第94話 アキレウス・政宗(♀)
翌朝、僕はアザミに連れられて研究所内へと入った。専用のエレベーターを使い、人と機械のセキュリティをいくつかくぐった。
「さあここだ。お前がここでどう扱われるのかは知らないが、まあ無茶はするなよ。夕方五時に迎えに来る」
「迎えに来るって? 自由じゃないのか」
「お前は私の監視下って事になってるんだよ。ある程度の自由は保障するが馬鹿な真似はするな。後々面倒だからな」
そんな風に言われて背中を押される。透明な壁とドアの向こうには、研究所の職員が勢揃いで僕を迎えてくれた。
その中には見知った顔の者が二名いた。長身で白髪を総髪にしている男、ヨシカズ・ワッジと、栗色の髪をツインテールにしている少女、アキレウス・
白髪で長髪の男性、ワッジ所長が前に出て握手を求めて来た。僕は彼の右手を握る。
「よく来てくれたね。協力に感謝するよ」
「よろしくお願いします」
とりあえずは従順な態度を見せる。しかし、僕は一つ気付いた。研究員の中にダニーさんがいなかったのだ。
「あの、ダニエルさんは?」
これは失言だったかもしれない。僕の一言でその場が凍り付いてしまったからだ。
「彼の事を知っているのかい?」
「ええ。昨日、偶然お会いしまして、ここの研究員だと伺いましたので」
「そうなんだ。彼もそのうち出勤してくるよ」
そっけないワッジ所長だった。ダニーさんの事には無関心なのか、それとも関与したくないのか。この所長の態度で、あの人が組織内において色々と軋轢を生んでいる事は容易に想像できた。
「じゃあ簡単に紹介していくよ。今ここに集まってもらっているのはMMインターフェースとESP研究のチームだ」
アキレウス・
「ここは生物化学研究所です。主に医療関係ですね。再生医療の研究においては火星で随一。また、感染症の研究においても多大な成果を上げています。藤堂君もご存知でしょうが、感染症の主な要因はウィルスなのです。そのウィルスは環境により、また世代を重ねるごとに変異を繰り返していきます。地球においては無害であった株でも、火星では毒性を持ったり、また、ワクチンに耐性を持ったりするのです」
「概要は知っています」
「簡単に言うと、変異を続けるウィルスに対応するワクチンの開発。それと同時に、将来どのような変異を遂げるのかを予測し事前の対策を打つ事などが私たちの仕事となります」
「ワッジ所長はウィルス学がご専門なのですか」
「ええ、そうですね」
所長はウィルス防疫のエキスパートだったのか。人類は過去、何度もパンデミックを経験した。もっとも致死率の高かったパンデミックは中世のペストパンデミックだと記憶している。黒死病とも言われるペストが元王朝の中国から拡大し、シルクロードの交易によりユーラシア大陸を席巻した。一説には二千万人以上の人々が死亡したと言われている。
二十世紀に入ってからはウィルスによるパンデミック、インフルエンザやコロナウィルスの感染拡大が何度も発生している。細菌による感染症は概ね駆逐できたらしいのだが、ウィルスによる感染症は上手く封じ込める事が出来なかった。理由は先にワッジ所長の述べた通り、ウィルスが変異を続けているからだ。
「藤堂君。簡単に施設を案内しよう。見せられない部署もあるが、大まかなところは理解しておいてほしい。他の者は勤務に戻ってくれ」
所長の一言でその場は解散となった。皆はそれぞれの部署へと戻っていくのだが、アキレウス一人だけが僕を見つめてウィンクした。どんな意図があったのか不明なのだが、彼女は笑顔で手を振っていた。
所長に連れられ研究所内を歩いていく。
「この先が私の本拠地です。ウィルスを扱うので、部外者が中へ入る事はできません。今回は入り口を見るだけで」
「わかりました」
透明な扉の脇にはアンドロイドの警備員が起立していた。やはり出入りは厳しくチェックされている。
「次はこちら。ここは再生治療の研究をしている部署になります。一応病院なので、研究所内での怪我や疾病に関してはここで対応します」
再生治療と言えば聞こえはいいが、要するに戦場で欠損した腕や脚、臓器などをクローン再生する事が主な目的だろう。もちろん、その技術は癌患者やその他の臓器疾患の患者にも応用はできるのだが。
いかにも病院内といった施設を一回りした後に向かったのはサイバネティクスエリアだった。いわゆる人体と機械を融合させたサイボーグの開発をしているらしいのだが、極秘という事で中を見せてはもらえなかった。
「待ってたよ!」
唐突に声を掛けられた。声の主は小学生体形のアキレウス・政宗だった。彼女は遠慮もせずに僕の腕にしがみつき、貧相な胸元をこすり付ける。
「所長。後はボクが案内します。ウチとESPだよね」
「ああ、そうだ。じゃあ任せたよ」
ニコニコと笑いながらワッジ所長が去っていく。残されたのは僕とアキレウス。彼女は僕の二の腕に顔をこすり付けながらクンカクンカを匂いを嗅いでいた。
「うーん。いい匂いだ。流石はマーズチルドレンだね」
「知っていたのか」
「もちろん。じゃあ、ボクが担当している部署に案内するよ」
僕はそのまま彼女に手を引かれていく。
「さあ到着だ。ここはMMインターフェース部門。有体に言えば、人と機械をつなぐ研究をしているところ。君もここを覗くために、わざと捕まったんじゃないの?」
いきなりの爆弾発言だ。僕は何と答えていいか分からずに固まってしまった。その様を楽しそうに見つめているアキレウスは、赤い舌を出して自分の唇をベロリと舐めた。
この人は普通じゃない。何かとんでもない人格を持っているに違いないと感じた。
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