拾玖 『奴隷解放への想い』

Wataru Sideサイド


航は食後、部屋に戻らずその足で国王の執務室に赴いた。

軽くドアをノックして声をかける。


「コービット、俺だ」

『航……』


な、なんだよ。


『貴方、ノック出来たんですね!』

「ぶち殺すぞオマエ」

「え⁈ 」


急に耳から声がして前を見るとコービット―――国王―――が部屋のドアを開けてくれていた。


「あ、いや、悪いお前の事じゃない」

『プッ、アハハハハハハッ』

「あっお、おほん。いや、構わんよ。入ってくれ航殿、茶を入れよう」

「あぁサンキュー。悪いな、ほんとに」

『ヒィーー!!ヒィーーーーアハハハハッハハッハ!』


コービット、すまん。本当に悪気はないんだ。

ババアてめぇ……覚えていろ。


笑いながら机か何かを叩く音が聞こえてくるのが余計に航をイライラさせた。


『―――はぁっ。あー面白かったですね。あと私ババアじゃないので』


絶対死ぬまでババアって呼んでやる。そう心に誓った航だった。




中へ入ると書類が机の角に積まれていた。手前の対面できるソファーがあったので航はその片方に座った。


「それ、もう終わったのか?」


詰まれている書類を指で指定する。コービットはティーセットや牛乳、砂糖の入った小さい箱をトレーに載せてこちらに持ってきた。


「あぁ、すまない。見苦しいものを見せてしまったな。あれはもう終わったものだ」

「随分熱心だな。これから食事だったんじゃないか?」

「いや構わない。航殿がこの街にいるのもあと数日。其方のような傑物となるべく交流を深める方が重要というもの」

「持ち上げ過ぎだ」


お互い、そんな話をしながら砂糖やら牛乳を入れて軽く紅茶を啜る。


「……あー、なんだ。いい茶葉だな」

「…ッフハ!航殿。あなたがそのような回りくどいことをしても、似合わんよ」

「……やっぱ、お前は頭がいいな。認識を改めないとな」

「それこそ持ち上げ過ぎというものだ」


航はもう一口紅茶を飲み込むとコップと受け皿を机に置き、真剣な顔でコービットを見た。


「お前に頼みたいことがある」

「聞かせてくれ、私に出来ることならば、なんでも協力しよう」


コービットは真剣な顔を見せてくれた。それは恩には恩を返すと、座り方や目つきからもそう言っているようだった。


「この世界の奴隷を、そして奴隷紋章を禁止にしてくれ」

「…それは……随分と……」


まあそういう顔するよな。

数日と今日街を半日散策していて思った事だが、この世界には奴隷が多すぎる。仕事をしているからか昼間に外に奴隷がかなり多かった。出歩いている人間の三人に一人というペースだった。

そんな奴隷たちを全員解放となると俺がどうにか出来る範囲、キャパシティを遥かにオーバーしている。そもそも光明がすら見えない。


あくまで俺の仕事は奴隷紋を消し去って、奴隷無くすということに限り、後の損害を考えないものとする。それを達成するために朽ち果てるまで感情を殺し、片っ端から奴隷契約の魔法を使える人間を全て殺し尽くしてその後に、また奴隷達を一人ずつ奴隷紋を消していくか殺さなければならない。

そして勿論誰が奴隷契約の魔法を使えるかどうかなんて分かる訳がない。先日エリンが酔い潰れたあの後も色々チェックしていたが、表示した相手がどんな魔法が使えるかなどを見ることは出来なかった。


というかそもそもババアが全部言ってくれれば俺その通りにやるんだけどこいつなんも教えてくんねぇんだもん。こりゃ無理だわ一人じゃ。

だからせっかくの最高のコネであるコービットに頼ることにした。


「この世界の全ての奴隷を解放する。これが俺の使命だ」

「………」


やっぱ渋い顔するよな。今の人々の生活は一人奴隷を買うだけでその奴隷が死ぬまで働かせることが出来る為、費用対効果があまりに良すぎる。それを解き放つことによる環境の変化やマイナス方向の経済効果は予想がつかない。

少なくともそれを施行した場合、初めは絶対に大打撃を受ける。飢饉、反乱、治安の低下、一般人の失業。小さい可能性も含めて数えればキリがない。

これはそもそも社会基盤をひっくり返すような話なのだ。


「まずは少しずつでもいい、小さい範囲に限定してでもいい。出来ないのなら奴隷だけを一つの街に放り込んでもいい。そこから始めることも可能なはずだ。勿論俺も手伝う」

「………」


王は考えていた。

航のその願いどう断るかではない。いかに叶えるかを考えていた。先の渋い顔はその提案を拒否したいがためのものではなく、如何にそれを達成することが難しいかを示していた。

そしておおよそ航が考えていたことをコービットも理解しており、彼はまた、その一歩先を行っていた。


「航殿、聞かせてくれ。其方は何故奴隷達を解放しようと欲する?其方は奴隷ではなく一般人だ。もしも奴隷を解放したとすれば割を食う側だ。そして奴隷を解放することで反乱や革命が起きて多くの人間が死ぬ。その犠牲の上で其方は一体何を求めて奴隷達を救おうとする?」


今までは航は前のめりになって両肘を膝につけてコービットと会話をしていたが、一つ深呼吸をしながら背もたれに倒れる。


「俺は奴隷なぞ初めはどうでもよかった。お前の言う通りヤツらが存在している方が俺は得をするし、むしろ解放することで俺は損をする。しかも大損だ。長い人生の中でそんなにも便利なツールをみすみす手放すなんて、正直馬鹿のやることだ」


そこまで言って笑ってしまいそうになったが、航の言葉は終わっていなかった。今度は頭を背もたれに完全に乗せて部屋の天井を見上げた。

コービットには航のその目は遠くを、何か物体的なものではない抽象的な物を見ているような気がした。


「でもなコービット、俺は別世界から来たからこの世界のお前らの常識は俺には通じねぇんだわ」


航の未だ誰にも言っていない秘密を打ち明けたにもかかわらず、コービットは落ち着いていた。

なんとなく気が付いていたのか、それとも天啓とやらが彼にそう伝えたのか。それは航には分からなかったが、彼は真剣な目をしていた。


「俺はエリンと出会っちまった。あいつは奴隷商からもらった奴隷なんだけどよ、俺はその時に故障品置き場を見ちまった。見ちまったんだよ。薄暗くて悪臭が漂った中で今にも死んじまいそうな奴隷たちが狭い空間に敷き詰められているところを。男も女も種族も関係なく、ただ売れなかったからというだけであいつらはそこに入れられてたんだ」


思えば笑える話だ。犯罪を犯した者を奴隷にするとクラリスは言っていたが、これは本当にくだらない話だと思った。

死刑囚の極悪犯罪者以外が全て奴隷だなんて、それはあまりにも融通が利かなさすぎる。過失や冤罪、悪意の有無、賄賂の受け渡しによる法の死、そして犯罪の動機。その全てを見て見ぬふりをして全員が奴隷堕ちというのはあまりにも馬鹿げている。


「エリンがそこに入れられるかもしれないと知ったとき、俺は死ぬほど嫌だと思った。理由は初めに紹介された奴隷というだけかもしれない。最初に別の奴隷を店主から勧められたら俺はそいつに対してその感情を持って、そいつを譲り受けたかもしれない。でもどちらにせよ、俺は絶対に嫌だった。俺と出会ったそいつがあの暗い部屋で衰弱して、ゴミのように死んでいく事実を受け入れられなかった」


航は終始感情で話した。頭の中では整理が出来ている。ここ数日でメリット、デメリット、今の奴隷の在り方や将来への問題の先延ばしから経済負担、果ては感染症や奴隷商の力の独占の可能性、数えればこちらもキリがない。

その問題が本当に起こるのかどうかはともかく、航には多くの未来が見えていた。


それでも航は感情だけで語る。自分の気持ちに正直に生きることしか出来ない彼は、どんな言い訳をしてもそれは自分が自分でなくなり、全てが矛盾し瓦解してしまうと分かっていたのだ。


自分の成したいことに理由をつける必要はないのだ。ただ、そうありたい、そうしたい。そう思うだけでそうあるべきなのだ。


だから航は絶対にコービットに聞かれるまでは言わない。独善で生きてきた自分を失う事は、今までその独善で奪ってきた相手を全て忘れ去ることだからだ。


独善で生きることを選んだのならば、ただの一秒たりとも偽善になってはならない。


それは己の死だと、航は知っていたのだ。


「誰にでも家族はいる。何者でも家族と一緒にいるべきだ。生まれ、育ち、自分が親となったと思ったら親を失い、兄弟を失って、そして最後は自分すらも失う。それも必然にだ。人生はこんなクソッタレな喪失の連続だ。でもその悲しみの連鎖の中だからこそ、それと同じくらい、もしかすればそれ以上に幸せになることが出来る。だっていうのにアイツらには夢も、希望も、自由すらもない。一体どうやってアイツらは明日を生きていけばいいんだ。幸せになる権利どころか、なれる可能性すらないのならば、それは最早死んでいることと何が違うんだ」


コービットもババアも終始黙ってそれを聞いていた。

生きている事には意味があり、必ずなくてはならない。それが航の思想だった。


航が話し終わり、少しの間、沈黙が続いた。今これ以上の言葉はお互い出そうにもなかったのだ。

そして意外にもその沈黙を打破したのはババアの声だった。


『航。手伝いますので、こちらの世界に来た時に持ってきたを出してください』


あ??


おおよそを話し終わったところでババアが脳内に乱入してくる。


『いいから』


な、なんなんだよ。


「ったく仕方ねぇな……」


ぶつくさいいながらコービットの前で堂々とインベントリを開き、そこからスマホを出す。

コービットはその様子を初めは訝しげに見ていたが、突如として航の手にスマホが現れたことに目を見開いて驚いていた。

どうやら色々と興味津々のようだ。


「航殿、それは?」

「あぁ、ちょっと待ってくれ」


おい、どうすんだよ?取り出したぞ。


『そのスマホに私から信号を送って声を発します。いきますよ』


そういうと航の中からスッっと何かが抜けていく感覚がした。


「んぁっ!」

「?」


おい!なんか気持ち悪いぞ。どうなった!


頭に直接返事は来なかったが、その代わりにスマホが勝手にロックを解除して音を出した。


『聞こえていますか?航』

「ぅおい!なんだそれお前!」

「わ、航殿。この声は一体⁈ 」


ババアがスマホから話しかけてきた。


「お前、ババアか?」

『ババアではありません。今は貴方は後です、あまり時間がありません。アーレス王国国王、コービット=アーレス=ハインリヒですね?』

「そ、そうだ。私がこの国の王、コービット=アーレス=ハインリヒだ」


流石のコービットも驚いてるな。いやつかぶっちゃけこんな事が出来るなら初めからこうして欲しかったんだけど⁈ なんでわざわざずっと俺の頭の中にいたんだよ!


『そうですか。航の使命、叶える手伝いをしてあげてください』

「其方はもしや―――」

『はい、その通りです。ですから余計なことはあまり…』

「…そうか、そうだったのか。分かりました、この事は未来永劫私の心の中に仕舞っておきましょう」

『感謝しますよ、アーレス王』


なんだこいつら二人だけで分かりあっちゃって。な~んか腹立つな。電源切ってやろうかこの野郎。


「おい、ババアお前こんなこと出来るんなら最初から言ってくれよ」

「航殿?それはどういう意味だ?」

「こいつ普段は俺の頭ん中で直接会話してたんだよ。寝ても覚めてもどこにいても頭の中で喋りやがるから気持ち悪いったらありゃしない」

「なるほど……通りで先ほど殺すと言っていたのだな……てっきり私が何かしてしまったのかと」


いやほんと、掘り返さないで。申し訳ないと思ってるから。


「ほんっとお前こんな事が出来るなら早く言えよな?」

『普段からは出来ませんよ、こんなこと』

「なんでだよ」

『この機械は溜まっている電力が失われれば使えなくなるのでしょう?』


は?え?それだけなん?


「俺充電が出来るモバイルバッテリー持ってるぞ?しかも太陽光 充電できるやつ」

『…………以上です。頼みましたよ、アーレス王』

「おい、ババア!無視すんな!!!」

「は、はい。私の出来る最大限の手伝いをしましょう」

「ちょ―――」

『では。また』


そういうとスマホの画面は暗くなった。ババアはどうしたんだとコービットがこちらに視線を向けたとき、航は自分の身体に何かが入ってくるような感覚がした。


「うぉわぁ!!!!ぞわってした!!!気持ち悪っ!!!」

『ただいま戻りました』

「戻らなくていいわ、一生そこに居ろよもう!!!」』

『……嫌です』

「なんでだよ……」


ほんっと意味わかんない。別に俺の身体にいる必要ないだろ。お前が外にいた方が色々と都合いいだろ明らかに……。


「航殿?もしや先ほどの女性はまた其方の身体に?」

「そうだよ!ったくこの馬鹿‼ お前これで入ったからもうしばらくは出るなよ⁈ 出入りされるときめっちゃ生きた心地しないんだぞこれ‼ 」

『どうしましょうか。ではもし貴方が奴隷解放に向けて活動を怠けていると私が判断したら、一日中出たり入ったりして遊びましょうか』

「おいおいおいおい勘弁してくれよ悪魔かお前は!死ぬぞ俺。繰り返しているうちに魂毎抜けて死ぬぞ俺‼ 」

「済まぬ、航殿。私には聞こえていないのでよくは分からないが、その女性は其方に悪意は持っておらぬ。安心していいはずだ」


なんだよコービットまでこいつの味方すんのかよ……。

なんか真面目な話したりババアに振り回されたりでもう疲れたわ。反論する気も失せた。


航はまたソファに深く腰かけて顔を天井に向けた。


「……はぁ、んなこと言われんでもわーっとるわ」

「ハハハッ、そうか。それはよかった」


コービットは笑いながら紅茶のトレーを持っていき、新しく湯を沸かし始めた。


「もう一杯、いかがですか」

「貰うわ。…………色々ほんと、ありがとな」

「……いえ、当然のことです」


その少し声色の落ち着いた「ありがとな」という言葉にどれだけのありがとうが含まれていたのか、コービットもきっと理解していただろう。


「今日はめでたい日だ、新しい茶葉をいただこうじゃないか」

「あぁ、そりゃいいな。楽しみだ」


食事も摂っていないコービットだったが今の彼に空腹は無かった。

ハッキリとした理由は分からない。だが彼は心のどこかで、代わりに期待や興奮が芽生えていくのを感じた。

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