➤2話 餓え



 あれから1年半以上が経った。俺は歩くどころか走れるようになり、話もほぼ理解できる。言語の本がないから覚えるのに苦労はしたが、発音方法も合わせて文脈や単語などを一つずつ解析して覚えた。気が遠くなるような作業だったが、現在は会話程度ならできる様になった。


 しかし、俺が言葉を覚えていくのに比例して、母さんの眼はだんだんと濁っていった。今では小さい返事で「そうね」「気をつけてね」としか返ってこない。


 あの時の目と同じだ。貧しい生活に日々精神をすり減らし、俺という存在も伴って憔悴しきっているのだろう。


 俺を育てる以外は能動的に動いているという感じだ。ちょっと前にナイフで手首を切ろうとしていたこともあった。ぎょっとしたが、俺を見るなりに包丁を投げ捨てて俺を抱き泣いた。俺という存在が生きようと思える理由となっている。


 俺は、そんな母さんを助ける為にのし上がってやると決意した。母さんには楽にさせてあげたい。

 そのためにも今走れることも含め、できる選択肢は次の通りだ。


一.盗み

二.人を殺し

三.旅に出る

四.自分自身の成長を待つ


 これだけだ。ろくな選択肢がないな。

 まずは一だが、この小柄な体を用いて盗みを働くことはできる。


 次に二はリスクも高く、この体で人殺しをするには力不足だろう。


 三も却下だ。資金がないと旅の途中で無駄死にする可能性が大きい上、母親を一度捨てることになる。


 最後に四も却下だ。母さんも働いていないし、お金は乳代にもうほとんど使い切っている。


 最近では一日にキャベツのような葉っぱを6、7枚くらいしか食えていない。俺の体もだんだんと細くなり、くびれができている。腕に骨が浮き出ている。飢えでどうにかなりそうだ。


 このままでは母さん共々に餓死する。

 己の成長を待っている暇はない。


 最良の選択肢は、「盗み」しかない。


「ちょっと出かけるよ」

「……アベル……気をつけてよね…」


 俺は家を出て、荒廃した街を適当に散策する。まずは出来るだけ遠い場所で、かつ盗みやすそうな場所を探す。


 家がバレないにしなければならない。法無き街で捕まったら殺されるかもしれない。


 しかし、それでも母さんのために、自分のためにもやらなければならない。母さんに孝行一つ出来ていないのだ。


 死なせない。 死にたくない。


 そのために俺は前世でもしたことのない、「盗み」をする。


「母さん、待っててよ」



◆◇


 数日ほど街を歩いて回り、最も盗みやすそうな場所を見つけた。「ダン」という野菜を主に取り扱っている店だ。この辺では人気があり、廃墟だらけの街とは思えない店構えをしている。


 ここの野菜は栄養もあってうまいと評判だ。母と俺の腹を満たすことはできるだろう。家までの距離もあるし、店主も強面の割りには朗らかだ。


「いらっしゃいやせ。今日のこのトマトンうまいぞ。一個どうだい?」

「ダンさんのオススメなら買わない訳にはいかないわね」

「おう、3個か毎度あり!」

「じゃあね。アンタも頑張って」

「ちょっと待てや、余ったきゅくりも持っていけ」

「えっ、いいの?」

「お前も子供がいるのだろう。食わしてやれよ!」


 人がいい。こういう人ほど漬け込みやすい。

 俺は草陰で大きく息を吸って、気持ちを整える。

 何しろ初めて人のものを盗るのだ。


「いらっしゃい!」


 おっさんがあっちを向いた瞬間に突撃だ。


「おお、アリアか! 今日も……」


 客に顔を向けた瞬間、俺は草むらから飛び出す。

 そして、手前の野菜を袋ごと奪って一直線に走った。


「ちょっと! 持って行かれているわよ!」

「何⁉︎ 待ちやがれ!」


 おっさんは鬼にような顔で追ってくる。

 俺は全力で走る。ただただ、一目散に走った。


「ごめんなさい…ごめんなさい……」


 俺は謝りながら走った。内から湧き出る申し訳ない気持ちが溢れた。それでも罪悪感を置き去りにして、ひたすらに全力で走った。

 そして、後ろを見ながら、誰もいないことを確認し、家と家の小路に隠れる。そこで荒れた息を無理やり吸い込んで壁にもたれた。


「はぁはぁ…もう追ってこないか…?」


 案外簡単だったな…と掲げた袋をじっと見つめる。

 すると、いいようもない達成感に胸が一杯になった。


「………やった…!」


 俺は、盗んだのだ。


「これで食える…!」


 盗った野菜は俺だ。俺のものだ。手に入れたんだ。


「は、ははは…ははっ…ははははははっ!」


 罪悪感よりも達成感が勝った。生き延びられたことがただ嬉しかった。

 そして、一個の野菜を見ると口から涎が溢れた。


「…………じゅるっ」


 目の前に野菜がある。

 俺の食べ物がある。


「俺のもんだ…! 俺のもんだから、俺が…!」


 手に野菜を持ち、ゆっくり口に近づける。そして、大きく開いた口でかじった。


「………うめえ」


 かじる。ちぎる。食らう。


「もっとだ…!」


 袋に入っている野菜を両手に食らう。栗のような味に、玉ねぎの味がした。

 野菜を一つ地面に落とし、泥で汚れた。

 だが、俺はおかまいなしに拾って食らう。


「うまい、うめぇよ…!」


 罪悪感なんてどうでもよかった。

 ただ、ただ食えることが嬉しかった。

 今までで一番うまかった。



◆◇


 俺は、それから三ヶ月ほど捕まることもなく、盗みを続けている。だいぶ俺の体も膨れてきた。だが、母さんは以前としてやせ細ったままだ。

 盗った野菜の何個かを母に「知らないおっさんから貰ってきた。食べてよ」と言い、食わせようとしたが、あまりいらないようで「いい…」と拒否する。

 置いておくと気が向いたら食べると言った具合で、ギリギリ生命線を維持している。


「…今日も散歩に行ってきます」

「……うん…気をつけて……」


 盗みに出かける。


「今日もあのおっさんのとこにするか」

 

 俺は当然のように盗みをやるようになった。慣れというのは怖い。

 そして、ただの盗みでは物足りなさを感じていた。当たり前の様に盗んでもなにも楽しくも達成感もないからだ。

 しかし、俺は盗んだ分で十分俺の腹は膨らむ。それでいいじゃないか。いらぬ欲は不幸を呼ぶ。


「でもちょっと物足りないなあ」


 空腹でもない。食欲でもない。

 これは愉悦だ。


「けど…」


 どうしても求めてしまう。

 どうしたものか。


「少しだけ…ならいいよな」


 だめだだめだ。


「一回くらい…」


 だめだ!分かってるだろ!


「……どんなやつから盗めばスリルがあるんだろう」


 スッと盗って去るテクニックも身につけたのもあり、あっさりと盗んでもあまり感じられない。俺はさらなる快感を求めて標的を思案していた。


「うーん…なら、獣人辺りかな」


 この辺にも獣人はそこそこ徘徊しており、犬や猫、兎等、様々な獣人がいる。耳と尻尾が付いた者が多く、少人数だが頭部が獣そのままの獣人もいる。

 そして、獣人は身体能力が高いイメージだ。俺の身体能力も並ではない気もするが、獣人の真正面から盗み逃げられるか腕試しもできる。


「よし、いっちょやってみるか」


 逃げ切った時の達成感も一入だろう、と俺は拳を作った。この時の俺はどうかしていた。





「…よし、あの店の肉取るか…!」


 あの目つき、毛色、おそらく狼タイプだ。足も早く、頭も切れるだろう。

 よし、話し掛けて油断したところで盗む。その後は逃げ切れるか勝負だ。


「あのー…」

「あぁ?なんだよ?ガキ」

「は、はい」


 目に傷があり、マフィアグループに属していそうな雰囲気だ。


「えっと、どの肉がオススメですか?」

「あ? これだ」


 狼男は面倒くさそうにある肉を指す。

 一見普通の肉に見えるが…


「それは何の肉ですか?」


 すると、一転。狼男は嬉しそうに目を輝かせた。


「くっくっ……こいつはなぁ、ユニコーンの肉だ!」

「ユニコーン⁉︎」

「おうよ!」


 ユニコーンの肉なんてあるんだ。

 しかし、ここらは闇市だ。余り信用できない。


「こいつぁ、俺が仕留めて捌いたもんだ!」

「ほ、本物…?」

「当たり前だ! 証拠にこれを見ろ!」


 狼男は一本の角を取り出して自慢する様に見せつけられた。

 本物なら金になるはずだ。よし、予定変更。偽物だったとしても、少しくらいは金もらえるだろう。


「どうだ?すげえだろ?」

「すごいすごい!」

「この角を削って作った粉はなんでも治る万能薬なるらしいぜ。俺は自慢用に保存してるがな!がははははは!」

「ちょ、ちょっと触らせてもらえませんか?」

「だめだだめだ、だめに決まってんだろ」

「ユニコーンかぁ…」


 俺はわざとらしく目を輝かせ、角を見た。


「……触りたいか?」

「はい」

「しゃあねえ。ちょっとだけだ!ほらよ!」


 よっしゃ。チョロい。


「はい、ありがとうございます」

「……え?あ、待ちやがれ!」


 その角を持って一目散に逃げる。狼男は口を大きく裂き、憤怒顔で店から飛びたして追いかけてきた。


「クソガキィイイ!」


 俊足で迫ってきている。ただの走力では流石に負けている。咄嗟に街の小路に飛び込んで走るも、確実に距離が詰められていく。


「くっ!」


 俺はそこらにある花瓶や箱を倒しながら奥へと逃げる。しかし、狼男はそれら全てを軽快に飛び越えて追ってくる。


「ぐぇっ!」

「つ〜か〜ま〜え〜た!」


 勢いのまま首を掴んで壁に叩きつけられる。

 俺は後頭部を強打し、意識が飛びかけた。


「ぐっぁ…!」


 クッソ、油断した。どうする⁉︎

 

「お前、相当早いな。最近噂になっているコソ泥か?」

「ぐっう!」

「まぁいい、こいつは返してもらう」


 俺は全身で暴れた。こいつから逃れるために頭をフル回転させる。

 ユニコーンの角は先が少し丸みを帯びている。相当な力で刺さないと刺さらないだろう。

 でも、こいつから逃れる一手にはなるはずだ。


「このぉっ!」


 抱える角を腕に刺し、地を這いながらも走った。


「この野郎、やりやがったな!」


 走力は確実に負けている。小路を利用してどうにか距離を離せているが、それも時間の問題だ。このまま逃げまわっているだけでは捕まる。

 なら隠れて、あいつの視界から見失わせるしかない。


「来るなぁっ!」


 俺はそこらに落ちている瓦礫を持って、狼男に振り向き様に投げる。

 一瞬視界から外れた瞬間に小路へ駆け込む。 


「ぬっ!小賢しい真似を……どこに行きやがった⁉︎」


 俺はすぐそこの井戸の中へと隠れた。幸い綱が垂れているため、脱出には問題ない。

 木バケツを頭に被り、水の中へと潜む。


「どこに行きやがった⁉︎クソガキィイイ!」


 かすかに音が聞こえる。狼男の怒号が響くも、相手にする必要はない。足音が遠のいたら出て、持っているユニコーンの角を適当な所へ売りに行こう。


「クソガキ、そのユニコーンの角はな!ボスに献上するもんだ!」


 ボス……それっぽいとは思っていたが、何かのグループに所属していたか。


「今返せば何もしねえから出てこい!」


 それには乗るまい。こういう時に出て行くと殺されるのが定番だ。

 ただ我慢して時間が過ぎるのを待とう。


「出てこぉおおおい!!ガキィイイ!」


 我慢だ我慢………


「どこだああああぁぁぁ…………」


 声が小さくなっていく。足音も遠さがって行く。

 今出ても大丈夫か……いや、まだだ。

 慎重に慎重に………


「よし、そろそろ出るか」


 俺は綱を登り、井戸から顔を出した。

 念のため誰もいないか確認だ。


「お〜う?やっと出てきたなあ」

「あっ⁉︎」


 後ろに顔を向けると、そこには狼の口が裂けていた。

 俺は井戸から飛び出して逃げようとするが、背をつまみ上げられる。


「引っかかったな。場所はもうバレバレなんだよ」

「………あ…」


 狼の鼻のことを完全に忘れていた。狼は位置をも把握できるほどの超嗅覚を持っている。


「ちっくしょ! 離せ!」


 音をわざと出して遠さがっていくように錯覚させられた。


「お前相当賢いなあ。 試しに遠さがる足音も再現してみたが、案の定出てきやがったな。お前見た目通りの年じゃねえな? まあいい、俺のもんを取ったからには覚悟しろよ」


 そう言うと同時に俺を壁へと叩きつけられる。

 落としたユニコーンの角は狼男に奪われる。


「ぐぁっ!」

「さ〜て、こいつも返してもらったし………」


 狼男はニヤニヤと笑みを絶やさずに迫って来る。

 そして、手前へと立った瞬間、俺の鳩尾に足を叩きつけられた。


「げふっ!」

「なんか言うことねぇのか?」


 続けざまに蹴られる。俺の髪を掴み上げては顔面を殴られる。


「はぁっ…ごめっ、ぎぃっ⁉︎」


 胃の中が吐き出る。痛い。痛い痛い。

 もういやだ。謝らないと、何か言わないと。


「はぁ?なんて言ったんだ?」

「ごめんな、ぃいっ⁉︎」


 脇腹を蹴られる。顔を殴られる。髪を掴み上げては地に叩きつけられる。ひたすら暴力の限りを尽くされる。

 俺の顔は血で染まり、口には血と土の味がごもった。


「なんだって?」

「ご、ごめん…なさ…いっ!」

「よく言えました」


 と言うと同時にまた殴られる。

 朦朧とした意識の中、俺は血反吐を吐きながら乞うた。


「ぐは…っ、ゆ、許してください…!」

「ん? 許す? 許さねえよ」


 は…?


「許す時はもう過ぎた。手遅れだ」


 俺は恐怖を覚えた。


「てめえは俺を不快にさせた。もうお前は殺す」


 死の恐怖を。


「ひ…っ…!」

「お〜?ついに分相応な面しやがったな」

「いやだ…死にたくない!いやだいやだ…!」


 狼男はナイフを取り出した。

 壁に張り付き、逃れる方法を考えるが全く思いつかない。

 もう逃げられない。自分で自分の首を締めたのだ。


「や、やめ…!」


 俺は顔を振りながら背を壁に張り付ける。

 しかし、ナイフは問答無用でぶすりと俺の腹部につき刺さった。


「が…ふっ…」

「じゃーな、クソガキ。あの世で詫びな」


 狼男は俺の腹に刺したナイフを抜き、満足したとばかり踵を返して去った。

 俺は歯を食いしばりながら血を抑え込んだ。

 しかし、血は止まらず、口からも飛び出る。


「ゲフッ、ゴホッ!…ぁ…ああ……くそぅ…」


 …油断した…ああ、こんな終わり方…

 死ぬのは二回目になる。


「うぁあ……っ!」


 立ち上がろうとするが力が入らない。

 一人ぼっちで、暗くて、寒い。

 ……まただ。あの時と同じだ。

 調子に乗るとこれだ……くそったれ……


「ああ…やっちまったなあ…」


 調子に乗らなくてもやりたいことはやれたはずだ。もっと別の方法があったはずだ。

 ………結局、何も反省していないな……


「くそぉ…」


 掠れる視界の中、黒いマントを纏った老剣士が見えた。



◆◇


 俺は家の中で目を覚ました。そこには見慣れた薄汚れた木の天井があった。ぼうっとしたまま、俺は体をゆっくり起こした。


「ここは…」


 俺は気絶したはずだ。

 誰が助けてくれたんだ…?


「あれ? 腹の傷がない……?」


 腹の傷は全くなくなっていた。傷跡すらない。

 顔を上げると、そこにうずまくる母がいた。


 ああ、そうか母に助けられたのか。

 肩が微かに震えている。心配させてしまった。

 まずは謝らないと……


「ママ…」

「アベル!」


 上げた母の顔はみるみる怒りに染まっていった。そして、大きく手を振りかぶって、俺の頬を強く叩いた。


「―――え?」


 じんじんと頬が痛い。俺はぶたれたことに一瞬理解ができなかった。


「どれだけ心配したと思っているのよ!」


 大声でそう叫んだ。初めての叱責だ。

 俺は、母の気持ちを考えていなかった。

 

「ま、ママ……?」


 母さんは顔を手で覆い、悲痛な声を零した。

 俺は、分かっていたはずだ。分かっていたんだ。


「…私にはもう……あなたしかいないのよ……!」


 母はいつも俺を気にかけていた。

 毎日俺がどこかに出かける時に「気をつけてね」と必ず言っていた。

 あれが形式的な言葉ではなかったのだ。


「今度は私も頑張るから……頑張るから、もうどこにも行かないで……!」


 いつの間にか母さんに強く抱き締められ、俺は胸の中でくぐもった声を上げた。


「うあぁ……!」


 死にかけた。母さんを置き去りにするところだった。


「ぁああ……うわぁあああ……」

 

 後悔を吐き出す様に叫び、安堵を零す様に泣いた。

 そして、


「ごめんなさい……!」


 俺は、間違っていた。

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