第6話 線

 恐怖と緊張で、音がする程ぎこちなく振り向いた俺。


 そこには、網の中、血を流しながらも息を吹き返し、今まさに鋭利な骨を使って網を切り裂こうとする獲物の姿があった。


 「う……そだろ……」


 狩猟用の網の中、頭部の体毛を血糊でべっとりと濡らしながら、その不気味な生き物は尚も生き永らえようともがいていた。

 竜治はその姿に言い知れぬ恐怖を感じ、血の付いた枝を再び握り、目を瞑って振り上げる。


 「なんでそんな残酷なことするの!」


 驚いて目を開けると、そこに居たのはリズだった。

 竜治の振り上げた枝を取り上げると、リズは網の中の生き物の頭を踏み、素早く首に三度ナイフを突き立て止めを刺した。


 リズは首から血を流す生き物に小さな声で何かを語りかけ、ゆっくりと目を開くと考志を睨みつける。


 「なんで?」


 リズは困惑とも軽蔑とも取れる表情で竜治を睨む。そんな強い視線に竜治は急に顔が冷たくなるのを感じた。


 「なんでって……何が?」


 「なんで獲物を痛めつけるの」


 「痛めつけるって、そんなつもりは……殺すのが可愛そうって」


 二人の間に冷たい空気が漂う。


 「逃す気も無くて、結局奪う命なのに、可愛そうだったから痛めつけたの?」


 「違う!痛めつけたんじゃ無い!ただ逃げられないように」


 「苦しませずに止めを刺す方法、教えたわよね。私達は世界から色んな物を分けてもらって生きてるの、命を分けてくれた相手に敬意と慈悲を示す……キメラってそんな事も知らないのね。残酷すぎるわ」


 「違う!違う!俺は痛めつけたんじゃ無い!残酷な事をしたかったんじゃ無い!俺は……ただ……直接命を奪いたくなかっただけなんだ……」


 リズの険しい目は変わらない。


 「俺、今まで直接生き物殺した事無いんだ。命は大切で簡単に奪っちゃダメだって教わってきたんだ!だから……」


 竜治は既に心の中で、自分の言葉を否定していた。


 リズの言っている事が正しい。完全に正論だ。それに比べて俺の言っている事は欺瞞だ。

 殺すという行為から逃げただけだ。さっき自分でも感じた身勝手な”線”だ。


 竜治の目には涙が溢れていた。


 子供に言い負かされたからなのか、現実から目を背けていただけの自分を恥じたのか、その理由は分からない。

 ただ冷たかった顔には赤みが戻り、熱い雫が頬から顎へと伝っていくのが感じられた。


 「……ごめん。リズが正しい。間違いを認めたくなかっただけなんだ」


 リズの表情から軽蔑の色が消え、困惑だけが見て取れる。


 「教えてリズ。お祈りでしょ?さっきの」


 頷いたリズは竜治の手を取って獲物の側へと行く。

 片膝を地面に付いて、右手を胸に当てゆっくりと間を開けてその言葉を口にした。


 「命に感謝します」

 「命に感謝します」


 「願わくば魂が安らかでありますように」

 「願わくば魂が安らかでありますように」


 「……」

 「……ごめんね」


 最後の言葉は誰に発せられたものだったろうか。

 竜治は再び涙を溢れさせ、今度は嗚咽を交えてはっきりと泣いた。


 泣き出した竜治に困ったリズは、オロオロした挙げ句”エイッ”と右手を竜治の頭に載せ、なでなでした。


 「え?なんで……てか恥ずかしい……」


 7~8才の少女に頭をなでなでされ、流石に恥ずかしさを覚えた竜治は、耳まで赤くして体を硬直させた。


 「な……なんでかな?イヤ?」


 「嫌……でもない」


 「やめる?」


 「……」


 「じゃこのままね」


 明るくなるにつれて徐々に薄くなる朝もやの中。竜治は、こののましばらく泣いていても良いような気がした。



 「よくやったルージィ!!」


 山小屋に戻った俺とリズは、親父さんに頭がクシャクシャになるまで撫でくりまわされ、二人まとめて抱き上げられた。


 「ちょっ……ちょっとやめて下さ……」


 俺は腕の中でもがいたが、隣で屈託のない最高の笑顔を咲かせるリズを見て、自分の抱いた”スキンシップに対する不快さ”はどこから生まれたのだろうと、不思議に感じた。


 俺とリズを褒めまくった親父さんは、小屋に移動して仕留めてきた獲物の解体を始める。

 血抜き、皮剥、肉取り……その手際の良さは感嘆に値するが……。


 「うーむ、イタチの変種かなぁ……」


 「この辺キツネみたいじゃない?」


 「うっぷ……」


 俺は生き物を解体する場面を見て居られなかった。吐き気をもよおして小屋の外に出る。


 その様子をアングリと口を開けて見る親父。

 リズが小さく耳打ちする。


 「生き物殺したことないんだって。ちょっと変わった教育されてるのかも」


 「はぁ?」


 解体の手を休め、手に付いた血を手ぬぐいで拭きながら、思案顔の親父。

 少しの間考えた親父は、膝をパンと叩いて立ち上がり、小屋の外で俯く竜治の側で膝を付く。


 「おめえ、火の起こし方も知らねえって言ってたよな。獲物も捌けねえ火も起こせねえって生きて行けねえぞ」


 竜治の顔を覗き込む親父の目は、真剣そのものだった。


 「教えて貰ってねえのか、忘れちまったのかは分からねえが、生きる方法を学びたいなら俺が仕込んでやる。どうする?嫌な事でも頑張って覚えるか、ここから出てって嫌な事の無い場所を探すか?」


 竜治は小さくない衝撃を受けた。


 選択の余地など無いのは始めから分かっている。それよりも”この世界で現実から目を背ける事は生きる事すら困難にする”という厳しい真実。

 現実逃避をして、ゲームや物語の世界に逃げ込んでいれば良かったかつての世界との違い。


 なんの苦労も無く生き、押し付けられた学びの場を疎ましく思い、与えられた物は一様に価値が無いと決めつけて拒んでいた。いろんな物に背を向けても飢える事のない生ぬるい世界。そんな世界に居たのだと、違う世界に来て初めて理解する。


 膝に手を付いて下を向いていた顔は正面を見据え、背筋はまっすぐに伸び、両手はきつく握られた。


 「お願いします!」


 竜治は逃避をやめた。

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