第5話 変わるもの、変わらないもの
渡邉家のランチにお邪魔させてもらい、私達は恐縮しつつも楽しい時間を過ごした。
宮川さんの料理は美味しかったし、何より双子ちゃんが可愛かった。
ヤンチャな時期なのだろう。
葉月さんの着物の袖を引っ張ったり、珍しい髪色に手を伸ばしたり。
はしゃぐ子供の姿というのは、本当に心が癒される。
しかし、人の家に長居をするものでもない。
まだ居て欲しいと愚図る舞花ちゃん達に再訪の約束をして、私と葉月さんは渡邉家を後にした。
勿論、鍵を手にして。
午後の最も賑わう時間帯に、私達は人気の少ない道を歩いていた。
歩を進めるにつれて、道はアスファルトから土へ、ビルやデパートは木々へと変わっていく。
「先程と比べて、この辺りは随分と雰囲気が変わりますね」
辺りを見回しながら、葉月さんがそう呟いた。
「少し桃源郷に似ていますよね。自然が多い所とか」
「そうですね。なんというか、とても落ち着きます」
ジリジリと鳴く蝉の声や、パタパタと飛び立つ鳥の羽音。
自然というのは、どの世界でも心が洗われる。
元々こちらの世界に生きていた私が言うのもなんだが、無性にあちらの世界へ帰りたくなった。
生まれも育ちも桃源郷である葉月さんなら尚更だろう。
ちらりと隣に視線をやれば、疲れた表情の彼が目に入った。
(そうだよね……。慣れない世界は疲れるよね)
経験者は語る、というやつだ。
早く葉月さんを休ませたくて、私は歩調を速めた。
畑がのっぺりと横たわり、小さな山で囲まれた区域に家はあった。
剥がれかけた瓦屋根。
固く閉ざされた開き戸。
ブロック塀の内側の、こぢんまりとした庭。
時の流れは感じるが、それでも懐かしさを覚えずにはいられない。
10年前に両親と暮らしていた家だ。
「ここがあのお二人の住んでいた家……」
こぼれ落ちた言葉は、複雑な声音色をしていた。
私の両親の死に様を目の前で見ていた葉月さんには、どこか思う所があるのだろう。
そんな葉月さんに負けず劣らず、私もたくさんの思いを胸に、この家を見ていた。
郷愁、不安、緊張。
それらを抑え込んで、私は錆びついた鍵穴を回す。
恐る恐る中に入れば、ひんやりとした玄関が迎えてくれた。
そして、懐かしい家の匂い。
──あぁ、帰ってきたんだな。
自然と心が安らぐ感覚に、私はむしろ戸惑いを覚えた。
(おかしいなぁ。もうとっくのとうに、この家は帰る場所ではなくなっているはずなのに)
引き取られる際、必要最低限の物しか持っていかなかったため、家の中は殆ど当時のままだった。
もしかしたら、この気持ちはそのせいかもしれない。
生活感のある部屋に、私は少しずつ心を乱し始めた。
リビングや子供部屋までは、なんとか平常心を保っていた。
ダイニングキッチンもセーフ。
だが、両親の寝室に入ったとき。
私の胸は引き裂かれるような痛みに襲われた。
(本当に……二人は居ないんだね)
見覚えのありすぎる光景は、最早私には毒でしかない。
ぎゅっと胸を抑えて、ズキズキと喉まで伝染する悲しみに耐える。
ふと、白くなるまで握りしめていた私の手が、一回り大きな手に包まれた。
顔をあげれば、気遣わしげに眉を寄せる葉月さんと目が合う。
「大丈夫ですか? 」
そう尋ねられ、私はヘラりと笑みを作った。
「大丈夫です。色々思い出してしまって、少し戸惑っているだけですから」
そっと下を向いて、私は続ける。
「今日は寝る場所だけ確保して、明日は部屋の片付けをしようと思います。いい加減、吹っ切れないと」
いつまでも過去に囚われていてはいけない。
そう言った私と両親の寝室を見比べて、葉月さんは何かを思案する顔になった。
やがて、それは決心のついた表情に変わる。
「結奈さん。家の修繕と片付けは、私に任せて貰えませんか? 」
「……え? 」
予想外の申し出に、私は思わず目をパチクリさせてしまった。
確かに力仕事は手伝ってもらおうと思っていたが、片付けまでさせるのは申し訳ない。
しかし、葉月さんからの提案だ。
何か考えがあるのかもしれない。
どう答えるべきか迷う私に、葉月さんは真面目な顔で向き直った。
「私は住む場所を貸してもらう身です。せめて、家の事くらいやらせて下さい。それに、結奈さんは大学に行かなければならないのですから。そんなあなたの学ぶ機会を、私は奪いたくはありません。ここのことは任せて、結奈さんは貴重な大学生活を過ごすべきです」
そう言った葉月さんは、師匠の顔をしていた。
確かに葉月さんの言うことは正しい。
1ヶ月も授業に参加していない私は、正直単位が危うい。
これ以上休めば、遅れを取り戻すことも困難になるだろう。
(本当はそばに居たいんだけど……こればかりはどうしようも無いよね)
こうして、大学が夏休みに入るまでの1週間、家のことは葉月さんに一任することとなった。
ちなみに、勉強道具一式がアパートにある私は、手続きが終わるまでアパート暮しである。
──現実はそう簡単に上手くいかない。
二人暮しを楽しみにしていた私は、お預けをくらった犬のような気持ちで家をあとにした。
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