カップ麺インザシェアハウス

尾八原ジュージ

カップ麺インザシェアハウス

 私はシェアハウスの玄関をこっそり開け、泥棒のように足音を殺して階段を上った。


 ちゃんと家賃を払って住んでいるところなのに、どうしてこんな風にこそこそしなきゃいけないんだろう。内心悪態をつきながら2階に向かうと、この時間帯には珍しく、ダイニングルームには誰もいなかった。


 これで誰にも絡まれなくて済む。私はほっと胸を撫で下ろすと共に、あることを思いついてほくそ笑んだ。


 チャンス。換気扇をガンガンにかけて、私の大好物のカップラーメン「ニンニクマシマシ濃厚とんこつ」を食べる絶好の機会だ。あまりに臭うので、皆がいるときは食べないようにきつく言われているのだった。


 それにしても、カップ麺ひとつ食べるのにこんなに気を遣うなんて思わなかった。やっぱりシェアハウスなんて、やめておけばよかった。


 元々私は、シェアハウスに関心があったわけではない。でも、レイミにここに連れてこられたとき、建物のかっこよさに心を奪われてしまったのだ。


 コンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュな三階建て。鮮やかなブルーのアクセントクロスに、上品なアジアンテイストのインテリア。加えて、プライベートスペースの高い防音性……確かに建物と設備はよかった。しかしその内情はと言えば、そこら辺の沼なら裸足で逃げ出すようなドロドロ具合だ。


 ていうか、レイミに誘われた時点でやめときゃよかった。なんせあの子は……などと考えながら、私はパントリーに向かった。レトルト食品をまとめて置いてあるゾーンから、ニンニクマシマシ濃厚とんこつを選び出す。ついでに割り箸はあったかな……と棚の下を覗くと、そこで初めて、一番下の段から人間の手が出ているのに気づいた。


 うわ、レイミだ。顔が赤黒く腫れて、表情がひどく歪んでいるけど、まぁ間違いなくレイミだ。完全に死んでいる。


 クラクラしてきて、私はカップ麺を持ったまま、パントリーの床にへたりこんだ。彼女の首には、親指の跡らしき点々がふたつついていた。素手で首を絞められたらしい。見開いた目が、恨みがましく私を見つめている……ような気がする。


 ああ、ついにこういうことになったか……私は溜息をついた。


 男抜きで付き合う分には、レイミは面倒見がよくて話が面白く、おまけに美人でセンスがよかった。ところが男性が絡んだ途端に、彼女はクソになる。そもそも私をシェアハウスに誘った時からして「女の子ばっかりだから大丈夫」とかなんとか言っていたくせに、実際は男女入り乱れての大混戦状態。昼ドラもドン引きの泥仕合になって、私はもう笑うしかなかった。


 レイミの一番悪いところは、他人の彼氏を盗るのが大好きなところだ。大好きというかもうアレは性分。そういう生態だと思った方がいい。案の定彼女は、カップルで入居してきたカリンの彼氏、トオルをいつの間にか寝取っていた。


 当然揉めた。お洒落なダイニングで、ドイツ製のペニンシュラキッチンを挟んでの壮絶なキャットファイトが始まり、私はヌタにしようと思って買った新鮮なアジが捌けなくてゲッソリした。


 最終的になぜかカリンが「責任とって代わりの男紹介しなさいよ!」と叫んで、レイミが連れてきたのが、彼女の元カレのフレッド。お古を紹介されたカリンは怒り心頭……と思いきや、超絶イケメンのフレッドに即メロメロになって付き合い始め、私はやれやれ一安心と胸を撫で下ろした。


 しかしそれもつかの間、なんとレイミがフレッドまでも寝取ってしまったのだ。もうレイミはそういう病気としか思えないし、事情を知っていながら彼女になびいたフレッドもクソ野郎だ。


 おまけにレイミもカリンも、私のところに「ちょっと聞いて聞いて」と互いの悪口を吐きにやってくるのでもうウンザリだ。私はタン壺じゃない。勘弁してほしい。


 大体、この件に関してレイミが悪いのは百も承知だけど、カリンもカリンで問題がある。彼女は、他人が買ってきて名前を書いて冷蔵庫に入れておいた高めのプリンとか、ちょっといいお肉とか、そういうものを勝手に食べてしまうのだ。私が買ってきたいい石鹸や柔軟剤も勝手に使われてしまったし、注意してもまったく悪びれない。そして改めない。


 正直、私としてはレイミよりも、カリンの方が嫌いなタイプだ。不満があるならいっそ出て行ったらいいんじゃないかな~? などとアドバイスのようなことを言っていたが、不思議と2人とも出て行かなかった。


 そうこうしているうちにフリーになったトオルが私に粉をかけ始め、こちらまで火の粉をかぶりそうになった。まぁ、レイミに「トオルと付き合っちゃうかも……」とほのめかしてみたら、もう一回寝取ってくれたのでこっちは解決したが、代わりにフレッドがブチ切れた。


 そして今に至る。


 正直言って、カリン、トオル、フレッドの誰がレイミを殺したとしても、私は驚かない。来るときが来たな、と思うだけだ。レイミ、安らかに眠ってください。そして今はちょっと待っててください。


 私はまずカップ麺を食べる。警察を呼ぶのはそれからだ。


 ニンニクマシマシを持って、私はダイニングに戻った。まずは換気扇のスイッチを入れ、カップ麺の蓋を開ける。うわ、もうニンニクと脂の臭いがする。やっぱり「一人で食え」と言われても当然の代物だ。開発した人は一体何を考えていたのだろう。まぁでも、おいしいから許すしかない。


 電気ケトルでお湯を沸かして注ぐ。ダイニングテーブルにカップ麺と箸、キッチンタイマーを置き、その前に座って、人生で一番長い3分間を待つ……と、イスに腰かけた私の足が、何かを蹴飛ばした。テーブルクロスの下を覗き込んでみると、トオルが倒れていた。


 こちらは頭から血を流している。こいつもまぁ、誰かにぶん殴られてもおかしくないような男だった。一度、キメ顔で私に顎クイをしてきたとき、つい心底から(シネ!)と思ってしまったが、あのときの怨念が彼に祟ったのだろうか。


 ともかく、トオルもちょっと待っててください。カップ麺を食べてから警察を呼ぶから。


 しかし、レイミもトオルも死んでしまった。となると、犯人はカリンかフレッド……いや、2人はそれぞれ別の人間に殺されたのかもしれない。たとえばレイミを殺したのがトオルで、トオルを殺したのがカリンとか……ともかく、それは警察が調べることだ。


 考え事をしている間に、いつの間にか2分が経過した。あと1分。ウキウキしている私の後ろを、誰かが悲鳴を上げながら上から下に通り過ぎた。ドスンという音が響く。


 背後の窓を開けると、アスファルトの上にフレッドがノビていた。3階の窓から落ちたのだろう、おかしな方向に首が曲がっている。こいつも顔とスタイルがいいのをいいことに、レイミとカリンの間をフラフラフラフラしていたのだから、自ら死期を早めたようなものだ。


 私はダイニングチェアに戻った。ダイニングから持ってきた箸を持ち、紙のフタに手をかける。2分50秒経過。


 そのとき、3階から勢いよくドアを開け閉めする音がした。ドスドスと重たい足音が響いて、階段からピエロの覆面をかぶった大男が、右手にナタ、左手にカリンの生首を持って現れた。


 誰だコイツ。まさかの部外者かよ。ドロドロ恋愛ミステリーじゃなくて、スプラッターものだったのか。唖然とする私の手元で、キッチンタイマーが鳴り響いた。


 こちらに向かってくる男に、私はうんざりしながら言った。


「ちょっと待って。カップ麺食べちゃうから」


 フタを開けると、湯気とともに、腐臭にも似た強烈な臭いが立ち上った。


 頭上にナタの刃が閃くのを視界の端にとらえながら、私は一口目を思いきりすすり上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カップ麺インザシェアハウス 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ