徒がむさくるしく集まって、それから解放されたかのように各教室に戻っていく。

教師達には聞こえないように校長への愚痴をこぼしながら、僕はキリや他の友達と歩いていると、前方に違和感を感じる。

人の流れが、ある場所からふたつに分裂していた。

顔を上げて何があるのかを確認しようとすると、僕は動いていた足をピタリと止める。

それは、僕が心のどこかで望んでいたのかもしれない人物だった。

またもう一度会えたらいいなくらいの、淡い期待。

それが叶う時が来るとは思いもせず、僕は思わず声が出てしまう。

「・・・・・・どうして、ここに・・・・・・。」

僕の驚きを隠せない顔をは裏腹に、目の前に立っているその人はニヤリと笑っていた。感情のこもっていない瞳に僕の顔が写り込む。

その人は、僕の問いかけにすんなりと答えた。

「どうしてって・・・・・・それは私だって今日からこの高校に在学するんですから、居て当たり前ではないですか。一紗先輩。」

『先輩』という慣れない響きに、僕は一瞬で悟ってしまう。

それから彼女は、僕に話す隙を与えずに話始めた。

「ああ、そういえば私はまだ自分の名前を名乗っていませんでしたよね。私は九重 紅里と言います。よろしくお願いしますね、一紗先輩。」

ああ、その笑顔は見たことがある。昨日、僕が脳裏に焼き付けたあの笑顔だ。

九重紅里は、昨日初めて出逢った時と同じくらいに暖かみのない笑みを僕に見せる。

その刹那、僕は嫌でも悟ってしまう。

——僕はどうやらこの女から逃げる事が出来ないらしい

と。



「さっき、一紗先輩の横にいた女の人って先輩の彼女さんですよね? いいんですか、先に行っててなんて言って。」

僕は九重紅里と共に、中庭にあるベンチに腰を下ろしていた。

彼女の横顔はモデルのようにやせ細っていて、骨格が綺麗に見える。

漆黒の髪は、太陽に照らされてキラリと輝いた。

僕と目を合わせないその瞳は、どうやら自分の足元を写しているらしい。

僕はそんな九重紅里の問いに簡潔に返答した。

「いいんだよ、別に。」

その言葉に九重紅里は「ううわ、最低野郎の発言ですよ、それ。」と苦言を呈した。的を得た発言だったので、僕はそれを肯定することも否定することもせずに、そよ風と共に流していった。

「それよりも、まさかこの高校の生徒だったとはな。九重さん。」

なんで言わなかった、という嫌味も込めて彼女に言ってみると、九重紅里は「あれあれ? 」と僕をバカにしてきた。

「このブレザー見れば、誰だって分かるでしょうに。もしかして昨日の事は夢か何かだと思ってました? あ、後私のことは紅里でいいですよ、後輩なんですし。」

じゃあ紅里、と僕は彼女の呼び方を決める。

「紅里はこの高校の生徒だったのか? 」

軽率過ぎる質問に、僕は五分後悔する事になるとは、この時は知らなかった。

紅里は一瞬体の動きを止めてから首を横に振る。

その動作に続けるように「私、今日から転校してきたんですよ。」と僕に説明した。

なるほど、僕がどうして今までこの学校で彼女に会わなかったのかは、理解出来た。

なら、と僕は再び質問する。それは彼女からしてみれば迷惑極まりない質問だったかもしれない。そんな事を考えたのは、彼女から質問の答えを貰った後だったけれど。

「じゃあどうしてこの高校に? 」

紅里は僕と目を合わせること無く、青空を仰いだ。ゆっくりと流れていく白い雲を見ながら、紅里は話し始める。


「まあ、どこにでもある話なんですけどね。私、高校に入ってから出来た友達にひょんな事から恨みを買ってしまいまして。で、クラスでイジメの標的になっちゃったんですよ。私はイジメられる事にはなんとも思わなかったんですけれど、何をしても動じない私に、イジメる側は気に食わなかったらしくてですね。イジメは日に日に悪化していって、遂には暴力沙汰にまで発展しちゃったわけなんですよ。それでクラスのイジメが発覚。イジメの主犯だった人達は退学になったんです。私はこのまま高校に通ってもいいって言ったんですけど、親は転校させたいって言ってきたんです。まあ、それを拒否する必要も別にありませんでしたし。

それが私がこの高校に来た理由です。・・・・・・ね、どこにでもある話だったでしょう? 」



それを『どこにでもある話』で片付ける事が僕にはどうしても出来なかった。

確かに漫画なんかではそんな話をよく目にするけれど、それはやっぱりフィクションの話で。だから実際、そういう話を目の当たりにすると、かけるべき言葉が見つからなかった。

何も出来ず視線を落とす僕を見て、紅里はあははと笑った。


にっと首を傾げながら笑う姿を見て、僕はただ美しいと思ってしまう。

肩につくくらいの髪が、一方向に落ちていくのを永遠に見ていられる様な気がした。


「別に一紗先輩が気を落とす必要はないですよ。ただ私が辿ってきた道を話しただけなんですから。」


辿ってきたその先にあるのが、今の光景なのだとすれば、僕は彼女に同情するだろう。

彼女の色が透明なのは、きっと彼女は今までずっと何も感じて来なかったのだ。

怒りも悲しみも喜びも楽しさも。人間にとって必要なはずの喜怒哀楽という感情を、彼女は持ち合わせていない。


ならば、僕はあえて言わなくてはいけない。普通ではない僕が、それを言わないといけない気がして、けれど声に出さないように。心の中で僕は彼女という人物を一言で表現した。


——九重紅里は、普通ではない。


似た者同士の僕達がこの二学期を。正確にはこの秋をどう過ごしていくのかは・・・・・・『彼女』だけが知っていた。

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