第2話 渡り

 イジメの標的にされない事に、多大な注意を払って生きる中学男子、木村竜治。

スポーツは中の下、座学は中の上、芸術は下の上。半透明な学生生活は彼自身が望んだ物だった。


 ゲームやファンタジーの世界に逃避し、画才の無さから漫画家を素早く諦めてラノベ作家を目指す半透明人間。それが竜治のこの世界での立ち位置だった。


 車が騒がしく走り抜ける夕方の幹線道路。

 家と学校との最短ルートを迂回して、この道を通って通学するのには隠された訳があった。


 そう。エンカウントしなくては……女神と。


 竜治はトラックが通過する度に振り返り身構える。半年繰り返した結果音だけでトラックの車種と積み荷の種類が判るようになったのは誰得?な特技だった。


 迂回ルートも残り10メートル。無駄にウロウロして同じ学年の女子に不審者を見るような目で見られたのはつい先月の事だ。それ以来往復するのはやめた。


 たたっ。


 目の前を黒猫が走り抜ける。その先は幹線道路の車道だ。


 竜治は耳を澄ますと、その顔に希望をみなぎらせた。


 「トラックだ!!」


 竜治には見えた。猫を助けた心優しい少年が、女神の計らいによって異世界へと転生し、勇者と崇められながらオレツエーする輝かしい未来が。車道では向かってくるトラックに気付いた猫が、びっくりして固まっている。


 「猫ちゃんオレが助けるぞ!猫ちゃんが異世界へ行くとかダメだから!」


 意味不明な叫びを上げつつ、竜治は恐れる事無く車道に飛び出し、黒猫へと手を伸ばす。

 その時。


 てってっ!


 黒猫は踵を返して竜治の足元をすり抜けてもと来た歩道へと逃げ帰り、トラック前には竜治だけが取り残されたのだった。


 「あ?あれ?」


 かくして邪な心で車道に飛び出した少年は、目的の半分を達した。この世での生を終えるという部分までは。



 頬の冷たい雫に、竜治の意識は水底から引き上げられた。


 冷たいが手足には確かに感覚がある。竜治は自らの奇跡を確信して、ゆっくりと自信たっぷりに目を開けた。


 「女神いないじゃん」


 そう、仰向けの彼の目に映るのは見事な枝振りの立派な大樹達と、朝露に濡れるシダ類の葉だった。


 「白い部屋でもないし、天井ないし」


 朦朧とする意識の中、竜治は上体を起こして手足を見つめる。


 「子供だ」


 自分の手ではない小さな子供の手。

 人が人生で最もよく目にする自分の部位は手だと言う。だからわかる。この体はかつての竜治の物では無い。


 「うえっ……」


 倦怠、枯渇、空腹、吐き気……。

 もしかしてこのまま死んでしまうのではないかと思える程、この体は不調を訴えていた。


 「死……?」


 その言葉を意識した時、竜治は女神の部屋をすっ飛ばして転生なり憑依なりによって復活した事を自覚した。


 「転生!?召喚!?……」


 竜治は尻のしたの腐葉土を両手で払い除け、周囲のシダの茂みをかき分けて森の中を見透かした。


 「魔法陣は?神官は?おおよくぞ参られた勇者殿っていう王様は?勇者様ポッ♡ってなる姫様は?」


 森からは静寂が返ってくるばかりだった。


 「名前は分かるけど……俺……迷子の子猫ちゃん?」



 裸足の小さい足が、柔らかい腐葉土と太い木の根を踏みながら、やっとの感じで進んでゆく。


 竜治は重い体を励まして、とにかく斜面を下方向に降りて行った。沢があれば水が、流れに沿って更に下れば村がある可能性もある。


 乾きと頭痛が耐え難い物になる中、竜治は沢に出る前に水を発見した。

 ハート型の大きな葉っぱの上に朝露が小さな池を作っている。細菌とか微生物とか気にならないでも無いが、考えてみれば上流で何があったか分からない沢の水より余程安全ではないか。


 数枚の葉っぱを順に慎重に傾けて、竜治は耐え難い喉の乾きと、幾ばくかの空腹を満たして一息付いた。


 「ステータス。ウインドウ。プロパティ。インフォメーション。スキル一覧」


 思い付く限りの言葉を発し、意識を目に集中してみたが、ユーザーインターフェースらしき物は未だ現れていない。


 「ファイアボール。アイスジャベリン。ライトニングアロー。ひらけごま。ちちんぷいぷい」


 思い付く限りのスキルを言葉にし、片手をかざして眼光を鋭くしてみたが、魔法らしき物も未だ現れて居ない。

 慣れない山歩き、不調を訴え続ける慣れない体、竜治は数十分歩いては数分休憩を繰り返して森の坂を下り……。


 「あ……これ?」


 少年は獣道らしき物を発見した。

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