第56話 混浴の露天風呂は地底湖名物らしいのです。
「秋人さん」
「美冬さん」
美冬姉さまと秋人さんが見つめ合っている。心の中でメラメラと嫉妬の炎が燃え上がってくるのだが、私はそれを必死に抑えている。この気持ちを美冬姉さまに伝える事はないし、美冬姉さまの幸せを第一に考える事が私の幸せなのだからここは我慢するしかない。
抱き合うのかと思いきや、二人とも真っ赤になって俯いてしまった。衆人環視の中、恥ずかしかったらしい。
今、私たちがいるのは地底湖の畔にある沿岸警備隊の事務所前。私たちは素直に事情聴取を受けた。秋人さんは環境維持プラント〝アイオリス〟の制御OSを再設定するために来た技術者らしいのだが、私たちマリネリスの住民は彼らについて詳しく知らなかった事。市政が放棄されるマリネリスからアイオリスへと引っ越しが決まった所で、町があの二人のテロリストに襲われた事。秋人さんを連れて逃げるあいつらを追ってアケローン地下都市へ来た事など、話せることは全て話した。マーズチルドレンに関するアレコレについては話していない。私だってちょっと前までは知らなかった訳で、記憶は徐々に甦っているけど全部を思い出したわけじゃない。当然だが、実感に乏しい感覚はあった。
「それでは失礼します」
私は睦月班長に頭を下げ、彼も笑顔で応えてくれた。
「これからどうするの?」
「今夜は遅いので雪灯りに宿泊します。明朝、マリネリスへと向かいます」
「長距離バスだね。一日一往復だったかな」
「はい、そうです」
「何もないと思うけど、何かあった場合は直ぐに沿岸警備隊にコールして。些細な事でも遠慮しないで」
「もちろんです」
「お元気で。アケローン地下都市へ来ることがあったら、地底湖で釣りでも楽しみなよ」
「はい、そうさせていただきます」
私は睦月班長と握手を交わした。すごく大きくて暖かい手だった。近くで見たそのご尊顔は、とても軍人とは思えない優し気な笑みをたたえていた。
私はモジモジしている美冬姉さまと秋人さんの手を掴んで雪灯りへと向かう。例の騒ぎで低CO2の別館は破壊されたので閉館となっているのだが、木造の本館の方は営業中だという。マリーさんとジュリーさんは先にお風呂に入ってるらしい。呼吸器をつけたままで露天風呂が楽しめるのかどうか不安はある。例の騒ぎで宿泊客は全てキャンセルか他の施設へ移動したらしい。
その後、私たちもお部屋に入ってから露天風呂へと向かったのだけど、ここの露天風呂は何と……混浴だった。
「混浴なんて聞いてない。どうしよう……恥ずかしい」
美冬姉さまは相変わらず初心だ。まだ服を脱いでもいないのに、羞恥のあまり顔も首も手首でさ真っ赤に染まっている。もちろん私も恥ずかしいのだけど、姉さまのその態度に、何やら嗜虐心が沸き上がってくるのは面白い。
「美冬姉さま。自信を持って下さい。ここは秋人さんに姉さまの美しいお姿を見せつけてあげるのです」
「えええ! 秋人さんに見られたら気絶しちゃうよ」
「それもまた良き。秋人さんに介抱してもらえば一挙両得です」
「そんなことされたら死んじゃう。絶対に死ぬ」
「死んだりしませんよ。私なんか羨ましくて嫉妬に狂いそうです」
「え? ノエルちゃんも?」
「さあ? 私も彼氏いない歴は長いので」
「誤魔化さない。ね。ノエルちゃんも秋人さんが好きなの?」
美冬姉さまの真剣な眼差し。心の奥まで見透かされているような気分になる。違います。私が好きなのは美冬姉さまなのです。
でも言えない。言ってはいけない。私は笑顔を絶やさないように、必死に取り繕った。
「非モテ女子の戯言です。リア充は爆発してしまえって、そういう事です」
「ごめんなさい。でも、私がリア充なんて事ないよ。ノエルちゃんと一緒。私も非モテ女子だから」
「そういう事にしておきます。さあ、服、脱がすよ」
「ひゃ! やめて!」
ふふふ。嫌よ嫌よも好きの内。姉さまのシャツをスポンとたくし上げてスカートのホックを外してずり下げる。そして姉さまの胸元に抱きついて、背にまわした手でブラのホックを外した。
「きゃ! ノエルちゃん何するの?」
「へへへ。私のは姉さまに外してほしいです」
私は姉さまのシャツとブラを剥ぎ取ってからくるりと後ろを向く。
「もう。強引なんだから」
照れくさそうなんだけど、それでも姉さまは私のホックを外してくれた。私たちは一旦すっぽんぽんになってからバスタオルを体に巻いて、露天風呂へと向かった。
そこは既に何かの修羅場と化していた。
「ダメです。僕は飲めないんです」
「まあまあ、そう言わずに一杯どうだ?」
「だから、飲めないんですって」
魚人の船長さんがぐびぐびとお酒を飲んでいた。彼は呼吸器が不要なのだろうか、何も装着していない。そして、隣にいる秋人さんに飲め飲めとお酒を勧めている。
「それなら僕がいただきますね」
ひょいと盃を奪ったジュリーさんが、呼吸器を外してぐいっとお酒を飲み干してまた呼吸器をつける。大丈夫なのか? お酒もCO2も。
「きゃー。美冬ちゃんもノエルちゃんも超可愛い! さあさあ。バスタオルなんか取っ払ってお風呂に入ろ」
銀狐の獣人、マリーさんだ。私たちは体に巻いていたバスタオルを剥ぎ取られ、湯船に放り込まれた。
「マリーさん。酷いです。これ、恥ずかしいです」
「美冬ちゃん、何言ってんの? 湯船にタオルを浸けちゃダメなのよ」
「それは知ってますけど」
「男衆は飲んだくれてるから気にしなくていいのよ」
「でもお」
美冬姉さまは、また真っ赤になって俯いた。それと同じく、秋人さんも真っ赤になって俯いている。何かもう、突っこむのが馬鹿らしくなる位の相思相愛っぷりだわ。
「あれれ? ノエルちゃんも?」
マリーさんは私をがっしりと抱きしめた。その、豊満な胸に顔が押し付けられる。これは多分、1メートル級の爆乳だ。これはこれで幸せな体験かもしれない。会ったばかりの異星の獣人。銀色の毛並みが凄く綺麗で、顔もシャープな感じで凛々しくて、そして何よりこの豊満な胸。もう溺れちゃいそうだよ。
「うふふ。落ち着いたかな?」
「はい……」
何だか、私が嫉妬していたのがバレている感じ?
「地底湖ってのもイイね。星は見えないし月もないけどさ」
淡い夜間照明に照らされた地底湖を眺めながらマリーさんが呟く。これでも風情はあるのだろう。その気持ちは何となくわかる。でも、星空を眺められたらもっと素敵だろう。
火星も寒冷化前は美しい夜空を眺めることができた。今は曇天が多く晴れることが珍しい。そして、極低温の夜間にぼんやりと星空を眺める事などできるはずもない。
火星環境維持プラント、アイオリス。この施設を再起動できれば美しい星空を眺めることができるのだろうか。もしそうなら……いや、そうに違いない。アイオリスの再起動を何としてもやり遂げよう。
そう心に誓った。
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