参 『パトリシア=スカーレット=ナイトメア』

 ランテルが天幕の奥に航に連れていかれてから約十分。

ランテルの上げていた声はすっかり収まっていた。


エレノアやエルフ達は一様に、困ったように視線を床に向けていた。とてもじゃないがその場に居づらかったのだ。


確かに初めはランテルは悲鳴をあげているだけだったのだが、時間が経つにつれてその声の質は変わっていった。声が止むその直前に至ってはもはや悲鳴ですらなく、嬌声そのものというべき声だった。

大きい、それはとても大きい声だった。


男達は下を向いて赤くなった顔を隠し、この場に残されたエルフで唯一の女である防衛隊長は、両手で頭を抑えて声も無く懊悩としていた。


「…………何をやってるのよ、あの人は……」


とはいえ皆エレノアよりは立場的にマシなようだった。






音がしなくなってから暫くすると航を先頭に二人は戻ってきた。

航の左腕には脚をピクピクと震わせたランテルが息を切らしながら両腕でしがみついており、彼女が先ほどまで身につけていた王冠は、頭の元あった場所からかなりズレていた。髪も乱れ、杖も天幕の奥に置いてきたらしい。ドレスにも所々シワが増えており、上衣も一目でははだけていると分かるほどだった。対して航に大した変化はなく、何事も無かったかのように涼しい顔をしており、服装も元通りのままだった。


「おいお前、椅子持ってきてやれ」

「え、あ、は、はい!」


航に槍を壊された片方の男は気が動転していたのか、呆然としていたせいで人間である航の言いなりになって動く。

男が天幕の外に走り出し、すぐに椅子を持ってくると、航はそこにランテルを半分寝かすように座らせた。若干乱暴だった気がしなくもないが。

恍惚とした表情で椅子に座らされたランテルはゆっくりと息を吐いてぐったりしていた。


「…………航……一応聞くわ…何したの?」


エレノアのはエルフ達に聞かれる前に話を切り出す。航の身内である自分がやらなければいけない気がしたのだ。


「ただの教育だ。人の話を聞く気になるようにしてやった」

「……そう…」


それ以上何を言えというのか。

奇しくも両者はそれぞれのニュアンスで同じことを思っていた。


「おい女王、話を聞く気になったか」

「……聞くぅ」


余韻に浸るような声だった。

兵士のエルフ達は顔を上げられなかった。先程自分達に情けないと言い放った女王のその情けない表情を、とてもじゃないが直視出来なかったからだ。


「そうか、ならいい。まずお前らエルフはなんで俺達を攻撃してきた?」

「………荷馬車に乗った人間に娘を、カトレアを攫われたから…お主達が犯人だと思った…」

「よしいい子だ、なら次だ。そいつらの仲間に人間以外の種族はいたのか?」

「……分からぬ…」

「連れていかれた場所は分かってんのか?」

「……知らぬ………」

「なんでどいつもこいつも俺を代表ってやつと勘違いすんだ?」

「……口が悪いから……あと荷馬車」

「…………………あ?それだけ?! 」

「………うん」


それだけで俺を悪党と一緒にしたのか……。

だーめだこの女王はもう使い物にならねぇ。

いや元は使い物になったみたいな言い方をしたけど別にそういう訳でもねぇ。ポンコツだらけだこの種族。


『貴方の仕業でしょう。初対面の女性にあんなことをして……』


はて、なんのことだ?俺は教育をしただけだ。


『大体どこであんな―――』

「何やら愉快なことになっておるのぅ」






その声は航達の後ろからかけられた。






「あ?」


幼い少女の声と特徴的な口調につられて航はそちらを見る。


「お前が人間の王が言っていた救世主か」




それはロリであった。




シロやクロ達よりも二回りほど大きい身体―――つまりは小さいのだが―――をしているのにも関わらず随分と露出の激しい衣装を着ていた。

殆ど下着と変わらない面積の服を着て―――もはや巻いているという方が正しい気もするが―――上着代わりのマントは丈が合っていないのか地面に引きずられていた。

白く長い髪を赤いリボンでツインテールに整えており、口元の八重歯がその姿を覗かせる。





「なんだこのチビ」

『これはまた……』

「……パトリシアか…久しいな」


グッタリとしながらもランテルはロリを見てそう言った。


「チビではないわ小僧!わらわはパトリシア。パトリシア=スカーレット=ナイトメア。吸血鬼、そして魔物界の長であるスカーレット家の一人娘。魔物界次期女王じゃ」


パトリシアと名乗ったロリはマントを舞わせて腕を振るった。


大仰な動きに大仰なセリフ。航はこの時、このロリに対して、こう解釈した。




なるほど、そういう設定なんだな?




「いいだろう、丁度そういう年頃なんだろ。付き合ってやる。俺は航、皇航。この世界の全ての奴隷を救う天啓の救世主」


パトリシアが格好つけたように航も少し違ったポーズをとろうと足を交差させる。そして右手を開いて左目を隠し、左手で右の腰を抑え、天井を仰ぐように身体を反って見せた。


弟の有が部屋でやってたポーズそのまんまだけどなこれ。


「む?なんだそれは。お主、何か勘違いをしとりゃせんか?」

「いや、してねぇぞ。安心しろ、俺はそういうのに理解はある方だからな」

「ん?まぁ、それなら良いんじゃが……」


パトリシアと名乗ったロリの後ろからはエリンとフェンリル、シロとクロも着いて来ていた。


「あん?お前らなんで来たんだよ」

「あ、あの。こちらの女の子が……」

「フェンはパトリシアと友達。ついでにランテルも。だから連れて行ってもらった」

「……フェンリルも来ていたのか…」


は?


「ぇマジで?馬鹿犬お前女王と知り合いなの?」

「うん、そう」

「それを早く言えよ馬鹿犬がよォ!!!」

「あァあァあァあァ~~」


航はフェンリルの頬を軽くペチペチしたり肩を前後に揺らしたりした。


「お前よォ!!!俺がどんだけ必死に!!!!!おんまぇ!!!!!」

「ペチペチィ、いい!」

「こんな時に気持ちよくなってんじゃねぇよ馬鹿!!!!お前あの時なんで!!捕まる!!とか言ってたじゃねぇかよォォ!!!!」

「遊んでるんだと、思ってた。わたるが、なんで心配してたのか、分からなかった」

「オォアオォォォォォォォ!!!」


航は狼狽した。もはや狼狽を通り越して怒りで発狂しそうな勢いだった。


「それにしても、プフッ、なんて格好をしてるんだランテル=カーロ=ニエール!ハハハハハハッ!なんぞ男にでも襲われたか」

「…………」


ランテルは未だ身じろぎもせずに口を開けたままパトリシアを見つめていたが、次第に表情が揺れ始め、悔しそうに涙を流して泣き始めてしまった。


「か、カトレアぁぁぁ………」

「あぁ、ついに……」


いつ崩壊するのだろうかとずっと心配していた隊長が肩をすくめた。


崩壊の直接の原因は航にあった。

施した【教育】はあくまである程度素直にさせるためのもので、今まで抑えていた娘を心配する心や、娘を奪われた悲しみが一気に押し寄せてきたのだ。

その負荷に耐えられず崩れるようにポロポロと泣き始めた。


「な、なんじゃ。どうしたのじゃお前らしくもない」

「ったく。こいつは疲れているだけだ。気にしてやんな。長く生きてりゃそういう日もあんだろうよ」


未だ若干不機嫌な航が雑に答えてやった。


決して嘘は言ってない。はずだ?


『ひっどい言い訳ですね』

「えっと、何があったんですか?」

「ごめんエリン、聞かないで……あと誰にも聞かない方がいいわよ……」

「は、はい?」


エレノアはエリンの両肩に手を置いて目を見てエレノアが念押しする。「知らなくていいこともこの世の中にはあるんだよ」と、目がそう言っているようだった。


「娘が攫われたんだとよ、代表?とかいうやつに」

「ほう、代表とな。それはひょっとして、奴隷仕入れ業者のか?」

「グッ……スッ、パトリシア。お主その者を、スッ、知っているのか」


ズルズルと泣いていた女王がパトリシアの言葉に希望を見たのか、辛うじて正気を取り戻した。

なんとか会話が出来るくらいには復活したようだ。


「うむ、知っているぞ?あれは不思議な女でのう、あのような人間は中々いない。傲岸不遜で狷介孤高。こうと決めたら絶対に止まらず邪魔するもの皆を薙ぎ倒す。ある意味では人間として一つの完成体とも言える女じゃ」

「あ?なんだその女。クソ野郎じゃねぇか。まったくヘドが出るぜ」

『ん?』

「あ、あの」

「それってまさか……」

「……航二号?」

「「二号?」」


エリン達が航の方を見る。エレノアとフェンリルはジトっとした目をしていた。


「誰かさんそっくりってこと?世も末だわ。この事実が厄災そのものじゃないでしょうね。厄災であり救世主って、あなたどれだけ属性を盛れば気が済むのよ航」

「あ、あはは……パトリシアさん、国王様が航様に言ったことと全く同じようなことを言っていますね」

「ヤベーやつ、確定」

「「確定わん(わふ)」」

『貴方のような人が他にも存在したんですか……』

「おっまえらぁ……」

「なんじゃ、何ぞ気になることでもあったか?」


パトリシアには彼らが何のことを言っているのか分からず、彼女はただ首をかしげるだけだった。

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