無色な君の脳を僕は喰らう
桜部遥
第1話 明日になったら忘れるちっぽけな出会い
人を一言で表せ。
そんな問題がもしも出題されたら、一体なんと書くのが正解だろう。
性格。形。匂い。雰囲気。
その回答は幾つもあれど、全ての解答用紙にチェックマークが記されるだろう。それを見て、一人の回答者は手を掲げ、出題者に問いかける。
「ならば、何が正解なのか」
出題者はニヤリと薄気味悪い笑顔を浮かべて、「簡単な話だ」と回答者に言う。
「——色、だ。」
もし、本当にそれが正解なのだとしたら、その問題を作った人物は世界一の自意識過剰か、或いは・・・・・・。
——ただの大馬鹿者だ。
これは、そんな大馬鹿者の、あくびが出る程つまらない『青春』の話だ。
もしかしたらその『青春』と言う言葉にそぐわない程の呆れた話かもしれないけれど。
九月一日。明日から二学期が始まるという事実に気持ちが重くなっていく。夏休みの最終日は家でダラダラするか、課題が終わらなくて焦っているかの二択に限ると誰しもが思う中、僕は海岸沿いを一人で歩いていた。
肌が焼けただれそうな程の強い日差しの中、海の潮風が鼻の穴を通り抜け、心臓へと落ちていく。
手で押している自転車は太陽の光を反射させ、ギラギラと輝きを放っていた。ハンドルを握りしめる手に大きな力が入り、視界がゆらゆらと揺らめく。
額から流れ出る汗が首筋を通る度にひんやりとして、けれども汗で服が肌に張り付いて、気色悪いと思った。
帰ったらすぐにでもシャワーを浴びたいという欲望に駆られながら、重たい足を動かす。
半袖も短パンもサンダルも、どこにでもありそうな面白みのない服装は、この街によく溶け込んでいる。
少し日に焼かれて茶色くなってしまった髪も、この町では別段珍しくもない。
——本当に面白くない街だ。
そんな事実に、僕はすっかり呆れ果ててしまった。
いつもだってそうだ。一つ違う事があるとするのであれば、それは僕の『瞳』だけだろう。
けれどそれですらも、僕の中では段々と変わりようのない『日常』へと変わっていった。
そんな時、だ。
「——ねえ、君は恋というものをした事があるのかい? 」
そんな声が聞こえてきた。自分よりも高い女の声に、僕は顔を上げる。
海の波が町に押し寄せて来ないようにと作られた堤防の上で、高苦しいブレザーを羽織った少女がそこにはいた。
艶やかで柔らかい黒髪は短いのに、自分には天女の纏う羽衣みたいに思えて、僕はそれに目を奪われた。
くっきりとした二重の大きな瞳は、闇を呑み込んでしまいそうな迫力で、息をするのも忘れてしまう。
ニコリと笑うと可愛らしいえくぼができて、その口は僕の答えを待っている。
誰かが言った。『それは一目惚れだ』と。ああ、そうかもしれない、とその時ふと思ってしまう。
自分よりも小さくて、でも大きくて。美しいと思ってしまったこの女の子に僕は間違いなく、一目惚れしたのだと。
一息置いた後、僕は彼女の質問に対する答えを探していた。暑さが脳まで溶かしていって、思考がまとまらない。
答えなんて最初から決まっているのに、何故だかその答えを、僕は言うのに躊躇った。
一筋の汗がポタリと顎から落ちた時に、僕はやっと答えを言った。
「——あるよ。今、してる。」
その時は、その言葉が嘘だと思っていた。
僕は思う。目の前にいるこの少女は多分、この町にいるどの女よりも性格が悪いのだろうと。
だって今もほら、僕の返事を聞いてニヤリと背筋が凍りそうな程冷たい笑顔を向けているのだから。
「そっか。羨ましいなあ。ねえ、恋をすると世界が変わって見えるって本当? 君は、恋をしたらこの退屈な日々から抜け出せたの? 」
堤防の上を歩きながら、彼女は僕に問う。
彼女の質問は、どこか僕の心に似ていて簡単に答えなんて出せないと思っていた。
僕はチャリを手で押しながら、彼女の後を追う。
「それは人それぞれじゃないか? 僕は正直、恋をしてもしなくてもあんまり変わらなかったよ。」
彼女は歩き続けたまま、僕には反応しなかった。
二人の間には波の音と海風だけが残り、僕の中にある何かを、揺らしていく。
次に質問したのは、僕の方だった。それは会った時からずっと気になっていた事で、僕以外の誰だって不審に思う事。
「君はどうして夏なのにブレザーを着ているんだい? 」
そうだ、僕だって今日は暑すぎてこんなに汗でびっしょりだというのに、この子は汗ひとつかかずに冬のブレザーを着ているんだ。
それを見て、誰しもが不審に思うのは至極真っ当な事で、僕の行動だってつまりは『当たり前』の事だ。
少女は動いていた足をピタリと止める。ローファーが太陽で輝きを魅せる中、彼女はくるりと回って僕の方を見た。
笑顔を崩す事なく、彼女は答える。
「やだなあ、だって暦の上では秋なんだよ? 秋ならブレザーを着ていたって別におかしな事ではないだろうに。」
暦の上? ああ、昔爺ちゃんに聞いた事がある。確か『八月八日』は立秋と言って、この日から季節が秋になる・・・・・・みたいなやつだ。
でもそれは昔の話で、今は九月から十一月が一般的には秋と呼ばれているんだよな。
そこまで考えて僕は思い出す。今日の日付を。
そう、今日は『九月一日』なのだ。
ならば、確かに今は、今日からは秋だと言ってもおかしくはないのだと。
それでもこんなに暑いのに汗をかいていないのには少しばかり違和感を覚えるけれど。
そんな事を思っていたら、彼女は冗談めかして笑った。
「まあ、私は体温を感じないからっていうのもあるんだけどね。」
けれどそれは明らかに冗談では無い話だった。
僕は彼女に目線を送ると、彼女はそれに応えてくれた。
「原因は分からないんだってさ。ストレス性のものなら似たような病気はあるらしいんだけどね。私のは本当に治らない、名前すらもない病気。」
彼女にとって病気の体というのは『当たり前』の事実だった。それを分からないで軽率な行動をした自分に、僕は悔いた。
僕には病気の体で生活をするという怖さは分からない。きっと僕が思う以上に過酷で大変なのだろう。
ふと蘇ったのは、さっきの会話だった。彼女が『恋』について僕に聞いてきた事。
それはおそらく、彼女がこの退屈な日々から脱却したいという事なのかもしれない。
普通とは違う体で『恋』という学生なら夢見る当たり前の日々を送ってみたい。それが彼女の中での『退屈からの脱却』なのではと、僕は考えた。
でも別にそれを僕が手伝う義理はない。今日初めて出逢ったこの少女と言葉通り、恋をする必要などないのだから。他力本願。僕は誰かの力に任せようと、そう思っていたはずなのに。
彼女の目はどこまでも僕を見透かしていて、そんな建前の奥にある本心すらも見抜いていたのかもしれない。
それを僕の中で確信に変わったのは、彼女が言ったセリフだった。
「君は、私を連れ出してくれるんだろう? それなら始まりに相応しい言葉から始めようじゃないか。心を込めて。これがハッピーエンドで終われるように祈りを込めて。Lady? three、two、one。」
それに僕が続く必要はない。彼女の魔法に魅せられたなんて、絶対に認めたくはない。
ここで僕が彼女に別れを告げれば物語は始まらないし、終わらない。
そう分かっていたのに。僕の脳は勝手に彼女に侵食され、心とは裏腹に口が動いていた。
「——僕と恋をしよう。」
在り来りなセリフに、彼女は堤防から大きく空を舞った。良ければパンツの一つでも拝めないかと思ったけれど生憎と、彼女は黒のタイツを履いていて、僕の願いは叶いそうにない。
空に舞った彼女は一直線に、僕の元へと落ちていく。
その瞬間自分でも悟った。ああ、始まってしまったんだと。
色の無い君と、色の見える僕との、なんともつまらない秋の恋が幕を開けたのだ。
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