7話 左頬傷の大男
数年前まで、大龍神社含むここら一帯は田んぼやあぜ道に囲まれた緑ゆたかな土地だったという。ここ数年の土地開発によって住宅地化がすすめられ、いまではずいぶんと景観が変わった。
神社から徒歩圏内の平陵高校もまた、戦後まもなく山を切り崩して建てられたのだとか。当時はここが唯一の高校だったため、古くからこの地に住む団塊世代はみなこの平陵高校で青春を謳歌した。
彼らのうら若き想い出として、いまでも地域から愛される学校なのだ。
雨はすっかりあがっていた。
「やだ、なつかしい」
高校の中庭には、学校建立当時からそびえ立つ大樹がある。
まだあったんだコレ、と美波はぐんと首を伸ばした。
「御前さまもこちらの学び舎に通われとったとか」
「兄御前さまから聞きましたぞー」
うしろに控えた白月丸と朱月丸が人間のすがたのまま、落ちくる葉っぱとじゃれている。いまは、水緒がこころの親にあいさつしたいというのでその帰りを待っているところだ。
「そうそう。当時はよくモテたのよ」
「さすがは御前さま。大龍さまに見初められるだけの美貌と才は幼少のころより秘めておられましたか」
と、白月丸が地面の虫をとろうとしゃがみこむ。かけた眼鏡がずり落ちようとも気にしない。
「それほどでもあるけど。まあでもなかなかしょっぱい思い出が多いのよね、高校時代は」
と美波は大木に触れた。
高校生にあがってすぐに両親と死に別れ、神職の道をすすんでいた兄の慎吾とたったふたりで生きてきた。華の女子高生などは幻想で、当時の美波には恋愛などする余裕はなく、ただひたすらにバイトと勉強に明け暮れていた記憶しかない。
朱月丸はううん、とうれしそうに前髪の奥の目を細めた。
「それを大龍さまはずっと見ておられたのですな」
「いやはや大龍さまもお目が高い」
「どうでもいいけど、水緒はまだ? 私このあとお買い物行きたいんだけど」
「まもなくいらっしゃいますよって。足音が」
と耳を澄ます白月丸。
その後まもなくして、水緒は軽快にこちらへ駆けてきた。
「おまたせ!」
とたん。
「水緒さまァ」
「水緒さまァ」
撫でて、と頭を垂れてすり寄るふたりの青年。
両の手にずっしりと配布物を持っていた水緒は「はいはい」と荷物を地面に置いて、ふたりの頭を撫でてやる。
買い物したいのよ私、とふたたびいった美波に、水緒はわかった、とうなずいた。
地面に置いた荷物をふたたび持ちあげようと腰を屈めると、眷属のふたりがひょいと手に持つ。どうやら存分に撫でられて満足したらしい。
「ありがと。ねえ買い物って駅の商店街でしょ、あたしも行く!」
「それはいいけどアンタ、親と帰ってる場合? こころちゃんだってクラス別々になっちゃったんでしょ。ほかにも友だちつくんなくていいの、こういうのって初日が大事じゃない」
「いいの。どうせ毎日顔合わせてたら自然と仲良くなってるから──それよりどうして白月丸と朱月丸までいっしょに来たの? びっくりしたよ!」
校門から出て右にゆく。
『大龍神社』までの道のりはおよそ十五分、駅へ向かうにはその途中にある横道に入って五分ほど歩く。駅といっても周囲にあるのは古びた商店街のみなので、都会的な買い物をする場合には駅をみっつほど行く必要がある。
美波は「んー」と髪をかきあげた。
「このあとお買い物するつもりだったからさ、荷物持ってもらおうとおもって」
「電車には乗らないであげてよ。この子たち乗り物すぐ酔っちゃうから」
「それがしひと駅だけで生あくびが止まりませぬ」
「あのエンジン臭さがどうにも」
白月丸と朱月丸が渋い顔を浮かべる。
(────)
そのとき、水緒の頬をわずかに風が撫ぜた。
みょうにぬるい風だった。
んっ、と顔をあげた水緒だったが、美波は気付いていないのかさっさと先へ歩いてゆく。眷属ふたりはどうだろう、と視線をうつすと案の定彼らは互いに目を見合わせて足を止めていた。
「どうしたの。ふたりとも」
「いやはやこれはどうにも……御前さまァ!」
と、白月丸は能天気な声をだした。
「それがし、すこし道草を食わねばなりませぬゆえ……どうぞ買い物は朱月丸をお供に行ってくだされ」
「なあに、おなかすいてるんならあとでいっしょにお昼食べるんだから。もうちょっと我慢なさいよ」
「いえいえそれがしは草でじゅうぶんにございます。さ、朱月丸。あとをたのむぞ」
「心得た」
というや、朱月丸はぐいと女ふたりの背を押して足早に商店街方面へと向かう。
どうしたんだろう。
わずかに眉をさげて朱月丸を見上げると、彼にしてはめずらしく真剣な顔だった。ハッと白月丸に目線をうつせば、対して能天気に手を振っている。
「あ、朱月丸」
「心配ござりませぬよ、水緒さま。なにも白月丸がなにをどうにかするわけではござらん。それがしらは安心して買い物をいたしましょう」
「…………う、うん」
釈然としないが、とはいえいまの水緒にはどうすることもできまい。
いまいちど白月丸に視線をひとつ。
ざわりと心臓がざわつくのに合わせて、かばんのなかに入れていた如意宝珠がドクンとひとつ、脈打った気がした。
「…………」
白月丸は、眼鏡の奥の瞳をしぼって、その場から一歩たりとも動かない。
ぴくりと動かすのは耳だけだ。
「お探しかな」
背後で声がした。
白月丸は口角をあげて声のする方へ目を向ける。──しかしなにもない。が、そこは白月丸の耳である。かすかにどこからか吹き漏れる風の音が届いていた。
「そこもと、うちの龍女さまに喧嘩をお売りか」
「喧嘩?」
風のなかから声がする。低く重厚で、わずかに笑いを含んだ声だった。
ぴくりと白月丸の眉がうごいた。同時に目の前でつむじ風が巻き起こる。道に散り落ちた桜の花びらが舞い上がる。視界は一面の桜にまみれた。
つむじ風がおさまり、ようやく声の主は姿を見せた。
肌は浅黒くボサボサの金髪を結い上げた大男がひとり──左頬にざっくりとした傷痕がよく目立つ。にんまりと口角をあげると、ひきつったように歪んだ。
「ほんの挨拶ですよ」
「あいさつ──」
「半龍というのはまことのようですな」
「なるほどそちらは」白月丸は笑みを絶やさない。「龍族とお見受けしますが」
いったい何用ですかな、と眼鏡の奥、三日月に細められた瞳が開く。
大男はちらと桜並木に視線を向けた。水緒が歩いていった方角だ。
「修行をはじめられたようで」
「激励に」
「なるほど相分かりました。龍女さまへお伝えしましょう」
「いいえ、激励は大龍さまへ」
大男はふたたび左頬をひきつらせてわらった。
白月丸の顔から笑みが消える。
「…………」
「また、おなじ過ちを繰り返さぬよう──」
お祈りしております、と。
そしてふたたびつむじ風を巻き上げて、大男はその姿を消した。
「…………」
白月丸は、動かない。
風の名残で散り落ちゆく花びらを、しばらくその身に受け止めるほどに。
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