拾肆 『コービットの想い』

 フェンリルを完全に下した航はハゲがここに来ることを知っていた。


「次ハゲって呼んでみろ、お前をひっ捕らえてやるぞこの野蛮人‼ 」


悔しそうな、恨めしいような表情で「グギギ」と歯ぎしりしながら航を睨みつける。


「あ、あなたがなんでこんなところに!」


エレノアは事態が分からず問う。


「ひっ捕らえられるのはお前だハゲ」

「なっまた私をハゲと言ったな!!もう許さん!王宮に戻ったら即刻お前を―――」

「お前が五体満足で王宮に戻れると思ってんのか?」

「へ?」

「ど、どういうこと?」


エリンやエレノアは何も分かっていないようだった。


「おい馬鹿犬。お前、俺が救世主だっていつ知ったんだ?」

『……なるほど』


航の足元でクルクル回っていたフェンリルに聞いてみると―――


「あのハゲが言ってた。フェンはお前を探してたけど、こいつがその時隣にいた王様連れて行けば、絶対お前が来るって」

「なっ⁈ ―――」

「ば、馬鹿者!私がそんなことをする筈がないではないか!!!一体、何を証拠にそんなことを!」


エレノアの表情が困惑から怒りへと変わっていく。当のハゲは最初の厭味ったらしく落ち着いた態度ではなく、誰が見ても分かる程に戸惑っていた。


おぉ焦ってる焦ってる。


「ハゲよぉ。その脂汗はどうしたんだ?季節はまだ春になったばかりだぜ?」

「だ、だからハゲでは―――」

「おっとまだ終わりじゃないぜ?」


航はハゲに喋る隙を与えない為に、言葉を遮るように手を叩いて大きい音をたてる。


「もしも、フェンリルの話が全て本当ならお前は一つ俺に嘘をついたことになるよなァ!!!

「う、嘘など!!私は何一つ―――」


往生際の悪いやつだ。


「俺はお前に聞いたはずだぜ?【国王を攫ったバカが誰だかわかってんのか?】ってな!」

「そ、それはっ‼ だが私はこんな魔人など知らない!」


そろそろこいつの茶番みたいな焦ってるところ見るのも飽きてきたし、そろそろいいか。


「まァぶっちゃけ証明する必要もねぇんだわ。教えてやる。お前は国王に利用されたんだよ」

「な、なにをっどういうことだ!」

「というか俺は今回の事件、ハゲよりも国王に怒ってんだわ。お前と国王の前に現れた馬鹿犬に、国王は自分から捕まりに行った。王妃の仇と形見だけで娘をやるには足りないなら、次は国王の命を救わせる。そうすりゃ世間的にも俺がエレノアを連れていかざるを得ない。でなければ王家が批判されるからだ。王家は度重なる大恩ある救世主様にロクな褒美一つとらせやしないってな。エレノアと仲の良い俺の心情をそうやって逆手に取ろうとしたり、エレノアを盾に外堀から埋めていく姑息なやり方をしたのも気に入らねぇが、自分を人質にするやり方はもっと気に入らねぇ」

「……」


国王はしばらく押し黙っていた。エレノアはなんと声をかけたらいいか分からず、ただ父親をみつめている。


「そしてもっと腹が立つ事に、こいつの人を見る目は国王なだけあって一級品だからなァ、馬鹿犬が自分を害することはないってすぐに分かったんだろうよ。つーかこの馬鹿犬、かっこつけてあんな文章書いてたけどどうせこの様子じゃもう、何の為に俺を探してたのかすら覚えてないだろうな。まぁどんな言い訳こいても危ないよな、国王が夜中一人で街の外に出るってのは」


そこまで言って。航は言葉を止めた。

「申し開きがあるというなら言え」というように黙って国王を見た。


「……母親を失うあの日まで、エレノアは元々明るい女の子だったのだ」


国王は少しだけ遠い目で話し始めた。悲しみか、葛藤か、それとも慚愧ざんきか。どうも一つの感情だけで話しているわけではないようだ。


「あの日を境にエレノアは変わってしまった。自分を王家の姫だと律し、剣術にも熱心に取り組み、同じ悲劇を繰り返さぬよう、立派であろうとした。私は誇らしかったとともに、どこか寂しかった。エレノアはそれから笑わなくなってしまったのだ。まだまだ十八の若い娘だ。やりたいことも叶えたい夢も、友人と共に平凡に笑っていられる日常もその全てがあるべきだったのだ‼ 母親さえ失わなければ、エレノアは変わらずに笑っていられたはずだったのだ……だが航殿、其方と話すエレノアは心底楽しそうだった。その時私は昔のエレノアが帰ってきたのかと思った。全てを忘れて怒って、泣いて、笑う事が出来たエレノアを見て、私には出来なかった事を目の前でやってのけた其方に、エレノアを任せたくなったのだ。だから其方には、エレノアと共にいて欲しい」

「お父様……」

「馬鹿も大概にしろよ、ふざけやがって!」


航は国王の胸倉をつかんで睨む。


「よく聞け。もうこの際王様とか立場とか、んなもんは関係ねぇんだよ。国王!いやコービット‼ お前をチビ共から助けようとしたエレノアのあの表情、お前も見ただろ!必死だっただろ‼ あんなにも!エレノアにはもうお前しかいねぇんだよ‼ 母親を失ったエレノアにとって、もう家族と呼べるのは後お前だけだ!!!お前はエレノアにまた同じ思いをさせるつもりなのか?あぁ?!!万が一それで死んでみろ!もう失わない為に努力してきたというのに、当のお前に死なれたら、エレノアは悔やんで悔やんで悔やんで悔やんで自分を責めて責めて責めて責めまくる!いつまでも消えてくれないお前という幻を、生涯に渡って見続ける。例え一時だけ俺の前で笑えたとしても!それはハリボテだ。もう二度とエレノアが心から笑えるわけがねぇだろ!!!!」

「っ!!?」

「お前が出来る一番の愛情表現は、お前自身を大切にすることだ。残された方は、酷く惨めだ」

「ご主人様……」


航は怒っていた。エレノアの為と言って自分から人質になった愚かな国王に。

航は羨ましかった。愛し愛される肉親がいるエレノアに。


「俺にも、親と兄弟がいる。兄弟は二十人もな。俺だけはその中で血が繋がって無い養子だけど、あいつらは子も親も、それぞれが自分の役割を果たしていた。だからお前も、娘を幸せにする為と言って俺に全て任せようとするな‼ 俺がエレノアを連れていく分には構わねぇ。だけどそれでこいつを笑わせるのは俺の意志だ。決してお前のもんじゃねぇ。俺がこいつを笑わせたいから笑わせる。だからお前は自分に出来る方法で、エレノアに笑わせろ‼ それが親の愛情ってもんだろうが!!!」


それには願望が混じっている事が、コービットには感じ取れてしまった。どこか、持たざる者の嫉妬のような感情。そんなものがひしひしと伝わっていた。


そのまま少し時間が経って、全て言いたいことを言い終えたのか航は手を放して深呼吸をした。


『……あの家で唯一の養子だからこそ、愛情に飢えるからこそ、愛情を知るのでしょうね。貴方は』


うるせぇ。知ったようなこと言うな。


「……返す言葉もない、全て其方の言う通りだ。私は自分が恥ずかしい」


流石に反省してるみたいだな。まぁ元々本当にこれでよかったのか疑問だった部分もあったんだろう。

頭がいいからな、この王様は。説教はこんなもんでいいだろ。


それじゃ次は―――




「おい、ハゲ。逃げようとすんなよ?」


抜き足差し脚でその場を逃げようとしていたハゲは、ビクっとしてカクカクした動きで航たちの方を振り返る。本当に逃げようとしていたのだ。


「国王が攫われるところを止めなかったお前は、国王と俺らが生きている時点で詰みなんだよ。まあコービットは初めからこうやってお前を陥れるつもりだったみたいけどな」

「いやはや、航殿は私にも厳しいですな」


どこかから取り出したハンカチで額とこめかみを拭いていた。案外庶民的だなぁ、コービット。親子ってこういうことだろうな。


「くっ!そんなことはさせるか!せっかく私に巡ってきたチャンスなんだ!!!ここで救世主も姫も陛下も全員殺して―――」

「はァーん、そういうこと言うんだな?」


そこには悪人顔があった。


『航?貴方まさか―――』

「おい馬鹿犬、あいつボコボコにしたらご褒美をやろう」


毎度突拍子もないことを言いだす航、期待を裏切らず今回も例外ではなかった。


「ホントか救世主!ペチペチ、してくれるのか?!!

「ご主人さまぁ?!!」

「航ぅ?!!」

「あァ勿論だ。うまくボコボコにできたら航と呼ぶことも許可してやろう」


フェンリルは興奮したように耳を立たせ、尻尾を旋回させていた。息も先ほどと同じくらい荒くなっており、正気でない狂ったような目でハゲを見つめていた。


「ペチ……ペチ……」

「ヒィ?!」

「気に食わなかったんだよなぁこいつ最初から。うちのエリンビビらせて楽しかったか?おいィ…」

「ヒィヤァ!?!?!?!?!」

「ご、ご主人様。あまりその、酷いことは……」


腰が抜けてへたりこんだハゲに航は近づいていく。


「安心しろエリン、俺はお前の前で人を殺しゃしない。いいよなぁ?コービット、こいつやっちまって」

「あぁ構わないとも。その者には金庫番の命を与えてから不明な支出が増えていたのだ。きっと良い薬になるだろう」

「へ、陛下ぁ?!!!」


上司の許可も出たわけだし、ここで二度とふざけたこと出来ないよう脅しとくか。


ハゲの頭髪を掴んで引き寄せ、航は精一杯出来るだけ悪い顔をした。


「ヒギィっ!」

「ってことだわぁハゲぇ、なんならいっそ坊主にしてみるか?その中途半端な頭をさァ?きっと涼しくなるぜ?どうなんだ?!ぁ゛あ゛あ゛ん゛?!!!

「バぅッ!!!!」

「あ、ああぁぁぁ。い、いいいィィィィィィヤァァァァァァァ!!!!!!!!!!!」


航に凄まれフェンリルに噛まれたハゲの叫び声が、雲の完全に消えた夜空の下に響き渡る。


その後、フェンリルに加わってチビ共も参戦し、ハゲへの攻撃を止んだのは、殴られ過ぎて顔の原型が見えなくなってからだったという。

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