第6話 夏の鰻の魔力

「本日土用の丑」


 夏にこの文字を見ると思わずソワソワしてしまう。


 土用の丑に鰻を食べる習慣については諸説あるが、有名なのは江戸のエジソンこと平賀源内が顔見知りの鰻屋を救う為に一計案じたという話である。


 当時の夏は鰻が売れなかったそうだ。


 そらそうだろう。いくら現代より最高気温が低いとはいえ、エアコンのない時代にあんな脂っこい魚を好んで食べるものか。と思う。


 しかし人間は単純だ。


「夏だから鰻を食え」と言われるとなんとなく鰻を食わなくてはいけない気持ちになってくる。


 このインターネットが飛び交う現代に生きていても、それがたとえ源内先生の方便だと分かっていても、夏場に鰻が食いたくなるのはどうしてなのだろう。


 あの脂のぬらぬらとした川魚の、どこにそんな魅力があるのか。お重を片手に甘辛のタレがじんわり染みた飯をかっ込んでいても、鰻の持つ魔性の魅力がなんなのかが分からない。ただひたすらに、美味いということだけだ。


 


 鰻というやつはとかく高級である。


 子供の頃はおいそれと食べさせてもらえるものではなかった。しかし、いざ自分が大人になってみると、どうやら親連中は隠れてちょくちょく鰻を食べていたようだ。


 その証拠に、自分では数えるくらいしか入ったことのない店に親と行くと「どうも毎度ありがとうございます。あれ?御子息ですか?いやあ立派になられて頼もしいことで」などと、鰻屋の番頭さんが太鼓持ちのようなことを言ってくる。


 親の顔を見れば嬉しいやら気まずいやらでなんとも言い難い顔をしている。ははあ、なるほどと察したがその日の支払い先を考え余計なことは言わなかった。


 その時の鰻は実に美味かったと記憶している。




 他人に奢ってもらう鰻も美味いのだが、自分の稼いだ金で食べる鰻もまた、格別である。


 私の地元は特に名産地というわけでもないのに鰻屋が多い。激戦区だ。


 近所の人たちはみな「イチ推しの鰻屋」を抱えている。


 そんな中で私のお気に入りは、歩いて行ける距離にある老舗鰻屋のEである。


 今年初めての鰻は雨がよく降る平日だった。


 Eは一昨年改装したばかりの清潔感溢れる内装をしていて、いつも大勢のお客さんで賑わう人気店だ。


 私がEを気にいる理由はいくつかある。


 まずは味なのだがそれはおいおい。


 Eのスタンスが私は大いに好きなのだ。普通、人気の老舗鰻屋などという肩書きがあると鼻の高い商売をする店が多い。


 あまり他店を悪く言うのも気が引けるが、何度か超がつく有名老舗鰻屋に行ったことがある。


 しかしどれも、私が心から美味いと思える店ではなかった。


 味自体、美味いには美味いが鰻やそれ以外のメニューの値段が馬鹿みたいに高く、焼き鳥たった二本で千円を超える某店。


 味はそこそこだが雰囲気が悪く、値段も高いうえに遠方から来た客を日本語が分からないという理由で追い返す某店。


 味も悪いし雰囲気も悪い。おまけに値段も高い景観だけが売りの某店。




 鰻屋と蕎麦屋というのはどうしてこう、鼻の高い商売になってしまうのだろう。


 しかしEはそうではない。


 まず値段だが、非常に常識的である。一番高いうな重で三千円である。私はこの下のグレードで充分なので頼んだことはない。


 もちろんこの値段はチェーン店の鰻屋に比べれば高いのだが、ちゃんとしたうな重を口にできる値段としては常識的な価格なのだ。



 そして店の雰囲気だが活気があって爽やかだ。老舗特有の高慢な空気はない。商売をしているな、という感じがする。


「らっしゃーい」「ありがとざいまーす」


 夏の暑さで重くなった空気を一瞬で吹き飛ばすような軽快で威勢のいい声が飛び交う。


「鰻も蕎麦も静かに待つもんだぜ」と通な御仁は言うが、そういうのは雰囲気も値段に含まれる高級店に任せておこう。何しろこっちは鰻の香りで一杯やりにきたわけではない。早くうな重をかっ込みたいのだ。


 

 夕飯や休日であれば、うな重を注文してる間にビールの中瓶なぞを頼んで骨せんべいをばりばりやって待つ。


 この骨せんべいが美味い。これもEの魅力のひとつだ。骨せんべいはどこでもビールのつまみに出してくれるが、Eの骨せんべいは心なしか格別だ。噛めばパリパリとして香ばしい。臭みがほとんどなく、上品にきいた塩気とほんのり味の奥でする苦味。油でカラッと揚がった骨がつくづく美味い。歳をとったなあ、と思わずため息が出る類いの嗜好だ。


 などを頼んでもいいのだが、あまり調子に乗ると流石に高くつくので骨せんべいをかじりながら、キビキビ働くお姉さんたちを眺めて待つ。


 そして主役がやってくる。


 重厚な塗りに入れられてやってくる、うな重サマ。うやうやしく両手で受け取り目の前にそっと置く。


 まずは小さな腕の蓋をとる。ぷうんと立ち昇るお吸い物の香り。出汁とみつばの安定した夫婦感。そして中に見え隠れする、鰻のキモ。そう。ここではキモ吸いがつくのだ。好きな人にはたまらない。なんともおごる店である。大概の店は別途料金だ。


 ひと口すすれば柔らかな味わい。空腹へつつーっと入り込んでいく出汁。キモは後でにとっておく。


 さて、いよいよご開帳。蓋を開ければ炭で焼かれた脂と香ばしいタレの臭いが複雑かつ巧妙に混じり合って私の鼻腔に飛び込んでくる。


 うひゃー、っと恥ずかしい叫びを思わず口にしてしまう。鰻ってやつは、鰻ってやつはどうしてこんなに美味そうな臭いなんだ。


 たまらず端っこをちょいとつついて口へ運ぶ。


 鰻、ふわっふわっである。


 まるで雲を飯の上にのせて食べたかのようだ。いや違う、雲にこんな美味いタレがのっかる筈はない。これは断じて鰻だ。鰻の脂とタレが絶妙に絡み合ってこの味になっている。なのにこの柔らかさはなんだ。こんな柔らかくて彼らは自然界で生きていけるのか?


 心配だ。鰻さん、何かあったら私に言ってくれていい。私が生涯、アンタの面倒を見るよ。だからせいぜい、世間の荒波に揉まれても柔らかなままでいておくれ。と、ついつい小芝居をうってしまうくらい柔らかい。


 タレがまたいい。甘過ぎず、飽きのこない味付け。ほんのりした甘みと醤油の香り。鰻の臭みがほとんどないので、乱暴な味の濃さで誤魔化す必要がない。これならいくらでも食べれてしまう。


 卓上の山椒を少しだけかけ、山椒ありとなしの味わいを比べてみる。両方美味い。山椒の痺れが鰻の脂にピッタリでお互いを引き立てている。


 ご飯の炊き具合がまた絶妙である。鰻重のご飯というのは実に難しいのだ。何しろパサパサであってはいけないし、ベトベトではなおいけない。しっとりとして、タレが上手いこと絡むような弾力が必要だ。お重の中で鰻と共に蒸されてしまうのでそこも計算に入れての炊き具合だ。Eのご飯はそれら全ての条件が満たされている。職人の腕が鰻だけでなくご飯にも注がれている。


 うな重についてくるお新香も店の特色が出る。私は自分でもぬか漬けを漬けているのでひと口食べれば「ああ、これは市販のものだ」と分かる。


 市販のお新香がいけないというわけではないが、しっかりとした店の味がするぬか漬けが出てくる店は大概なにを食べても美味い。細部までこだわりがあるということはメインの料理にもしっかりと一本の芯があるということだ。


 Eのお新香はきゅうりと細切りの大根。さっぱりした酸味が鰻の脂をリセットし、また美味いと感じさせてくれる。


 願い通りうな重を思い切りかっ込んで私はすっかり満足してしまった。


 うな重というのは不思議なやつで、大飯食らいの私でも並の量で充分満足してしまうのだ。美味い料理というのは量がなくても心が満たされるものなのだろう。


 帰りについ持ち帰り用の骨せんべいを買ってしまい余計な散財をしてしまった。


 店の外に出ると雨はすっかり上がっていた。部屋の窓を開けて夜風を浴びながら骨せんべいをかじる。

 

 湿った空気が少しだけひんやりして気持ちがいい。やはり鰻は夏に食べたくなってしまうものだ。


 例えそれが、なんの根拠もない方便だと分かっていても。


 今年の土用の丑は21日の火曜日だそうだ。



 次の深夜に続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る