第8話 離

 夕食後、いつもの洗浄法術をかけてもらって、俺は身も心もサッパリできた。

 こんな法術があって簡単に清潔が保てるなら、石鹸なんて生まれる訳がない。そもそも需要が無い。


 「ルージィ座れ。話がある」


 来た。若干緊張するがここ数日のモヤモヤにカタが付くと思うと、待っていた感まである。


 親父さんとリズがテーブルの向こう側に座るいつものポジション。親父さんは伏せ目がち、リズは真剣な眼差しで俺を見ていて、その視線が俺の不安を大きくさせる。親父さんはテーブルの上で両手を固く組み、長い沈黙の後ようやく口を開いた。


 「ルージィ……今日まで良く頑張ったな。この位できれば餓死することはそうそうないだろ。こらから先お前には大変な事が待ち構えているかも知れない」


 ……なんだこれ。


 「だが俺たちと暮らしたこの3ヶ月はきっとお前の礎になってくれると信じてるぞ。最初リズがお前を拾ってきた時……」


 ……なんだこれ。親父さんは何を言っているんだ。なんでリズは緑の瞳に目一杯涙を溜めているんだ。


 「……気持ち悪かったお前が、だんだん家族になってくるのが嬉しかった。俺にゃ息子がいねえから……」


 なんで親父さんまでぐずってるんだ。リズの瞳からは既に大粒の涙がボロボロと溢れている。これはまるで……。


 「病気や怪我に気をつけてね……あと料理に塩入れすぎないでね、あと内臓の捌きは嫌がらずにちゃんとやってね、あと寝相……」


 リズの言葉は支離滅裂だが、その思いだけは真っ直ぐに伝わってくる。


 これは別れの儀式だ。


 「親父さん……理由を聞かせてくれますよね」


 ハッとしたように固く組んだ両手を開き、手の甲に押された爪の跡をさする親父さん。


 「こりゃ……そうだったな。……狩人が国境を見張る役もあるってのは前にも言ったよな」


 俺は静かに頷く。


 「それは越境してくる軍隊に限らず斥候や間者の類も含まれる。怪しい者が侵入した場合報告する義務があるんだ」


 俺は自分が知らずの内に生唾を飲み込む音を、他人事のように聞いた。


 「侵入者に狩人が殺されていないか、そして何らかの方法で偽りの報告をしていないか、半年に一度見回りが来る。それが来週辺りだ」


 パチッとかまどの薪がはぜる。高地の山小屋では夏でも夜には暖を取る。だがこの日のかまどはまるで仕事をしていないように感じられた。


 「俺は役人に引き渡されるんですか……なんで引き渡すのに生きる訓練なんんかしたんですか……逃げないように時間稼ぎ……」


 「最後まで聞いて!」


 リズの言葉に俺の黒い感情は堰き止められる。


 「見回りは凄腕の斥候だ。一週間の狩場見回りの間、ルージィを隠してやり過ごすなんて出来ないだろう。だから巣立って貰うことにした」


 「報告もしてないんですか……」


 「何も見てないし誰も来てない。全力で痕跡隠滅する。一週間かけて完璧に痕跡隠滅する。だからルージィは山を降りるんだ」


 「あたしルージィの事絶対忘れない。ずっと忘れないよ」


 「いいんですか?もし俺が間者だったら……」


 「こんな山奥にガキが一人。しかもしゃべりゃ気持ち悪いし常識もねえし、法術が使えねえってワンワン泣くし。間者にしちゃ不自然で目立ちすぎだろ」


 前世にも無かった大切な関係。それを裏切られたと感じた時に抱いた黒い気持ち。今はそれが恥ずかしい。この父娘は俺以上にこの関係を大切に思ってくれていたのだ。


 「……達者でな」


 ワンワン泣いてねーよ。と思いながらボロボロと大粒の涙をこぼすリズを見、鼻水をしゃくりあげる親父さんを見、釣られて泣き出しそうな俺が居た。

 潤んだ目で気丈に答える。


 「ありがとう親父さん。リズ。俺も二人のこと忘れないよ」


 こうして俺は、たった3ヶ月の家族を心に刻んだ。また会える日が来る事を願って。



 樹木の丈がだいぶ低くなった林を俺は歩いていた。


 最寄りのボロズという町への道から、敢えて3日程遠回りになる迂回ルート。町から登ってくる見回りの斥候と鉢合わせする危険を避けて、隣町との街道へ一旦抜ける裏ルートだ。


 背中のリュックには干し肉を中心にした保存食とロープ、自作した罠と丸めた毛皮が。腰のベルトには水筒とナイフ。そして右ブーツには親父さん特製のボーンククリが収まっていた。


 旅立ちの朝。


 泣き腫らした顔を擦りながら、懸命に笑顔を見せるリズ。その隣に立つ親父さんの手には、内側に湾曲した大きなナイフがあった。


 「餞別だ。持ってけ」


 「これは……?」


 訝しげな俺の顔とは対象的な、にやけた顔の親父さん。


 「ルージィが初めて仕留めた獲物覚えてるか?あれの刃骨から作った大型ナイフだ」


 記憶が蘇る。


 命を奪うことへの忌避感から、無駄に獲物に苦痛を与えてしまったこと。初めてまじまじと見た生き物の解体で具合が悪くなったこと。そしてその時、現実から目を背ける事を止め基礎訓練を初めたこと。


 そう。あの時の獲物が片腕に鋭い骨を持つ生き物だった。


 親父さんはあの鋭い骨を加工し、ナイフに拵えてくれていたのだ。俺の第二の人生のスタートにふさわしい思い出の……。


 「……ククリだ」


 俺はナイフを受け取りながら、そう呟いた。


 全長30センチ、くの字に湾曲した内側に刃があり、柄元より刃中央の方が幅が広く、先端付近に重心があるおかげで小さい力でも高い威力が期待出来る。たしかネパールのナイフだ。


 「骨の弱い所を研ぎ落としていったらこんな形になっちまって、でも意外にバランスはいいぞ」


 「ありがとう。今の俺にふさわしいナイフだよ」


 「ワンドに宜しくな」


 名残惜しそうにするリズを、時間がないからと何とか引き剥がした親父さんは、何度振り返ってもまだ手を振っていた。完全にその姿が森に溶け入るまでずっと……。

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