何もなかった。

 どうにか、こうにか公園の入り口までたどり着いた。

 なんとかランドみたいに線を引かれるわけでなし。キャストの人達の作り笑顔とさようならと手を振る人もいないわけで。そんなに急ぐことありましたっけ? と私は思っていた。

 

「あなたはなぜ、この時間に?」

「ええ?」

 長身の男性は少し息を切らせて時計を見ながら言った。

「外回りのついでに、少し感傷に浸ろうと思いまして」私はそっぽを向いて返事をした。別にとか、そういう感じでもよかったはずだ。

「ああ、そうでしたか。僕も仕事の帰りにさぼってきてしまいました。本の表紙を作る仕事をしています。最近仕事が立て込んで気持ちが塞がってしまったので、息抜きです」

 私はバスがもうすでに行ってしまったことを彼の横顔から察した。

「次のバスは何時ですか?」

「あと、二十分先です。困ったな、先ほど調べてから来たのに。ミスった!」

 彼はミスだというが私はそうは思わない。

 この出会いがあったから。あ、あの猫はどこへいったのだろう。

 もう会うこともないと思うと急に会いたいと思うのは悪い癖、不思議だと思いながら周りを見ると、バス停の後ろの植え込みの中から顔だけ出している。漫画みたいなことをするふざけた猫だ。まるで私たちを見ているようで少し腹が立つが、お別れに頭を撫でてやるつもりで手を出した。


「ダメですよ!」

 その男性が突然私の手首を掴んだ。私は急にそんな事をする人の勢いに驚いて体を硬くした。

(何をするの?)

「野良猫に噛まれたり、爪に引っかかれたら病気になります」

「はあ、スミマセン」

「僕こそ、ごめんなさい。急に触ったりして。ことばでは間に合わないと思ったもので」

「先ほどの場所でも遊んでいたので、この子はそんなに悪いタチではないんですよ」


 私は思う、この後どうしますかと言ったほうがいいのか、黙って別れたらいいのか。なあ、猫よ。大昔ここは何もなかったんだってさ。

 この草原だった場所で私は彼に狩られてしまったのかもしれない。見た目は神経質そうに見えるが悪い人じゃないようだし。この先、さようならと言って立ち去るには惜しい感じの人だと私は思う。敦にもらったハンカチはあのベンチに忘れてきた。ちがうな、あそこに置き去りにしてきたんだ。

 きっと……。

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