八、前夜

 年に一度の冬のお祭りである神姫祭が、明日に迫っていた。

 愁次と織恵、それぞれが祭りで使う祭具や記念品の準備の為、なかなか集まる機会を作れないでいる。

 あれから数日の時間が経過していた。織恵は天照大神の謎を解きあぐねていたが、水沢姉妹や魅月から有力な情報を手にしていた為、今ある手駒で文章の読解が出来ないかと頭を悩ませている。しかしそれも徒労に終わった。関係性を掘り下げたところで、あの文章は織恵に媚びてはくれない。作者も意地の悪いことをする。光明を掴んだように思えたが、決して推理は前進とはいかなかったのだ。

 織恵は特に、楓からタイムリミットを告げられている為、胸中穏やかではないだろう。それでも謎解きが進まない、情報も進捗しないとあらば祭りの準備にはなかなか集中出来ないに違いない。

 一方、愁次はというと……小野寺からもたらされた〝鏡〟の情報を織恵に渡せていなかった。本人が思っているほど、祭具の準備というのは一筋縄ではいかない。神聖なものゆえ、一度使ってお蔵入りにはならないのだ。また来年、そのまた次の年とこれから何年も後世たちが使っていくことになる。愁次の技術の進歩、そして後生に対して恥ずかしくない造形、さらには家督を継ぐことの心構え。それらを教える為にも、誠一は妥協を許さなかったのだ。

 そして、記念品も地元産のものが多く必要になる為、花明家は数百の彫り物を用意しなければならない。これには誠一も参加するが、一人では捗らない為愁次も合間を見つけては記念品の造形も進めていた。

 新しく祭具を彫ることも初めてで試行錯誤しながらの制作になる。慣れたものとは違い、多くの時間を必要とした。花明一刀彫本家としての仕事だけでも手一杯であるがゆえに、謎解きの時間はさらに削られていくことになった。

 二人は天照大神の謎を気に掛けつつも、自身のやるべきことに翻弄されているのだった。そのもどかしさたるや、夢から覚めた朝の思い出せない記憶のよう……。


 水沢姉妹――咲と笑は、先日の織恵の様子を鑑み気遣って距離を置いていた。笑は少しでも早く織恵に会って次の手を考えたいと思っていたが、咲がそれをたしなめる。愁次に頼られたとはいえ、あまりに織恵をけしかけてしまうのも忍びない。自身の知的好奇心の為に織恵に負担を掛けてしまっているのではと、咲は感じていたのだ。

 とはいえ、咲はこの謎の不可解さを感じ取っていた。それは所謂〝〟か〝〟かということではなく、この謎が小説などという作り物の類ではなく実際にこの村に言い伝えられている書簡なのではないか。

 先日の笑の何気ない一言に対して織恵は過敏に反応していた。それを見た咲は、織恵が何か言えない事情があることを感づいていたのだ。しかし、だからといって咲が追及したところで織恵もはぐらかしてしまうだろう。わざわざ小説という言い回しにしたのには訳があるのだから、それを自身が蒸し返しても誰も得をしない。そもそも咲や笑に言えることならば、最初からそう言っているはずなのだ。

 咲はそこまで思考が至って、黙することを選んだ。この謎を解くのが先か、話せる時期が来るのが先かは分からない。それでも、咲は謎解きに専念するしかないのだ。

 そんな咲の杞憂を知ってか知らずか、笑は無邪気に叶那と遊びに出掛けている。

 近頃、笑と叶那は年が近いこともあってよく交流を持っていた。決して咲が、叶那と仲が悪い訳ではないが、〝〟といってあまぎり流に興味がある笑と、この村の歴史に興味がある叶那は意気投合。村を行き来しながら、神姫村の資料館や織水の図書館などへよく出入りしていた。

 一方で咲は、小野寺と交流を持ちマユラと共に神道の教えを学ぶに当たり造詣も深くなっていた。小野寺は自身が〝〟と豪語するように、資料館に入り浸ることも少なくなかった為、知識欲の強い咲が興味を惹かれたのも頷ける。

 人の性格が環境によって変化するのならば、交流を持った相手が違えば考え方や感じ方も変わってくるといえるだろう。今までずっと一緒にいて、お互いのことを双子として認識しながらも、少なからず自我というものが芽生えてくる年頃だ。交流相手や趣味嗜好など、そろそろ自分らしくありたいと思っても不思議ではない。

 それ故に、この三年間で二人の間にあった共通認識や物事の捉え方など、様々な価値観は変わってきていたのだ。しかし決して、それが原因で不仲になったわけではない。今まで以上に、お互いは血の繋がった姉で、妹で、双子であること。その気持ちと、私は私らしくありたい、そういった気持ちは二人の心の中ではっきり区別出来る年齢になったということである。

 そうして、咲と笑は別々に行動することも多くなっていた。織恵の知る水沢姉妹はいつも一緒で、お互いを慕っている妹想いの咲、姉に甘えたがりの笑、という認識だった。

 三年間村を離れていた織恵には、それだけしかイメージが無い。その微妙な認識のズレが、織恵と水沢姉妹に時間という距離を開けたのだった。



 あまぎり会本部――。

 古き良き神姫村の古民家の前に、学校の体育祭などで見る白幕のテントがあった。そこに叶那と東吾の姿が見える。見渡せば、二人だけではなく多くの人たちが集まっていた。東吾のような観光客だけでなく村人たちもいて、がやがやと賑わっている。

「ひえー、今年も一杯だねー。おっちゃん、早く前のほうに行っとかないと!」

「ははは。そんなに慌てても順番だよ。記帳するだけなんだから、大人しくしてよう」

 東吾は叶那の頭にポンポンと手を乗せ諌める。明日の神姫祭に参加する人は名簿に記帳することが義務付けられていた。

 今年は何名くらいの参列者がいるのか、その集計をしておかないと雛灯篭の数をどの程度用意しておかなければいかないのか把握出来ない為である。愁次たちはその数と、予備の分まで作らないといけないのだから相当な量になるのは想像に難くなかった。

「おっちゃんはもう宿決まってるの?」

「ああ、前乗りしていたからね。今年は雨霧さんのところにしたよ。どこも良い所だったけど、まずは全部回ってみないと神様たちにも申し訳ないからね。来年はどこか受け入れてくれる古民家があったらそこでもいいかな」

「あたしは家族で来たから、守谷さんのとこ。織恵さんの所で作った灯篭忘れないようにしなきゃ」

 神姫祭の参列者は、村の人も含めて織水在住の人も観光客も全て前日入りが通例となっていた。毎年その人数は増えているとはいえ、小さな村でのお祭りだ。神社や佳ノ湖の周りを埋め尽くすほど人が来てしまっては逆に身動きも取れなくなってしまう。

 それは神姫村にとって嬉しい悲鳴ではあるが、予定されている催しを考えれば上限を設けるのも頷けよう。宿泊施設を増やすという案が出ている以上、収容人数の拡大は図られているものの、地元団体だけで発展は難しい。

 近くあまぎり会も、近隣の自治体とも連携する手はずとなっていた。今年はギリギリの規模での開催となる為、楓の采配如何ではどこかに歪が生じてしまう可能性もある。

 そうならない為にも、今楓は別所で入念な打ち合わせをしているに違いなかった。

「かんなー! やっほー。記帳は終わった?」

「あ、笑ちゃん。うん、私は終わりー。今おっちゃんが書きに行ってるとこだよ」

「あのさ、ちょっと時間ある?」

「いいけど……。どうしたの?」

「織ちゃんのことなんだけど、ここじゃちょっと話せなくて……」

 顔を寄せて声を潜めた笑は、叶那に何かを耳打ちした。叶那はそれを聞くと、ハッと顔を上げて笑を見た。真剣な表情の笑を見て、叶那は頷いた。

「ちょっと、おっちゃんに宿に帰るって言ってくるから先に行ってて」

 叶那は駆けていく。笑も人垣を離れ集会所の方へと向かったようである。

 笑は今日、咲と一緒には居なかった。別行動だったようだ。本部前に見知った顔は居なくなった。東吾も記帳を済ませたら宿に帰るだろう。

 空に滲んだ雪と風。人々の喧騒は、軽く振り出した白い粉雪に明日の天気の回復を願っていた。天気予報で明日は夜に雪が降るらしい。

 灯篭に被る雪が見られたなら、水面に映る灯篭の灯火が優しく雪を溶かしてくれるだろうか……。


 時を同じくして、小鳥居神社の拝殿にはマユラと小野寺、そして魅月の姿があった。

 本番直前の舞の稽古中のようだ。雪もちらつき始め外気は冷えているが、マユラと魅月の額には薄く汗が浮かび、一挙手一投足が呼吸と共に白い吐息を吐き出させた。二人の表情から、視線から、真剣さが滲み出ている。

 年に一度とはいえ、何度目かになる神楽舞にマユラも魅月も緊張はあれど、その表情には自信が垣間見える。教えている小野寺でさえ教え子たちの立派な姿に、明日の本番での成功を目に浮かべているようであった。

 とはいえ、最後の調整が大事なことは小野寺も重々承知していた。本番は能面を被り、視界が悪い状態で舞を踊らねばならない。自分の姿を確認しながら踊れる練習と、相手の動きしか見られない本番とでは勝手が違うのだ。だからこそ、最後は特に魅月とマユラ合同での練習が必要不可欠だった。

「はい! そこまで!」

 小野寺の号令で、ピンと張っていた緊張の糸が切れるように二人は顔を弛緩させた。

「お疲れ様、マユ。見違えたわ、これなら明日も安心ね」

「いえ、魅月さんのフォローのお陰です。今年も一緒に踊れて嬉しいです」

「きっと教える人が良いのねー。功労賞でもあげたいくらいだわー」

「ははっ。小野寺さんにも感謝してますよー」

「どこか変な所は無かったかしら。素晴らしい先生に教わってるんだもの、もっと完璧に仕上げたいわ」

「あら、人気者は辛いわねー、なんて。大丈夫、魅月ちゃんも申し分なし!」

 小野寺は魅月にウィンクをしてみせる。魅月も安堵の表情を浮かべ微笑み返した。

 奉納の舞は、最後に二人が交互に額にキスをすることで閉幕する。その為、小柄なマユラは魅月に抱き締められるようにくっついていた。身長差は殆どないので、まるで大きなぬいぐるみを抱えているようにも見える。

「よーし、明日は本番だからここまでにして、皆でおいしいものでも食べに行きましょ」

「やったー。ワタシお蕎麦がいいです」

「マユ、こういう時はお寿司って言った方が得なのよ」

「ちょっとちょっと。お財布に優しくしてよ?」

 女三人寄ればなんとやら、黄色い花が咲き始めたところを見ると雪はまだ上がる気配を見せない。雨に変われば青い紫陽花が顔を出すところだが、珍しく雪を被った黄色い紫陽花のように三人は会話に花を咲かせた。

 神姫村では特別な存在、二人の姫とその巫女が一堂に会す様は地上の光景とは似て非なるものなのかもしれない。

「こんにちはー! 遅くなってすいません! 良かった、二人ともまだここにいて」

 息を切らして駆け寄ってきたのは愁次だった。手には二つの能面を持っており、それは約束していた本番で使う神姫と鬼姫の面であることは間違いなさそうだった。

 余裕を持って届けたいと言っていたが、如何せん作業量の多さに今日になってしまったのだろう。しかしながら、今の時間であれば修正点を確認して明日までには改修出来る余裕はある。呼吸を整えながら早速、マユラと魅月に能面を渡す愁次。

「わぁ。これ愁次さんが彫ったんですね、去年と顔が違います」

「さすがね、愁次。内側もごわごわしないわ。サイズもぴったり」

「今回、結ぶ紐も変えてみたんです。女の人って、髪の毛に引っかかるの気にすると思って。あと内側で呼吸しやすいように、前から分からない程度に穴を大きく開けてます」

 二人は早速装着して確かめていた。面を被ったまま話すマユラの声は、案の定くぐもって聞こえる。

「はい、苦しくないです。ワタシは特に気になるところは無いです」

「私もよ。短期間でよくここまでやったわ。ありがとう」

「いえ、良かった……はー」

 愁次は脱力するように破顔した。それだけで、今日まで試行錯誤を重ねてきただろうことが窺える。誠一から託された大仕事を見事やってのけたのだ。それも、過去と同じものを作るのではなく、愁次自らの考えで一から構想して彫り上げた能面。それは愁次を、また一回り成長させてくれただろう。

 小野寺もその愁次の様子を見て、静かに微笑んでいる。

「ははっ。花明さんもお疲れ様です。ありがとうございました」

「愁次くん。これから私たちご飯食べに行くんだけど、一緒に来る? 前夜祭みたいな感じで」

「あ、せっかくなんですけど、俺、最後に織恵のとこ行かないといけないんです。能面の他に作らないといけない物があって、その部品を織恵に頼んでて」

 すでに周知のことだと思うが、愁次は小麻の名前は伏せていた。余計なことは言わずに済ませたいのだろう。小野寺は特に気にする素振りを見せず、「そう、頑張ってね」と短く返していた。

「それじゃ、また明日、楽しみにしてます」

 小降りの雪が降る中、愁次は境内を駆けていく。

 巫女服姿の三人は、嬉々として舞台の奥へ消えていった。


 それからもう一人、明日の神姫祭を担う人物がいた。

 小鳥居神社から佳ノ湖を繋ぐ通路には提灯が並び、祭囃子が聞こえてきそうなほど辺りを淡く赤い光が包んでいる。

 その道をずっと降りていくと、佳ノ湖の周りには出店が立ち並び、いつ威勢の良い掛け声が聞こえてきても良さそうだった。その並び順の調整や、仮設舞台の設営など細部の指示を出しているのは、楠木楓。今回初めて抜擢された若き責任者である。

 祭りの下準備とは恐ろしく大変なものだ。入念なスケジュールの管理、クレームを最小限に抑える配慮、出店の種類から要望の対応、他にも細かい調整をしながら仮説舞台で行われるイベントのリハーサルなども楓が居なければ進まない。

 今日も長い一日になりそうだと感じながら、出店の順番を決めたにもかかわらず話が違うとクレームが上がっている場所に呼ばれる楓。それら一つひとつを潰していかなければ、これほど大きな祭りを開催することも出来ないのだ。

 観光客もその光景を、これも祭りの醍醐味だと微笑ましく眺めていた。

 楓も驚いたのは、観光客はいざ知らず、村人の他に織水の人も駆けつけ準備の手伝いを買って出ていた。そのお陰で、足りなかった人手を補うことができ力仕事はある程度順調に進んでいた。

「はい、OKです! 次のステージお願いします!」

 戻ってきた楓がステージイベントのリハーサルに復帰する。

 出資しているのはあまぎり会……その多くは雨霧の性が大半だが、来年からは市の地方自治体も協力することが決まっていた。村祭りとして、自分たちの手だけで作る神姫祭は、ある意味今年で最後になる。その節目ということもあってか、皆がより一層準備に精を出していた。

 降り出した雪は、彼らの熱気によって空へと押し返されているようだった。


 

 日が傾き、大方明日の準備が終わった頃。

 前夜祭と称して佳ノ湖の周りには、村の人たちが集まり酒盛りをしていた。陽気なもので、お祭りは明日だというのに酔い潰れそうな勢いで飲んでいる人もいる。千秋楽の前に力尽きては世話が無い。

 しかし、それほど神姫祭というのはみなが酔いしれる祭りでもあった。待ち遠しかったのだ、自分の村のお祭りが。愁次たちも、村人も、織水の人も、観光客も……。

 みな思い思いの気持ちを抱えながら明日を迎える。伝承どおり、明日は今年一年であった辛いこと、悲しかったことを忘れさせてくれる禊の日。

 はるか昔より続いてきた神姫祭。様々に形を変えど、二人の姫が交わる時、この村はまた一つ歴史を刻む。きっと多くの人が、より良い祭りになることを願っていた。


 しかし……。

 一人だけ、他とは違う面持ちで胸に大きな覚悟を宿している人がいた。

 楠木楓――。この祭りに、誰よりも強い思いをもって臨んでいる。前夜祭で浮かれる大衆から離れ、あの奇怪に変形した流木の通りに来ていた。

「もう、三年も経ったのか……」

 楓は虚空を見つめている。楓の目には誰かが映っているのかもしれない。

 虚ろな表情ながらも、しっかりと前を見据えて誰かに語りかけるようでもあった。

「ようやくここまできたよ、〝ミヅキ〟……」

 楓は、自身の内にある名前を呼んで目を伏せた。今日まで楓は、誰にも言えない想いを抱えてきた。しかし、それを誰かに言ったところで真に受けてはもらえないだろう。

 誰もが、忘れているのだから……。

「明日、この村の連中に思い出させてやるんだ。君が生きていたことを。僕があまぎり会に入ったのも、神姫祭を僕のものにするのも、すべては明日の為……」

 言葉には言霊が宿る。この村の古神道は、共鳴であれ想念であれ、強い想いをもって発せられた言葉には大きな力を与える。

 かつての現実は幻想に書き換えられた。それをまた、現実に戻そうとしているのだ。

「伝承はお伽噺なんかじゃないってことを、証明してやるよ。君は死んでなんかいないんだ。この村は、長い長い夢を見てる。それを叩き起こして、迎えに行くから」

 目を開けた楓の表情は、まるで般若のような形相だった。能面を被ったかのような怒気をはらんだ目は虚空をねめつけた。握られた拳は決意の固さを思わせる。


「謎解きの時間は終わりだ。僕はこの村に……神に対して宣戦布告する」 


 楓は静かにこの場所を後にした――。

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