終 『奴隷契約』

 少女を連れて入口のカウンターまで戻ると早速おばちゃんが手続きを進めてくれた。


「よーし!それじゃあ奴隷紋の上書きをするわねぇ~」

「俺なんかやることあるの?」

「ワタルきゅんはまだ待っててね、ほ~ら背中向けてー」

「…はい」


あ、背中なんだ。


「奴隷紋を刻む場所って背中って決まってんのか?」

「そんなことはないわよ?あらやだなに~?お腹にでも刻みたいの~?」


ぺんぺんと朱肉ならぬ紫肉にハンコを何度も押し付けて色を染み込ませながら言う。


「い、いや別にそこまで言ってねぇよ!」

『ドエロですね』


うるっさいわドアホ!!


「まあそうね、心臓に近い方がいいとは言われてるからね~。足とか腕よりはいいんじゃない?どうする?おへその下にしとく?」


おばちゃんはニヤケながら航の反応を見て楽しんでいた。


「い、いいからいいから!!背中でいいから!!」

「あらそう?残念」


そういって少女の背中に掌より一回り小さい判子のようなものをくっつけた。


「冷た⁈ ―――」


契約書みたい。案外事務的なんだな、奴隷契約って。


「はい!これで今この子の主人は私じゃなくなったわ」

「あ、これで終わりじゃないんだ」

「そりゃそうよ、だってまだワタルきゅん何もしてないじゃない」


まあ確かに。ハンコ押したわけでも血を渡したわけでもないしな。


「あ!そうだわ聞き忘れてた!!通常契約と上級契約どっちにするのかしら」

「あっ」


おばちゃんの言葉で恥ずかしそうに少女は縮こまってしまった。


え、何?どうしたのこの子。


「待って。俺それ知らないんだけど」

「あらぁワタルきゅんほんとに奴隷について何も知らないのね~。今時珍しい」


そんなに奴隷ってこの世界だと当たり前なのか?俺のいた世界とはかなりズレてんな。


「えっとね、簡単に言うと!通常契約は命令違反しても何も起こらない!上級契約だと、紋章から魔力が発せられて苦しい思いをするの!どっちも紋章の効果切れは無いからこれは人それぞれね」

 

上級契約の方結構苦しくないか?俺にこの子に対する強い支配欲があればそうするんだろうが......流石にそれはかわいそうだ。嫌なことは嫌と言ってくれないと信頼も築けねぇしなぁ。


「通常契約で頼む」

「通常契約ね!はい、それじゃあチュウして~」


え?今なんつった?


「え?今なんつった?」


『思ったことがそのまま口に出てますよ。二重で私の方に貴方の声が届きました』


いやいやいやいやそれどころじゃないでしょ!!


「チュウよチュウ。通常契約には、チュウして、軽い粘膜接触をすることで契約が成立するのよ?」

「ちょちょちょちょまてまてダメダメムリムリ!!!」

「あらぁどうしてよ。好みだったからこの子選んだんでしょ?チュウくらい出来るでしょ?」


少女はその間もずっと服の裾を掴んでモジモジしてコチラをチラチラ見ていた。


くっそぉ冗談じゃねぇ!!今ここでこの子にチュウなんてしてみろ!!あのババア絶対寝る間も惜しんで俺をからかうに決まってる!なんとか誤魔化さねぇと


『ババアでは―――』


うっせぇ黙ってろバカ!!!


「いや、そうだけどさ!この子の気持ちもな?ほら!あるだろ?そういうのを俺一人で決めるってのは―――」

「な~に言ってんのよぉ、たかだか奴隷契約くらいで~」


ああああああそうだったぁぁぁぁぁ!!!こいつらこういう倫理観持ち合わせてねぇんだったぁぁぁぁ!!!!!


「分かった!!!じゃあ上級契約にしよう!それならチュウしなくて済むよな?」

「えっあのっ」

「まあ、そうだけど......いいの?上級契約で」


少女が耳まで真っ赤に染まった。


「え、何?どういうこと?」

「上級契約するなら、あっちの部屋でシてもらうわよ?」


おばちゃんがカウンター横の扉を拳の親指で差す。その扉には小さな板がぶらさっがっており、そこには


【♡ Make Love ♡】


とだけ書かれていた。


「なお悪いわ!!!!!!」

「もぉ、わがままねぇ~ワタルきゅんったら」

「他の方法無いの?……」

「うーん。仮契約っていって、血を一滴飲ませるだけで契約出来るけど、三日間で紋章の効果が切れちゃうから、一々ここに来なきゃいけないのも手間でしょ?」


そりゃそうだわ。二人で冒険に出かけたら帰りには一人になってるなんて笑えないしな。いくら奴隷でも人から貰ったものをやすやす手放すのは俺でも心が痛むわ。


「それも嫌だなぁめんどくさい」


もういっそ奴隷貰うのやめようかなぁ…。


『いくらなんでもそれは勿体無いですよ。これはあなたが奴隷を知るチャンスです。あと貴方がしっかり奴隷解放に向けて活動していないと私が判断したらペナルティを課すつもりですので悪しからず』


は?!!おまそれ絶対今言うことじゃねぇだろ!!


『言い忘れていましたので。失礼』


失礼。じゃねえぇんよこんのクソバブゥアァァ!!!こういうことは先に言っとけよスカタンがぁぁぁあ!!!!

クッソ絶対いつか泣かすからな覚えておけよマジで!!!


あーえっと……じゃあ―――


「お、お前なんていうんだ」

「えっ?あのっ」

「名前だ、名前」

「エ、エリンっていいます!」


航はエリンの座る椅子の前に屈んで目線の高さを合わせる。


「そうか、エリンか。エリン。俺にはな、どうしてもやらなくちゃいけないことがある。そしてお前には俺の仲間としてそれを手伝ってほしい。勿論嫌なら嫌って言ってくれ、俺は絶対にお前に強要はしない。でももし俺と一緒にここを出て、俺について来てくれるなら、俺はとても嬉しい」

「……仲間…うれ、しい?」

「そう。仲間で、嬉しいんだ」


不思議そうな顔をしていたエリンは、やがて決心したように顔を上げて答えた。


「…い、く」


お?


「いき、たいです」


あぁよかった、拒絶されなくて。


「ありがとう、エリン」


安心したせいか航は無意識に頭に手を置いて軽く撫でた。折れてしまった角に手が当たらないようにしていたが、それですら彼には無意識だった。


「話は決まった?それじゃ、チュウしてチュウ。それで契約は成立よ!」


むむむ。おいババア、一応言っとくけど。見んなよ。


『ババアではありませんが、ここは見ないでおいてあげます。ですから手早く済ませてください』


「それじゃあエリン…いくぞ?」

「は、はい!」


ソフィーアの薄く赤みがかった顔を最後に目を閉じる。唇の接近するその短いようで長い、感覚の研ぎ澄まされるような時間を経て、二人は交わった。

それと同時にエリンの背中の紋章が薄く光りだす。


ん?


「んんんん?!!!!!!」


航はエリンが唇だけでなく舌を絡ませてきた事に驚いて目を見開いた。

かといってキスの最中に暴れることもできず、ひたすら時を過ごすのを耐えながら待つ。


本来の立場とは逆になった様だった。


「ぷはぁ!!!!し、舌ぁ!!!!!」

「あらぁ当然じゃない。そうしないとちゃんとした粘膜接触にならないわよ」

「恥ずかしい…!!」


エリンは両手を顔で塞いで悶えていた。


「はい!お疲れさま~!これで契約はおしまいよ~。ちなみに紋章の場所を変えたくなったらまたおいで!!サービスしてあ・げ・る!」

『絶対にまた来ますね、これは』

「結構です!!!大丈夫!!邪魔したな!!!!ありがとなぁ!!!またな!!!!!」


航は勢いに任せてエリンの手を引いて店を出る。


「はいはい、もうワタルきゅんたら。色男。嬉しそうにはしゃいじゃってもう……頑張ってね~~!!!ワタルきゅ~~ん!!」


航の赤く、困ったような笑みをした横顔を見て、エリンはここで初めて心底嬉しそうに笑った。

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