第9話 お裾分け

 とうとう、待ちに待った夏休み。

 伸びた髪を一つにまとめて、私は上機嫌で出かける準備をしていた。

 大きめのボストンバッグに着替えを詰め込み、キャリーバッグには教材を。

 他にも、お菓子やカードゲームなどなど、思いつくままに放り込む。


 一見旅行の準備に見えるが、実際はただの帰省である。

(やっと葉月さんに会える! 夏休みまで家には来ないで欲しいって言われたから、本当に久しぶりだなぁ)

 綺麗に整えてみせますので! と追い出された私は、それはもう心配になった。


 異世界に来たばかりの頃は、1日過ごすだけで疲弊する。

「早く行かなきゃ」

 く気持ちを原動力に、私は真夏の日差しに飛び込んだ。

 大量の荷物を抱えて。


 そうして実家の門前まで来た私は、あんぐりと口を開けて佇んでいた。

 薄汚れていたブロック塀は白く輝き、荒れ果てた庭は綺麗に整えられている。

 錆び付いていたドアの鍵穴も磨かれてあった。

 なんというか──

「眩しい!! 」

 私は思わずそう叫んでしまった。


 キラキラと星の背景効果が見えてきそうなそれは、1週間前の光景からはとても考えられない。

(たった1週間で、一体何が……)

「結奈さん! 」

 あまりの驚きにフリーズしていた私は、葉月さんの声によって我に返った。

 何故か家の中ではなく、今さっき私が通った道から聞こえる。


 その方向に目を向ければ、袴にたすき姿の葉月さんが此方へ笑顔を向けていた。

 籠いっぱいの野菜を持ち、その隣には知らないおばあちゃんが立っている。

 よく分からないが、傍から見れば仲の良い孫と祖母のようだ。


「葉月さん! ……と、そちらは? 」

 驚いた私は、しかし落ち着いて尋ねる。

「こちらは永野ながの 富子とみこさんです。この近くに住んでいて、農業を営まれているそうです」

 嬉しそうに紹介してくれる葉月さん。

 その隣で富子さんが、はにかんだような笑みを浮かべた。


「ちょうどね、残ったお野菜を家に持ち帰ろうとしていたのよ。そうしたら、この親切なお兄ちゃんが手伝ってくれるって言うものだからね。有難くお願いすることにしたの」

 朗らかに笑う富子さんは、何だか見ていてとても癒される。

「でしたら、私もお手伝いします! 」


 大量の荷物を玄関前に置いて、私は富子さんの抱えていた籠を受け取った。

「あらあら、悪いわねぇ。本当なら息子が手伝ってくれるはずだったのだけど、お仕事が忙しいっていうものだから」

「息子さんがいらっしゃるんですか? 」

 少し寂しそうに言う富子さんに、私は聞いた。


「ええ、そうなの。息子といってもね、もう五十過ぎのおじさんなのよ。丁度あなた達のお父さんくらいかしら? 」

 その言葉に、私と葉月さんは揃って苦笑を返す。

 既に両親が他界しているので、どう返せば良いか分からないのだ。


「息子さんは何をされている方なのですか? 」

 変な空気になる前に、葉月さんが話を変える。

「文筆業……そうね、作家さんって言った方が良いかしら」

「作家さん! かっこいいですね!! 」

 私の言葉に、富子さんは複雑な表情で笑った。

「でも、私としては農業を継いでもらいたかったの。永野家が代々受け継いできた畑だから。勿論、息子のことは誇りに思っているのだけどね」


 母親というのはとても難しい立ち位置なのだろう。

 たとえ家業なるものがあって、継いで欲しいと思っていても、子供の人生を決めてはいけない。

 そして、子供の選択した人生を誤りだと決めつけることもまた、してはいけないのである。

 そこに非人道的な間違いが無い限り。


 他愛のない会話をしつつ歩を進めていけば、一軒の家にたどり着いた。

 かなり年季の入った一戸建てだ。

 玄関に籠を置いたところで、富子さんが野菜を幾らか袋に詰め始めた。

「ここまでありがとうね。これ、少しだけど持って行って頂戴」

 そう言って差し出された袋の中には、熟れたトマトが入っていた。


「わぁ! 良いんですか? こんなに美味しそうなトマト! 」

 私はツヤツヤなトマト達を見て、思わず目を輝かせる。

 そんな私の表情に、富子さんは口元を押さえて笑った。

「勿論よ。お手伝いしてもらったお礼なのだから」


「大したことはしていませんよ。困ったときはお互い様ですから」

「また何かあったら遠慮なく言ってください! 」

 富子さんは、葉月さんと私の言葉に嬉しそうに頷いた。

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