拾壱 『背負いし者の面様』

Cattleya Side カトレアサイド


「やっと、帰ってこれました」


カトレアと母であるランテルの住む本殿の平屋。その裏手の滝つぼのある川でカトレアは身を清めていた。

季節はまだ春になったばかり。水は体温を瞬く間に奪ってしまうほどに冷たく、全く以って入れたものじゃないが、わざわざ湯を準備してもらうのも気が引けた。


「迷惑をかけました、リーベ」

「いえ、とんでもございません姫様。あの時、私が姫様に代わっていれば……本当に面目ありません」


リーベ。カトレアにそう呼ばれた女のエルフは、先ほど航達を来客用のコテージに案内した人物だった。

エルフの守衛の要。緊急時は先頭に長けたエルフの精鋭達の隊長を努め、先日はカトレアと行動を共にしていた。

少し目を離した隙に人間たちにカトレアが捕まってしまったことを深く根に持っていた。

実際、彼女が副隊長の男のエルフを止めたり、むやみやたらに航と戦おうとしなかったのは航が犯人ではないことを知っていたためだった。


「いいのよ、気にしないで。私はこうして戻ってこれたわ。それに……」


いいものも見れたしね。


「……?どうかされましたか?」

「いえ、何でもないわ」

「?」


何かを満足そうに頷いているカトレア。リーベは彼女の表情が、何かに納得したような、そして何かを決断したように感じられた。






カトレアが水浴びを終え、身体を拭いて新しい装束を身に付けていると、リーベが何か聞きたそうにしていた。


「どうかしましたか?何か気になることでも?」

「…はい、あの……何と言いますか」

「?」


カトレアは不思議だった。姫を連れ去られる失態を犯してはしまったが、リーベはもっと率直に物を言う性格だった筈。そう考えるとリーベの態度は少しおかしい気がした。

濡れた髪から水滴が滴り、若葉を打つ。その一滴に陽の光が反射し、カトレアの視界の端で目立っていた。


「その、あの男の事です」

「ああ、皇航様。あれはいい男ですね」

「なっ!姫様っ⁈ 」


一歩引いて驚愕したリーベをおかしく思ったカトレアは首をかしげる。


「どうかしたのですか?あなたもいい男だと思ったから気になっているんでしょう?」

「ち、違います!いい男かどうかとか関係ありません。全くの見当違いです……」

「そうなの?ならどうして?」

「その……あの男は一体何者なのでしょうか……」


そう言ったリーベの表情は少し不安そうだった。両手を胸の前で合わせて目を顰めて更に言葉を続ける。


「初め、村の外であの男と対峙したとき……いえ、対峙とは言えないですね。あの時、私たちは彼らを包囲していました。かなり離れたところまで逃げていましたので私達も半数ではありますが、多くの精鋭達で彼一人と向き合いました」


カトレアはここまで聞いた限りリーベの言いたいことが分からなかったが次第に深刻になっていくその表情に何かを察し始めた。


「あの男は少しの恐怖も、焦りも、動揺すらしていませんでした。そしてただじれったいようにイライラしていて、そして不動の城のような、ただならぬ濃密な存在感を発していました」


そこまで聞いてやっと納得する。


数十人の仲間を引き連れた隊の長が、ただ立ってるだけの男に、本能から負けを認めてしまったことが恥ずかしかったのか。


「私は手の震えを抑えるので精々でした。今思えば、よく副隊長を止められたと……」

「あの男は私達とは異質な存在よ。それが何なのかは分からないけれど、私は彼の笑った顔に既視感を感じたわ。時折母上が見せる表情とよく似ていました」


そう言ってカトレアは服のうちに仕舞った藍色の宝石のペンダントを取り出し、何かを慈しむように、そして憐れむように目を細め、表情をやわらげた。


「背負いし者の表情。あの男は母様と並ぶ過去があるのでしょう」

「……想像もつきません。それほどまでに、人とは過去で強くなるのですか?」

「さあね。私にはわからないわ。でも間違いなく言える事があります」


ペンダントを服の内に仕舞い込み、カトレアはリーベに振り返ってこう言った。


「彼はきっと悪い人じゃないわ」

「……ええ」


木漏れ日が濡れたカトレアの髪に反射する。整った顔にバランスのとれた体形をした、見目麗しい我らが姫君。リーベにはそれがいつもよりも美しく輝いて見えた。


「彼には期待せざるを得ません。姫様をお救いくださっただけでなく、女王様までも変えてくださるかもしれませんからね」

「ふふっ渡しませんよ」

「な、何を!お戯れを…………むっ、誰かがこちらに来ます」


聴覚の鋭敏なエルフにだからこそ届いたその足音。それは間違いなく彼女たちに近付いてきていた。


「また、仕入れ屋……でしょうか」

「分かりません。そうだとしても、今度こそは必ずお守りします。私が囮になりますので、その隙に」

「もしもそうなってしまったら、彼を連れてくるわ」

「それはなんとも、心強いですね」


先ほどまで遠くにあったはずのその足音は今ではかなり近くまで来ていた。尋常ではないスピードで近づく何者かに対し警戒を強めたリーベとカトレアの目に映ったのは―――






〇 Wataru Side航サイド 〇

一人、部屋へと戻って行った航。彼は扉のすぐ向こうで座り込んでいた。片脚だけ胡座をかき、もう片足を立てて背を扉に預け、航は天井を見上げる。天井の木材の模様の黒い斑点に目線が合っていて、虚ろな目で虚空を見つめていた。


「姉さん……」


ババアは自分を姉ではないと言っていた。もし本当に姉だったとしたら、海だったとしたらきっともっと早くに正体を教えてくれた筈だった。そして今までの会話から海だと思わせる何かがある筈なのだ。

しかし今まで航にはそう感じさせるものがババアには無かった。しかし、こうしてババアの姿を見てからこじつけるように頭が線を繋ぎたがる。願いが断ち切れない。時より見せる無邪気、小さなことを気にしない大雑把な性格、そしてふと気の抜けた時に聞く陽だまりのような声色。


「はァ……」


のっそのっそと身体を揺らして備え付けられたベッドに身体を預ける。だが微妙に反発してくるマットレスが彼に起きろと言っているかのようだった。


「今日だけだ。明日になったら、元の俺に戻ろう」


姉さんじゃねぇんだ、あいつは。


心に打撃を受けたような、おもしを乗せられたような鈍い重みが航の気分を更に悪くさせる。


「ダメだ、起きて走ろう」


限界だった。疲れてもいない身体を無理矢理休めようとすると余計な事を考えてしまう。上着を脱ぎ捨て部屋を出て元来た場所を辿って出口へと向かう。途中にホワイエがあり、誰かしらと顔を合わせるだろうと思っており、実際二人がそこに残っていた。


「んむ、どうした小僧?」


パトリシアと海の姿をしたババアだった。


「あいつらは?」

「村に夕食の食材を分けて貰いに、女王のところまで行きましたよ」

「そうか」

「……あの、航───」

「少し出掛けてくる」

「気兼ねなく行ってくるが良い。あやつらが帰ってきたらわらわが伝えておく」

「最近のロリはこんな気遣いまで出来るのか」

「良い良い無理をするでない。わらわにまで気を回さんで良い。ほれ、行くんじゃろ」

「……ああ」


航は会話の間、ババアに一切目線を合わさなかった。それは単純に姉の姿をしたババアが絡みづらかっただけではなく、単純に目を合わせづらかったのもある。意図せず素っ気ない態度になってしまった。


「行ってくる」

「気をつけていくんじゃぞ」

「いってらっしゃい」

「……おう」


辛うじて返事だけは出来た。航がババアの姿に困惑している事に変わりはないが、互いが歩み寄ろうとしていることをパトリシアは強く感じ、少しだけ安心したように口元を綻ばせた。






航は駆けた。疾く駆けた。短距離走の要領で道の続く先へと走っていく。


久々の感覚。俺は今、一人だ。


ノイズが一切流れ込んでこない。それだけで、目に見えているその世界が広く、美しく感じた。

これまで陽の光をこれ程嬉しく感じたことは無く、身体が嘘のように軽くなっていく。

前へ進む推進力を落とさず、数メートルの断層を飛び降りたところで、航の目に崖の高くから不断に落ち続ける大きな滝が目に入った。


行ってみるか。


距離にして数キロはあろうその滝までの道を、航は殆ど息を切らさずに走り抜ける。この世界に来たばかりの頃と比べて嘘のように軽くなった身体に感謝しつつ、最後の断層を飛び越え、推進力と水平に身を翻して着地した。


滝壺のひんやりとした空気が航を包み込む。


「あ?」


気配、そこには先客が二人いた。

女隊長とカトレアだった。


「あなた……」

「こんにちは、皇航様」

「お前らか、なんでこんな所に…………」


言いかけて女隊長の持っている荷物に目がいく。彼女は先程までカトレアが着ていたボロボロの服と濡れたタオルを手にしていた。


「……そうか、邪魔したな」

「いえ、決してそんな事は。もう済みました。それよりも貴方様こそどうしてここへ?」

「どうもこうもねぇさ。走ってたらたまたまその滝が目に入っただけだ」

「そう……」


滝に目を向ける二人。暫くの沈黙が続いた。女隊長は二人を交互に見て困惑していた。居づらすぎる空間だった。なるべく空気になることに徹し、音を立てまいと呼吸を細めて耐えている。それにそろそろ慣れてきた頃。


「何かあったのですか?」

「あん?」


航にはカトレアの言っていることが一瞬だけ分からなかった。濡れた髪に木漏れ日が反射している。より一層慈愛に満ちた表情のように感じていた。


「…………趣味悪いぜ」

「私、生まれつき目が良いんです。嫌でも色々と見えてしまうのです」

「苦労するな、互いに」

「それほどでも、お互いに」

「クハッ!」

「ふふふっ」

「エレノアとはまた違ったお姫様だこった」

「カトレアとお呼びくださいな」

「あぁ、カトレア」

「ふふ、嬉しいわ」

「おっと」


自然に綻んだカトレアの笑顔に、航は意外にもたじろいだ。命の恩人とはいえ、知らない男にここまで心を許せる目の前の少女。そのふと見せた喜びに満ちた表情は完璧に整った顔面も相まって、一枚の絵のようだった。


異世界のお姫様ってのはどいつもこいつも揃いも揃って肝が座ってやがる。ただ世間知らずなのか、それとも血筋か。


「それで、話して下さらないのですか?」

「ん?あぁ、なに。大したことじゃねぇよ。時間が解決してくれる」

「何があったのかまでは分かりませんが……時間というものはそこまで当てにはなりません。確かに、どのように強い感情だろうと時間が経てば薄れ行く。ただそれは無くなったのではなく、染み付いただけ。そして染み付いた感情はやがて養分となり、貴方を形作る要素となる。そうなってしまったら、もうその染みは中々取れません」

「……お前、幾つだ」

「今年で成人です」

「……苦労するな、互いに」

「それほどでも、お互いに」

「もう笑えねぇよバカ」

「ふふふ」


その後、しばらくの間。その空間の時間は穏やかに過ぎていく。涼しい水辺、心地の良い陽の光にあてられながら、落ち着いた無言の時間。

この世界に来てというもの、航にはその時間が一切無かった。あるとするなら初日の夜、ババアの反応がなかったから時。それ以外の時間、航は常に何かに追われるような気分でいた。


しばらくそうしていると誰かが駆け寄ってくる足音が耳に入る。続いて叫び声のような、焦っているような女の声がその空間を破壊する。


「ひ、姫様!村に!村に仕入れの代表が!」


束の間の休息の時間も長くは続かなかった。

航の形相が酷く歪んだ。

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異世界奴隷解放~世界中の奴隷を解放しろ!~ 百鬼綺理成 @OhNo_Shota

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