二、思惑

「わ、わ、あああぁああっっ!!」

 足元の何かに躓いてバランスを崩せば、案の定盛大に私の身体は投げ出され、建物が揺らぐ程の地鳴りと、幾重にも重なる枝を踏み潰したような砕けた音が静観な幣殿へいでんに響き渡った。

 いや、建物が揺らぐとは失礼な。私はそんなに重くない、断じて……多分。咄嗟に身体を捻って受身を取れたのが良かったのかもしれない。お尻が良い具合にクッションになり、身体にはさして痛みは残らなかった。

 感謝を込めながらお尻をさすり身体を起こしたが、倒れる際に手に何かを引っ掛けてしまったらしく、落ちた何かを下敷きにしてしまっていた。

「あちゃー……。やっちゃった……」

 目の前のそれは見事に割れて、中身が顔を覗かせている。箱状のモノは陶器か何かだろうか。表面の光沢は暗がりのせいもあって、一見、陶器にも見間違えそうだがこの赤と白の色合いはイチイの木だ。……ということは、花明一刀彫の工芸品ということになる。

 しかし、この光沢を見るにかなりの年代物……。それもそのはず、ここ幣殿は八百万の神様のご神体が納められている神聖な場所。神姫祭で使う祭具なども納められていることから、祭事以外では滅多に入ることもない場所だ。神社の娘である私でさえ、中々入る機会も無い所だった。

 その幣殿になぜ居るのかというと目的があってここに来た訳ではない。たまたまなのだが……、それよりも私は割れた隙間から顔を覗かせるモノに目を引かれていた。

「なんだろ……。巻物……?」

 昔ながらの絵巻物のような装いをしているけれど、今までこんなものは見たことが無かった。ご神体や祭具が置かれているのはおぼろげに覚えていたけれど、これは祭具とも違う。こんな場所のせいだろうか、物珍しさに期待を膨らませて、ちょっとの悪戯心を内心感じながら紐を解いた。

「花……花鳥風月? 掛け軸みたいなものかな……?」

 開いてみると、予想とは裏腹に家計図などではなく不思議な文字列に鮮やかな絵が描かれている掛け軸だった。長さは私の身長ほども無いけれど、一メートルは超えていて上質な紙は、ウチの「小鳥和紙」が使われている。

 花明一刀彫の器といい、上質な小鳥和紙といい、これはお供え物といっても差し支えないほど何か特別なものかもしれない。ふと見上げると、一柱のご神体が私を見下ろしている。この神様の前にあるということは、何か縁のある代物に違いない。

 ……でも、この神様の名前をど忘れしてしまった。神社の娘らしからぬ失態……ごめんなさい。申し訳なくて、ご神体に一度頭を下げることにした。


「……誰か、いるのかい?」

 ハッとして振り返ると、見覚えのある青年が居た。細身の長身で、スラリとしたシルエットはおよそ男性の中では華奢な部類に入る。とっくに変声期を迎えているどころか、二十代後半だというのに中性的な声の持ち主で、人を威圧しない気さくな人。

 そのシルエットと声だけでも、楠木楓先輩であることはすぐに分かった。

「あっ、先輩! ここは関係者以外立入禁止です! 勝手に入っちゃ駄目ですよ」

「ごめんごめん。なんか、音が聞こえたから何かなと思ってさ。そしたら、普段滅多に開かない幣殿が少し開いてたから……」

 だから私の重さで地鳴りなんて……と否定したかったが、外に居た人が音に気づいてやってくるくらいだから、それくらい大きな音はしていたらしい。とはいえ、私も含めてこの場所に長居はしていられない。早く出ないと……あ、でもこれ壊しちゃってた。

 あちゃー……。どうしよ……。

「ちょっと躓いちゃって。すってんころりんって。たはは……」

「ああ、それでその箱も壊しちゃったと」

 先輩は目ざとく発見する。足元にある私が壊してしまった無残な木箱の残骸を指差して、楽しそうに笑う。

 私の不注意で壊してしまったモノ。格式のありそうな代物なので余計に負い目を感じてしまう。故意ではなかったにせよ、悪戯が見つかってしまった時のように肩身が狭い。

「あれ、それって掛け軸? 珍しいね」

 先輩は話題を変えるようにそう切り出した。私も見つけたばかりで中身をよく吟味していない。床に広げた掛け軸を、先輩と一緒にもう一度覗き込んだ。

「こういうとこに納められてる物って、古そうなイメージがあったけどこの紙といい、変色も殆どしてないし、年代物って感じはしないね」

「そうですね。ウチの紙は特に経年劣化に強く出来ていますから、四、五年は綺麗に白い色を保ちます。あまり空気に触れさないで保存状態が良ければ、十年くらいは色褪せないです。まぁ、数十年っていう保障は出来ないですが……」

「なるほどね、それを見積もっても十年以上前のモノって確率は低そうか。……これ、短歌ってわけでもなさそうだけど、不思議な文章だね」

 大きな表題のように「花鳥風月」と右端に書かれている。後に続く文章は普段私たちが使う言葉ではなく、古文のような印象を受ける。とはいえ、そうだとしても何か違和感も覚える。

 それはきっと背景の所為かもしれない。花鳥風月というお題にも拘らず、描かれているのは花と風、そして月……。鳥がいなかった。

 鳥であればすぐ描けそうなものだが、象徴的な鳥が見つからなかったのだろうか。それとも、何か描けない意図でもあったのだろうか……。

 しかし、タイトルのような冒頭の文字は花鳥風月と銘打ってある――。

「これさ、謎掛けってことはないかな」

「謎……?」

 妙にしっくりくる単語だった。すっきりしないモヤモヤを、謎という言葉が吹き飛ばす。

 言い方を変えれば、なぞなぞ……。そう思うと、これが何かを暗示しているのではないかという気になってくるから不思議だ。

「ほら、小鳥ちゃんも知ってると思うけどこの辺りってさ、ずーっと昔に八百万の神様が訪れたって言われてるよね。その時、ある神様は子供と遊ぶのが好きで、よくなぞなぞ遊びをしていたって」

「あ……。確か、天照大神あまてらすおおみかみですよね」

 私はふと見上げる。頭上のご神体は天照大神だったことを思い出した。

 もちろん、私は〝〟の人間だからこのお話は知っている。この土地はその昔、たくさんの神様たちが逗留していたそうだ。この村の湖を望む景観は、地上に空を切り取ったかのように美しく心を豊かにしてくれる。それを多くの神様が慕い、癒しを求めてやってきたのが事の始まりだったみたい。

 神様たちはこの湖を「よし」と名付け、その後、湖の中央を横断するように橋が掛けられた。それが今の「湖佳橋こよいばし」である。

 そんな佳ノ湖の周りを歩きながら、子供たちと賑やかに談笑する姿はとても平和的な神様たちの日常。そこで天照大神は、子供たちに少し意地悪なお話を始めた。

 それが〝〟なるものだった―――。

「その謎掛けがいくつか残ってて、それを誰かが書き残した」

「もしそうだとしたら、ちょっと面白いですね。私に解けるかな……?」

「お、挑んでみる? 最初から見てみようか」

 緊張する必要はないけれど、少し背筋を伸ばして文字を俯瞰する。全文はこうだ。


〝鏡水月―――

 水面に映る月鏡 揺れる水鏡 幻の月

 儚く 映し世の鏡は消えて溶け 言霊を濡らす


 今宵 静寂の玉響 追憶を食む―――〟


「こ、これは難解ですね……」

「うーん……。そもそも最初の三文字も何て読むか分からないし。かがみ? きょう?」

 ノーヒントでは何を意味しているのかを探る以前に、読み方すら分からないなんて……。私も先輩も頭を抱えてしまう。

 すると、先輩は声のトーンを落としてゆっくりと話し出した。

「小鳥ちゃんは、神側だから聞いたことはないと思うけど……。天照大神の謎掛けには、続きがあるんだ」

「続き……?」

 先輩は一度立ち上がり、床の掛け軸から目を離す。その視線はゆっくり流れ、ご神体へと向いた。

「神様たちがそんな遊びを始めたことを、よく思わなかった人たちがいた。その人たちは、鬼って言われてて、それが今の僕ら〝〟の人間だったんじゃないかな……。ただ、だからといって子供たちの手前あからさまに神様と引き離すわけにはいかない。そこで鬼たちは考えた。神様と遊んだ子供たちに条件を課した。謎々遊びをするのはいい、でもその謎が解けなかったら……罰を与えるよって」

「罰って、何ですか……?」

「生贄――」

 イケニエ……。私はおばあちゃんに、ずっとずっと昔のことだけどそんなような話を聞いた覚えがある。毎年ある晩に、〝雛流し〟として生贄にされる少女がいることを……。

「この村の一番古い守り神は道祖神どうそしんだけど、天照大神が訪れるずっと前から人間たちの諍いは結構あったんだ。だから道祖神は、その〝はけ口〟を用意しなきゃいけなかった。そこでお互いに、毎年交代で生贄を捧げることにした……。その禊はまだ幼い女の子に課せられることになった。その時から変な風習はあったんだよね。でも、天照大神が来たことによって、もっと溝は深くなってしまった……」

「でも、天照大神は子供たちを楽しませたくて一緒に遊んでくれたわけで……。それを鬼が変に捉えなければ、そんなこと……あ、ごめんなさい」

 私が先輩に鬼に対して不満を述べることは、結果、神側が鬼側を否定することに繋がってしまう。もとよりウチは、祭事を担う神側の家系。小鳥居神社はその象徴でもあり、この村にある神聖な場所の一つだ。成人した今なら尚の事、余計な諍いを生まない為に自分の言動には考慮しなければならない。だから私は言葉が過ぎたことを謝った。

「構わないよ。僕も最初はそう思ってた。でもね、天照大神が鬼側の人間を誑かしたんじゃないかって説もあるんだよ。強欲な人だったみたいだからね。だからもう、どちらが悪くて、どちらが先かなんて分からないんだ……」

 人が言い争う時、最初にきっかけを作ったほうが悪いという話に収束する場合が多々ある。でも、次第に話は二転三転して結果的に物別れになってしまうことも少なくない。

 私はそんな人の諍いを小さい頃からずっと見てきた。それが嫌で、その根源にある人の感情をもっと理解しようとして、今の道を志した……。だから私が、感情的になってはいけない。

 しかしそうすると、どうしても禊が必要になってしまって、道祖神様が定めた生贄というものが機能してしまう……。でも生贄なんて、おかしいよ……。

「雛流しって聞いたことある? 週末の神姫祭でやる雛灯篭ってさ、一般的には今年あった嫌なこととか辛かったことを忘れさせてくれるっていう行事だけど、昔はその生贄になった女の子のことを〝〟っていう意味もあったんだ。だから残った人たちは生贄の女の子のことを忘れてしまう。……でもね、これも構図は同じなんだ。何の罪も無いその子は、誰かの恨みを買わされて、謂れの無い罪を被されて生贄にされる。誰かの都合で……。だから、その子はその罪を受け入れる代わりに人の記憶をごっそり抜き取っていく。自分が生きた証を残さないように、存在した自分の記憶を〝〟って言われてる……」

「なんか悲しいですね。誰かが誰かの所為にして、その挙句、その代償を誰かに課すなんて……。それじゃ、繰り返すばかりなのに……」

 禊、免罪符、代償――。人は罪の重さに耐えかねて潰されてしまうことを本能で知っている。だから、その内なる〝〟を外の何かにすり替えたいと願う。

 それが人であれば多少の負い目も感じるかもしれないけれど、人でなければ喜んで差し出すだろう。もとより、それで肩の荷が降りたと感じる自分を自覚しながらも、心のモヤは決して晴れてはいないけれど。

「でも、それが人間だよ。いつの時代も、人は誰かの鬼を誰かに押し付けて生きてる。年を重ねれば重ねるほど、それに慣れてしまって違和感すら覚えなくなってる。……だから、昔の子供たちはそれを恐怖と置き換えて、神様から離れていったんじゃないかって僕は思ってる」

「私は、その慣れっこになっちゃうような嫌な慣習を、せめてこの村からは取り除きたいと思ってます。その解決策は、根本を断つことなんですが……始まりが不確かな以上、現実的な具体案は今の私にはありません……」

 去年成人した私は、今年でもう二十一。まだまだ知らないことは多いけれど、この感情を紐解くには、過去のことも紐解かないといけないかもしれない。

 特に、この村に限っては―――。

「小鳥ちゃんには、すごく言い辛いことなんだけど……」

 先輩は一度会話の流れを止め、バツの悪そうな顔をした。

「自分の生まれた村を、こんな風にいうのも変だけど、神姫村ってちょっと特異でしょ。だから、今もその風習が続いてるんじゃないかって噂があるんだよ」

「え――。どういう、ことですか?」

「神姫祭を控えたこの時期に、小鳥ちゃんはその謎掛けを見つけた……これって、何か特別な意味があるんじゃないかって……」

 急に嫌な視線を感じて振り返ると、天照大神のご神体が私を見下ろしている。眠気が吹き飛ぶように身震いをして、背中から嫌な何かが這い上がってきたように感じた。その鳥肌を先輩に気づかれたくなくて、自分の両腕を抱えながら答えた。

「な、何言ってるんですか。特別な意味って……?」

「その謎を解かないと、生贄にされちゃうんじゃないかってこと――」

「っ……」

 先輩の表情が分からない。薄暗がりの幣殿で、この冬の時期に相応しい寒気が私の首筋を撫でる。着ている巫女服に冬仕様が無いことを恨めしく思いながら、自分が中に着込まなかったことを後悔した。

「あ、はは……。やだなぁ先輩、そんなことあるわけないじゃないですかー……」

 私の口はそう言いつつも、頭では別のことを考えていた。


 遡ること、二十分程前――。私は久々の帰郷で、神様たちに挨拶も兼ねて境内の掃除をしていた。ここ幣殿は、本殿と拝殿から少し離れた位置にある。境内の広間から中央通路を右に折れて、二~三分も歩けば入り口の立派な注連縄が迎えてくれる。旅館で言えば、離れにあたるだろう。

 ここへは石畳の掃き掃除をしつつ、ついでに手を合わせようと思っていた。深い意味も無く、本当に何気なく訪れた場所。すると……祭事にしか開かないはずの幣殿の扉が少し開いていたのだ。私は何かに誘われるようにふらりと入り込んだ。

 そして――。


 ……今思えば、何かの導きがあったのではないかとすら思ってしまう。

「ひょっとして、先輩は昔話に出てきた鬼さんですか?」

 変な胸の緊張をはぐらかすように、少しおどけてみせた。

「あーごめん。そういうつもりは無かったんだよ。ま、昭和もそろそろ六十年だし、半世紀も続けばそろそろ変わるはず。そんな時代に、そんな風習は残ってないと思うけどさ。……僕らが何も気づかずに忘れていなければ、の話だけど……」

「…………」

 私の言葉に少し語気を弱めた先輩だけれど、最後は嫌に引っ掛かる言葉に収束した。この三年は特にお祭りに参加していなかったから分からないけれど、神姫祭を境に自分の中にあった記憶が無くなったなんて感覚は分かるはずも無い。

 それは先輩の危惧であったのかもしれないが、私には眉をひそめたくなるような不穏な空気を感じて、反論しようにも喉につかえてしまった。


「……りえ~。織恵~? いないの~?」

 遠くの方からお母さんの声が聞こえる。息苦しさを吹き飛ばすように立ち上がり、一つ深呼吸をした。長居してしまったようだ、早くここから出てお母さんの所に戻ろう。

「せ、先輩。そろそろ出ましょう。お母さんも呼んでるみたいなんで」

「……そうだね。でも、これどうしよう? このままにはしておけないよね」

 あ……と、私は一瞬どうすべきか悩む。大切なものだろうし、謝らないといけない。でも、先輩のどことなく胸に残る言葉がお母さんに打ち明けるのを躊躇させる。

 いわく付きかどうかは別にしても、このまま置いておけないよね……。

「とりあえず、後で謎解きするにしてもこれがないと始まらないよね。誰か入ってきた時、何か壊れてたら騒ぎになっちゃうかもしれないし」

「で、でも先輩……」

「入っちゃいけない場所なんでしょ? ほら、一式持って。早く早く」

 無理やり手渡されても、この服にはポケットもないしどうすれば……。背中を押されて急かされる。……ええい、どうにでもなれ!

 私は襦袢の胸元にそれを忍ばせて、肌に触れた箱の冷たさに少し顔が引きつった。挟めるものは無いけどね! 丁度良いスペースだったよ!

 そのまま二人で幣殿を出て、そっと扉を閉めた。しかし、大事なことに気がつく。

「あ、でも私鍵持ってない……」

「え? ここの鍵って、それじゃ閉められないの?」

 先輩は私の胸元を指差して、不思議そうな顔をする。いや先輩、いくら私の胸が豊満になったからといって施錠なんて……ん? 嘘……。

 胸元に視線を落とすと、とうの昔に金属の光を失っている見慣れたウチの神社の鍵が、私の白衣の内側に収まっていた。

 その一本が私に、これを使って……と囁くように顔を覗かせている。

 あれ……私、自宅から鍵持ってきてたっけ……? そんなことを忘れてしまうほど、転んだときに動転してしまったのだろうか。

 首を傾げながら、自分の記憶の食い違いを辿った。しかし、早くここを離れなければという思いも急いて、腑に落ちなかったがここは大人しく施錠することにした。

「よし、オッケーだね。開かずの幣殿に入れてちょっと秘密基地的な感じで楽しかったよ。……一応、入ったことは内緒ね。それじゃ」

「あっ……。もう……」

 先輩は小走りに脇道に入っていく。石畳を行くと境内で探すお母さんと鉢合わせになるのを避けたのだろう。

 勢いに押されちゃったな……。それにしても、どうして幣殿が開いてたんだろ……。私が鍵を持っていたとしても、その前から開いてたよね……? うーん……。



「お母さーん! ごめんね、戻ったよ」

「境内だけで良かったのに、姿が見えないから心配したわ。遠くまでありがと。そういえば、さっき雨霧さん家の魅月ちゃんが来てたから……あら?」

 お母さんは私を見るなり、視線を目から下にずらした。

「織恵……あなたの胸、そんなにあったかしら……」

「え……。あ、あー私も成長期だし? 女は二十歳を過ぎてからってお母さんも言ってたじゃん?」

「……そうね。織恵も三年経ったんだから、そうよね。ふふふ」

 あぁ……誤魔化しちゃった私……。言えなかったよ……。

「あ、そうそう。夕飯のお買い物に行くから、着替えてらっしゃいな」

「う、うん。分かった、ちょっと待っててね」

 お母さんに負い目を感じながら、そそくさと背を向ける。

 不慮の出来事だったとはいえ、幣殿の中のモノを壊してしまった。それが、ご神体だったなら顔も青ざめていたに違いない。それに比べたら……。

 そんな気休めにしかならない比較をして、なんとか自分の心を落ち着かせるが、先輩から聞かされた昔話が妙に頭に張り付いて離れない。そんな生贄なんて風習、現代まで残ってるはず……そう思いながら、誘われるように出会ったこの謎に何かの因果があるように思えてならなかった。

 

 天照大神の謎掛け、鬼の条件、禊……生贄……。

 神側の私が小さい頃に聞かされたお話は、そんなに血生臭いものではなかった。神様たちは子供が大好きで、綺麗な佳ノ湖の傍で戯れる……。そんな平和な日常があり、幻想的な雛灯篭で一年の穢れを湖に浮かべて忘れよう。そしてまた、これからの一年を精一杯生きよう。

 そういう話だったはず……。おばあちゃんは古い人だから、鬼側との後ろ暗い関係も長年感じてきて、私にも〝やさしいこと〟ばかりではないんだよ、ということも教えたかったのではないかと思う。

 生贄にして殺してしまうなんてそんな大それたこと……。仮に、大昔に行われていた時代があったとしても、今は無い……と思いたい。


 私は割れた木箱ごと、自室の机の引き出しにしまった――。

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