第3話 奪われし屹立

 バイト先のコンビニに向かう道すがら。

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 やかましい声が横から飛ぶ。

 一瞥すると案の定、金髪の天使が浮かんでいた。

「待たない。このままだと遅刻する」

 視線は合わさず、さっき言った台詞を再び浴びせた。

「この地上に危険が迫っているんです!! 私と一緒に戦ってください!!」

「病院に行ったほうがいいんじゃないか? ほら、あっちに……」

「精神異常者扱いしないでください!! 私は本気で言ってるんです」

 赤信号に捕まると同時に俺は深い溜め息をついた。

「あのなあ。周りを見てみろよ、平和そのものじゃないか」

 横に流れていく車。

 道を急ぐ学生にサラリーマン。

 街頭ビジョンからは派手なミュージックビデオ。

 俺の住む街。大波町の見慣れた風景だった。

「何も心配することはない。はやく天界とやらに帰れ」

「か、帰れって言われても……」

 今まで威勢の良かったラブラが口ごもる。

 俯いて下唇を噛み締めていた。

「帰っても、私が役に立てることはありません……」

「ふーん」

「天界は今、二つの派閥に別れて争っている最中です」

 なんか説明が始まっちゃったぞ……。

 ちょうど信号が変わってくれたので無視して歩き出す。

「私は守護派に属する天使で……ってちょちょちょ!!」

 気づいたラブラが慌てて追ってきた。

「重要なお話しますよ~って雰囲気出てましたよね? なんで無視するんですか!?」

「……」

「あーっ!! ついに完全無視を決め込む気ですね、このクソ人間!!」

 一気に口調が荒くなった。

「いいですよ、じゃあ根比べといきましょうか。私はお喋りが大好きですからね、ええ」

「……」

「翔太郎が汗水垂らして働いている間もずう~っと喋り続けますよ?」

「……」

「良かったですね、ラブラちゃんの激カワボイスをお供に労働できるなんて!!」

 イラッとした俺は手を伸ばしラブラの両頬をつねった。

「いひゃひゃひゃひゃ!! いひゃい、いひゃいです~!!」

 もっちりとした柔らかい感触を楽しみながら、天使の碧眼を睨む。

「わかった。いいだろう、真面目にお前の用件を聞いてやる」

「ほ、ほんひょれふか」

「手短にな」

 このままでは仕事に支障をきたす。致し方ない。

 聞くだけ聞いたら隙を見て逃げ出そう。

 進路を変えて人気のない公園に。

「そう言えばお前……他の人には見えてないのか?」

 ベンチに座りながら問いかける。

 アパートを出てから沢山の人とすれ違ったが、誰一人としてこの目立つ存在に注目していなかった。

「そうですよ。今は翔太郎にしか見ることを許可していません」

「ということは……周りには独りでブツブツ呟いてるように見えてたのか、俺……」

 まるで変質者じゃん。

「天使を無視した罰ですよこれは。甘んじて変人の汚名を受けなさい」

「偉そうにしやがって……おい、さっさと用件を言え」

 促すと、何故かラブラは俺の隣に座った。

 ふわっと香るいい匂いが鼻孔をくすぐる。

「なぜ横に座る」

「羽休めです。ふう……」

 疲れた息を吐き出して、ラブラが地面をじっと見つめる。

 その視線の先に彼女の人差し指が突き立った。

「翔太郎たちは知らないでしょうけど……この地上には魔封結界というものが張られています」

「なんじゃそれ……」

「悪魔を魔界に封じ込める壁ですよ」

 天使の次は悪魔か……うんざりしてきて俺は頭をかいた。

「これがあるおかげで、地上は悪魔の侵攻を受けずに済んでるんです。えへん」

 誇らしげに胸を張るラブラだが、俺にはいまいちピンとこなかった。

「でも今、この結界に綻びが生じてしまいまして……」

「だったら貼り直せばいいんじゃないか?」

 耳穴に小指を突っ込みながら言うと、ラブラがムッと頬を膨らませた。

「それができるなら苦労しませんーっ!! 魔封結界は、最上級天使がその身を犠牲にして作ったんですよ!!」

 俺を指差して怒鳴りつける。

「その尊き御心によって生かされている自覚があるんですか、翔太郎!!」

「今知ったばっかりなのに、そんなのあるわけないだろ……それで? その結界が破れるとまずいのか?」

 説教が始まりそうだったので先を促す。

「むっ……そりゃまずいに決まってるでしょう。悪魔がまた地上に溢れるんですから」

 ラブラの真剣な眼差しが俺を射抜く。

 なんだか嫌な予感がした。

「二十年前と同じく……聖鎧エクスタシオンを纏う勇者が必要です。翔太郎、あなたにならそれができる」

 予感が的中してしまう。

「ええ~……」

「私と一緒にこの地上を守りましょう!! さあ、はやく力の継承を……」

 俺の両手を握って勝手に盛り上がるラブラ。その双眸は爛々と輝いている。

「ちょっと待て待て待て!! 勇者なんて俺はやらんぞ」

「だ、駄目です!! 絶対にやってもらいますよ、もう他の適格者を探す時間は残されていません!!」

 両手を振り払おうとするが、ものすごい力でしがみついてくる。

 あまりの必死さに少し恐怖を感じた。

「そもそもなんで俺なんだ……どこにでもいる普通のフリーターだぞ」

「エクスタシオンを纏うには、高い生命力がいるんです!! 色々飛び回って探しましたが……」

 そこで言葉を切り、顔を近づけてくる。

「今朝感じた生命エネルギーが一番すごかった……あなたしかいません、貫田翔太郎!!」

「ええい、離せ!!」

「あだっ!!」

 頭突きをかましてようやく引き離す。

「い、いたい……うぅ……」

「お前の用件は以上だな? 約束通りたしかに聞いたぞ、じゃあな」

 おでこを擦りながら座り込むラブラ。それに背を向け歩き出す。

 俺が勇者だと? 冗談じゃない……。

 平穏無事に過ごし、日々のオナニーを楽しむ。それが俺の望みだ。

 さあ、さっさと仕事を終わらせて、帰ってオナニーでもしよう。今度は何のオカズで抜こうかな……。

「おりゃーっ!!」

 掛け声と共に背中へ衝撃が走った。受け止めきれずうつ伏せで地面に倒れる。

 首を後ろに向けるとラブラがしがみついていた。

「こ、このクソ天使……しつこいぞ」

「ふふ、ふ……逃がしませんよ、翔太郎……」

 その目は光を失い据わっていた。

「できれば、この手だけは使いたくありませんでしたが……この私に選ばれたという栄光を愚かにも拒むというのであれば、仕方ありませんね」

「ふん。何をされようがお前なんぞに従う義理はないぞ」

「そういう偉そうな物言いが出来るのも今のうちですよ……はああああっ!!」

 叫ぶと、ラブラの頭上の輪っかが輝き始めた。

 俺の本能が脳に警鐘を鳴らす。よくわからないが、これはやばい。

「このっ、離れろ」

 容赦なく肘打ちをぶちかます。

「あだ!! お、女の子になんてエグい攻撃を……」

「黙れこのオナニー覗きの変態天使が!! オラっ、死ね!!」

「こ、こいつ……もう完全に迷いは晴れました!! 受けなさい、天罰七十二式――」

 輪状の光が一瞬膨らみ、

「ぼっ……勃起封じぃぃいいいい!!」

 ヤケクソ気味なラブラの雄叫びと同時に、弾けた。



 白一色に染まった視界に、他の色が戻る。

 天使の輪から溢れた光が収まったのだ。

「クソっ、目がチカチカする……」

 額を押さえて立ち上がった。

 振り返ると、両手で顔を覆ったラブラがへたり込んでいる。

「あうぅぅ……わた、わたし、なんて破廉恥な言葉を……」

「おい。ラブラ、お前……」

「でもでも、翔太郎にはこの天罰が一番効果ありそうだし、しょうがないよね……」

 金髪を左右に振り乱して、何やらブツブツ言っている。

「聞いてんのかこのクソ天使……おい、コラ立て!!」

 胸ぐらをつかんで強制的に立たせる。

「ぎゃ、ぎゃふっ……ちょ、苦しいです……」

「お前……俺に何をした。言え」

 鼻先が触れ合うくらいに近づき睨めつける。

 が、ラブラは怯むことなく不敵に笑いやがった。

「ふふ、ふ……何って、天罰ですよ天罰……」

「勃起封じとか言ったな。つまり、まさか……」

「そ、その通り!! しょ、翔太郎のおち、おちんちんは……」

 赤面しながら精一杯に言葉を紡ぐラブラ。

「も、もう天を仰ぐことはないのです!!」

「なん……だと……?」

 その、信じられない事実に……ラブラの胸ぐらをつかんでいた両手から力が抜ける。

 解放されて咳き込んでいるラブラを呆然と眺めながら、俺は口を動かした。

「嘘だ……嘘だそんなこと……」

「げほっ、ごほっ……う、嘘じゃありませんよ? 気になるなら、家に帰って確かめてみれば――」

 そんな時間も惜しい。今すぐ確かめたい。

 これは俺のアイデンティティに関わることだ。

 なのでラブラのローブをめくりあげることにした。

「へっ……?」

 間の抜けた声を置き去りに。

 眼前には、ラブラのはいている純白のパンツが。イメージ通り、可愛らしい白のレース。

 その奥の果肉まで透かし見るように、エロスの雪原に眼球を近づけた。

「ぎゃ、ぎゃーっ!! な、何をトチ狂ったことしてんですか、この変態っ!!」

 頭をぶん殴られるが気にしない。

「黙れ、いいから確認させろ……うおっ、期待を裏切らない天使の純白パンツ、エロすぎるっ……」

「いやーっ!! ちょ、顔が近い!! は、鼻息が当たって……ん、や、あぁ……」

 ラブラのあえぎ声も加わり、俺の興奮は更に加速した。

 だが、股間のイチモツはピクリとも動かない。

 俺の高まりに連動してくれない相棒。

 かつてない異常事態に、地面が崩れるような錯覚に俺は襲われた。

「お、おお……嘘だろ、相棒……」

 あまりの悲しみに、思わずラブラの股間に顔を埋めた。

「ん!? ちょ、ま、それ、やりすぎ……」

「嘘だ……嘘だそんなことぉぉおおっ!!」

 ラブラの膣に向かって俺の慟哭が飛ぶ。

「んゆぅ!? あ、ちょ、待って、そんなとこで叫ばないで……奥、奥震えるから、ぁ……」

「ウオオオォォオン!!」

 その後。

 ブチギレたラブラに首を変な方向に曲げられるまで、俺は天使の股間で泣き続けた。



「んぅ……はぁ、はぁ……お、落ち着きましたか?」

 まだどこか火照ったような顔をしているラブラが聞いてくる。

 痛む首元を擦りながら俺は立ち上がった。

 息も絶え絶えの天使を睨む。

「ふざけるなよてめえ……俺の勃起を返せ!!」

「ふ、フフン。煩悩まみれの翔太郎には、やはり効果てきめんのようですね」

 多少怯みながらも、ニヤリと憎たらしく笑うラブラ。

 こんなにぶん殴りたいと思った女は初めてだった。

「天罰を解いてほしくばこの私に絶対の忠誠を誓うことです!! 聖鎧を纏う勇者の使命、背負ってくれますね?」

「ぐ、ぐぬぬ……」

 突きつけられた指先と要求に、言葉が出てこない。

 俺のライフワークを無慈悲に奪っておいて無理難題をふっかけてくる、この所業。

 見た目こそ可愛らしい天使だがその実悪魔じゃないか。

「どうするんですかー? んー? はやく返事してくれないと帰っちゃいますよ~?」

 優位に立ったと見るや、俯く俺を下から楽しそうに見上げてくる。

 実に楽しそうだった。蹴り飛ばしてやろうかこいつ……。

 だがそんなことをすれば、俺は二度とオナニー出来なくなるかもしれない。

 想像しただけで震えてくる。

 ノーオナニーノーライフ。オナニーのない人生など、俺には耐えられない。

「わ……わかった……」

「お? 何がわかったんですか? しっかり伝えてくださいね」

「こ、こいつ……」

 溢れ出す殺意を必死に抑え込み、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「お前に……忠誠を、誓おう……」

「んん~、お前ってところがちょっと気に入らないですが……まあいいでしょう」

 奥歯砕けそう。

「それじゃあちゃっちゃと力を受け取ってもらいましょうか。むんっ」

 気が抜ける掛け声と共に、ラブラが宙空に掌をかざした。

 一瞬白い閃光が迸り視界を焼く。

 恐る恐る目を開くと、ラブラの掌の上に光球が浮いていた。

「これこそ神が創り給うた聖鎧、エクスタシオン。人間のみが纏える退魔の力です」

「……どこが鎧なんだ? ただの光る球じゃないか」

「黙らっしゃい!! これをあなたが受け取り、命の力を浴びせることで初めて鎧化するのです」

「あっそう……まあいいや。おい、やるならさっさとしやがれ」

 一刻も早く勃起を取り戻したい。俺はラブラを急かした。

「その口調と態度は後で改めさせるとして……こほん」

 咳払いして一歩、ラブラが近付く。

「貫田翔太郎。あなたが二代目です。初代が成し得なかった偉業……悪魔王討伐、共に成し遂げましょう!!」

「あーはいはい……こっちはもう覚悟を決めたんだ、はよせい」

「こ、コラーっ!! 聖なる力の継承なんですから、もっとそれらしい姿勢で臨んでください!!」

「無理にカッコつけてもしょうがないだろ。ほらよこせ」

 光球を奪い取る。特に熱くもなく冷たくもなかった。

「あっ!! か、勝手に取らないでください!!」

「どうすりゃいいんだ……おっ」

 俺の掌に光球が沈んでいく。痛みはないが、なんとも奇妙な光景だった。

「これでいいんだな?」

「い、いいですけどー……」

 不満そうに頬を膨らませたラブラが俺を睨む。

「もっとこう、謹んで受け取ってほしかったというか……」

「注文の多いやつだな……とにかくこれでお前の要求は飲んだぞ」

 力が沈んでいった右手をギュッと握り締め、俺はラブラの肩に手を置いた。

「さっさと天罰を解け」

「は? 何を言ってるんですか、解きませんよ」

「……なんだと?」

 ラブラの肩に爪が食い込む。

「あだ、あだだだ!! 痛いです、超痛いです!!」

「おい……どういうことだ? 約束を破るつもりかこのクソ天使が……」

 更に爪を食い込ませ、耳元で怒りをささやく。

「ちゃ、ちゃんと解きますよ? この戦いが終わったらですけど……」

「ふっ……ふざけるなよ貴様!!」

 あまりの舐めた口ぶりに胸ぐらを掴み上げる。

「戦いが終わるまで、俺にオナ禁しろってことか!? それは死刑宣告だぞ!!」

「げふっ……い、いい機会じゃないですか……しばらく煩悩から離れなさい、人生が豊かになりますよ……」

「オナニーのない人生が豊かなはずねえだろうが!!」

 確信を持って俺は言った。

 泡を吹きそうになっているラブラに続けて叫ぶ。

「いいか? 約束だ、悪魔だろうが何だろうが……お前の敵は俺が必ずぶっ飛ばしてやる!! だから勃起を返せ!!」

「ど、どんだけ必死なんですか……凄い生命エネルギーを感じますよ……」

「俺の生死に関わることだ!! いいから黙って――」

 その時だった。

 けたたましいサイレンが鳴り響き、俺の言葉を遮った。

 見ると、何台ものパトカーが公園横の道路を通り過ぎていく。

「なんだ……?」

「あ、ああ!! た、大変ですよ翔太郎!!」

 慌てた様子でラブラが俺の両手を掴む。

「あ、あ……悪魔の気配です。それも、凄く強そうな……」

 なんとも頼りなさそうな声で、そう報告するのだった。

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