第4話 予想せぬ闖入者

 足音も軽く比留間邸のロビーに戻ってきた美登利に茜は聞いた。

「美登利ちゃん、どういうつもり?気でも狂った?」

「だって、こんな嫌な天気の日に親切にしてもらったのに。本当にうれしかったのよ」

 口を尖らせて反論する長姉に藍子が聞いた。

「さっきの女の子、県の職員なの?」

「そう、いまどきめずらしい控えめなお嬢さん。あまり詳しいことは言いたがらなかったわ。警戒心が強いのね」


「あの娘の名前をもう一度教えて」茜は鼻から息を吹きこぼしながら言った。みずるに対し、冷静ではいられない様子をしている。

「ええっとね、わけさん、だったはず」

「わけ。あまりない名字ね、おかしいな」

「そう?実はね、お母さんが瀬戸さんの奥さんと仲良くていらして、お互い顔は知っていても長く話をしたことはなかったの。とても親切な方って瀬戸さんは言ってらしたけど、本当だったわ。まあ、お嬢さんはあまり愛想のある娘じゃないわね。でも、大人しそうなのに真っ黒のトラックみたいな車に乗っているのよ、見かけによらない」

「わきのの間違いじゃない、きっとそう」

「それはないと思うのだけど」

「いえ、脇野の聞き間違いだと思う。県の職員よね。前に教育委員会にいたはずよ」

「そう?それも聞かなかったなあ。議会の担当だった経験はあるみたいよ、瀬戸さんの奥様によると。ほらあの人、義理のお兄さんが議員だったでしょ」

「いいや、ぜったいあたしの再任用をパアにした当事者。きっとそうだ」

 とにかく落ち着こう、という藍子の主張で、三人は沸かした湯をつかって紅茶を飲むことにした。陶器のポットに紅茶を淹れて、カップにミルクと一緒に注ぐ。

「前にもこんな顔をして三人でお茶をのまなかった?」

「それはもう、昔のことよ」

「7、8年前ね。それほど昔でもない」


 するとまた、玄関のチャイムが鳴った。

「今日ほど来客にぎょっとする日はないわ」藍子が座ったまま言った。立ち上がる気はないらしい。

「仕方ないじゃない。世間は平日なんだし」美登利がひとり、玄関へと向かった。しばらくすると、

「あらー、どうしたの」という声が聞こえた。

 

 藍子と茜がおっとり刀で駆けつけると、さっきの和気という女がペコペコと頭を下げていた。見ると、かたわらに小さな女の子を連れている。

 歳は4、5歳というところか。水色のナイロン製パーカーを羽織って長靴を履き、手には黄色い傘を持っているが、髪の毛は乱れっぱなしだ。

「うーん。ごめんなさいね。心当たりはないなあ」

 美登利が気の毒そうな顔をして、首をひねって見せた。

「そうですよね」

 みずるは、脚の痛みを我慢しながら腰をかがめ、女の子と目線を合わせて言い聞かせるように話した。

「このおうちに住んでいる人も、知らないっておっしゃるの。だから、お姉ちゃんと一緒に、探してくれる人のいるところに、行こう」

 女の子は、みずるをじっと見つめたまま、黙っている。おでこが広く、うっすら日焼けしている。目鼻立ちは整っているが、少し感情に乏しそうに見えた。


 茜が美登利の肘をつかんでささやいた。

「なんであいつ、戻ってきたの。それに子連れなんて、どうなってるのよ」

「それがね、隣の公園にいた迷子みたい」のんびりした口調で美登利が答えた。

「公園まで連れてきた人がいて、そこで待っているよう言ったらしくて、頑として動かないんだって。ほら、あそこは雨宿りする場所はいっぱいあるから」

「でも、ここに来てるじゃない」

「うん。どうやらその人、いつかここがお家になるよって、我が家を教えていたそうよ。いい子にしていたら、おかあさんと一緒にこのお屋敷で暮らせるようになるとかなんとか。ああ、ずいぶん昔、そんなこと我が子に教えていた夫婦がいたわねえ。詐欺で手が後ろに回ったけど。あの子供、どうしたかしら」

「なによ、それ」


 二人の会話が耳に入ったのか、またみずるが謝った。「申し訳ありません、少しだけ待ってください」

 そしてまた少女に向き直って、

「ねえ、ユイちゃん。ずっとあそこにいたのよね、服は濡れてない大丈夫って言ってたけど、湿気てしまっていると思うの。とりあえず、着替えのできるところに行こう。それで何か食べて、また元気を出して、おじさんを探せばいいのよ。おじさんに会いたいでしょうけど、ちょっとだけ待ってね」とみずるが言うと、ユイという少女はうーんという感じで首をかしげた。「どっちでも」

「あら、そうなの」

「でもね、タッちゃんの言う通りすれば、お母さんとまた一緒に暮らせるの。タッちゃんは、いなくてもいい」


 二人の会話を耳にした藍子の顔が、これまでになく険しくなった。

「どうも、事情があるみたいね。とにかく、お姉ちゃんの車に乗って、警察に行こう。お姉ちゃん、本部には知り合いがたくさんいるの」

 今度は茜と美登利の表情が固くなった。

 すると、ユイが盛大なくしゃみをした。そして、「おしっこに行っていい?」聞いた。

「ああ、ごめんね」みずるが気の回らなかったのをユイに謝ってから、美登利にまた頭を下げた。

「大変図々しいお願いですが、お手洗いと、洗面所をお貸しいただけますか」

 藍子と茜が忙しく視線をやりとりしたが、

「わかりました」美登利は平然と言った。「ただしバスタブは壊れて修理中ですから、決して近寄らないように。子供だと怪我の恐れがありますから。洗面にはドライヤーもあります」

「はい、もちろんです。洗面台とドライヤーをお貸しいただくだけで十分です」

 


 部屋に通した直後は、内心の読めない顔つきをしてみずるを恐縮させた美登利だったが、小さなユイの相手は悪い気がしないらしく、いそいそと動き回っている。

 二階から、残念ながら子供に合うような服はない、との声がした。

「はい、かまいません。お気遣いいただきまして」

 ユイはいま、トイレに籠っている。

 それを待つみずるは、薄暗く、がらんとした空間に取り残されている。

 妹だという年配女性二人に会釈したが、遠巻きにして近づいてこない。とりわけ、高校教師だったという大柄な末妹は、関心のないふりをして、みずるをしつこく観察しているのがわかった。

(なんか、気まずさ全開。とっとと出よう)

 ただ、興味がないわけではないので、これ幸いと家をこっそり観察した。


 旧比留間邸は、美登利本人が言っていた通り、昔の邸宅を「ぶったぎった」構造だった。

 みずるがいるのは、一階正面の奥にある応接室である。ただし、手前のホールとのくぎりはない。過剰な装飾はなく、内装は白い壁に木をアクセントにして、全体にシンプルだった。

 椅子と小さなテーブル、そしてゴロ寝にちょうど良さそうなソファーが置いてあるが、彼女は遠慮して横にあった籐のスツールに腰をかけている。

 ソファの後ろにはサイドボードや小さな書棚があり、テレビも置いてある。実質は居間として使われているようだ。

 応接スペースの手前には玄関ロビーが広がり、右手には二階へ上がる階段があった。そしてロビーの上空はそのまま吹き抜けになっている。

 本来、玄関から入った来客はいったんロビーで足を止め、応接で短く休憩してからその後それぞれ目的の部屋に移動することになっていたようだ。

 

 ロビーの左右にある廊下は、往時は別棟につながっていて、ゲストルームや大食堂などさまざまな部屋へと移動できたはずだが、いまではバッサリとその先がなくなってしまっている。現在では一階の向かって右奥はキッチン、左奥にはユイのいるトイレとバスルームがあるだけだ。老女たちはロビーと応接からなる居間、キッチンとトイレ・バスルーム、そして2階に残った寝室だけで暮らしているらしい。みずるは、顔だけが大きいマンガのキャラクターを連想してしまった。

 とはいえ、各部屋の広さや天井の高さは、一般的な住宅とはレベルの違う贅沢さであり、

(エアコンだって効かなそうだし、維持費もバカにならないだろうなあ)

 と、ついつい感じいってしまう。


 みずるは雨の音のする窓に目をやった。そこからは雨の降り続く中庭が見えている。かつては美しい芝生であったであろう庭は、いまでは見事に花壇と家庭菜園となっている。だが、そこにただよう生活感は、決して嫌なものではなく、むしろ微笑ましい。

 しかし、この家の奥に入って以来、みずるはそれとは違った、表現のし難い雰囲気を感じ続けていた。

 気圧のせいではないようだし、初対面の小さな子供をつれて他人の家にあがりこんだ緊張感とも違うようだ。

 違和感としかいいようがない。

 まさかこれが犯罪捜査によって開発された勘というやつではないだろうな。みずるは半信半疑で考え続けている。

 (この家はおかしいのか、わたしがおかしいのか)


 自分に正直になってかえりみると、みずるの心の中にある警報が、風呂の湧いたのを知らせる給湯器ぐらいのボリュームでさっきから鳴り続けている。

 二人の妹の冷たく無遠慮な視線を避けつつ、みずるはその原因をざっとサーチしてみた。

 まず、におい。最初に来たときも感じたが、このロビーは特に気になる。

 これだけ雨が降っていれば、古びて換気や排水の悪い家なら、どこも少しぐらい気になる匂いはあるのかもしれない。

 しかし、みずるが気になるのは、湿気たホコリのにおいより、洗剤や消毒薬のような化学薬品の匂いであり、そしてそれに混じった、なんとも不安になる「生臭い」においだった。 

 捜査に関わってはいても、事件発生直後の事件現場に入ることはめったにない。事件現場のにおいなんて正直よくわからない。だから心の内側で叫んだ。

(きっと気のせい。そうであってくれ!)

 ビビり屋を自認するみずるにとって、この手のシュチュエーションは映画だけにしてほしいところだった。

 心霊ビデオのように、なにげなく椅子の下をのぞいて、人の顔でもあったりしたら、大変ではないか。


 しかし、彼女はつい、むき出しとなったロビーの床をじっと見てしまった。ラグ一枚ない。これにも違和感がある。

 さらに彼女はついつい、ほこりについた家具の跡、サイドボードの下などを目だけを動かして探ってしまった。

 ぎょっとした。

 なにか落ちている。白い小石のような物体だ。

(まさか、歯……)首筋にぞわっとした感覚が広がった。

 そんな、馬鹿なこと、と思いつつ顔をあげると、女子槍投げ選手風体型をした三女が腕組みをし、こっちにらんでいる。  

 その場を治めようと、気弱そうな笑顔をみずるは浮かべた。

 宇藤木を連れてくればよかった。彼ならこんな気まずい睨み合いにひけをとったりはしないし、それこそすっくと立ってロビーを一回りし、犯罪の有無を判定してしまうだろう。


(いかんいかん)みずるは、頭を振ってこめかみを揉んだ。

 これはきっと、血生臭い話が当たり前になってしまったがための、思考の短絡化だ。なんでも事件に結び付けてしまう。

 先日、母親が見ていたコロンボ刑事も、あたしはなんでも殺人事件に結びつけちゃう、と自嘲していたではないか。もちろんドラマでは、その危惧は当たっていたわけであるが。

「まあ、具合でも悪いの。風邪でもひいた?」バスタオルを持って戻ってきた美登利が、みずるのしかめ面を前に言った。

「いえ、大丈夫です。あの、ユイちゃんは」聞くと、すぐ小さな足音がして白い顔がのぞいた。

 みずるを見て、うれしそうに微笑んだ。みずるも笑顔でうなずいた。「では、洗面台をお貸りします。すぐにすみますので」


「どうしよう、どうするの」みずるとユイ、そして美登利がバスルームに消えると、たまりかねたように藍子が言った。

「美登利ちゃんなら、さらっとごまかすんじゃない?下手に私たちが動くと、それこそ藪蛇よ。でも」

 楽観的な意見を表明しつつも、茜は不機嫌な顔になっている。

「だけどあいつは、思いっきり気に入らない。因縁つけて、ここで始末しちゃいたいぐらいよ」

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