七、古神道、あまぎり流

「はぁ……大変なことになっちゃったな……」

 昨日は特に外出せず、家で神姫祭の準備をしていた。愁次に頼まれた紙垂も結構な量があるし、飛び入り参加の観光客の為に灯篭も準備しないといけない。

 けど、ずっと頭の中は例の件のことばかり。思い返してはまた巻き戻し、ぐるぐると思考を巡っていた。

 あれはまだほんの数日前、私が帰省した翌日のこと。

 久々に家のお手伝いをしたくて境内の掃除を買って出たんだけど、まさか幣殿が開いているなんて思いもしなかった。

 そこで見つけた不思議な掛け軸。それは大昔、天照大神が子供たちに問いかけたなぞなぞなんじゃないかって話になった。伝承になぞらえて、もしも謎が解けなかったら私は生贄にされてみんなの記憶から消えてしまう。そんな馬鹿なって思ってた……。

 それに幣殿は祭りの時に使う祭具や、八百万の神様のご神体が納められている場所だから小さい頃から神聖な場所として教えられてた。私も小さい頃にお母さんに連れられて入ったことはあったかもしれないけれど、それでも物心付いてからは二、三回程度だ。中学に上がった頃にはもう、祭りの前にお父さんとお母さんが入るくらいで私は外で準備していて入らせてもらえなかった。

 唯一、お父さんたち以外に入れたのは、マユラだった……。

 神童といわれて神側の象徴的な人だし、姫として舞を踊る役目もあったからそこで着替えて、能面を付けた状態で出てきていた。

 私はお母さんに一度だけ聞いたことがある。どうして私はダメで、マユラは入っていいのって。お父さんとマユラが出て行って、お母さんが鍵を閉めている時に噛み付いた。その時、理由は教えてくれなかったけど、すごい剣幕で怒られたからそれは聞いちゃいけないことだったんだと思って、あれ以来聞いたことは無かった。

 マユラは、ウチにとって特別な人なのかもしれない……。

 詳しく聞いたことはないけれど、マユラには専属みたいに世話係の巫女さんが一人ついているし、普段は学校に行ってるんだろうけど村の中じゃ神社以外で見た覚えが無い。踊りの練習が終わると、拝殿で受付の手伝いをしていたり、奥の間で巫女さんに何か教わったりしているみたいだった。小鳥居家は四大名家の一つだし、お婆ちゃんもまだまだ現役で町会に参加してる。私の代に変わるのはまだ先のことだから、あまり首を突っ込まなかったけれど、あの子のことも、家のことも、どこまで聞いていいか分からなくて……またすごく怒られるんじゃないかと思って、正直知らないことの方が多い気がする。どこか特別扱いされているマユラに、引け目を感じているのかもしれない。

 叶那とも歳が近いし、決してあの年頃の子が嫌いというわけではないんだけど、私はマユラがちょっぴりだけ苦手だった。

 ただ、それよりも不可解なのは、私が持ち出したのは掛け軸だけど、お年寄りたちが騒いでるのは「小麻こぬさ」が無くなっていたこと。それは毎年、神姫祭で使う大切な祭具であることは知っているけど、私が壊してしまった神代の中に入っていたのは……この掛け軸だ。

 何がどうなって入れ替わってしまったのか分からないけど、今私が持ってるのは掛け軸であって小麻じゃない。それが紛れも無い事実。

 とはいえ、この掛け軸が〝いわくつき〟なのは、どうやら間違い無さそうだった。

 愁次に打ち明けた後、くよくよしててもしょうがないと思って気持ちを入れ替えた。最初は、ちょっとした冒険気分で謎解きに挑戦するつもりだったのだ。

 気がつけば咲と笑が加わって、叶那と国中さんも参加してくれた。解決の糸口も分からなかった謎に、少しだけ道筋が見えてきたんだ。咲たちが言っていた話はこの村の謎、そして天照大神が残したとあれば、十分に考えられそうな一手だった。その路線で進めていけば、何かしら見えるかもしれない。

 ただ、叶那が言っていた言葉も気に掛かる。


『でもこれ……本当に〝〟なんでしょうか? あたしには、なんていうか神姫祭のことを言ってるように思うんですけど……』


 もしもこれが、天照大神が残した謎ではなく、昔の人が書き留めた詩なのだとしたら、資料館に納められていてもおかしくないんじゃないだろうか。

 そのモノの価値というと語弊があるかもしれないけれど、やはり幣殿にあったというのは大きな意味がある気がする。由緒あるような掛け軸に書かれていたものでもあるし、花明一刀彫で彫られた神代の箱は、小麻を納めておくような神聖なものだ。誰かが書いた詩を、そんな大層なものに入れておくとも考えにくい。

 そう考えると、あまり表に出せない天照大神の謎が納められていたと考えるのが自然な気もする。何れにせよ、文章の意味が分からなければ判断も出来ないけれど。

 仮にここで謎解きをやめようものなら、どうして私がこの謎を解明しようとしていたのか、その出所を詮索されかねない。私の後を引き継いで、誰かが解くと言い出したら後付けの本は存在しないことがバレて、幣殿の話まで波及しかねないだろう。

 協力者とはいえ、安易に人を集めたことをちょっぴり後悔した。もうこの謎に関わっている人が多過ぎる。……解くしかないんだ、祭りが終わるまでに。

「私、ホントに消えちゃうのかな……」

 口から出る言葉は、頭の中でぐるぐると回る言葉とは裏腹に情けないものだった。

 楠木先輩が言っていた、かつて消えてしまった人……。私はその人のことを知らない。

 先輩が言うには、私と同じように何かの謎を解こうとしていたらしいけれど、それが解けなかったから消えたんだって言ってた。

 その人は一体、何の謎を解こうとしていたんだろう? ひょっとして、これとは違う天照大神の謎だったのだろうか。まさか、同じ謎ってことは……。

 もしこの謎を解こうとして解を求められなかったのだとしたら、巡り巡って私の所にやってきたということ……?

 仮にそうだとしても、掛け軸は幣殿にあった。やっぱりその人も幣殿に入ったのだろうか。掛け軸は持ち出さずに、文章だけ書き写したとか。全く的を射ない想像ではあるけれど、三年前の神姫祭の数日前に裏でお年寄りたちが騒がしいという話は無かったように思う。

 楠木先輩の言うことが本当なら、もう時間はほとんどが無かった。

 それなら、楠木先輩だって手伝ってくれてもいいじゃない! ……って思う。でも先輩は今年の神姫祭で責任者だし、私なんかに構ってられる時間は無いのだろう。

 それとも、消えるといいながら一緒に幣殿に入った先輩は消えないって確信があるのだろうか。たとえそうだとしても、全部が私の責任になるなんて……。

 やめよう、最初に入ったのは私だ。先輩に同じ責任を求めても、私の罪が軽くなるわけじゃない。ましてや、それって伝承と同じことをすることになる。そんな人間の体質を変えたいと思っているのに、目も当てられなくなってしまう。

 結局、私に残された選択肢は協力者を募ってでも、この掛け軸の謎を解明する以外に無いのかもしれない。

 私はメモ帳をポケットにしまって家を出た。



 午前中は神社のお手伝いをすることになっていた。

 私は早速、巫女服に着替えて境内の掃除を始めた。マユラ専属の小野寺さんを含めて、他にも数人巫女の人がいる。アルバイトの子が殆どだけど、ベテランは小野寺さんともう一人長く勤めてくれている人がいた。

 今日の小野寺さんは午後出のようで、祭り前なのもあってマユラの踊りの稽古があるんだと思う。朝は比較的静かで、今居るのはお母さんとベテランの佐々木さん、私の三人だけだった。

 この辺りの学校は丁度、期末テストの時期なのでアルバイトの子たちはお昼過ぎからやってくるだろう。そこで私は交代して、午後は本家で神姫祭の準備を進める予定だった。

 気にしないつもりだったが、やはりまだ胸のつかえが取れていないので幣殿の方へは行かなかった。今日は逆に境内から本殿の方へと掃除を進めている。

 とはいっても、この時期ゴミが落ちていることは少ない。秋口であれば落ち葉などが絨毯のようになるけれど、今は参拝客が通れるように石畳の上の除雪作業が主だった。それでも町会の人たちが男の人総出で掻き分けてくれているから、石畳の上は綺麗で十分に通れるようになっていた。

 私の役目は、石灯篭に被っている雪や、うその石像に掛かっている雪を払いのける程度である。鷽は小柄で小さい鳥。雪を払ってあげると羽ばたいていくのではないかという勢いで、小さいながらも凛々しい顔立ちで立派な姿を見せてくれる。私はその頭を二、三回撫でてから一礼した。

「織恵、朝からご苦労様」

「あ、魅月さん」

 突然声を掛けられて振り返ると、巫女服に負けず劣らず魅力的な和装である魅月さんだった。普段着は着物というのだから、毎朝さぞ大変だと思う。でも何の苦もなく涼しそうに振舞う姿は同じ女性としても憧れてしまう美しさがあった。

「おはようございます。……あれ? 魅月さん大丈夫ですか? ちょっと顔が赤いみたいですけど」

「え? あぁ……私も体力が落ちたかしら。本殿まではあまり来ないから、ここに来るまでの階段で少し息が上がっちゃったのかも」

 本殿は神社の一番奥に位置する。魅月さんが言うように、年末年始など大きな行事が無い限りは、参拝客は大体拝殿までしか上がってこない。本殿に特別珍しいものはないし、観光客が立派な景観を写真に収めようとする以外ではなかなか人の出入りは少ない場所だった。

 だから魅月さんがこんな所まで上がってくるのも、ちょっと珍しかったのだ。

「それより、織恵も目の下にクマが出来てるわ。いつまでもスッピンでいられる肌なのは羨ましいけど、ちゃんと寝ないと駄目よ」

「え、嘘!? やだ私ったら!」

 慌てて目を覆い隠した。すると魅月さんは、おかしそうに笑った。

「ふふっ、冗談よ。ほら、見て。いつも通り綺麗な肌してる」

 私の隣に来て、手鏡を見せてくれた。私は覗き込むように鏡を見ると、クマなんて浮いてなくてホッ胸を撫で下ろす。自分の顔に気を配れないなんて、女としてあるまじき!

「ね。でも、ちょっと表情が暗いかなって思って。物憂げ美人なのもいいけれど、何かあったの? 嫌なことがあったなら相談して?」

「あ、あの……」

 魅月さんが、あまりにも自然に聞いてくるものだから、私はうっかりコトのあらましを話してしまいそうになった。でも、すんでのところで思い止まる。

 私が魅月さんに対して嫌悪感を覚えていることは無いけれど、先日の楠木先輩の言葉が頭を過ぎった。あまぎり会は雨霧家が主導で動いている。町会にもパイプを持っているから魅月さんの耳に入れていい話と、入れちゃいけない話があるように思ったのだ。

 それは詰まる所、魅月さんを悪者扱いするようで気分が良くないけれど、今の私の立場を考えたら祭りが終わるまでは大人しくしていた方がよい。

「えっと……あ、ちょっと聞いてもいいですか?」

 少し不自然な切り替えしになってしまうけれど、愁次の使った手を私も応用してみることにした。魅月さんは小首を傾げて、私を少し見上げる形になった。身長差は頭一つ分も無いけれど、近い距離にいると自然とこの目線になってしまう。

「……もちろん。私に答えられることなら」

「魅月さんの名前って、すごく綺麗だなって思ってて。やっぱりご両親が込めた想いとかってあったりするんですか?」

「私の、名前のこと……? 織恵に興味を持たれるとは思わなかったわ。あのね、名付け親はお祖母様だって聞いてるわ。織恵の家もそうだと思うけれど、私たちの家系は古いから、名前を付けるにも〝仕来り〟のようなものがあるのよね。女三代続けばなんとやらって言うけれど、名前の一字は母親から貰うの。織恵もそうでしょう?」

「はい、私の場合は〝〟がお母さんから貰った漢字です」

 私の名前は織恵で、お母さんは夏織、そしてお婆ちゃんが夏よ。こうしてウチの家系の女子は母親から一字を受け継いでいる。どうやら雨霧家と小鳥居家の命名規則は同じ部分があるらしい。

「だから私も……雨霧家も代々母親から一字を受け継いでる。それと同時に、鬼の字も含めないといけないらしくて、ちょっと名前としては複雑になるわ。私の場合は〝〟になるけれど、魅力的とか良いように解釈してるけどね」

「私は同じ女性として魅月さんは憧れですよ。なんてったって綺麗ですもん!」

「ありがと。今日はなんだか持ち上げられてばかりで、くすぐったいわ」

「あっはは。じゃあ、月の方も意味があったりします?」

「そうね……」

 魅月さんは花弁が一枚落ちるような名残を残しながら一歩離れ、私に背を向ける。長い髪が綺麗な仕草の軌跡を描くようにふわりと舞って、風が艶のある黒髪を撫でた。

「月は水に惑わされ、鏡を満たす――」

「え、それって……」

 こんな偶然ってあるの……。この言葉の並びは、先日の笑の言葉を彷彿とさせる。

 しかも、水と鏡の言葉まで入ってるなんて、何も関連がないと思うほうが無理だ。月といえば名前に入っている魅月さんから何かヒントが得られればと、その程度の気持ちだった。どうやらこれは大当たりの予感!

「お祖母様は私にそう言ったわ。でも、月は綺麗なだけじゃない。時に誰かを惑わしてしまうこともある。そんな時こそ、自身を見失わないように気高くありなさい、あの月の様にって。難しいよ、皆から見られるっていうのは。模範にならなきゃって思うと、私もたまに疲れちゃうかな」

 魅月さんは「私たち」と、旧家の家柄を同格に思ってくれているけれど、ウチと雨霧家とでは躾や厳しさという意味では全然違う。普段から着物を着付けるのも、立ち振る舞いや仕草も、この歳になっても魅月さんの苦労は計り知れないものだった。

 すべてにおいて厳格なのだ。私なんかとは釣り合わないし、比べてしまうことすら失礼なのかもしれない。だから私にとって魅月さんは、憧れであって尊敬にすら値する。

「でもね、太陽が沈んだら真っ暗になっちゃうでしょう。だから次は、月が暗闇を照らしてあげないといけない。そうして交互に続けていけば、必ず人は認めてくれる。時には憎まれ役を買ってでることも無くはないけれど。私がここまでこられたのも、私を慕ってくれる人が出来て、鬼の姫だからという理由だけでなく、この名前に恥じないように精一杯やってこられたからなのかなって自負もあるわ。続けることの難しさをお祖母様から、名前から教わった気がするの。それがつまり、鏡を満たすこと……皆から認められることだと、私は思ってる」

 重圧や決意だけでは押しつぶされてしまいそうでも、魅月さんは雨霧家としてそうあろうと続けてきたからこそ、こんなにも素晴らしい人になったのだと私も思う。

 鬼側や神側といった偏見がまだあるから、時に魅月さんは神側から奇異の目に晒されることもあった。でも、そういう体質は私が改めさせる。何年掛かるか分からないけど、魅月さんが一生懸命続けてきたように、私も根気強く。

「私も、魅月さんのような人が居てくれて良かったと思ってます。魅月さんは私の憧れです」

「ふふっ。今日は本当にどうしたのかしら。でも織恵、私はあなたが太陽だと思ってるのよ? あなたの明るさは、この村に元気を与えてくれるから」

「えぇ!? わた、私なんてそんな……。魅月さんとじゃ全然釣り合いませんよ!」

「そんなことないわ。私たちのように、この村は多くの女性が認められてる。昔は、男尊女卑っていう時代があったけれど、神姫村はそこまで顕著ではなかったそうよ。むしろ、道祖神様や天照大神様のように、まとめ役の神様が女性だったからっていうのもあるのかもしれないけれど。そういう意味では、神姫村の女性は庇護されてる部分はあるかもね」

「もし、そうだとしたら……へへ、なんか嬉しいですね。そのご加護のお陰で、この村は守られているのかも」

 天照大神様だって、ホントは心優しい方なんだ。なぞなぞを出したっていうのが、この村の〝〟で曲解されてしまっているけど、誰かが卑下されていいなんて道理は無いはず。男尊女卑なんて聞こえの悪い言葉は、この先使いたくないなと思う。もちろん、逆もあってはならない。

 何れにせよ、そんな風潮が横行していてもこの村はその毒牙に掛からなかったのだ。

「でも、やっぱり私が太陽っていうのもおこがましい気がします……。あのマユラの方が神秘性という意味では適任のような気もしますけど」

「見た目や雰囲気で言ったわけじゃないのよ。確かにあの子は特別だけれど、例えるならそうね……空、かしら」

「そら……?」

 魅月さんの意図は分からなかったけれど、太陽や月よりももっと違う存在……それは魅月さんなりの気遣いだったのかもしれない。

「でも、私の名前なんかで織恵の悩みは晴れたの?」

「あ、はい! 気を使ってもらっちゃってありがとうござます。数年ぶりに帰ってきて懐かしくて、ちょっと感傷に浸ってたのかもしれません。たはは」

「ふふ、あんまり歳のこととか考えちゃ駄目よ、二十代はあっという間なんだから。数え始めて、気がついたら三十なんて悲しくなっちゃうわ」

「あっはは! 肝に銘じておきます」

 苦笑して肩をすくめる魅月さんは、私と四つしか変わらない。今年二十代の折り返しを迎えるにあたって、少し憂うこともあるのかもしれない。

 落ち着いた物腰で気配りが出来るお姉さん。でも時々、茶目っ気も見せる素敵な人。それが私の知っている雨霧魅月という女性だった。

「それじゃ、私はそろそろ行くわ。お仕事の途中で引き止めちゃって、ごめんなさい」

「いえいえ、気にしないで下さい。私こそありがとうございました」

 魅月さんは薄く微笑んで、踵を返す。背筋が伸びた後姿も見惚れてしまうくらい、一つひとつの所作が美しい。仮に猫背だったり、蟹股だったりしたらあそこまではならない。まぁそれは大げさかもしれないけど、見てる私まで姿勢が良くなってしまうくらいお手本になる女性だった。

 その時、ちらほらと小雪が舞い降りてきた。

 舞台の幕が下りるように降り出した雪の結晶は、役者が一人階段を下りる姿を拍手で見送るかのようだった。



 お昼の交代時間を迎え、アルバイトの子たちと入れ替わりで神社を出た。

 首元に巻かれたマフラーが心なしか踊っているように感じるのは、魅月さんの歩き姿を模しているからかもしれない。身嗜みとは身に着けているものではなく、内面が変われば同じ服装でも様変わりするのだということを、少し浮かれた心が教えてくれた。

 軽く降り出した雪が路面を薄く飾る頃、私は本家に帰ってきた。

「織ちゃーん! 一緒にお昼食べよー!」

 引き戸に手を掛けた時、元気な声が私の耳に届く。

 学校帰りで制服姿の咲と笑だった。可愛らしい傘を二つ並べて私の所までやってきた二人は、背格好が殆ど変わらないので、季節外れの向日葵が太陽に顔を向けて咲いているようだった。そんな気にさせているのも、先ほど魅月さんに太陽だと言われたことが、よほど私の心を上機嫌にしているのだ。

「二人とも、今帰り?」

「はい。この前の話の続きもしたかったので、直接来ちゃいました」

「せっかくだから、一緒にご飯食べようと思って。お弁当だから、織ちゃんも突っついていいよ」

「そんな悪いよ。でも、そうだね……私もお蕎麦茹でるから二人も食べる?」

「やったー! 織ちゃん家のお蕎麦、わたし好きなの!」

「ちょっと笑、少しは遠慮しないと」

「大丈夫だよ咲、みんなで食べたほうが美味しいし。その代わり二人が作ったお弁当も頂いちゃおうかな?」

「そういうことなら、ぜひ。お蕎麦、私も頂きたいです」

「おっけー! それじゃあ、あがって」

 二つの向日葵は顔を見合わせて、嬉々として笑っていた。私も自然と笑顔になって、二人を家に招き入れたのだった。


 私たちが住む神姫村の地方は、昔からお蕎麦が主食として食べられてきた。

 それはここが寒冷地だった為、米や麦の収穫量が少なかったからだ。しかし、この山深い高原には良質なわらびが大量に生息していて、わらび粉小屋で水車を利用した独自の製法を用いて澱粉を取り出した。そうした、わらび粉入りのお蕎麦は昔の人には貴重な食料の一つとなったのだった。お婆ちゃんからお母さん、そして私へとお蕎麦の打ち方は伝授され、こうして二人にも振舞えるようになっていた。

 やっぱり自分が作った料理を誰かに食べてもらえるのは嬉しい。美味しそうに食べてくれたものだから、私も二人の自慢の弁当を美味しく頂いた。

 お弁当二人分に、お蕎麦一人前。お弁当はみんなで食べたとはいえ、食べ過ぎたのは言うまでもない。二人と自室に戻った時に出た第一声は、およそ分かりきったものだった。

「ふぅー。食べ過ぎたー」

「笑、はしたないからお腹を叩くのはやめなさい。ふぅ」

 例のごとく笑をたしなめる咲も満腹感は隠せないようだ。二人してお腹を押さえて、眠たそうに目を細めながら口は半開きなのは、見ていて癒される光景だった。こんなぬいぐるみがあったら絶対買うだろう、二つとも。この脱力感、数年後にでも商品化されないだろうか。

 そんな二人を抱きしめたい衝動に駆られつつ、起き上がるのを待っていた。


「はっ。すみません、自分の部屋じゃないのにぼ~っとしてしまいました」

「わたしはこのままお昼寝したいー」

 最初に起き上がったのは咲だった。やはりここはしっかり者の姉。笑のことを軽く小突いてから、私に向き直る。

「大丈夫大丈夫、落ち着いてからでいいよ。実はね、私も二人に聞いて欲しいことがあるの。最初は耳だけ聞いててくれると嬉しいかな」

「お、新情報!?」

 笑は目の色を変えて、勢いよく身体を起こした。私はそんな笑に苦笑して話を進めた。

「この前、みんなで話した時に〝鏡水月きょうすいげつ〟のそれぞれの意味を町の中で情報が無いか調べてみようって話になったよね。それで咄嗟の思い付きではあったんだけど、月って言ったらやっぱり魅月さんかなって思ったの。だからそれとなく聞いてみたんだ。魅月さんに」

「織ちゃん大胆……!」

「ホントそれとなくだよ。そしたらね、やっぱり咲たちと同じようにお婆ちゃんから言われてることがあるって言ってたの」

 その言葉に反応したのは咲だ。身を乗り出して起き上がる。

「それは……?」

「月は水に惑わされ、鏡を満たす……」

 二人は顔を見合わせて、確信するように頷いた。私も胸を張って応えた。

「うん、間違いないと思う。語呂が一緒だし、何より鏡水月の三文字が入ってる」

「おそらく、鏡水月は別々の意味があるのと同時に関連性がある……ということでしょうか」

「じゃあじゃあ、鏡もひょっとしたら誰かに言い伝えられてるってことです?」

「その可能性は高いね。でも、月以外のことは分からなかった。あんまり根掘り葉掘り聞くのも変だと思って、その場の流れで話は打ち切ったけど多分〝鏡〟の言い伝えは別の人が持ってるんじゃないかな」

 咲たちが水の意味を知っていたように、魅月さんも月の意味を知っていた。でも逆に言えば、それ以上のことは知らない可能性が高い。いくら古い家だからといって、ぽんぽんと答えが見つかるなんて甘いものじゃなさそうだもの。

 愁次が何か情報を見つけていたら嬉しいけれど、神姫祭で使う能面を彫ったりで忙しいだろうから、あんまり期待しすぎても駄目だよね。

「一先ず、水と月が分かったんですね。でも、単体で分かったとしても、関連性がある可能性を考えると、今その二つを基に検証しても意味は繋がらない気がします」

「そうだね。やっぱり鏡水月が括られているのも意味があると思うし、鏡の意味が分からないとその繋がりは分かりそうにないね」

「実は私、ちょっと気になってたことがあるんです。鏡水月の前、この謎の顔というべきタイトルのことです」

「花鳥風月、だっけ?」

 笑が口元に人差し指を添えて、思い出すように言った。

「うん、この謎を〝〟と銘打って書いた人はそこにどんな想いがあったのか。私はそこも蔑ろにはしたくないんです」

 それは私も同感だった。謎であれ詩であれ、必ずこの文章を書いた人がいる。その人の想いを汲んであげることが、最終的に見つけなきゃいけない答え。

 なんでもそうだけど、自分から行動を起こしたなら何かしら衝動や、突き動かされる想いがあるはず。それが詩とか謎とかに形を変えることはあっても、出題者の想いを基点にして生まれるのだから。

「多くのパズルは、思考を楽しむ為に問題が用意されます。逆に、それを解く人は自身の知恵と知識を試し、解けたときの喜びを噛み締める。そして、すべての謎が埋まったテーブルを見てようやく出会うんです。作者が込めた、本当の謎に」

「本当の謎?」

「はい。私はそれが、今までのどんな小さな謎よりも見つけなきゃいけない作者の想いだと思ってます。……だって、そう思いませんか!? どんなパズルにも必ず答えがあります。文字の変換、アナグラム、同音異義語、駄洒落、とんち……あらゆるパズル思考で穴埋めは可能なのです!」

「あー、お姉ちゃんの病気が……」

 突然、咲の言葉に熱が入ったかと思うと笑は苦笑いを浮かべた。私は咲に詰め寄られて逃げ場を失う。

「でも! クロスワードパズルの空欄をすべて埋めたら、そこにどんな光景が広がってると思います? いいえ、殆どの人は懸賞目当てで解き終わったら葉書きに書いて応募して、それで終わりかもしれません。しかし! 私は思いました。すべての謎を解いた時、どうして作者は正解のある答えを残したんだろうって。ジグソーちゃんを思い浮かべてください!」

「ジ、ジグソーちゃん?」

「ジグソーちゃんは、一ピース一ピース色が違います。微妙に模様が違います。それら一つひとつを繋ぎ合わせていった時、最後に大きな絵が完成するんです。その道のりはまるで、小さな謎を解明していって、最後に辿り着く真実みたいじゃないですか! なのに、なのに……その真実は私が見たときと、誰かが見たときでは違う表情をしているんです。誰かが言いました。この子は幸せになったねって。でも私は思いました。どうしてこの子は悲しそうな顔をしてるんだろうって。どうして……これはどうしてなんですか? 真実は一つじゃないからです!」

「う、うん! 咲、落ち着いて! 私もそう思ったことはあるよ」

「はっ……。ご、ごめんなさい、熱くなり過ぎました……」

 おそらく咲は、ジグソーパズルのことを言っているのだと思う。言ってることは良く分かる。それがパズルであろうと、カメラで撮った写真であろうと、人の表情は見る人によって変わってくるものだ。

「えっと……だから私は、作者が残した謎っていうのは個々のものを解くだけでは分からないんだって思ったんです。それを蔑ろにしてしまったら、曲解された真実が生まれてしまいます。作者の想いは一体何だったのか……。本当の謎はそこに全て詰まってます。すべての謎が解けたとき、本当の謎を解く手掛かりになるのが、これまで集めた最適解なんです」

「それでお姉ちゃんは、タイトルが気になったんだよね?」

 頃合を見て笑が顔を出した。何度も咲の暴走を見てきたのだろう、さすが双子……。

「そう。花鳥風月って熟語には、綺麗な意味がありますよね。綺麗な自然の風景を見て、風流に感じることです。私もこの村が好きですから、神姫村のことを親しんで付けてくれたなら嬉しいですよね。でも、そこから鳥が居なくなっただけで、その言葉は様変わりしてしまうんです」

 鳥が、居ない……。それは掛け軸のことを言われている気がしてドキリとした。咲には掛け軸を見せていないから、背景に花と月と風の絵が書かれていたことを知らないのだ。

 それを言い当てたのだから、改めて咲の洞察力に驚いた。

「鳥が居ないって、どういうこと?」

「こういう諺があります。〝月に叢雲、花に風〟……。響きとしては古風で綺麗ですが、意味は全然違いますよね。悪いことや嫌なことが度重なって、軌道に乗ったり嬉しいことがあったりしてもそういう良いことは長続きしないことの例えです。あくまで花鳥風月との対比ですが、そういう見方も出来てしまうということです」

「あのね……実はこの謎、掛け軸に書いてあって背景に絵が書いてあるの。その中に、鳥だけが居なかった……」

「え!? じゃあ、お姉ちゃんが言った例えって、あながち間違ってないんじゃない?」

 もうここまできたら、出せる情報は出してしまってもいい気がする。むしろ私だけが知っていて、何の広がりも見せないなら咲や笑に話せることは話してしまったほうが進展するかもしれない。

「やっぱり……。そうすると、作者は意図して鳥を外したとも考えられますね。これは、何か良くない兆候かも……」

 咲は先程とは打って変わって落ち着いた表情で、合わせた掌を口元に当てていた。

「この前、かんなと東吾さんは別の見方をしてましたよね。実は私も、その見方は一理あるかなって思ってたんです」

「謎じゃないってこと?」

「いえ、私はこの謎、とても深い何かが潜んでると思ってます。でも、パズル思考で解こうとするだけじゃ行き詰ってしまうのは、もう一つの側面がある……とも取れるんですよ」

「つまり、鏡水月みたいに分解しないと分からないものもあれば、詩を詠むように読解しないといけないってこと?」

 自分で言っていて妙にしっくりくる。それは最初に思っていた懸念。

 鏡水月が仮に謎を解くヒントになっていたとしても、後半に行くにつれてこの三文字は無くなっていく。となれば、別の解き方が必要になってくるということだ。

 それが、文章読解に繋がるなんて……。短歌ならまだしも、詩になると作者の意思が大きく文章を変える。客観的に読解しても個人の主観が入り混じる為、読解が難しい。

「はい。例えば、最後の文章。ここだけは特に、神姫村の慣習そのものです。かんなが言ってたように、〝追憶を食む〟というのがキスを意味するのはこの村特有のものです」

「そもそも追憶とか、言霊とか、玉響とか。神道の言葉なんですよねぇ。あまぎり流は古神道ですが、言葉を大切にする教えがわたし好きで、色々と勉強中だったりします。ここで使われている言葉は〝想念〟と呼ばれる言葉の部類に入ります。想念は心理的レベルで認識されている言葉で……って、織ちゃんの方が詳しいかな」

「詳しいって程でもないよ。やっぱり本元は雨霧さん……魅月さんだからね。笑が古神道のあまぎり流で気になることがあるなら、全然言っていいよ?」

 古神道のちょっとしたことなら教えられたけど、言葉を大切にする教えで道祖神様が広めたことや、感謝の言葉を大事しなさいとか、正しい言葉を使いなさいとか、そのぐらいのことしか分からない。

「そうですねぇ。まず言葉っていうのは、それぞれに言霊が宿っていて使う人によって力が左右されますよね。想念で言えば、心理的レベルで認識されている言葉ですが、現世に対して誰かの願いだったり想いだったりを力に変えてくれる言霊のことです。神社の巫女さんである織ちゃんが祈ってくれたら、より神様に届きやすくなって力が強くなりますし、マユちゃんが祈ってくれたなら大きな力になると思います。だから、神姫祭ではマユちゃんはみんなの願いを聞いて、舞を踊ることで神様に届けてくれるんですよね」

「うん、マユラはやっぱり特別だから。その言動に神聖性はあると思う」

 力の度合いでいえばマユラと私では比べ物にならないだろう。ただあくまでも、思想の上での話だから、想念自体が願えば叶うというものではないけれど。

「それとは逆に、妄信的レベルで認識される言葉は、現世に対してあたかも存在するかのように信じ込まされてしまう言霊の力です。妄信的というか、一つの事柄を客観的に見て良くないことだったとしても、周囲が良いものなんだって言ってずっと聞かされてたら、悪くないかもって思っちゃうようなことですねぇ」

「はっきり言ってしまうと、一神教ではそういう風潮にあります。あまぎり流は多神教ですから、それすらも言葉で区別出来るんですよね」

 咲が冷静に補足をして、正座していた足を右に崩した。

「うん、その言霊は〝共鳴〟って言います。誰かの悪い思惑とか、騙してやろうという企みとか、そういった負の感情がより共鳴を強固にしてしまいます。でも共鳴の怖いところは、そんなつもりはなかったのに……っていう負の感情が無いときでも、相手に悪影響を与えてしまう言霊でもあります」

「そうだね、言葉を大切にするってことは、時には言葉を選ぶってことが必要になってくる。正しい日本語を使っても、正しく伝わらない時っていうのは共鳴なんだよね」

 あまぎり流はホントに言葉の怖いところまで見抜いてる。時に誰かを助けたり、愛情を注いだり、温かい気持ちにしてくれるものもあれば、時に誰かに嫌な思いをさせ、殺してしまうことだってある。

 言葉を正しく使うというのは前提だけど、その時々で適切な言葉を選べるようになろう。というのが、古神道あまぎり流の大きな教えの一つだった。

「そして最後は、あまぎり流にとって一番大切な概念〝謝恩〟の言霊です。これは物理的なレベルで認識される言葉ですねぇ。現世に対してちゃんと目に見えて、受け取ってくれる感謝の言葉。忘れちゃいけないですよね、わたしはありがとうって言葉大好きです」

「うん、感謝されて嬉しくない人はいないよ。色んなことに感謝出来るようになると、ホントに世界が変わって見える。道祖神さまは、この村に大切な教えを広めて下さった」

 そして私たち三人は示し合わせたわけではないけれど、深々と頭を下げてお互いに礼をした。

「あっは。やっぱり神姫村魂ですね、わたしたち」

「ふふ。それで? 笑は神道で何か気になったの?」

 咲は笑いながら、笑を促した。

「昔の人が残したものなら、信仰があつかったって考えたほうが自然じゃない? 言霊を濡らすっていうのは共鳴だし、追憶を食むっていうのは想念。そうやって読んでいくと、たった三行の文章かもしれないけれど、書いた人の心の移り変わりが分かるんじゃないかって思って。織ちゃんもそう思わないです?」

「確かに、読解するとき神道の教えは重要かもしれない。いきなり誰かの詩を読解するのは難しいからね」

 神道か……。この謎を書いた人がずっと昔の人なら可能性はある。

 あまぎり流に信心深い人だったなら、叶那や国中さんが言っていたみたいに神姫祭という見方も出来るかもしれない。

「わたしはなんとなくだけど、この文章の流れは悲しい想念のような気がします。最初の部分は謎が解けないとはっきりとは言えないけれど、儚い何かがあったり、消えて溶けたり、濡れたり。うん、まるで誰かが泣いてるみたい……」

「泣いてる……」

 笑はメモ用紙を見つめながら、神妙な顔をする。

 詩として見たときに、この作者は神姫祭を見て泣いていた……? いや、神姫祭の何かを見て悲しい気持ちになったというのだろうか。私の知っている神姫祭は、伝承こそ胸が締め付けられる慣習があったけど、元々は嫌なことを忘れさせてくれるお祭り。過去も禍根も忘れて、一夜くらいは祭りに興じようとして始まったもの。それは一見、問題から目を背けて逃げているように見えるかもしれないけれど、たくさんのことを抱えて生きてる人にとって、両手で抱えきれないものまで背負う必要は無いはずだ。

 それを姫と呼ばれる神様たちが、キスをしてその記憶を取り除いてくれる。

 そういう禊のお祭りなのだ。心が軽くなることはあっても、悲しい風景なんて見えないはずだけど……。

「まだ作者が残した本当の謎は分からないですが、私たちと作者の間では大きな認識の違いがありそうですね。それも、鏡の意味が分かったら見えてくるのでしょうか」

「分からない……。でも、神姫祭も神側と鬼側では言い伝えがちょっと異なるんだよね。この前楠木先輩と話したんだけど、ウチが教えられてきた神姫祭よりずっと怖いの」

「怖い、ですか……。確かに、今では考えられないようなことかもしれませんね」

「私はずっと、神姫祭があることで村の人たちは、昔から色んな諍いがあってもなんとかやってこられたんだって教わったの。道祖神様は禊を作るだけじゃなくて、せめて一夜だけでも過去のいざこざを忘れて村一丸となって一つのものを作ろう。そうすることで輪が出来て、また今年も精一杯頑張れるんだって。それで神様たちはこの村の平和を願ったの。だから、雛灯篭っていうのは後から出来たもので、儀式には象徴が必要だった。その為に神姫と鬼姫がその役を担った。それだけのこと」

「そうです。表向きはそれが神姫祭のあるべき姿でした。でも昔の鬼側の人たちは、禊を代償の一つと考えていたんです。笑って水に流すなんてとんでもない、正式な儀式が必要なんだって。それで祭りを利用することにしました。毎年禊の為に舞台に上がる姫のどちらかを生贄として捧げ、殺してしまう。多分、神側は知っていても知らないふりをしたんだと思います。毎年、姫役の女の子が変わってることを……」

「黙認してたってこと?」

「はい、私たちにとって神姫祭は儀式だと教わりました。もちろん、今はそんなこと続いてないんですけど……。でも不思議なことに、その禊には二種類あって殺されてしまう場合と、顔を整形して新しい生を受けたという記述もあるそうです」

「鬼姫は鬼側だったことを忘れ神側の人間として生き……もしくは、神姫は神側だったことを忘れ鬼側の人間としての生を受けたってことだよね」

 笑が一つ一つの言葉を確かめるように、頷きながら丁寧に補足した。

「……そっか。それが伝承として言い伝えられてる〝少女が一人消えて、みんなの記憶からその子の記憶が無くなる〟っていうことなんだね」

「そうですねぇ。でも、どっちみち姫の女の子はみんなの記憶から消えちゃうんです。そのカラクリは私たちにも分からないんですが……。一つ分かることといえば、姫は能面を被りますので舞台で踊った女の子が誰だったかを皆知りません。だからもし、女の子が毎年変わっていたとしても、同じ年頃の子を選んでいたとしたら誰も気づかなかったはずです。神側の人たちも、そして私たち鬼の人たちも」

 そう説明されると分かってきた気がする。鬼側が扇動しかたどうかは判断出来ないけれど、表と裏で神姫祭は動いてたということなんだ。

 でもどうして、人の命でなくちゃいけなかったんだろう。殺してしまうにしても、顔を整形するにしても、一度受けた生に幕を閉じることに変わりは無い。どちらも慈悲なんて無い。仮に殺されなくても、顔を整形して今までの名前を捨てて、まったくの別人として生きるなんて、その姫は一体、何を思って生きているんだろう……。

「あ、ごめん。余談だったね。この歳になっても知らないことばかりで恥ずかしいよ」

「そんなことないです! わたしたちは今、皆で謎を手探りしてる状態ですから、誰かだけが知っていても意味が無いですよ。情報を共有して、作者の首根っこ掴んでやりましょう!」

「笑、目的が変わってる。けど、私もこの子と同じ気持ちです。お互いに気づいたこと、思ったことはどんどん言っていきましょう。今までに無いアプローチで、私はちょっぴり楽しんでますから」

 そういって二人は笑ってくれた。

「それより! 織ちゃん、この謎が解けたら、何かご褒美は無いの!? 東吾さんは悪いことばっかり考えちゃうって言ってたけど、もっと楽しくなるように考えようよ。このお話だと、謎が解けたらどんな報酬があるの?」

「え、それは……どうだったかな。私、スッキリ謎が解けて自分なりの答えが出るまで、先は読まないんだ。だ、だから、実際に報酬があるかどうかはまだ分からないかな、たはは」

「そう、なんだ……。残念。わたしはご褒美があったほうが燃える女なのにぃ……」

「どちらにせよ、解かないことには分からないよ。笑もこの謎が解けるように頑張らなきゃ」

 現金な笑を、咲が諌めてくれた。

 でも私は、咲にも笑にも言えないことがある。この謎解きのタイムリミットは、もう目前に迫っていること。今年の姫は、私になるかもしれないということ。もしそうなった場合、私が生きた二十一年間は無かったことにされて、皆の記憶から消えてしまうだろう。

 その時、誰も覚えてないっていうのが辛いな……。過去、一体何人の姫たちが同じ悩みに苦しんできたんだろう。ひょっとしたら、歴代の姫たちも天照大神様の謎に挑戦していたのかな? ましてや報酬なんて、それを回避出来ることくらいしか……。

 言えないよ……。神姫祭までにこの謎が解けなかったら、私が消えるかもしれないなんて。

もし打ち明けたとしたら、きっと躍起になって謎解きをしてくれると思う。

 でも、三年前謎に挑んだ先輩の知り合いはタイムリミットを迎えて、消されてしまった。案の定、私や愁次も覚えていないし、どういうわけか楠木先輩だけが覚えている。

 ホントなら私が必死になって謎解きをしなきゃいけないんだと思う。もちろん、このまま訳も分からず消されてしまうなんてご免だけど。ただ、多くの人を巻き込んでしまったら謎が解けなかったとき関わった人たちに迷惑を掛けられない。


 おいそれと人を消して……しまう、なんて――。


 え、ちょっと待って……。

 そういえば、楠木先輩も「消されたんじゃないかって思ってる」って言ってた。その時は深く考えなかったけれど、私は神懸り的な力が働いて人が消えるんじゃないかって思ってなかった? 生贄ってどうやって選ばれるの? 何か悪いことを犯したら……。

 いいえ、誰かの罪を禊ぐために、姫に選ばれた少女がその罪を被る代わりに皆の記憶を食べてしまう。それが伝承……。

 じゃあ、どうして今の時代に、人が消えるなんてことが起こるの? 三年前の誰かは謎解きに失敗して姫に選ばれた。そして〝消された〟……? 辻褄が合っているようで、微妙に合っていないような違和感を覚える。

 ということは、儀式を執行した人たちがいるっていうことなの――?

 それは誰? 神側は黙認してたかもしれないけれど、基本的に表舞台の人たちだからそんな大それたこと出来ない。でも鬼側も、笑が言っていたように能面によって誰が姫に選ばれたかを知らないはず。


 神側ではなく、鬼側でもない……別のグループの人たちがいるということ……?


 私は、誰に、消されるの……?


「あ、あれ……? 織恵さん、大丈夫ですか?」

「……え、え? あぁごめん何でもないの」

「織ちゃん、ちょっと疲れてるのかも。祭りの前で準備とか色々あるよね。忙しいときに押し掛けちゃってごめんなさい」

「いいのいいの! そんなに気にしないで、笑」

「……そろそろ、私たちは帰りましょうか。織恵さん、何か手伝えることがあったらいつでも言ってくださいね。水沢は芸事や創作などはやってないですけど、織恵さんのお手伝いならいつでもさせて頂きますので」

「う、うん。ありがと」

「バイバイ、織ちゃん」

 二人は軽く手を振って部屋を出て行った。

 どうも気を使わせてしまったみたいだ。確かに準備は色々とあるけれど、愁次ほどではないし夜もちゃんと寝られているから、疲れという疲れは感じていない。しかし、考え事していたときの私の顔が心配させてしまうくらい顔色を悪くしていたのかもしれない。

 気をつけないと。もう二人を巻き込んでしまっているようなものだけど、謎解きに専念するために余計な心配は掛けさせたくなかった。


 すると、二人が退室してまもなく一階からお母さんの呼ぶ声が聞こえた。

 何かと思って降りていくと、玄関に叶那の姿があった。心なしか神妙な面持ちで私を見上げている。何か言いたげにしていたので、話しづらいことかもしれない。

 私はお母さんに断って、少し外に出てくると告げた。叶那は私の手を取って、何かを急ぐように小走りに駆け出していた。



「叶那、どうしたの? 何かあったの?」

 鳥居の前までやってきて、叶那は手を離してくれたので聞いてみる。

 叶那は少し周りを窺うような仕草をしてから、私の目を見据えてきた。

「織恵さん、正直に答えてください。この前、佳ノ湖の東屋でみんなと一緒に解いてた謎って、この村のものなんですか?」

「え……? あ、うん。神姫村を舞台にしたお話でね、何か村に縁があるヒントが隠されてて、それを見つけないと解けないみたいなの」

「ホントに、小説なんですか……?」

 叶那の意図が分からない。じっと私の目を見て話さなかった。私に何かを聞き出したいみたいだけど……。

「あ、ごめんなさい。突然こんなこと聞かれても困っちゃいますよね。あの、さっきなんですけど、まゆちゃんに聞いたんです。先日、ここのお年寄りたちがちょっと言い争いになったって」

「言い争い?」

 町会でのことだろうか。楠木先輩が言っていたのは、もっと前のことだった気がするけれど。

「はい、すごい剣幕だったって。詳しく聞いてみると、祭り前で少し気が立ってる所に良くないことがあったみたいで、大事なものが盗まれちゃったらしくて……」

「うん……叶那も聞いたんだね。祭りの時に使う祭具が盗まれちゃったみたいなの。誰がやったかは分からない。でもね、今年は新しく作り直すことが決まってて私と愁次が作ることになったんだよ」

「そう、だったんですね……」

「でも、それと私が調べてる謎がどうして関係があるって思ったの?」

「だって……大きい声じゃ言えないですけど、この村の人たちって優しいけど、厳しいじゃないですか。特に自分の家のことになると。私も以前、村の子たちが遊んでるところをお年寄りたちが厳しく怒ってるのを見たことがありますから。それで、大事なものが仕舞ってあるのは神社だから、ちゃんと戸締りをしてなかったとかで織恵さんが罰を与えられたんじゃないかって思って……」

 なるほど、そういうことか……。私は叶那が、純粋に心配してやってきてくれたのだと思って少しホッとしていた。

「ありがとう、叶那。でも大丈夫、罰とかじゃないから安心して」

 とはいえ、まったく無関係とも言い切れない。詳しくは言えないけれど、叶那の純粋な気持ちに水を差したくなかった。だから私は丁寧に言葉を重ねた。

「幣殿はめったに開かない場所なの。私も物心ついた頃からは、入らせてもらってないくらいだよ。そこに入って祭具を盗んだんだから、やっぱり信心深い人たちは怒るよね」

「怒る……というレベルではないかもしれません。〝禁忌を犯した〟って言ってました。お年寄りたちがそんな言葉を使うなんて、余程のことなんだと思います」

 楠木先輩も言っていた。もう何度言われたか分からない。幣殿に入ることは、冗談じゃ済まされないくらいマズことなのだ……。

「もし、何かしら関係があったなら謎は解くしかないって思ったんです。私のおじいちゃんは、この村を昔から見てきて、伝承になぞらえた唄がいくつかあるんだって言ってました。神姫祭は禍根や失敗も忘れさせてくれる。だから、この謎を解いて、雛灯篭に流す。それがこの村の禊……償いになるんだって」

「……」

 叶那の言っていることが、時々分からない。私以上にこの村のことを知っているのではないかと思ってしまう。

 そして叶那は、一歩近づいて私の両手を掴んだ。神妙な面持ちで、私のお腹あたりを見つめている。

「織恵さん、あたしがもし、今解こうとしている謎に似た小説を知ってるって言ったらどう思いますか?」

「え……? どういうこと?」

 ドキリとした。それは存在しないお話、愁次が協力者を集めるためについた嘘。私もそれにのる形で叶那や咲たちにも言ってしまっていることだ。

 なのに、本当に実在するということ……?

「知ってるっていうと、違うかもしれないんですが……。三年前、この村の誰かが少し変わった謎解きをしているっていう話を聞いたことがありました。当時は織恵さんやおっちゃんくらいしか話し相手は居なかったので。その後、謎が解けたのかどうか分かりません。ただ……」

 私は息を呑んだ。それは、誰も知らない記憶のはず。楠木先輩だけが覚えていて、村の誰もが忘れてしまっていること。

 叶那が知っていること自体が、信じられなかった。

「〝ミヅキ〟という女性ひとが、居ないんですよね……」

 叶那は一体、どこまで知っているんだろう……。祭りの後、すぐに村を出た私たちはその後のことを知らない。

 おそらく叶那が言っている「ミヅキ」という女性は、私の知っている魅月さんではないのだ。楠木先輩だけが覚えている、その女性に違いなかった。


 三年前、この村で何があったのか、私は覚えていない――。

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