玖 『ハーフェン=ケーニギン』

Hafenハーフェン Sideサイド


「クソがっ!!!」


ハーフェンの蹴りが壁に叩きつけられる。代表室ともう一つのオフィスに繋がっている壁を蹴ったので、その向こうにいる部下達にもそれは伝わる。

部下達も現状を分かっていたし、彼らの代表であるハーフェンの気持ちも理解していた。だからこそ、皆何も言わずにいた。何を言っても気休めにならないのだ。

この世界を統一するアーレス王国国王からの全世界へ向けての新規の奴隷紋刻印の禁止令。これは後々の奴隷解放に向けての第一歩だった。そしてそのたった一歩で、強引な仕入れを行う彼らのような、黙認されて営業していた仕入れ業者は完全に潰れてしまう。


「やめてください、穴が開きます」

「おめぇは悔しくねぇのかよクランケン!!!あんな好き勝手一方的に決められてよォ!!」

「悔しいですよ……ですが私はまだ死にたくないので」


感情的なハーフェンとは対称的にクランケンは冷静を保っていた。とはいえ怒りを覚えているのは同じだった。先程まで彼が持っていたアルミ製のカップを運ぶトレーが既に粉々になっていたからだ。


「絶対このままじゃ終わらせねぇ……オレが……オレが男だったら、こんな惨めな思いしなくて済んだのによォ!!!」


次はソファ前のテーブルを蹴飛ばす。ハーフェンはその悔しさから、涙すらもその頬に滴らせていた。


「いえ、例え代表が男性だったとしても結果は同じでした。私はあの男と刺し違えることすら出来ません。運が良くてたったの一撃です。それに魔人が小さいものも含めて四人。明らかに私達では手に余ります」

「何より腹が立つのがパトリシアのチビだ。わざわざここまで連れてきてくれやがって…いつか絶対痛い目を見せてやる」

「そうですね。ですから今は復讐しようなんて考えないでくださいね」

「そりゃ無理な相談だクランケン」


即答だった。僅かに流れた涙を拭い去り、ハーフェンの目付きが変わる。


「例えここで死んだとしても、オレはオレの道を征く。それを曲げちまったら、オレじゃ無くなっちまう」

「身体的か、精神的か。どちらかに傷を負わせることはできるでしょう。ですがあくまでそこまで。あの男を殺す事はきっと叶いませんよ」

「今更構うかよ。どうせこの稼業はもう無くなっちまうんだ。色々考えてたもんも全部台無しだ。オレはもう世間様に何百回も殺されても文句言えない程恨みも買ってる。ここを出て行ったら奴隷にもなれない今、野垂れ死ぬか殺されるかのどれかだ」

「……仕方ないですね。お手伝いします」

「まだ死ねないんじゃなかったのか?」

「どうせ代表より先に、というだけです」

「なんだそりゃお前」


しばらくの間、二人は沈黙していた。それがそれぞれの身の振り方を決める為の時間。これからどうするのか。どうやってあの男に一泡吹かせるか。他にも多くの逡巡を繰り返し、ハーフェンはようやく口を開く。


「あの片角の魔人を攫うぞ」

「……分かりました」

「最後の最後、やりがいのある仕事だろ?」

「えぇ本当に、こんなにやりたくない仕事も珍しいです。一周回って嬉しいくらいですよ」

「ハハッ言うじゃねぇか」


ハーフェンは笑いながら代表室のドアを蹴破り、部下達を見渡す。そして全員が自分を注目していると分かると話し始めた。


「お前ら、この今日で仕事は終いだ。全員漏れなくクビ!お前らも、クランケンも、オレも。さぁ、ここにある物も好きに持って行っていいぞ。どうせ残ってても役に立ちゃしねぇもんばかりだ。欲しいもん持ったらとっとと失せな」


部下達はその言葉を途中から俯いて聞いていた。こうなることは皆分かっていた。やがてその内の一人が頭を下げた。たった三秒ほどの礼。そして彼は踵を返し、手ぶらで壊された事務所を出て行った。

それを見ていたヤツも、そして次々とその足を追って。一人、また一人とハーフェン達に下げ、事務所から去る。誰一人として何かを持つことなく出て行った。奴隷も、荷物も連れず持たず、それが自分の精一杯の気持ちだと、ハーフェンは言われている気がした。


「んなガラクタ、残ってても仕方ねぇっつってんのにな」


彼らはバカだった。そして全員、元奴隷だった。ハーフェンに拾われ、奴隷紋を剥がす代わりに彼女の為に働かされた。初めは彼らもハーフェンに感謝していた。だが、ハーフェンの過激な行動は彼らにはどうしても着いていけなかった。言動も、彼らにとっては一つ一つが刃物のようで、話しかけられるたびにナイフを突き立てられているかのような気分だった。


ハーフェンは間違いなく彼らの恩人だったが、友人にはなれなかった。


「オレがあの男なら、あいつらも残ったと思うか?」

「分かりません。確かに、あの男は代表に似た性質を持っていました。けど貴方の本質は全く違う」

「……ならオレを情けないと思うか?」

「いいえ、まったく」

「……やっぱ意味分かんねぇなお前」

「それはどうも、誉め言葉として受け取っておきますよ」

「ハッ、おかしな奴」


それ以上、彼らが語ることは無かった。黙々とナイフを研ぎ、必要分のスクロールを取り出し、準備を進めていく。


彼らの賭け金は己の命。勝負はただの一度きり。一度きりのチャンス。得られる報酬はロクでもないゴミクズ。ただの怨念、呪怨、悪夢。

それでも彼らは賭ける。自分が自分でいる為に、自分の生きる意味の為に。死地へと喜んで赴こうとしていた。

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