16話 狙う者

 宝珠の欠片を夕陽にかざす。

 キラキラと茜色の光がなかを屈折して、美しくかがやく。

「……あたし」

 水緒はつぶやく。

 脳裏によぎるは、洞のなかで見たある映像。一瞬の出来事だったけれど、欠片をつかんだときにそれは水緒の意識に入り込んだ。銀月丸はそれを『気』の記憶だといった。もしそうなら、それは。

 水緒はぎゅっと眉根を寄せる。


「あたし、やるよ」


 きっぱりと言いきった水緒に、四眷属が顔をあげた。

「その、水守って半龍のカケラ──あたし、ぜんぶ集めたい」

「水緒さま」

「あれがホントに野良になった水守の記憶のひとつなんだとしたら……どうして野良龍になったのかわかんないもん。水守くらいの龍が野良になるってよっぽどじゃなきゃならないんでしょう? じゃあきっと、よっぽどのことがあったんだ。だから、きっとなりたくなかったのになっちゃったんだよ。……よくわかんないけど、きっとこのカケラたちは……浄化してほしいって思ってる」

 あたしはそう思う、と水緒がカケラを抱きしめる。

 胸に抱かれたカケラはいっしゅんだけ強く光った。まるで水緒の心に呼応するかのように。膝に乗っていた朱月丸は、きゅっと水緒の腰に腕をまわして「水緒さまァ」とわらった。

 しかし白月丸の顔は浮かない。

「とはいえ、このタイミングで躯を盗まれたというのは穏やかではござらんのう。まして大龍さまが守っておられたなかでの蛮行じゃ」

「アマツキツネの鬼女というと、ダキニの姐さまにございますな。まさか、先日白月丸が顔を合わせた野良龍が稲荷のもとに下っておったとは」

 という銀月丸に、庚月丸は首をかしげる。

「ダキニの姐さまは天狗ではなかったかえ。アマツキツネっちゅうたら”天狗”と書くではないか」

「天狗も稲荷も、元をたどればひとつの族から生まれたという話もある。あるときより獣の姿の一族、鳥のように羽の生えた一族としてそれぞれの道を歩みすすめたとな」

「それがのちの、稲荷と天狗か」

 とタヌキは神妙にうなずいた。

 しかし、水緒はただひとり話についていけるわけもない。膝上のタヌキの頬を指でつまみ「置いてかないでよう」と引っ張る。

「ダキニの姐さまってなあに。躯が盗まれたってのはどういうこと?」

 つまりですな、と朱月丸はあわててつけ加えた。

「ダキニの姐さまという神がおりましてな。これがまた大龍さまが大の苦手な方なのですわ。その者が大龍さまの気をそらしとるうちに、とある野良龍によって躯が盗まれてしもうたというわけ」

「ええっ。お父さんなにやってんのよ!」

「大龍さまがお悪いのではござらん。ここ数百年と平和だったゆえにみなすこし油断していただけのことです」

「いやどう考えてもその油断がわるかったんじゃ……その躯って、その、つまり遺体ってことでしょ。そんなのどこに保存してたの」

 というと、庚月丸は顎に手をあてた。

「躯はもともと山中の洞穴のなかで、神聖な水脈が凍り付いた氷によって保存されとったのですがのう。先日確認に行きましたら見事に砕けとりました」

「…………」

 いいのかそんな感じで──。

 と水緒が大龍を見上げると、彼に困ったようすは一分も見えはしなかった。それどころか少しだけうれしそうに口角をあげている。

「しょせんは躯、ネズミとて躯がひとつあったところでたいしたことはできまいよ。水緒、お前が欠片をすべて集め浄化すればよいだけのこと」

「そ、そんな簡単に……いやでもやるしかないもんね。やらなくちゃ、水守が邪気まみれのまま目覚めてわるいことしちゃうんだもんね」

「そうそう、そうですぞ水緒さま」

「ファイトですぞー」

「よーしっ」

 四眷属の熱烈な応援ですっかりやる気を出したか、水緒は拳を天高くつき上げた。

「待ってなさい水守の宝珠たち。あたしがぜんぶ見つけて浄化してやるから!」


 ──こうして。

 修行の一環として、『水守』という半龍の宝珠のカケラを集めることとなった水緒である。


「欠片が封印されし場所は、月原にて手に入れた欠片が教えるだろう」

 と大龍はいった。

 水緒は手元のカケラを自分の宝珠が入った巾着袋にしまう。きっと阿龍と吽龍も宝珠のなかから守ってくれることだろう、と思って。

 そう、阿龍と吽龍が──。

「あっそうだ阿龍!」

 ふと水緒が顔をあげる。

 ひょいと大龍を見上げて「あのね」と自分の宝珠を取り出した。

「お父さんの結界玉をぶっ壊すために、頭に浮かんだ言霊を唱えたの。そしたら阿龍が矢に形を変えて玉をつらぬいたんだよ。だけどふしぎだったのは、どうして浮かんできた言霊が阿龍を指定したんだろうってことなんだよね」

 しかしその問いに答えたのは博識長男の白月丸だった。 

「それが阿龍の役割なんよ」

「役割?」

「阿龍は剣に、吽龍は盾に。それぞれきちんと役割をもって生まれとります。此度の件では玉を壊すという目的であったゆえ、宝珠の力が阿龍に注がれたのでしょうな」

「えーっ、そんなのもあるの!」

「ですからもし今後水緒さまが結界を張りたいとき、なにかを守りたいときなどは……きっと吽龍がお役に立つことでしょう」

「そうかァ。そうなんだ。あたし、もっといろいろ知らなくちゃいけないかも」

 水緒は頬をひきしめる。

 焦ることはない、と大龍はやさしい声色でいった。

「修行はまだはじまったばかりぞ。そのうちにまた知るべきことが出てこようて」

「……うん!」

 気がつけば、茜色の空はすっかり藍色に変わっていた。もはや日も暮れ落ちて夜闇が迫ろうとしている。きっと離れでは美波が夕食の準備をしているころだろう。

 そろそろ帰るね、と水緒が立ち上がる。

 ────。


「水緒」


「うん?」

 父の声に振り返った。

 そしてその表情におどろいた。先ほどのやさしい声を出した父とうってかわって険しく歪んでいたからだ。

「銀月丸を供につけろ」

「いいよすぐそこなんだし──」

「水緒」

「…………う、うん。じゃあ銀月丸、いっしょに行こ」

「御意」

 そして銀月丸が人に化ける。

 心なしか四眷属もピリピリしているようだ。いったい急にどうしたというのだろう。水緒にはそのワケがさっぱり分からなかった。


「ねえ銀月丸、急にみんなどうしたの?」

 注連縄をくぐって俗世にもどった水緒が問いかける。するとただでさえ凛々しい彼の眉間がさらに寄っていた。

「水緒さま」

 イヌ科らしく喉奥でぐるるると唸りながら、周囲をぎろりと睨みつけている。狩猟能力の長けたオオカミらしく優れた視力でなにかをさがしているようだ。

「今後しばらくのご移動時にはどうぞお気をつけなされよ」

「なあに、なにかいるの」

「水緒さまもいずれ成長されたなら”気配”というものを感じ取れることでしょう。おそらくは先日、白月丸が行き合うたという龍族の──つまりは躯を盗んだ野良龍が、水緒さまのお手元にある宝珠のカケラを狙いくるやも」

「ええっ」

「兄御前さまや御前さまはもちろん、事情は知らねどこころちゃんなどにもおそばにいてもろうたらよい。とかく、危険なことはせぬように」

 といった銀月丸は最小限の道のりをたどって、水緒を離れに送り届けた。

「銀……」

「だいじょうぶ。あぶないときはわれら四眷属をお呼びなさい。水緒さまのお声は白が聞き、匂いはそれがしが探し当てます。庚は身軽じゃ、すぐにでも駆け付けましょう。そして朱を抱けばきっと水緒さまのお心は安らげる。心配はござらん」

「……うん。で、でもいつまでもみんなに頼ってもダメだね。阿龍、吽龍と、いざとなったら自分の身は自分で守れるようになるからね!」

「そのことば、期待しておりますぞ」

 口角をあげて銀月丸はうなずいた。

 

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