第10話 思い出の詰まった宝箱

  トマトの入った袋を抱えて、私たちはゆっくりと帰路につく。

  ジリジリと照りつく太陽はまさに夏の象徴だ。

  隣を歩く葉月さんも、うっすらと額に汗が滲んでいる。


  (そう言えば、桃源郷って年中同じ気温だったよね。今年の現世は特に猛暑になるって話だし、葉月さん大丈夫かな……)

  私が常世に来たばかりの頃、葉月さんは

『もし何か身体に違和感を覚えたら、すぐに私に言っていください。この世界が人の体にどのような影響を及ぼすかわかりません』

 と言っていた。


  だが実際に過ごしてみれば、桃源郷はとても快適な気候だった。

  年中春のような心地よい温かさで、常に晴天。

  対してこちらは、四季がはっきりしており、天気の移り変わりも激しい。

  妖にとって、この世界の環境はあまり良くないのかもしれない。

  (葉月さんが体調を崩さないよう、しっかり気をつけないと)

  私は心の内で頷いた。


  「それにしても、家が綺麗になっていてビックリしました。家を間違えたのかと思って、何度も表札を確認してしまったくらいです」

  そう言いつつ、見えてきた表札を指さす。

  【神崎】と書かれたそれも、家同様ピカピカに磨かれていた。


  「まだまだ序の口ですよ。お部屋もかなり変わりましたから」

  玄関口に置いてあった荷物を持ちながら、葉月さんが茶目っ気たっぷりに笑って見せた。

  因みに、その荷物の持ち主である私は、トマトを運ぶという重要な任務を任されている。


  鍵を開けて、私は玄関に足を踏み入れた。

  ひんやりとした空気は変わらないが、家の中は僅かに檜(ひのき)の香りが漂っている。

  (葉月さんの匂い……。なんかホッとするなぁ)


  一度深呼吸をして、私はリビングへと向かう。

  そして、部屋に入った途端、私は思わず目を見張った。

  真新しい木のテーブルに、お揃いの椅子。

  革張りのソファーは濃い赤色のカバーを被せて、部屋の雰囲気を明るくしている。

  CDや本の収納する棚まで別物だ。

  そんな劇的な変化に、私の脳内ではの有名なBGMと共に

「何と言うことでしょう」

 という台詞セリフが流れてきた。


  「凄いです! たった1週間なのに、ここまでお洒落になるなんて!! 」

  「気に入って貰えたのなら良かったです」

  興奮して声を上げる私に、葉月さんは安堵の表情でそう言った。

  以前私が取り乱したせいで、随分と気を遣わせてしまったようだ。

  少し申し訳なく思いながら、私はそれでも頬を緩ませずにはいられない。


  お風呂場も、トイレも、子供部屋も。

  まるで引越しでもしたかのように、大きく様変わりしている。

  一つ一つ部屋を覗く度、私は驚嘆した。

  そして気づく。

  (……お金大丈夫かな? )


  貴金属買取店で常世の金貨を買い取ってもらったので、私は葉月さんにお金を一切渡す必要がなかった。

  つまり、この家の新しくなった家具は、全て葉月さんのお金で買ったものということになる。

  (半分は私も出さないと)

  元子供部屋だった部屋を眺めつつ、私は出せる金額を脳内で計算していく。


  「結奈さん? どうかなさいましたか? 」

  「ふぁい! 」

  どうやら無意識に難しい顔をしていたらしい。

  考え込んでいる私を、葉月さんが覗き込んでいた。

  「ええっと……その……」

  どう答えれば良いのかとアタフタしていると、何かを察したような顔つきで、葉月さんは手を打った。


  「もしかして、この家の修繕費のことですか? 」

  するりと言い当てられ、私は思わず閉口した。

  葉月さんはこういうときとても鋭い。

  沈黙を肯定と捉えた葉月さんが、にこやかに続ける。

  「大した出費ではありませんし、結奈さんはお気になさらないでください。それに何より、私が勝手にやった事ですから」


  そうは言っても、やはり気が引ける。

  「せめて半分は出させてください」

  そう訴えれば、何故か生活費を割り勘することに収まった。

 ──というより、無理やり葉月さんが収めた。


  「何か他に気になることはありますか? 家具の配置とか」

  尋ねられたその言葉に、私はそっと首を降った。

  十分すぎる出来だ。

  以前来たとき、私はこの家の至る所で両親の息遣いを感じた。

  その事が寂しくて、怖かった。

  だが、辛く儚い思い出は消えたのだ。


  (これなら、過去との踏ん切りをつけられそう)

  愁眉を開く私に、しかし葉月さんは目を伏せた。

  そして、最後の部屋へと足を向ける。

  最後に残った部屋は、両親の寝室だ。

  最も二人の気配を感じる場所。

  そして、最も二人との思い出がある場所。


  ゴクリと喉を鳴らして、私は寝室のドアノブに手をかけた。

  心しかドアがずっしりと重く感じる。

  様々な思いを振り払い、取っ手を握りしめた。

  そして、ゆっくりと扉を開けて──

  「あっ…………」

  私は目の前の光景に、耐えきれず涙した。

  悲しいとか、嬉しいとか、明確な感情ではなく、ただただ込み上げてくる熱いものを雫に変える。


  歪む視界の先にあるのは、溢れんばかりの思い出達。

  両親の使っていたベッドやフットベンチ。

 子供部屋にあったはずの、お気に入りだったぬいぐるみや小学生のときに貰った賞状。

  シェルフの上には、沢山のアルバムが置いてある。


  「葉月さん、これって……」

 涙を拭って見上げれば、優しげな金の瞳とぶつかった。

  「結奈さんは、いい加減吹っ切れないと、とおっしゃいましたが、折り合いをつけなくても良いと思うのです。勿論、辛い思い出だけならば忘れた方が良い。けれど、それだけでは無かったのでしょう? 楽しかったこと、幸せだったこと。それらを忘れる必要はないのです。今は割りきれなくても、いずれ必ず懐かしむときが来ますから。……少なくとも、私はそう信じています」


  葉月さんの言葉は、私の心に深く刻まれていく。

  同じような境遇の彼だからこそ、だろう。

  言葉の重みが違う。

「葉月さん……ありがとうございます」

  私は晴れやかな気持ちで微笑んだ。

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