➤3話 自分の力で



 壁に空いた穴から溢れる光か眩しくて、俺は目を覚ます。うとうとと惚ける目をこすって大きく欠伸をする。


「アベル、おはよう。まだ眠いの?」

「……うん、おはよう…」 


 俺は3歳になり、母さんも死んだ目が嘘のように出かけるようになった。俺もよくお出かけをするが、あの日以来は口うるさく注意が飛ぶ。


 知らない人について行ってはダメ。

 外にあるどんな物にも触ってはダメ。

 知らない食べ物を食べたらダメ。

 私が大丈夫と言った人以外と話ししちゃダメ。

 ……もはや束縛だ。


 どれもこれも心配から来るものだから特に文句は言わなかった。あの時、母を心配させてしまったからな…散策だけは認めてくれていたため、この辺りのことをもっと詳しく知るため歩き回った。


 今の所、散策で分かったことは特に無いが、母さんの買い物に同伴した時に初めて母さんの名を知った。

 名は イザベル というらしい。姓名はなく、自分にはあるのか気になり、「僕に姓名はあるの?」と聞いたところ、驚いた顔しつつも答えてくれた。


「あなたの姓は ヴァイオレット よ……あっ」


 ”ヴァイオレット” という姓があるらしい。

 でも、何かと失言だったらしく、その後に口すっぱく注意された。


「ヴァイオレットの姓を名乗ってはダメよ。絶対だよ?」


 とのことだ。危ないってことは貴族の出かもしれない。今後はただの アベル と名乗る必要があるようだ。

 でも、貴族だとしたら何でこんな辺境に俺たちを放置したのだろう。


 母さんの話によると、馬車で連れて行かれている途中に事故があり、気が付いたら俺と一緒にこの家に放置されたんだそうだ。俺も記憶は曖昧だが、凄絶な揺れがあった気がする。

 そして、一通の手紙だけ、俺を包んでいた布の中にあったらしい。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

その子は アベル・ヴァイオレット とせよ。

護兵を一人そちらに置く。何かあれば頼ると良い。

さらばだ 我が最愛の妻 イザベル

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 乱雑に書き殴られている。名付け親が父だったのか。不吉な名前をつけてくれたもんだ。


 とまあ、そんなわけで俺たちの置かれている状況は母さん共々に分かっていない。だから俺は散策を繰り返し、少しでもここの場所やこの世界の知識を集めることにした。


 先ほども言ったが、特に分かっていないことが多い理由は、家の周りがあまりにも荒廃されすぎて、得られる情報が少ない。得られたとしても食べ物や、怪しい道具くらいだ。それから……家の裏の川は排泄物の溜まり場である。


 こういう環境にあるからこそ、母さんもあれこれダメと言う訳である。そして、森の奥や危なげな店にはさすがに行かないが、問題は喋っちゃダメなことだ。今の所、母さん公認で喋っても大丈夫だという人がいないのだ。

 故に、情報収集のためにも母さんに抗議することにした。まずは買い物で会話の機会を得よう。


「ママ、一人で買い物に行きたい!」

「ダーメ、どれが食べられるか分からないでしょう?」

「ママの選び方を見ていたから大丈夫だよ!」

「そうなの、偉いわね。でもダメよ」

「何で?」

「危ないからよ」

「何が危ないの?」

「……危ないからよ」


 ダメだった。ううむ、子供なりの思いやり風を出してみるか。


「……ママのために何かしたいんだもん…」


 涙目で訴えるも肩に手を置いて、じっと俺の目を見つめられた。


「アベル、まだあなたは三歳なのよ。外には何があるか分からないのよ。もっと大きくなってからね」

「……わかった」


 その一言で安心する母親。こうなっては致し方ない。

 人とのまともに話すのは当分先になりそうだ。


「……今日も散歩に行ってきます!」

「変な人について行ってはダメよ」

「はーい!」


 今日も、とある場所に向かう。


◇◆


 俺はとある仕事を始めた。散歩の時間を狙い、こっそり活動をしている。


 この活動を始めたきっかけはただの偶然だ。皮肉にも盗みをやっていた時に余らせた食物があったのだ。盗んだ成果物は誰も来ない倒壊したレンガの建物内に大量に格納していたため、どれもこれも俺一人では食えずに腐りかけで、頭を悩ましていたところである。


 そこで、川に溜まった排泄物を建物内に持ってきて、腐った食物も一緒に建物内の土と混ぜこんで、腐りかけた野菜から抽出した種を埋めて食物の生産をしている。

 

 そう、俺は今、農業をしているのだ。


 ちょうど半年前から内緒で栽培活動をしている。3歳児が畑作業………端からだと、とんでもない光景だな。まぁ、この世界では関係ない。自分の力で食物を得る必要があるのだ。


 とはいえ、最初の頃は手で作業をしていたため、かなり苦戦した。たまに手の感覚がおかしくなったり、手傷がつきまくっていた。しかし、決まって次の日には治っていることが多いため、あまり気にせず続けることができた。

 一ヶ月の間に土台作りが完了し、三ヶ月ほど育てられる野菜を色々試した。


 その結果が俺の目の前にある。十メートルくらいの畝が四列あり、様々な野菜が彩っている。


・レナッツ……うちの名産物。ナッツの味と色をしているレタス。

・バナナス……蔦から生える紫色のバナナだ。味はバナナだ。

・もやし……もやし。

・きゅくり……栗の味がする茶色いきゅうり。


 前世の記憶持ちの俺からすると、もやし以外は片眉が上がる野菜のオンパレードだ。

 まだまだ量は少ないが、成熟もかなり早い上、質も良さげである。


「やっぱり異世界なんだな」


 適切に水をやったり、雑草を抜いたり、次の野菜に向けて種を抽出したりなど。うまく循環を組み上げる必要がある。まだ油断はできず、毎日野菜の状態をチェックを行なっているのだ。


「これは自分のもので、こっちは返済分だな」


 家の前にこっそり俺の野菜をお供えしている。お供えって言うか、差し入れだ。最初の頃は母に物凄く怪訝な顔をして捨てられた。


 怪しいものではないと信用を持たせたくて俺は ”子供の興味" 風に口に入れて見せた。その途端に母は激昂し、「吐きなさい!吐きなさい!」と言って俺の背中を叩いて吐き出させようとした。しかし、俺も負けられず、飲み込んで異常がないことを伝えた。すると、オロオロしながら何度も「本当に大丈夫?大丈夫なのね?」と毎日確認された。


 しばらくは母さんも抵抗感があったものの、ある日にあまりにも定期的に家の前へと置かれるため、「あ、そっか」と何か会得がいったように頷いて以来、母さんも抵抗なく食べるようになった。


「………よく考えたら、この時から変な食べ物に触ったらダメとか、言われ始めた気がするな」


 そして、盗みをしていた時の詫びも込めて、盗んだ分は返すようにしている。返済済みの店には数個かの野菜を置く代わりに廃棄処分のものを少しだけ頂き、野菜の増設も図っているのだ。


「さて、行くか」


 俺は拾った布を頭にかぶせて菜園から出陣する。



◇とある敷居店◆


 儂の名は ダン。しがない野菜店のおっさんで、妻と二歳の子供がいる。五十代差し掛かる頃に、ようやく子宝に恵まれたのだ。金銭面では家族を幸せにしてやれないかもしれないが、金じゃないところで幸せにしてやりたい。


 ちなみに仕事は、農業と販売だ。昔は命がいくつあっても足りない荒稼業をしていたが、結婚したことをきっかけに引退し、妻の父の店と農業を引き継いだ。

 このクソみたいなところでは、一番の野菜を売っていると自負している。


「へい、毎度………ん?」


 荒廃した町で客の入りも少ないが、毎回来てくれる人もいる。

 常連さんたちのおかげでなんとか維持できている。


 その一人が……あの人だ。


「……あら、ダンさん」

「おお、イザベルさんか。今日は…そうだな。こいつがオススメだ」

「それは……トマトンね」


 トマトン。これは儂の野菜の中でも屈指の栄養価を誇る。一個だけで一日分の栄養が得られるスグレモノだが、4日間放っておくとすぐに腐る。

 鮮度が売りの野菜だ。


「特別に2個で1個の値段でどうだ?」

「あ、その…申し訳ないです………2個分を払いますから…」

「そうか、わかった!」


 といい、儂はトマトン2個分の金を受け取り、1個分の硬貨を返した。


「えっ…」

「儂にも子供がいる。その大変さはよく知っているつもりだ。いいから貰っとけ!」

「あ、ありがとうございます…」


 この女(ひと)は4年ほど前にこの辺に住み始めた。当初は死んだ目をして、話しかけても全く反応しなかった。ちょっと触れただけで死にそうな雰囲気だった。


 風の噂ではここに住んで間もない頃に強姦に遭ったとか。ここらには理不尽な理由を押し付けて、金を徴収するグループがある。

 そいつらに目をつけられたんだろう。


「お子さんは元気か?」

「はい。成長が早くて驚きの連続です。これもダンさんのおかげかしら」

「がはは!それは良かった!」


 最近では何かあったのか、いい顔で来客するようになった。


「あ、そうだ。これも貰ってけよ」

「これはレナッツ…?やっぱり貴方だったのね。いつもありがとうございます」

「…ん?」


 イザベルはレナッツを受け取り、帰っていった。

 しかし、話にすれ違いがある。


「レナッツなんて仕入れたんだ。さすがですなあ。ダンさん」

「おぉ、トマーソさんか。いやあ、最近ちょっとツテができてな」

「ほほぉ、それは是非聞かせてもらいものですな」

「企業秘密だ」

「ちぇっ」

「買わないのか?トマトンもあるぜ?」

「はいはい、買いますよ」


 このレナッツは最近、出し物台の裏に置かれるようになっている。レナッツといえば、かなり肥えた土地でしか育たない野菜で、ここらでは手に入らない代物のはずだ。


 栄養価もトマトンと肩を並べるほどに高く、滋養剤にもなるほどだ。儂も前に仕入れて栽培しようと思ったが、失敗し、廃棄した。


 よく考えたら廃棄処分の野菜の何個かが紛失している代わり、レナッツが置かれている。もしかしたら儂の廃棄処分のレナッツを使って栽培している可能性があるかもしれない。もしもそうならば、少し嫉妬を覚えるな。


「しかし……量が多いんだよな」


 家族で食うにも量が多すぎて余る。腐らせるのも勿体無いため、店に出しているのだ。儂としても、タダでレナッツを受け取るのは気が引ける。


「確か今日辺りだったか。よし、儂の自慢の野菜を置いて帰るか」


 そう思い、書き置きも残して敷居を畳む。

 帰ったら家族が待っている。



◇◆


 今日はダンさんの所だ。

 彼の容姿怖いが、その裏腹に優しい男だ。人柄も良く、顔も広い男である。

 店に出している野菜を盗んだ人には叱責の後、野菜を持たせて帰らせたり、野菜のおまけもよくしてくれる。温情溢れる大きな男で、俺の憧れでもある。


「よし誰もいない」


 誰も人が通っていないことを確認し、俺は敷居内へと侵入する。


「…ん?なんだこれ」


 すると、いつも置いている出し物台の裏に赤い実のようなものが白い布に隠れていた。


 いつもはなかったはずだ、怪しい。と俺は店の周りを用心深くチェックする。

 当然、何も無い。安全を確認したところで恐る恐る布を取ってみる。


「トマトン……?」


 ダンさんの店で最も美味い野菜だ。

 野菜の間に手紙が挟まっていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

レナッツいつもありがとう。レナッツの礼と言っちゃあなんだが、自慢のトマトンを持ってけや。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 と、簡単に書かれていた。


「ダンさん…!」


 トマトンといえば、うちでもたまに食っている。

 母さんの行きつけの店ってここだったのか。

 まだ連れて行ってもらったことがない。


 あ、ダンさんのところは遠いからかな。

 連れて行ってくれるのは歩いて十〜二十分程度の距離だ。


 ダンさんのところは一時間かかる。

 うん、遠いな。


 トマトンは四個ほど置かれていた。

 その一つを弄んでかじってみる。


「う〜〜ん、うまい!みずみずしい上、甘い!」


 味はトマトだ。見た目もまんまトマト。

 でも、甘い。ここまで糖度が高いトマトは前世でも食ったことがない。


「ごちそうさまでした!」


 残りのトマトンを手持ちの袋に入れ、収穫したレナッツ12個を置く。

 返す分は多くするのだ。それを忘れない。


「あ、やばい! 日が差し掛かってる!」


 俺は急いで家に帰る。門限を過ぎると母さんからおイタが来るのだ。

 家に着くなりに、せっせとレナッツとトマトンを入れた袋を家の前に置き、家の中で待機する。

 今日の活動は終わりだ。



◇◆


 一時間後。家の前に置いたトマトンとレナッツを抱えて家に入ってくる母さんだ。

 疲労で意気消沈しているように見える。毎週の三、四日くらいこんな顔になる。


「ただいま〜…」


 別の袋にトマトンとレナッツが詰め込まれている。

 ダンさんのところで買ってきたのか。


「ママ、どこに行ってたの?」

「ちょっとね。仕事をしてたのよ」


 仕事かあ。何をしているのだろう。

 ついて行こうとしたが「いい子にしててね」と留守番させられる。


「仕事って何してるの?」

「…うーん、まだ言えないのよ。もっと大っきくなったらね」

「ええ〜」


 ブーブー教えてくれてもいいじゃん。

 もしや言えないことをしているかもしれぬ。


「明日もいない?」

「ごめんね。また今から出かけてくるね」


 外も薄暗い。こんな辺境に夜出かけると何があるか分からない。

 大丈夫なのだろうか。


「そっか……気をつけてね……」

「うん、良い子で待っててね」


 母さんは袋から野菜を取り出してから、ローブを纏って出かけた。

 俺は家の幕から遠ざかって行く母さんを眺めながら静かに決意する。


「………よし、尾けるか」



◇◆


 母さんを尾けていって数十分は過ぎたが、ただ歩いているだけだ。周りを観察するようにキョロキョロしながら真っ直ぐに歩いている。

 ダンさんの敷居店辺りを通るも、素通り。なんだろう。巡視が仕事とか…?


「どこまで行くんだろう」


 ダンさんのところまでが一時間くらいだから、多分歩いたら家までは二時間ほどかかる。

 しばらく歩くと、誰も人が通らないような場所に辿り着いた。さらに奥に進むと、一軒家があった。


「こんなとこに家あったんだ……」


 スラムの街にこんな立派な家があるのも驚きだが、今は母さんが何をしているかが知ることが優先だ。

 俺は即座に草むらに隠れながら観察を続ける。

 視線の先には母さんは扉を叩く。すると、若い女性が青ざめた顔で出てきた。

 昔の母親にそっくりで、目に光がない。


「イザベルちゃん、本当に治るの……?」

「ええ、任せて」


 治る…?母さん、医師だったのか。

 あの時、狼男に刺さった傷は母さんが……?


「貴女が駄目だったら………ううん、お願い。あの子を助けてちょうだい……!」


 若い女性は悲痛な声で懇願した。母さんは女性の肩を抱えながら家へ入った。

 かなり危険な状態の子供がいるようである。しかし、母さんには袋に入った本しか所持していない。一体何をするのか気になる。


「あそこからなら見えるかな……」


 と、俺は低く構えながら一階の窓へ接近する。そろりそろりと音を立てずに覗くと、そこには銀髪の少女が眠っていた。

 少女は息も絶え絶えで今にも消えそうだ。

 この子だろうか。


「はぁはぁ……」


 そこで扉が開き、母さんが出てくる。

 俺は咄嗟に体を隠し、窓の端っこから目を覗かせてみる。

 母さんは少女の胸に手を置き、眉間を寄せた。


「これは……魔病の一種ですね」


 …ん?ちょっと待って、魔…?

 厨二みたいな病名出たぞ。


「胸に過度の魔素が溜まり、腫瘍ができています。ただの風邪に近いですが、普通の治癒方法では治りません」

「じゃ、じゃあ、どうしたらいいの⁉︎ エリーゼはどうなるの⁉︎」

「落ち着いてください。 今から治癒魔術をかけますが、リスクがあります」

「そ、それは…?」

「一回体に蓄積する魔素を浄化するため、しばらく魔素が含まれる食物を一定の間摂取する必要があります。普通なら魔力薬(ポーション)を提供するのですが、あいにく私はお金を持っていない上、そうした対応ができません」

「ま、魔素の含まれた食物というのはどういったものが…?」

「レナッツやトマトン、バナナスなどです。基本的に栄養価が高いものには大抵魔素が含まれています」

「わ、わかったわ。それは自分で用意する……だから、お願い……!」

「では…」


 母さんは袋から白い石を取り出し、何か呟く。すると、白い石の輝く。

 その輝きに浄化されて行くように少女は生気を取り戻しているように見えた。


「………あれって…」


 俺はその光景を眺め、呆然とした声を零してしまう。


「…………ま、魔術……?」


 この世界にはやはりあったのだ。前世では妄想の世界であった、魔の術が。


「ふぅ……本日中には目を覚ますでしょう」


 少女は次第に呼吸も落ち着いていき、穏やかな寝息へと変わった。


「エリーゼ……よかった…!」

「1日にレナッツか、バナナスを一個程度食べていれば、一先ずは大丈夫かと思います」


 女性は安堵のため息を大きく吐き、少女の手を握ったまま涙堪える顔で母さんに頭を下げた。


「……では息子も待っているので、また何かあれば」


 母さんは女性と一緒に家のドア前に移動したところで、「あ、ちょっと待ってて」と母さんの帰る足を引き留めた。

 そして、女性は何か入った袋を持って戻ってきた。


「はい、受け取ってよ」


 母さんは袋を受け取って、中を確認してみると大金は詰め込まれていた。

 当然、「こんな大金……」と受け取りを否定した。


「貴女は私の大切な娘を助けてくれた礼よ」

「でも……」

「……正直貴女のことは信用していなかったわ。でも、貴女は私を信用してくれた」


 誰も彼も信用できない環境にありながら、母さんは助けを求める者に手を差し伸べたのだ。子供を治してほしいという詭弁で人知れずに殺される可能性だってある。


「私はね、曲がった事が大嫌いなのよ。だから、これは謝意と感謝の気持ちよ」


 女性は母さんの持つ袋に手を置いてそう言った。

 しばらくの沈黙の後、小さな声を零す。


「………ありがとう」

「……うん、本当にありがとうね」


 女性は優しい顔で母さんを見送った。




 俺はゆっくりとした足取りで夜空を眺めながら帰路についた。俺が広大な星空を見ながら思うことは一つだった。


「魔術かぁ……」


 この世界に転生してからというもの、獣人や変な野菜とか異世界だろうなと思ってたが、これで確信した。

 ここは異世界で、魔術の存在する世界だ。


「………俺にも使えるのだろうか…」


 異世界の代名詞の一つたる、魔術。一度でもいいから使ってみたくはあるが、母さんにどう言ったって教えてくれないだろう。魔術を使って人を治して回っていることを俺に黙っているし。


「まぁ、無理だろうなぁ。夢はあるが、自分の力で今を生きることが一番だな」


 いつの間にか立ち止まっていた歩を進めたところで、とあることに気づく。


「………あ、やばい!」


 もうこんな夜だ。門限はもうとっくに過ぎている。

 母さんが先に家に着いてたら、頭に角を生やした般若顔でケツを十発叩かれるのだ。

 もうあんな思いは嫌だ。


 そこで俺は思考を捨て、全力で走って帰った。

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