終 『旅立ちの朝』
朝の陽が昇ってまだ間もない頃、航は城門に立っていた。そこでは荷馬車に兵士達が次々に荷物を運び込んでおり、航は他にすることがないようにそれを眺めていた。
「ご主人様ー!」
王宮からエリンが、エリンにしては大きい声で航を呼びながら走り寄ってくる。肩にヒモを掛けた小さい鞄を腰に携えていた。
「来たか。あまり走るな!転ぶぞ‼ 」
「大丈夫です!子供じゃないんですから」
「あ?ん、いや。確かにそうか」
『この頃、エリンに対する父親化が進んでいませんか?貴方は本当にエリンの父親になるつもりで?』
そういうわけじゃねぇんだけどよ。なんかどうしても放っておけねぇんだよ。
航のすぐ近く―――距離は五十センチもない―――まで寄ってきたエリンを見つめて、そんなことを思っていた。
「?」
『健気な主従だことで……』
何も分からず首をかしげるエリンを見ていると、朝日に照らされたやかましい金髪が視界の端から自己主張をしてきた。
「あら、今日は早いのね航!ここ最近毎日起きてくるのがいつも最後だったのに、これはどういう風の吹き回し!」
「あァそうだな!お前にだけ雨を降らせてやろうと思ってよ!楽しみにしていろ!」
「どうしてよ⁈ もう!」
「クハハッ、バーカ」
「ちょっ‼ バカって―――」
「航ー、フェン達も、来た」
文句を言おうとしたエレノアの背後から、居眠りしているチビ達を担いだフェンリルが前へと出てきた。
「「きたぁ」」
「あらあら、お二人ともまだ眠そうですね」
「まだ日が昇ったばかり。起きられただけ、この子達、偉い」
「フフッ、そうですね」
「フェン達も、航についていく」
そういってフェンリルはシロの脇の下に手を入れて航に差出してきた。
「しゃーねーな。いいぞ、着いてこい」
フェンリルからシロを受け取り肩車をしてやる。そうするとフェンリルも代わりにクロを肩車した。チビ達はまだまだ眠たいようで、シロは航の、クロはフェンリルの頭に自分の頭を載せて寝てしまった。
小さいだけあってこいつも軽いな。馬鹿犬の半分くらいじゃねぇか?ここんとこちゃんと飯食ってたよなこいつ。
『エリンだけだと思っていましたが、犬畜生までも……』
あ?
『…いえ、もはや何も言いません。貴方は貴方のやりたいようにやってください』
相変わらず変な奴だな。んなことは当たり前だ。
「フェンは、航の、ペチペチ目当て」
「ほぼほぼ身体目当てじゃねェか……」
「航」
「あ?なんだ?」
エレノアに呼ばれたので目を向けると、エレノアは真剣な表情をしていた。今まで畏まった態度を航にとることはなかったので、真面目な話があるんだと航は容易に察せた。
「私を一緒に連れて行ってくれる?」
ま、その話だわな。あれからずっとあやふやにしてたし、このタイミングだろう。
「好きにしろ。ただいいのか?コービットを一人にして」
「王宮の警備はあなたに言われた通り、少しでも厳重になるように私が手配したわ。私がいなくてもいいようにね」
そう、航は常々思っていた。初めて王宮に来てからずっと思っていたこと。
兵士の警備を門外に二人しか置かない手抜きや、王宮の中にまで易々と入られ国王を拉致されるザル警備。これをどうにかしないとエレノアは連れて行かないと一週間ほど前に本人に伝えていた。
「そうか、そう決めたんならもうお前の好きにしろ。勝手についてこい、精々置いてかれないようにな」
「……フフフッ」
「なにわろてんねんテメェ」
「いや、フフッ!置いてく気なんて全然ない癖にって思って!フフフッ!」
「コイツっ!!!!」
絶対言っちゃいけない事言いやがって。あとで酷い目に遭わせてやる。
「救世主殿!皇航殿!旅の荷物、全て積み終わりました!」
「おう、さんきゅ。これ、持っとけ」
そういって航は上着のポケットから何かを取り出して兵士に握らせた。
「あ、はい。どうもありがとうございます!……って何だこれ…」
てっきり駄賃を渡されたと思っていた兵士がその手を開くと、中には包みに入ったアメ玉が数個入ってた。
「あ、アメですか?」
「そうだ、疲労には糖分を摂るといい。そのアメは俺のお気に入りだ。味わって食えよ」
「は、はぁ……」
少し困ったように兵士は王宮へと戻っていく。そして入れ違いに今度はコービット―――国王―――がそこから出てきた。
「世話になったな、コービット」
「それを言うのは私の方だ、航殿。其方にはたったの数日で何度も助けられてしまった。一応の礼をさせてはもらったが、こんなものでは到底釣り合いそうもない。心が痛むばかりだ」
「いや、充分だろ。むしろ支援を受けすぎて、何もかもがつまらなくなっちまったら本末転倒だしな」
観光から一週間程過ぎた後、航達は商業都市スラマバータを出ようとしていた。
「航殿と、あの方との約束の通り、私は私で奴隷の件に関しては進めておく」
「あァ、頼んだぞ。俺も俺の出来ることをする。お前の好意を無駄にゃしねぇさ」
そこまで話して航はコービットに拳を突き出した。
「頼んだぜ」
「これは……フッ。何故かな、数十年振りに私の心が躍っている。ありがとう、航殿。娘と同じように、私も其方に魅了されてしまったらしい」
「気持ちの悪ィ事言ってんじゃねぇよ!」
心底嬉しそうにコービットも拳を返す。
それはまるで十年来の信頼しあった友人同士のようで、一国の王とただの元大学生とは思えないある意味奇妙な光景だった。
「お父様、本日までありがとうございました」
エレノアがゆっくりとコービットに近づいて頭を下げる。その表情は晴れ晴れして清々しいものだった。
「エレノアよ、気を付けて行くんだぞ」
「大丈夫よ、お父さん。航もついているし。もしかしたら、王宮よりも安全かもしれないわ」
「ハッハッハ、それはいいな。私も連れて行ってほしいものだ。ともかく、航殿、娘をよろしく頼む」
頭の下げ合いが始まってしまった。
航はこういうしんみりしたような、真剣な空気が続くのが苦手だった。
「あーやめろやめろ。頭を下げんな一々んなことで面倒くさい。こいつが勝手についてくるだけだし、お前がどんな気持ちでエレノアを俺について行かせるのか、俺も分かんない訳じゃねぇ。だから礼を言われる筋合いもねぇんだよ」
「……やはり、器の大きい人間だ、航殿は」
「持ち上げ過ぎだ、お前はいつも」
そう言うと航は話は終わったというように振り返り、荷馬車へと向かった。
「……お父さん、元気でね?」
「お前もだ、エレノア。何かあればすぐに頼りなさい」
「大丈夫よ。航と色々な物を見て、きっとまた成長して帰ってくるわ」
「ああ、そうか。そうだな。頑張りなさい」
「えぇ。お父さんも頑張ってね」
「ありがとうエレノア、私はお前を愛している」
「私も、愛してるわ。お父さん」
二人は別れを惜しむように軽く抱き合い、親子の愛を確認していた。
航は二人の会話が聞こえないよう荷台に座っていた。
シロを床に寝かせ、アメを一つ取り出して口に入れた。
『貴方は空気が読めるのか読めないのか分かりませんね』
読めるけど、読まない時が多いだけだ。そもそも俺は日本人特有のあの空気を読まにゃならんって風習が嫌いだ。
『まさに貴方らしいですね』
「ご主人様、アメの包み紙、私が持っておきますね」
「おう、さんきゅ」
「いえいえ、これくらい」
そう言って渡した包み紙を、エリンはニコニコしながらカバンのポケットに入っていた小さなポーチに仕舞った。
ゴミをそんなところに仕舞っとくのかよ。ここまで几帳面だったか?
『エリンも女の子だったということです』
イーミ分かんね。何言ってんだお前。
「さぁ!航、私も準備は出来たわ。行きましょう!」
エレノアが荷台にステップで乗り込んできた。どうやら随分と高揚しているらしい。
目尻が少し赤くなっていたのを、航は見なかったことにした。
「フェンが馬車引く~」
いつの間にかクロを担いだフェンリルが先頭の操縦席に座っていた。
「出来るのか?お前に」
「む、馬鹿にしない。お馬さんは、話せばわかる人」
「人ではないでしょう……」
「あはは……」
「えいっ」
パチンという音とともに二頭の馬が声を上げ、前へと歩き出した。
「航殿!娘を頼む!」
王宮と荷馬車の距離が開いていく中、コービットは別れを惜しむように叫んだ。
「もうそれ何度目だ!分かってるから心配すんな!!!エレノアは俺らに任せろ!!!」
それっきりコービットは何も言わず、深々と頭と下げて礼をした。
よっぽど心配だったんだな。あいつも。
『エレノアにとって肉親が国王だけなのと同じで、国王にとっても、エレノアだけが愛すべき家族なのでしょう。例え国民全てを愛すべき王という立場であっても、彼も人間ですから、やっぱり自分の娘を大切にしてしまうのは仕方のないことです』
愛されてるな、こいつは。
エレノアに視線を向けると、彼女は操縦席の背もたれを手で掴んで馬車の行く先、その遠くを見つめていた。
「さて、しんみりするのもこれくらいにして、そうだな……みんなでエレノアでもイジメて遊ぶか!」
「ちょ、ちょっと⁈ どうして私なのよ!」
「エレノアは叩けば鳴る。面白いおもちゃ」
「鐘‼ せめて鐘にして!!!」
「「エレノアうるさくて寝られないわん(わふ)」」
「あはは……」
フェンリルの引く馬車は進む。目的地はナツミ村。エルフの住む領域へ。
●
「ほう、あの国王、何かをしでかす気じゃな」
部下の報告に女はそんな言葉を零す。
「奴隷を全て解放なんてすれば、この世界は再びあの地獄の窯の底のようだったあの頃に逆戻りじゃ」
グラスに入った赤い液体を揺らし、口をつける。
「その救世主とやら、わらわが見定めなければいけないのぅ。楽しみじゃ、一体どのような男なのか」
飲み干したグラスを置き、女は立つ。マントを翻してその場から姿を消した。
後に残るのは黒い光の粒、彼女の残滓。やがてその残り香も消滅し、その部屋には一人の部下だけが残された。
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