8話 はじめての雨
白月丸は、ほどなくして社殿に戻った。
聖域に入ってすぐに変化を解く。そのまっ白なからだが桜の花びらに彩られているのを見たサルの庚月丸は、雑巾をかける手を止めた。白地にピンクの色合いがあまりにもかわいらしかったからだ。
「それ、最先端のおしゃれ?」
「やかましい」
「そこの床、掃除したばっかりじゃけん。花びら落とさんでな」
「銀月丸は?」
「奥におるよ」
白月丸は足早に奥へと向かう。
都合がいい。ちょうど銀月丸は大龍のもとにいるらしい。あちらこちらに花びらを撒き散らして、白月丸は奥座敷に入った。
「大龍さま」
「白月丸。水緒さまのご様子はどうじゃった。こころちゃん以外のご学友など出来そうかのう」
上機嫌な銀月丸に白月丸が「それより」とウサギの頭を振る。そしてふたたび御簾の奥に坐す大龍に向き合った。
「その帰路にて、龍族の者と行き合いました」
「なに」
御簾の奥で大龍がいった。
ひと通りの出来事を話し終えた白月丸が御簾の奥、大龍の反応をうかがうと、彼は沈思熟考に入っているようで、なにを言われるでもなかった。
「あやまちを繰り返さぬよう──とな」
代わりに口をひらいたのは銀月丸だ。
「水緒さまが半龍であると知っとるうえでその発言……まちがいなく大龍さまへ喧嘩売っとるな」
「おそらくは」白月丸の声は昏い。
「『紅来門の
座は重苦しい沈黙に包まれた。
紅来門の大戦──かつて幽湖からの登竜門のうちのひとつである、紅来門にて起こった龍族同士の戦のことだ。四眷属のうち、当時すでに大龍によって拾われていた白月丸と銀月丸は、この戦で片側の大将をつとめた大龍を支えた。
四百年以上もむかしのこと。
くわえて、あまり気の晴れぬ終わり方であったこの戦だ。いまではこの二匹や大龍、そしてほかの龍族たちでさえ口にすることを憚り、戦を知るあるいは覚えている者すらそう多くはないのだが。
白月丸はちらと御簾の奥に目を向ける。
怒っているだろうか──とようすを窺おうとしてのことだが、存外、御簾の奥からは不穏な空気は流れてこない。
それどころか、
「笑止」
とかすかに笑う気配すら。
白月丸と銀月丸がおどろいて顔を見合わせる。御簾にうつる大龍の影が、ゆっくりと立ち上がった。
「だ、大龍さま」
「先だっては鬼女の影に隠れておったが、とうとうおのずから姿を見せたか」
「大龍さま、ご存じなので?」
「その左頬傷の龍……あの祝宴の折、この大龍のもとより
「なっ──し、しかしどうやって」
銀月丸が瞳孔をひらく。
しかし大龍はそれには答えず、「今後」と唸るようにつぶやいた。
「水緒の邪魔になるやもしれんな」
「…………」
ハッ、と白月丸が耳を立てる。
伏せていた銀月丸もすばやく腰をあげ、
「水緒さまに仇なすものはわれらが」
と喉奥でうなる。しかし大龍は、
「ほうっておけ」
とひと言。
「し、しかし大龍さま」
「さしあたり、そやつの狙いは水緒のいのちではない。ならば試練の糧とするまでよ」
といって、大龍はのそりと御簾のなかから出てきた。
「躯は──水緒さまへの試練とはやはり」
白月丸は不安そうに大龍を見上げる。
しかしその呟きには答えず、大龍は白月丸を見るやかすかにわらった。
「白月丸。ずいぶんと花びらをまとってきたな」
「あ、これは。高校からここまでの道々がすごい桜並木なものですから」
「座敷にまき散らしとるぞ。こりゃ庚月丸が怒るじゃろう」
と銀月丸もくすっとわらう。
これまでの重苦しい空気はとたんになくなり、ホッとした白月丸と銀月丸はぐっと大龍を見上げた。
「どちらへ?」
「水緒が上に来たようだ」
「あ、買い物から帰ってきたんじゃ」
「むむ。朱月丸のやつまた甘いものを土産に持って帰ってきとるな」
茶をいれましょう、と鼻が利く銀月丸は人に化けてかまどへ向かう。
そして大龍は白月丸を供にゆっくりと屋敷の外へと足を運んだ。
※
「阿龍、吽龍!」
水緒は如意宝珠から幼龍を呼び出した。
まわりにはほうきを持った庚月丸と、ともに帰ってきた朱月丸がそのようすを見守っている。どうやら水緒はこの使役龍について見極めようとしているらしい。
幼龍の二匹は、まず人に化けた。
そのすがたは四眷属たちが変化したときの見た目年齢とはほど遠く、いまだ五歳に満たぬ幼児であった。それを見て庚月丸と朱月丸はいつものごとく「はぁ~」と肩を落とす。
けれど水緒は大興奮である。
「阿龍がおんなのこで、吽龍がおとこのこなんだ! わあかわいい。ねえねえしゃべれる?」
「……みおしゃま!」
と、阿龍がはきはきと喋りだす。
対して吽龍は幼いながらにキリリとした表情で、「みおしゃま」とちいさくつぶやいた。なるほど、おなじ使役龍ながら性格がまったく異なるようだ。
水緒はもだえた。
「かんわいいッ。ねえ庚月丸に朱月丸。龍ってなにができるの?」
答えたのは、顎に手を当てた庚月丸だった。
「一番メジャーなのは天気を操ることですかの。ほれ、水緒さまはイベントごとになるといっつも雨でしょ。大龍さまが土地を浄化してくれとるからですわ」
「浄化されとらんもんが沸いて、水緒さまにいたずらしかねませんゆえ」
とつけ加えた朱月丸は、荷物持ちの褒美として買ってもらった土産菓子──『半月』を背負っている。
「そういうことだったのか」
「まずは雨をふらせるよう指示してみては?」
「うんっ。阿龍、吽龍──」
水緒はじっとふたりの瞳を見つめ、
「雨をふらせて!」
と手を広げた。
おさないふたりは、ちらと顔を見合わせ、紅葉のようにちいさな手をぐっと空に突き上げる。
するとたちまち水緒の頭上に黒雲がたちこめた。
そしてまたたく間にパラパラと雨が降り出したのである。
……底抜けのジョウロから出るような、わずかな雨が。
「…………」
「ほんと水緒さまって」
「ま、これからですなー」
と、励ましにもならぬことを言った朱月丸と庚月丸は、水緒の背中をポンとたたく。わずかな雨を生み出した阿龍と吽龍は、しかし申し訳なさそうに瞳を伏せた。
が、水緒はくじけちゃいなかった。
「見た? 見た? チョー偉くない? 雨降らせたの。この子たち天才じゃない? だってまだこんなチビなのに! 初めてだったのに! もうこの先スゴイことになりそう! ねーっ、阿龍、吽龍。いっしょにがんばろうね!」
そして使役龍の頭をはげしく撫でくる。
阿吽龍は目を白黒にさせながらも、うれしそうに「あい!」とうなずいた。
社殿の縁側に腰をかけて眺めるは、大龍と白月丸。そして茶をいれて元のすがたにもどった銀月丸である。
「ふ」
と、大龍の口からわずかに笑みが漏れた。
つられて二匹も笑いだす。その声に気づいた庚月丸と朱月丸が、
「大龍さまじゃ」
「水緒さま、大龍さまがお出になられとる」
と興奮して跳びはねた。
いまだ使役龍とじゃれていた水緒がはたと縁側に目を向ける。めったに見ることがない、誕生日以来の父のすがたに、水緒はわっと笑顔になってそちらへ駆け出した。
「お父さん!」
「そうじゃ、お土産をわたさねば」
庚月丸は朱月丸の背にくくられた土産をとって、大龍に差し出す。もちろんそれを受け取るのは大龍ではなく銀月丸だ。がぶりとくわえて受け取ると人数分に分けていく。
数を均等にわけるのは、生真面目な性格の彼が一番向いているのだ。
「半月じゃァ」
「こら朱、まだとるな。御前さまの分もわけねば」
父の膝上に腰かけて、水緒は四眷属をじっくりと観察した。
庚月丸はおさない使役龍たちを縁側によじ登らせ、白月丸は分けられた菓子をひとり分ずつ皿に盛っている。朱月丸はひとり菓子を見つめて動かない。こいつは眷属のなかでいっとう食い意地が張っているのだ。
水緒はぐいと父の顔をみあげた。
「ねえお父さん見てた? ちゃんと雨降ったよ!」
「ああ、見事なものだ」
「でしょ、初めてにしては筋がいいでしょっ。ふふ、はやく徳を積んでいろんなことできるようになりたーい」
それを横目で、庚月丸と白月丸はげんなりとした顔をする。
「大龍さまったら水緒さまには甘いんよなぁ」
「大龍さまの娘御なんじゃけん、あのくらい──」
「庚、白」
と、大龍がつぶやいた。
せっかくやる気になった娘の気をそぐな、ということだろう。庚月丸は「失礼」と首をすくめた。
「それでは三時のおやつにいたしましょうか」
「いっただっきまーす」
水緒はごきげんである。
そして待ちかねた朱月丸もまた、よだれを垂らしながら菓子にかじりついた。
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