9話 はじめてのおつかい
「環境委員は、天沢さんと石橋くんで決まりました」
一年B組担任の恩田れい子の声をうけ、クラス中がふたりへ拍手をおくった。水緒はちらとうしろの席にすわる英二を見る。
高校入試からこっち、なにかと縁があるようだ。水緒としては龍神修行のために環境美化に力をいれようと思っての選択だが、まさか彼も環境委員会をえらぶとは──見た目の柄じゃないのに、と失礼なことを考える。
かくいう英二は不服そうに黒板を見つめていった。
「余りもんには福があるって聞いたけど、こりゃガセっぽいな……」
「どーいう意味よそれ」
「あ、いやいや。どうもよろしく」
「……こちらこそ」
にらみつけながら水緒はムッとした声でそういった。
──が、水緒の心はすぐに機嫌をとりもどす。
なんてったって、このホームルーム時間が終われば昼食だ。
滝行のつぎに飯が好きな水緒はうきうきとカバンのなかを覗いた。弁当箱の包みをながめるためだ。……が、しかしそこにいつも見慣れた風呂敷包みがない。
「……あ、あれ」
おもわず声がもれる。
まさか──弁当をわすれた?
サッと水緒の顔が青ざめた。昼飯分の金もない。このままでは昼食抜きで残りの午後を過ごさなければならなくなる──。
授業終了まで残り二十分。
水緒は必死の形相で「先生ッ」と手をあげた。
「はい、どうしたの天沢さん」
「すみませんちょっとトイレいってもいいですか!」
「ええ。だいじょうぶ?」
「はいッ」
そして水緒はかばんのなかからちりめんの巾着袋をこっそりと取り出すと、そそくさと教室から抜け出した。
近場の女子トイレに駆け込み、一番奥の個室に入る。
そして巾着袋からキラキラと光る如意宝珠をとりだした。そう、阿龍吽龍のふたりに弁当をとってきてもらおうという魂胆だ。
「よし。こんなことに使役龍をつかっていいのかわかんないけど──背に腹は変えられん! 阿龍吽龍、おいで」
こそりとつぶやく。
すると寸分もせぬ間に二匹の龍があらわれた。うれしそうに水緒のまわりを飛んで頬やら首やらになついて離れない。
「あははくすぐったいったら。……ってじゃれついてる場合じゃなかった」
水緒の顔から笑みが消えると、二匹の龍もとたんに真剣な顔で水緒の前に並んだ。
「あのねふたりとも、大至急うちにもどってあたしのお弁当持ってきてほしいの。弁当がわからなければ、動物たちに聞いてもいいから! あと二十分以内に、できる?」
二匹は互いに顔を見合わせ、こっくりとうなずいた。
使役龍のはじめてのお使いだ。水緒は女子トイレに人の気配がないことを確認して個室から出ると、トイレの窓をあけて「ここから出て」と二匹に指示をだす。
「たのんだよ!」
窓から大声でさけび、手をふる。
二匹はくるりと一回転したのち、風のようなスピードで大龍神社のほうへと向かっていった。
「だいじょうぶかなぁ……いや、信じよう。なんてったってあたしの使役龍なんだから。食いもんのことならきっと初めてのおつかいだってできるはず!」
ぐっとこぶしを握りしめ、水緒は如意宝珠を巾着袋に戻すやそそくさとトイレをあとにする。教室のうしろから席に戻ると、英二が「休憩時間に行っとけよ」と正論をかましてきたので、水緒はむかつくやら恥ずかしいやら。
いや、なんとでもいえ。
水緒は窓から見える校門に、心配そうな顔を向けた。
※
空高く飛んでいた二匹が、聖域内にとびこむ。
そこに出くわしたのはそこいらの草々を食むウサギの白月丸だった。あまりのいきおいにびっくりして、白月丸はおもわず一尺ほど飛び上がった。
「お、おお。おぬしらは水緒さまの龍──どうしたんじゃ。そんなにあわてて」
すると淡い紅色の身体をしたほうの龍が一匹、ポン、と人に化けた。どうやら阿龍のほうらしい。
あいかわらずの幼児姿だが、その顔は鬼気迫るものである。
「みおしゃま、おべんとどこにあいましゅか!」
「水緒さまのお弁当? ははあ、なるほど。しょーもないことに使役龍を使うたなあ……ようし、それがしが共に行ってやろう。吽龍、おぬしは上にいってほかの眷属にその旨言うてくれんか。そのあと下で合流していっしょに行こう」
と聞くや、吽龍はその淡い藍色の身体のまま、風のように杉木立の道を駆け抜けていく。姿は幼いながらさすがは龍だ、と白月丸は満足げにうなずいた。
「さ、阿龍はこちらへ。水緒さまはのう、あれだけ食うことが好きじゃというになんでかしょっちゅう弁当をわすれるタチでのう」
「こころえました」
「うん、気にしてやって」白月丸は、苦笑した。
向かう先は離れである。
美波は働きに出ており不在だが、白月丸は勝手知ったるというように、一度ウサギに戻って、裏口の動物用入口からするりと中に入った。阿龍は周囲を見張っている。
まもなく出てきた白月丸はふたたび人に化け、右手に弁当を、左手に「さあいこう」と阿龍の手をとった。そのときである。
「ん?」
白月丸が神社境内に目を向けた。
そこにいるのは、箒を持った出仕の高原康平──水緒が二年ほど前からきゃあきゃあとさわぐあこがれの人である。その姿をしばし見つめ、白月丸はポン、と拳を手にうった。
「いいことを思いついた。康平どのォ」
「え? あ、ええとたしか離れ世話役の──シロさん。あれ、そちらの子は」
「この子は親戚の者でございます。それよりすこしお時間いただけませんかのう」
すらりと適当なことを言う。
が、康平は人のよさそうな笑みを浮かべて
「なんでしょう」
と首をかしげた。
「じつは水緒さまがお弁当をわすれてしもうたようでですな。ここから二十分もかからぬところですゆえ、康平どのに届けていただけぬかと……いやはやまいったことに、それがしこれからちょっと用事があるもので」
「ああ、平陵高校ですね。いいですよ! 慎吾さんにひと言言ってきます」
「いやいや。お昼時間も迫っておりますゆえ行ってくだされ。兄御前さまにはこちらからお伝えしておきますので」
「あ、じゃあお願いします。行ってきます!」
康平は弁当を受け取り、箒を片付けて足早に神社石段を下りていった。
それをじっくりと見守ってから白月丸は満足そうにうなずく。しかし阿龍はなぜ彼に任せたのかがわからないようで、浮かない顔を白月丸に向けた。
「みおしゃま……」
「ふはは、これぞファインプレーというもの。さあ阿龍、吽龍が下りてきたらおぬしらは龍にもどって水緒さまの宝珠に戻りなさい」
「あい」
と阿龍がうなずいたころ、吽龍がもどってきた。
二匹は変化を解いてふたたび空高く高校への道を飛んでいく。それを見ながら、
「ううむ、さすがは四眷属一気が利くそれがし。きっと水緒さまは飛び上がってよろこぶことじゃろうて」
と耳を澄まして、慎吾の居場所をさぐった。
────。
平陵高校で、昼のチャイムが鳴った。
すぐさま校門へと向かった水緒は、今か今かと道路へ視線を向ける。するとうしろから「おい」と声をかけられた。
いま忙しいのに──と思いつつうしろを向くと、体育終わりの片倉大地がそこにいる。
「あっ?」
「なにやってんの」
「な、なんでもない」
「だれか待ってんの?」
「なんでもないわよ。もうお昼だよ、はやく食べに行ったら?」
「あやしいなぁ──」
「いいからはやく、あっち行ってってば!」
きっと阿龍と吽龍は幼児のすがたで来るに違いない。そんな姿を見られたら「こんなちいさい子をパシッてんのかよ」などと小言を言われるに決まってる。だからといって龍のすがたで飛んでこられたらもっと困る。
内心で焦る水緒が、拳をにぎりしめた。
そのとき。
「水緒ちゃん、よかった」
と。
駆け足でこちらにやってくる浅葱色の袴を履いたひとりの男──高原康平。
それを見た瞬間に、水緒はとびあがった。
「え、エッ。康平さん?」
「はいこれ。シロさんに持ってってくれって言われてさ、ふふ。こんな時間に神社を離れることがあんまりないから新鮮だったよ」
にっこりわらって弁当の包まれた風呂敷を渡す康平に、水緒はすっかりあがってしまって、しどろもどろにそれを受け取った。
「あわ、わ。あ、ありがとございます……ごめんなさい、めいわくかけちゃって」
「ううん。気分転換にちょうどよかったよ」
といって息を吸い込む康平にうっとりとみとれていると、水緒の耳元で「なーに赤くなってんだよ」と大地がつぶやいた。
ウワッと反射的に大地の脛を蹴り上げた水緒に、康平は「うん?」とこちらに向き直った。よかった。間一髪見ていないらしい。
一方の大地は悶絶して転げまわっている。
「そっちの子──だいじょうぶ?」
「だ、だいじょうぶ大丈夫。えっと……おつとめがんばってください!」
「うん。水緒ちゃんも午後の授業がんばれ」
「はいっ」
そして康平はのんびり、大龍神社へと帰っていった。
水緒はホッと息を吐く。なんとか弁当は入手した。あとは阿龍と吽龍だ。どこにいるのだろう──と空を見上げると、かすかに淡い紅色と藍色のからだが透けて見える。なるほどすがたを隠していたのか。
水緒はにっこりわらって、さきほどの女子トイレの方角を指さした。
そこで合流しようという合図である。龍たちはくるりと空をまわって、女子トイレの方角へと飛んでいく。
満足げにうなずき、水緒はこぶしを空につきあげた。
「よし!」
「なーにがよし、だ! いてえじゃねえかッ」
と、脛をおさえた大地が涙目でわめく。
「あ」しかし水緒はきょとんとしていった。「まだいたの?」
「や、ヤロウ──」
「ほら早くご飯食べないと昼休み終わっちゃうよ! はーおなかすいた」
「…………」
その後、女子トイレにて使役龍と合流した水緒は彼らをたいそう褒めた。阿龍と吽龍はうれしそうに「しろつきまるしゃまが」と繰り返すので、水緒は帰ったら存分に白月丸を撫でてやろう──と心に決めるのだった。
……が。
「白月丸」
「はい」
上の社殿にて。
しずしずと御簾の前に出た白月丸が、ハッと顔をあげる。なんだか御簾の奥から不穏な空気がただよってくるではないか。
「……だ、大龍さま?」
「お前が水緒のため、”コウヘイ”とかいう男との仲をとりもつことは勝手だが。その前にひとつ言うべきことがあろう」
「…………」
「そやつの素性、ひとつともらさずこの大龍に申してみよ」
「…………」
白月丸がおもわず、ちらと周囲に目を向ける。
「おっと。御前さまからドラマ録画の依頼をされとったのだった」
「あ、それがし前庭の掃除をせねば」
「かまどを磨いてまいりまする」
庚、銀、朱の三匹はさっと立ち上がり、足早に座敷から姿を消した。
「…………」
「どうした、一言一句漏らさずに聞いてやる。さあ、申せ」
「…………」
圧に耐えかねた白月丸は、良いおのこでございますよ、と震える声でつぶやいた。
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