第7話 夜明け前の飯
今から十年くらい前。私は渋谷に通っていた。別に渋谷という街が大して好きだったわけでもない。
その頃の私は音楽で飯が喰いたいという漠然とした目標に向かって青春を消費していた。雨にも負けず風にも負けず。ただひたすらにクラブに通い、売れない音楽を続けていた。
当時の私は確かに燻っていたに違いない。あの頃の私がいなくては今の私は当然いない。だが青春というフィルターをかけたとしても、決して良くは写らないうす暗い記憶である。
そんな燻った記憶の中で、夜明け前に食べたいくつかの飯を紹介したい。
少なくともあの時あの瞬間は幸せだったから。
その1、帰り道のなか卯
一緒にクラブに通っていた仲間と一時期バイクに乗って朝帰りをしていた。とはいえ、私は免許など持っていないクチだったから、彼の後ろに跨ってひたすら送ってもらう人生だった。
渋谷から地元までだいたい一時間弱。酒はすっかり抜けていたがその代わりよく空きっ腹を抱えていた。
「なか卯いくか」
どちらからともなく、毎回そんな台詞が口をついて出た。特に冬場の朝帰りのバイクは若いとはいえ骨身に染みる。
地元まであと少しという大通り沿い。こんなところで客なんか来るんだろうか?という場所にあるなか卯。朝方の従業員はみんな同じようになんとも生気のない顔をしている。
いつも決まって頼むのは牛肉うどんだった。
私も彼も牛肉うどんの大盛りばかり頼んでいた。
ラーメンでも牛丼でもなく牛肉うどん。その頃の私たちは決まって牛肉うどんを注文した。
さっぱりとした出汁にやや甘い味付けでペラペラの牛肉。可もなく不可もなくといったうどんが、また絶妙に絡んでくる。散らされた冷凍ものとおぼしき青ネギは彩りだけでなく僅かな風味も演出している。
美味いことは美味い。なんて事はないうどんと味のついた牛丼なのだが、素朴で美味い。だがこれを昼間に喰いたいのかと聞かれればまた違う。朝方の空きっ腹にぶち込むからこそ美味いのだ。余裕のない時に食べたくなる、優しい味なのだ。
朦朧とした頭でタバコ臭い洋服を気にしつつ、疲労感に全身を砕かれながら食べる一杯の牛肉うどん。これは労いの味なのだ。忙しい週末をくぐり抜け、休日の早朝にかけられた労いの言葉。いつ終わるとも報われるとも知れない夢への、そんな若い努力に対しての労い。
誰も労ってはくれないから何かに求めたくなる。それはそうだ。誰に頼まれたわけでもない。自分でやりたいと願いでたことなのだから。それでも、時々は「よくやってるよお前は」と言われたい。そんな思いを込めて私たちは早朝のなか卯に通っていたのだ。
最初の頃はそうではなかった。
その2、センター街の神座
私たちが渋谷に通い始めた頃、まだ渋谷という街の熱に浮かれていた頃。私たちは週末の夜の渋谷にライブ出演するというだけで誇らしげだったものだ。
まるでちょっとした街の顔になった気分だった。
街行く人々を見て、この中にもしかすると自分たちを見に来た連中がいるかもしれない。などとありもしない幻想を抱いていた。
何かの本でこんな言葉を目にしたことがある。
「成功したかどうか以前に、なにかを表現した時点でそれもひとつの才能であると評価できる」
らしい。
そんな言葉を胸に「今はまだ」と言い聞かせ街を歩いていた。
駆け出しの頃はリハーサルの時間が早く、出番が異常に遅い。
夜の九時にクラブに集合させられ、出番は深夜二時半。暗闇と爆音の中で睡魔と重低音と戦いながら出番を待つ。それでも最初のうちは緊張感があったりしたものだ。
やがて出番になり、まばらになったフロアに若干落ち込みながらも、精一杯のパフォーマンスをする。
終わった後はしこたま酒を飲んだり飲まされたりし、へべれけになりながらやがて朝を迎える。
スタッフや関係者に挨拶をして夜が終わりかけた渋谷の街に出る。
「ラーメンでも食うか!」
若さと勢いで突っ走る
センター街で朝までやってる美味い店といえば神座が代表格だ。異論は認める。
まだ酒が残った身体は塩分を欲し、炭水化物を求めずにはいられない。
神座は関西発祥である。透き通った醤油ベースにストレートの中細麺。特徴的なのは、具である。よく煮込まれた白菜と豚の細切れが目一杯入っている。これが美味い。白菜が甘みを出してスープにいい味を加えている。
「美味しいラーメン」というある意味一周してひねりのあるネーミングには嘘偽りなく、本当に美味しいラーメンなのである。
疲れた身体と胃袋に流し込む優しい出汁と暴力的な塩分。太すぎず細すぎず、ただ真っ直ぐに麺がスープによく絡む。一気にすすれば幸福感で口内が満たされていく。
卓上に置かれたニラキムチを入れれえば更に別の角度からの旨味がやってきて、箸が止まることは決してない。
早朝にも関わらずスープを八割飲んでしまうが、異様にあっさりしたラーメンゆえに罪悪感は少ない。それがこの店を選ぶ理由のひとつだ。
先日、フリーランスのウェブデザイナーをしている先輩と酒を飲む機会があった。その時に何故か渋谷の神座の話になり「そう言えば俺も一番辛かった時の仕事終わりにアレをよく食べてたんだよね」と笑いながら言っていた。
全然違う道を歩んできた人間同士が、まさかラーメンを介して交差していたなんて。食べ物というやつはこれだから侮れない。存外、いつかの神座で同席していたかもしれない。
腹を美味しいラーメンで一杯にした若者は街に散らばっていく。それぞれの家に向かって最後のもうひと頑張りをする。
若者は始発に揺られながら幸せな夢をみる。
だが未来は少し違っていた。
その3、地元のコンビニで
もうモチベーションが続かなかった。来る日も来る日も同じだった。同じ毎日の繰り返しが嫌で音楽を仕事にしたかったのに、上手くいかない。
渋谷に通って三年くらいが経過していたが人気も出なければ曲数もあまり増えていない。CDが出したくても出してくれる会社もない。買ってくれる人もいない。
「音楽をやってる」と友人に息巻いてみせても、内実はプータローと大して変わらなかった。
週五日で昼夜バイトして週末はクラブ通い。汗と酒にまみれ、愚痴と煙草の数だけが年々増えていった。
二十代も半ば。今やってることが未来への積み重ねではなく、ただ状況に甘んじて時間を浪費していることには気がついていた。しかし、だからと言ってじゃあ何をすべきなのかは全く分からない。ただ流されていくだけ。
メンバーの関係も新鮮さが失われ、ライブ終わりに何処かへ寄って帰るという流れも少なくなった。
始発に揺られながら音楽を聴き。一体いつまでこんなことを繰り返すんだろうとひと駅ごとに心で呟く。
もう疲れがピークだった。
止めようかな。と毎回思っていた。音楽は続けたいけどこの生活はやめたい。こんなことをするために大学へ行かず働き出したわけじゃない。
何ひとつ生産的じゃない。何も創作していない。人生を消費しているだけだ。そう思っていた。
地元の駅に着くと冬の朝はまだ薄暗く、しとしととか細い雨が降っている。
雨で重くなった上着のまま、傘もささずいつものコンビニに入る。
別にここが好きなわけじゃない。ただここが家から一番近いコンビニというだけなのだ。
日清カップヌードルシーフード味のBIGと梅とおかかのおにぎりを手に取る。梅とおかかのおにぎりは好きな方だが、朝方のコンビニは商品数が少ないので確実にあるものにいつも手が伸びる。
お湯はコンビニで入れていく。家をお湯で沸かすのも億劫になるほど疲れているからだ。それでも、空腹を誤魔化してそのまま寝てしまうのは嫌だった。
家に着くとカーテンだけ開ける。電気はつけない。すぐ寝てしまうから電気をまた消すのが面倒なのと、白んできた空の色が好きだったからだ。
冬で雨が降っていようと、朝はほんのり明るくなる。その僅かな光をたよりに暗闇の部屋の中でシーフードヌードルをむさぼる。
普段はかためが好きだが、疲れた胃袋には若干柔らかいくらいが丁度いい。それもあってコンビニでお湯を入れてくる。
子供の頃からシーフード味が好きだった。絶対に変わらない、裏切らない味。カニカマみたいなのと卵。白濁のスープが寒さと酒でいじめられた身体の隅々まで行き渡っていく。涙が出るくらいに温かい。
みるみるうちに麺を平らげてしまい後はスープだけが残る。ゴソゴソとおにぎり取り出して頬張り、スープを味噌汁代わりにズルズルと飲む。とても味が濃い。だが、それがいい。残り汁を捨てるのが面倒で、けどそれだけ飲み干すにはキツいからおにぎりをお供にしてたらいつの間にかそれがスタンダードになっていた。
梅干しもおかかも、おにぎりはいつだってシンプルで美味い。無駄がなく洗練された具だ。梅干しの酸味が疲労困憊した身体によく響く。
最後のひと口が終わり、大きな満足感が身体の中を駆け巡る。冷蔵庫からお茶を取り出して飲み、満腹で熱くなった身体をクールダウンさせる。
煙草を燻らせながら携帯電話をいじる。当時は主流だったmixiの日記でライブ関係者や来てくれた人たちにお礼文を書く。その当時からよく文章は書いていた。
ライブ後のお礼を書いた後に「ではまた二週間後」という文字を打ちながら心が折れかける。二週間後にまたこれか。と。
次のライブが終わったら、もうやめたいと言うべきだろうか。そう考えていた。
いい加減曲が作りたい。好きなだけ音楽に没頭したい。こんなことをして自分の目標に辿り着けるわけない。
そうだ。ちゃんと言おう。二週間後の今、きっとスッキリした顔で自分はラーメンをすすっているに違いない。いやもしかしたら神座か、うどんか。何でもいい。この状況が変わるなら。
淡い期待を胸に泥のように眠るのだが、その願いが叶うのはそれからさらに二年たってだった。そこからの二年もまだ地獄のような日々だった。
カーテンをしめベッドにもぐる。僅かに漏れる朝の光を眺めながら満腹に束の間幸せを感じる。朝起きて塩分で顔がパンパンにむくんでいると分かっていてもやめれなかった。
冒頭でも書いたがこれは辛い日々の記憶である。泥臭く、貧困や矛盾と常に葛藤していた。ストレスも半端ではなかった。顔つきもよくなかった。
そして結局、夢は途中で諦めてしまった。
それでも、今にしてみればあの頃は夜明け前だったんだと思う。どんな朝がくるか分からなかったが、期待と不安で毎日は溢れんばかりだった。
だから認めたくないがあれを青春という呼ぶのなら、多分そうなのだと思う。
今でも夜明け前が好きである。
続く
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