➤1話 転生



 うっすらと赤い世界だ。

 薄赤色に覆われ、謎の浮遊感がある。


 これが死なのか。死んだ実感がないな……それに手足の感覚が全く……いや、あるな。

 死後の世界って五体満足なのか。


 でも、なんかこう……手足に違和感がある。

 まともに動かず、右手が口元が定位置だ。足も体育座りのまま動かない。


 ちょっと動かしてみると、何か柔らかいものに当たる。それに肌の感触がふわふわして、まるでぬる暖かい水の中にいるみたいな……

 って、うぉお⁉︎ なんか全身に張り付いてきた!


 身体中に何かが締め付けられてくる。

 すると、突然視界が真っ白なった。眩しくて何も見えない。


 僅かに鼓膜が響き、何か話し声が聞こえる。

 さっきの赤い世界は地獄のどこかだったのか?

 罰の一種だったり……いや、無いか。苦痛も何も感じなかったんだし、それどころか妙に清々しい。


 あ、ちょっとずつ色がついてきた。

 煌びやかな天井だな。どこかの貴族の家なのか?


 それになんか人が複数いる。その内の一人、妙に目立つ奴がいた。そいつは絢爛な格好をしていて、茶い髪に、目の色も茶色だ。歳も結構若いようだが、ここの主人なのかもしれない。


 そして、俺の目の前にいるこの女は、黒で先が白メッシュのショートヘアーだ。黒眼でキリッとしていて、頭と服にフリルがある。メイドさんか。


 ――――ん?

 なんだなんだ。俺を地面に向けてどうする気だ。


 ……………………まさか。


 スパァーーン!!と音を立てて俺の尻を叩かれた。


 いってぇ!もしかして、もしかしなくても俺、赤ちゃんになっている⁉︎


 痛い!また叩かれた!あっ、俺が泣かないからか。

 泣こう。そうだ、泣こう。いや、22歳になって泣くとか…いてぇ!分かったよ!

 泣いてやるよ、人生で一番っていうくらい!


「うぁああーー!うぁあん!うぁあああああ!」


 すごい騒ぎになってる。泣き叫びすぎたか?

 王冠の男が神妙な顔で冷や汗を流しているし、黒髪メイドが俺を庇うように後ろへと隠していた。

 なんか不穏な雰囲気だ。


 しばらくして、黒髪メイドが涙を流しながら俺を白い布で包み、とある女性の元へと運ばれた。

 女性の髪は黒く、体も細い。スレンダー美人というか……


 ああ、そうか、この人が母親か。


 すると、涙が俺の顔に落ち、強く抱きしめられた。決意に満ちた顔で俺の目を見つめ、何か言っている。

 それを最後に白布によって視界は塞がり、見えなくなった。


◆◇



 4ヶ月後。



 どうやら俺は転生したようだ。


 死に物狂いで死に抗った末、力尽きて人生やり直したいなあって思ったら、本当に転生するとは夢にも思わなかった。転生も実在するとは思っていなかった。

 俺の漫画愛の力によって転生したのだろう。偉大なるラブの力だ。


 冗談はさておき、この世界における言語をなんとか聞き取れるようになった。俺を呼びかける声と、家から出かけるに周りの声をなんとか理解できた。

 それで分かったことといえば自分の名前くらいだ。


 俺の名前は アベル というらしい。


 創世記の兄弟の弟だっけ。

 兄に嫉妬で殺されるっていう……不吉だ。


 とにかく、俺はどうにかこの世界の言語で「ママ」をなんとか言えるようになった。他の成果といえば……ちょっと前にようやくハイハイもできるようになったくらいか。

 初めて喋ったら母親に物凄く驚かれた。ハイハイした時もそうだった。

 かなり早いのかな。


 栄養不足で俺が痩せ細り始めた頃は焦ったものだが、母親は購入した乳のおかげで、ちょっとふっくらしてきた。


 前世の母親も苦労して俺を育ててくれたというのに、親孝行どころか礼一つ言えなかった。

 今世ではちゃんと感謝せねば。


 あ、でも、今は「ママ」しか言葉がしゃべれない。

 発音方法はまだ練習中だ。もっと喋れるようになったら、ちゃんと面と面を合わせて礼を言おう。


 次に、今の環境の話をしようか。………まず、超の超超貧乏だ。

 家の中をハイハイでチェックしてみたところ、木の枝と藁が散りばめられているだけだ。ボロボロで穴だらけの木の家で一階一部屋で、置かれている物は母の手持ちの袋一つしかなかった。

 袋の中を見ようとしたが、いつも母に回収される。


 俺は意地悪に泣いてみると、オロオロしつつも結局見せてくれなかった。

 何が入っているんだろう。


 せめてどんなところに住んでいるのか知りたくて外に出ようとしたが、母親に止められた。

 なんでだよ………あっ、今俺0歳だからか。

 

 失敬失敬。ありがとうございます。母さん。


 結果として、貧困な暮らしをしている。それだけはわかる。しかし、生まれたばかりの時に見た光景からして、貴族の出の可能性もある。

 母親は側室かもしれないな。娼婦の線も……いや、こんな質問をするのもどうかだな。


「オラァ!!!開けろや!ゴルァ!」


 びっくりした。家全体が響いた。


「今月の徴収をよこせやオラァ!!」


 これマズくないか。ちょっと前までは柔らかい感じだったのに、今はこんな感じだ。


「開けねえんなら壊して入るぞオラァ!」


 ドアを叩かれ、母親は俺を抱きしめて泣いている。


「ごめんなさい!次は必ず…!必ず…!」


 次って…持ってるよね。お金。

 チラッと見えたけど、袋の中にあるよな……


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 いつまでも母親の悲痛な声を近くで聞いた。


「チッ…次はねえぞ!」


 と、徴収者は去った。

 はぁーっと深いため息をする母親。


「ママ…」


 俺は母に向かい合い、声を零した。

 すると、唾を飲んで俺に微笑んだ。


「…ごめんね、アベル。今から乳買ってくるから待っててね……」


 そっか…お金を渡すと俺の飲む乳のお金がなくなるのか。産まれてから母親には苦労しかかけていない。

 成長したら、必ず恩返しをしよう。いや……必ずする。前世では親に恩返しの一つもできなかったのだ。



◆◇


 さらに1ヶ月。俺は歩けるようになった。まだ走ることはできないが、歩く程度なら余裕でできる。

 …まぁ、この部屋にずっといるし特にすることがなかったから歩く特訓をしてたわけだ。

 もちろん母親には目をひん剥いて驚かれた。


 赤ちゃんが歩き始めるのって何ヶ月からだっけ。1歳くらいだったような……確か俺は生後5ヶ月くらいだっけ。そう考えると早いのかも。

 と、俺の成長の異常性について考えていると、ついに恐れていたことが起きた。


 母は結局、金を払えなかったのだ。


「今月の金払えや!今日は3人連れてきた。もう逃さねえぞ!」


 任俠の世界みたいだ。こんな世界本当にあったんだな。世界は広いな。いや、狭いか?


「オラァ!」「ワン!」「ハァン?」


 ……しかし、これは笑える。一人が喋ってるのに他の3人は凄んでばかりだ。


「入るぞ!」


 ドアを壊しやがった。出て来たのは坊主の強面のおっさんと、似たようなやつが一人。

 こっちはちょっとイケメン。「ボス!おはようございます!」とか言いそうなタイプだ。


 もう一人は……犬耳? あ、尻尾もある。

 獣人……いや、間違いなくそうだ。ここは異世界なのか?こんなやつがいるってことは魔法も使えたりするのか⁉︎


「ゲッヘへ……」


 で、問題はこいつらの目つきだ。目が充血しているし、息使いも荒い。

 もしかして、こいつら徴収を口実に……


「お金を払わねえっていうんなら体を売れ」

「ワン!」

「…………」

「みすぼらしい体だが、穴の使い道はあるだろ」

「ワォン!」

「………………」

「俺らを相手にしてくれんなら今月は見逃してやる」


 よく無い雰囲気である事だけはよく分かった。その上、明らかに金を回収しに来た奴の顔じゃない。

 俺は母親の顔を見て、心配の声を零す。


「ママ……」

「………ッ、分かりました。お願いします」


 すると、母親は肩の布を手に掛けた。

 その時理解した。俺の考えは間違っていなかった。俺は、焦燥に駆られ、焦点が定まらなくなった。


 くそ、どうする? どうすれば母を助けられる?


 まだ赤ちゃんの俺にできることは泣くくらいだ。

 叫び声で周りを呼び出すことは出来るはず。


「げっへへ…話が早くて助かるぜ」

「うっ…うう………!」

「アベル、ダメよ」


 母親は決意に満ちた顔で俺を見据えてそう言った。

 そして、俺が泣き声を大きく上げようとした途端、


「えぅ…うぁあむぐぅ⁉︎」

「アベル!ダメ、泣いちゃダメよ!」


 と、俺の口を塞がれてしまう。


「アベル、お願い……!」


 ッ、やめてくれよ………


「……良い子ね」


 母は口を噤んだ俺を後ろに向かせた。

 そして、畜生どもに踵を返す音がした。


「……ッ」


 パサリとぼろぼろで薄汚い服を落とす音がした。


「うひひ、何か言うことがあるんじゃないか?」

「…お願い…します………」


 始まった。強姦が。


「……ッ!!」


 それを聞きたくなくて耳を塞ぎ、目を瞑り、泣きながら唇を噛み堪えた。前世の記憶がある俺からしたら非常に不愉快なことだ。不愉快どころか、殺意が湧いてくる。しかも、母親にあんな顔されて……何も言えないじゃんかよぉ………



◆◇


 頭に何か触れられて、俺はびくりと体を震わせる。顔を上げると、母親がいつもの優しい顔で俺の頭を撫でていた。しかし、微笑む瞳の奥は虚で、顔には涙の痕跡がいくつもあった。


「………アベル。よく我慢したね」

「……ッ」


 部屋の中が臭い。むわっと蒸し暑い。

 不愉快だ、腹が煮えくり返る。

 娼婦とか思ってごめんなさい。何も分かってなかったです。


 ……俺ってこんなに無力だったのか。

 前世では何もしなくても飯が食べられるし、親も普通に仕事やってて、俺に裕福な生活をさせてくれた。それがどれだけありがたいことなのか、分かっていなかった。


 体を売ってしまった母親には一生をかけて感謝しなければならない。一生謝罪しなければならない。

 形はいろいろだ。好きなものを買ってあげたり、好きなところに連れて行ってあげたり……老後も世話しててあげたりとかだ。

 しかし、母親にはどれをしても足りないだろう。

 俺はそう思う。


 それでもほんの僅かでも返したい。

 お金もなく、身分も底辺だろうが関係ない。俺が貴族の出の可能性はあるが、それも関係ない。


 俺の力でのし上がってやる。

 母を害した奴らに見返してやる。

 俺の力で、母を幸せにする。


 あれ? マザコン発言だな……いや、結構。

 俺の全てをもって返さなくてはならない。


「ママ……」

「……うん、大丈夫だよ」


 母は俺を抱きしめた。そして、微かに震えていた。


 大丈夫なわけがない。あのお金のほとんどが俺の乳の金だろう。母自身に金を使っていない。やせ細ったその体は簡単に壊れそうだ。

 この体で俺を守ってくれたのだ。


 そうだ、俺はのし上がる。見返してやる。


 そのためなら汚いことでもやる。

 何だってやる。



 母さん、待っててくれ。

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