拾壱 『消えた国王、無くした尊厳』
夜の玉座。左側の窓には赤いカーテンが閉められ、その中は蝋燭とシャンデリアで淡く照らされていた。
普段のこの時間は、ここ玉座の間に明かりは灯っていない。例外として、パーティや過去は軍議でそうでないことは多々あったが、どれも必ずこの部屋を使う際には玉座にその主がいた。
しかしその日、国王は玉座に居なかった。
事は数時間前。国王が何者かに攫われたことから始まった。
と、いうのにも関わらずその部屋の人間たちの殆どが別の話題で持ち切りだった。
「ヒソヒソ…こんな一大事に姫様はあんな男と……」
「ザワザワ…全くもって嘆かわしい」
「ボソボソ…何やら入浴中に押しかけて誘惑したとか」
「コソコソ…まぁ!とんだド変態ですわね!」
つい先刻、航とエリンと風呂場にいた現場をメイドの一人が目撃してから、臣下や兵士たちの間ではありもしない噂が飛び交っていた。
「こんな筈じゃ……あぁ、この王宮にいる限り、私は世間から変態の烙印を背負って生きなければならないのだわなのよよよ…」
「まずい、ショックでエレノアの言語野が破壊された」
「誰のせいよ、誰の‼ 」
「あ、あはは。皆さん国王様が攫われたというのに、すごく落ち着いてます」
エリンの言葉が耳に入ったのか、偉そうな小太りの男が航達に近付きながら話しかけて来た。
「なんと言っても私たちには救世主様がいらっしゃいますからね。きっと華麗に国王陛下をお救いくださるでしょう」
『……不快な豚ですね。航、殺ってしまわないんですか?』
言い過ぎだろ?!殺生は最低限にしないとお前ロクな死に方しないぞ……。あん?航?どさくさに紛れて名前呼んだなお前今。
『気の所為です、それより殺らないんですか?』
やりませーん。意味不明に唐突な奴だな。
その男の口調は必要以上に厭味ったらしいものだった。昼間の玉座の間で好き放題していた航への心象は当然皆芳しくない。
その中でもその男は特に航を目の敵にしているに見えた。悪意に笑っている仮面をそのまま被せたら脚が生えたような男だった。
悪意の篭った言葉にエリンは少し居心地が悪いのか、また航の裾を掴んで少しだけ後ろに隠れた。
「…そんで?これからどうするつもりだ。国王を攫ったバカが誰だかわかってんのか?」
「いいえ、ですが。こんなものを兵士が発見しました」
そう言って小太りの男がその場を退く。
男の後ろ、その床には何回にも渡って執拗に引っ掻いたような、範囲の広い爪痕がいくつも残っていた。
「これは⁈ 」
「うっわ、よりによって獣かよ」
これは比喩ではなく文字通りの爪痕。深い爪痕がカーペットごと地面につけられていた。
獣に王宮内で襲われるなんてな、ここはザル警備どころの話じゃなかったわけだ。数時間だ。もうとっくにくたばってるだろう。
獣もわざわざ老いた肉を求めてこんな場所までくるなんてな。
「ご、ご主人様!これ、魔人の文字です‼ 」
「あんだって???」
『魔人文字です。元はこの世界に魔法を齎した全知全能の書から発生した文字だとされていますが、魔人にしか読めません』
随分たいそうなネーミングじゃねぇか。だいぶ不便なくせに。
『その力は凄まじいものですよ。過去も未来も、始まりから終わりまで、その全ての事象を識る本だそうです』
そりゃすげぇな。是非とも一度は読んでみたいもんだな。
『やめておいた方が身の為です。ただの人間では狂死するだけかと』
それもはや本としての意義が成り立たなくね?
「私なら魔人文字を読めます。え~っと…僕が求めるのはただ一つ、救世主の首だけ。バラバラにされてしまった同胞と、同じ苦痛を味わわせることさ。この国の王は借りていく。返してほしくば三人で、またその場所で会おう…です!」
あ?バラバラ?同胞?三人だ?
「……あー…おいこれあれじゃね?あのなんだほら、ウルフーリフリみたいなやつ」
「ウルフーリルでしょ。あの生き残った二匹の内のどちらかって言いたいの?」
「そうそれそれ」
「で、でもあの子たちはご主人様に完全に怯えていました。あの子たちには復讐をするような知能はありませんし、たった数時間で国王を攫うだなんて…魔人化したのでしょうか……」
航にはエレノアとエリンから確かな不安や焦りが見てとれた。特にエレノアは重症のようでさっきまでの明るい(?)振る舞いも、周りに気を遣った空元気にしか思えなくなった。
自分の娘にこんな顔させやがって。全く、随分遠回りな事をするぜほんとに。
あの王様は。
「はん、安心しろエレノア。お前の親父は生きてる」
「え?」
半笑いの航はエレノアの頭にその大きい手を被せて短くくしゃくしゃに撫でて一人で出口へと歩き出した。
「最初はただ獣のエサになったのかとも思ったけど…お前の親父は絶対に死なねぇよ」
「ど、どういうことよ‼ 」
「んなまどろっこしい説明後回しだ。とっとと行ってお前の馬鹿親父家に引きずり返してやる」
こいつもここにいるより身体動かした方がよっぽど落ち着くだろうしな。こういう時は。
「ま、待ってよ!私も行くわ!!!」
「ご主人様‼ 私も着いていきます!」
「ほっほっほ。勇敢ですなぁ。救世主殿たちならば、簡単に陛下を救えることでしょう。相手も三人と指定をされているようですし、全てお任せしましたぞ」
厭味ったらしい男の言葉が流石にムカついたのか航は、
「帰ったら次はお前だからな?ハゲ。覚悟して待ってろ」
「は、ハゲてないィ!私はハゲてなァいィ!!!髪が細くて柔らかいだけだ!!!決してハゲてなァァァいィ!!!!」
普段はしない身体的コンプレックスを責めるという精神攻撃をした。
「とんだ茶番だぞこりゃ」
「「???」」
航の後ろを着いて歩く二人はその言葉の真意が分からずただ顔を見合わすだけだった。
『何か策でもあるのですか?』
いや別に?死ぬかもしれねぇな、もしかしたら。
『……もう何も言いません。貴方を信用します』
おうそうしとけ。まァ余裕だろ、知らんけど。
『…心配になってきました』
俺が死ぬかもしれない、ね……笑える冗談だな。
自分で天地がひっくり返っても有り得ないって思ってるのに、んな事言ってて馬鹿かよ俺は。
航は悪人のような笑みを浮かべて脚を進める。その表情を後ろをついてくる二人は見えていなかった。それはまるで、その二人に今の顔を見られたくないと思っているかのようだった。
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