彼とプロテインと私

K

彼とプロテインと私

彼は少し頭がおかしいと思う。


部活以外の時も隙あらば筋トレをしてプロテインばかり飲んでるし、

歩くよりも走っている事の方が多い気がする。

何かあるとすぐに無茶苦茶な根性論が飛び出してきて

正直ちょっと引く時もあるし、極めつけはコレだ。


「今週末、一緒にプロレス観に行かねーか?」


簡単な自己紹介をすると、私は彼にとって、

高校3年間でロクに話した事もない見ず知らずの女子だ。

それをプロレスに誘うとは。女友達を牛丼屋に誘うなんて次元じゃない。

何を考えてるんだ。正気か。


「…行く!行きます!!」


全ての疑問符を飲み込み、私は二つ返事でOKをした。

彼の事を簡単に紹介すると、私の好きな人だからだ。

彼からの誘いなら、場所がどこであろうと返事は決して変わらないので、

何をどう突っ込もうと無駄なのである。









約束はしたものの意味が分からず理解も出来ず、

私は当日まで躁鬱を繰り返す事になった。


冷静に考えると、彼はスポーツ推薦で進路が決まっているから暇を持て余し、

附属大学への進路が決まっていて同じく退屈そうな私を、

お互い受験戦争から疎開している身の仲間意識で

なんとなく誘っただけだろう。


けれど、もし万が一にもデートのお誘いだったらどうしよう?!


と、つい期待して迂闊な妄想を繰り返し、

気付けば布団でひとりプロレス状態で発狂する日々が続いた。

その淡い下心は、当日会場に着いて早々、見事に打ち砕かれたのだけれど…


「今日の試合な、金網デスマッチなんだよ!すげーだろ、あの金網!」


完全にK・Oだ。

終わった。


プロレスなら観戦デートでもアリかな?と思うけど、

デスマッチはない。

突然のデスマッチは絶対にデートのお誘いではない。


彼には気付かれない様に小さく溜息をついた後、

私はリング中央に置かれた金網を眺めて、

校庭のフェンス越しにいつも見つめていた彼の姿を思い起こしていた。


最初に練習を見に行ったのは入学したばかりの頃、

友人が他の派手な選手目当てで覗きに行くというので

ちょっと付き添っただけだった。


彼は決して目立つ選手ではなかったけれど、

私の目は自然と彼に吸い寄せられていったのを、今でもハッキリと覚えている。


ストイックな人なんだというのは、パッと見ただけで誰でも分かるだろう。

ろくに休憩も取らずひたすら練習をする彼の真摯な姿は、

ハッキリ言って異常なレベルだ。

そういう雰囲気の人って、部活動に1人はいる気がする。


けれど彼は少し他の部活動の1人とは違っていた。

大抵そういうタイプの人からは誰かを見返したい、誰かに認められたい、

そういう執念の様な重いオーラを感じる事が多い気がするけれど、

彼の目にはそれが一切なかったのだ。彼の目は、限りなく透明だった。


ただひたすら自分とだけ戦い、努力家で、

いつも泥まみれになっている彼の事を、私は誰よりも綺麗だと思った。


それ以来、まったくもって目が離せないのである。


私の目は彼に奪われてしまった。


空気をかき鳴らすかの様に響く彼の声に耳を奪われ、

尖った短髪から滴る汗を拭い、唇を硬く結ぶ彼の仕草には心を奪われた。


彼の全てが愛おしくて、この気持ちをどうすれば良いか分からなくて、

遂に私は、伝える言葉すら失ってしまったのだ。


私はただ、彼の事が大好きだというだけの生き物だ。


「あの選手、俺すっげー好きなんだよ!

 どんなに傷付いてもさ、呼んだら絶対に立ち上がってくれんだ。

 そういう身体だけじゃねぇ心の強さって、やっぱ大事だよな」


彼はきっと、そういう強い女の子が好きなんだろうな、と

心に少しだけ苦味が広がる。


好きなプロレスラーの話を聞いて好みのタイプに結び付けるのは

流石にどうなんだって我ながら思うものの、

青空みたいに澄んだ彼には、

太陽の様に輝く女性が良く似合うとやはり思ってしまうのだ。


彼は黙って見ているだけの、お姫様気取りになんて興味はないだろう。

だって彼には、王子様なんて似合わないんだから。


彼を例えるならば、絶対に騎士だ。

ちょっと頭がおかしいから、下手したら狂戦士かもしれない。

だからきっと、背中合わせで戦える様な人が相応しいに決まってる。


彼は選手に熱い声援を送りながらも、

私にプロレスの事をこまめに説明してくれた。

そんな優しい彼と一緒にいる瞬間まで、

グチグチとこんな事を考えている自分が私は大嫌いだ。

私に好かれて可哀想だな、と彼に心から同情する。


だけど私なんかの愛情を一身に受けたとしても、

絶対に気付かなさそうな彼だからこそ、

私は安心して全力でずっと大好きでいられたのだ。


声に出さない限り、

この気持ちが決して伝わる事がないのは分かり切っているから。

彼が鈍感で本当に良かった。


カンカンカンッとけたたましく、勝敗を告げるゴングが鳴った。

その響きを聴いた瞬間、

私の3年間がとうとう幕を閉じた気がする。


今日の約束は一体なんだったのだろうかと今週中ずっと考えていたけれど、

やっと分かった。


何の取り柄もないけれど彼の3年間を見届ける事だけはキッチリした私へ、

神様からのログインボーナスみたいなものだったんだ。









「いや〜熱かったな今日の試合!

一瞬どうなるかと思ったけど、勝ってくれて本当に良かったぜ!」


そう言いながら無邪気にはしゃいでいる彼の笑顔は本当に可愛い。

結婚して欲しい。


さっき終了したんじゃなかったんかいってセルフツッコミをしつつ、

彼の横顔を眺める。


きっとこんな距離で彼を見れるのは最初で最後だろう。拝むなら今のうちだ。

この距離ならまつ毛の束すら良く見える。


結構長いんだなぁ。

つり目のラインに寄り添う流れが、瞬きをする度に揺れて麦畑みたいだ。

素朴なのに、とっても綺麗……


「なぁ、なんでそんなに見るんだ?」


「!!!え…えっと、特に深い意味は……」


しまった、流石にこの距離でのガン見は相手にバレる。


まつ毛を数えてみようかしらとか

気持ち悪い事を考え始めていたなんて絶対に言えない。

私は慌てて視線を逸らしたけれど、もう手遅れだ。


「お前って、ほんと俺の事を見てんの好きだよな。

ずっと思ってたんだけどさ、一体何が面白い訳?」


「それは………って、え?!」


「何をそんなに驚いてんだよ」


「え?!だって、え?ずっと…て…?」


「だから、ずっと見てただろ?俺の事」


「!!!!!気付いてたの?!?!」


「え、3年間あんだけガン見しててバレてないと思ってたのお前?

ちょっとおかしいんじゃねぇか……?」


彼にだけは言われたくない事を言われてしまった。

が、今はそれどころじゃない。


バレていたというのだろうか。


確かにフェンスなんて相手側からも見える。当たり前だ。

けれど私にとってはマジックミラーみたいなもので、

こちら側は絶対に安全だと確信していたのだ。


私は彼の目が大好きだったから、

そんな彼の目に自分が映るなんて事は考えもしなかった。


というか気付いてたならもっと早く言って欲しい。

気持ち悪くなかったのかな、メンタルが強いにも程がある。


「大体、ちょくちょく目が合ったりしてただろ」


「…あー………」


目が合ってる気がする。

もうそうとしか思えない、それも何度も。


その発想が恐ろしくて私は精神科の受診を何度も真剣に検討したものだけれど、

本当に合ってたんだアレ。世の中全てが勘違いって訳じゃないんだな。


「まぁ、理由なんてどうでも良いんだけどよ」


「…あはは!そうだよね、なんかごめんね!」


問い詰められなくて安心したのと、

やっぱりどうでも良いと思われているという

分かり切った失望が、私の心を空っぽにする。


もう辺りは大分暗くなってきたし、身体も冷えてきた。

私は寒いから温めてるんですというフリをして、両手を握る。

そうしていないと、辛くて怖くて立っていられなくなりそうだ。


「…なんで謝るんだ?」


「いやだって、嫌な気分にさせちゃったかと思って…」


「俺、ちゃんと礼が言いたかったんだけど」


「え……?」


「理由なんて何でも良いんだ。

ただ、3年間ずっと俺の事を見届けてくれてありがとな」


そう言うと彼は、私に向かって深々とお辞儀をした。

流石は体育会系というべきか、完璧な弧を描く美しいお辞儀。


その仕草はとても綺麗だったけれど、

ストーカーまがいの事をされて怒るどころかお辞儀をするなんて、

やっぱりこの人は頭がおかしい。


予想外の事に呆然としてしまい、

お辞儀している彼のツムジをただただ見つめていたら、

顔を上げた彼と完全に目が合ってしまった。


真っ直ぐな瞳。眩しいのに、目が逸らせない。


「知ってると思うけど、

俺は別に才能がある訳じゃねえし、人一倍努力するしかなくて。

それでも届かない事だって多かったしよ。

正直、たまに投げ出してぇなって思う時だってあった」


……知ってる。

いつも上を見ている彼の目に、ふと影がさす瞬間。

私は彼に全てを与えなかった神様を呪った。


「大雨の日とか、雪の日とかは練習ダルいなって正直思ったし」


知ってる。

あの大雨の中でランニングとか正気を疑ったし、

雪なんて負荷が掛かって喜んでるんじゃって思ったけど、

ちゃんとダルかったんだね。


まぁ、そんな日でも欠かさずに見に行った私も大概だと思うし、

彼を見れるならダルいとすら思わなかった私の方が

よっぽど正気じゃなかったかもしれない。


「真夏は何度も意識が遠のいたし、

正直このまま倒れた方が楽なんじゃねぇかって思ったよ」


知ってる。

倒れたら絶対に勇気を出して一目散に駆け寄ろうと

何度もシュミレートしてたけど、

結局彼は1度も倒れなかった。私の妄想損だった。


「いつだって、お前が見てるって分かってたから、踏ん張れたよ」


脳内を駆け抜けていく、春夏秋冬。


私は冬になれば雪に残った彼の足跡を思い出し、

夏になれば日に透かした彼の髪越しに太陽を見るだろう。


それはきっと、卒業して彼に会えなくなっても季節が巡る度に脳内を過ぎる。

気付けば彼は、私にとって四季そのものだ。


「本当は、最後の試合でキッチリ勝ってお前に伝えたかったんだ」


冬の透明な空気に突然、夏が立ち篭め、むせ返る。

もう辺りは暗いのに、太陽が見えた気がした。


その光と共に思い出がフラッシュバックする。

あの日。彼が負けた夏の終わり。


「だせぇよな本当、泣かせてわりぃ」


私は込み上げてくるものをどうにかしようと、握っていた両手で胸元を抑えた。


3年最後の試合で負けても、彼は決して泣かなかった。


絶対に辛くない訳なんてないのに、

代わりに私の心が傷めばいいのにと願ったけど、

結局は彼の為に何も出来ない自分が悲しくて、私は泣いた。


何もしていない私が、彼を差し置いて泣いてしまった。


そんな自分が嫌で、もう泣かないと決めたのだ。

だから絶対に、二度と涙は流さない。


「…でも、ありがとな。お前が俺の分まで泣いてくれて、救われたんだ。

 ま、本当は笑顔にするつもりだったんだけどよ!

 お前、俺が勝つとすっげぇ笑顔でこっち見てくるから、

 いつも嬉しかったんだぜ」


そんな事を言われたら泣いちゃうからやめて欲しい。

そしてあの締まりのない満面の笑みを見られてたと思うと死にたい。


もう色んな感情がグチャグチャで消えてしまいそうだ。

そんな私を繋ぎ止めるかの様に、彼の手が私の頭に触れた。


少しガサガサした感触の、温かい手。

顔は幼い方だよな、と思っていたのに、

手の感触は完全に男の人みたいで、なんだかソワソワしてしまう。


「次は絶対に勝つから。

 だからさ、卒業しても、たまには俺の試合を見に来てくれねぇかな」


そんな事を重い女に言うと、

一生付きまとわれるから気を付けた方が良いよ。

そう忠告したくなったけど、逃げられたら困るのでやめた。

その代わり私は、彼にキチンと自分の正直な気持ちを


「……ックシュン!!」


……伝える前に、クシャミをしてしまった。

少し頭がおかしい。

もう彼の事をどうこう言えない。


本格的に冷え込んできたとはいえ、このタイミングで出るのかクシャミ。

おのれ12月。

しかもその勢いで、せっかく撫でてくれていた手まで離れてしまった。

痛恨だ。


「わりぃ、寒いか?」


「うん、少しだけ…」


もうこうなってしまったら、

本当に寒いんですという方向でクシャミの恥をかき消すしかない。

私は若干大袈裟に、凍えたようなジェスチャーをした。


「よし!じゃあ、走るか!」


「……え?!」


やっぱり彼だって少し頭がおかしい。

普通こういう時って上着を貸してくれたり、

抱き寄せてくれたりするものじゃないの。


どうして体を動かして暖を取るのか。


でも、そういうズレてる所がやっぱり好きだなぁと思った。


彼は大抵の事では動じない。

私に好かれた位じゃビクともしないのだ。

ウジウジと重たい臆病な私でも、

彼と一緒なら、虹の向こう側まで走っていける気がする。


「……これからもずっと、同じ景色を見ていきたいな」


3年間、ずっと私は彼の姿を見つめてきた。


応援席のどの角度から見る彼だって全て覚えてる。


試合会場の先々で見かけた花の色彩や輪郭は鮮やかに思い浮かぶし、

教室もグラウンドも、

彼の走っていた軌道をどこでだってハッキリと追える。


全部私だけの目に残った、ひとりぼっちの景色だと思っていたけれど。


もし彼の目にも、同じ景色が見えていたのなら。

そこに私も映っていたのなら。


それは2人の世界ということにならないだろうか。


「…………」


つい思い出に浸っていたけれど、

彼から返事がない事に気が付いて、慌てて顔を上げる。


ウッカリ恥ずかしい事を言ってしまった。

ドン引きされているかもしれないと、思ったのだけれど。


「あれ? 顔、真っ赤……」


「いや、なんか、俺も今日そう思って、

 お前とプロレスを見たかったっつーか……


 いつも俺の事を見てくれてたからよ、

 今度は俺の好きなもんを見せたくて……


 もっと色んな景色を一緒に…… って、あぁぁ!!


 何言ってんのか良く分かんなくなってきた!

 熱い! 走るぞ!!!」


熱いのに走るってどういう事なのかなと軽くツッコミつつ、

私は駆け出した彼の背中を見つめる。


細身なのに肩幅はしっかりとした、少しだけ広い背中。

私なんかに好かれたって、

ビクともしないだろうと思っていたけれど。


意外と吹けば飛ぶのかな?

もしかして、案外弱かったりしちゃう??


「おい、早くしろよ!」


もう顔色が確認出来ない距離になってから、

彼はこちらを振り返り待っててくれた。


大好きな彼の目には今、私が映っているのだろう。


それならば。


私だって何も出来ないままじゃなく、

頑張っていきたいなと、心から思えた。


見ていてくれるなら、頑張れる。


彼がありがとうと言ってくれた意味が、少しだけ分かった気がした。


私の3年間は間違いじゃなかったんだ。


これからの為に、きっと必要な時間だった。


私はとりあえず、

彼がまた逃げても追いかけて背中に飛びつける様に、


明日から毎日筋トレしてプロテインを飲もうと思った。

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彼とプロテインと私 K @Ka-mi

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